8月15日は「終戦の日」だ。日本政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定め、メディアでの取り上げや追悼行事が広く開催される。1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し連合軍に降伏、そして15日の正午に昭和天皇がラジオを通じて国民に戦争に負けたことを告げた。
しかし、8月15日に“戦争”のすべてが終わったわけではもちろんない。それ以降も旧満州を含めたアジア各地での侵攻は行われており、一例を挙げると日本の台湾統治が終了したのは同年10月25日だ。また、沖縄で現地の日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日である。国際的には日本が降伏文書に署名した、9月2日を終戦の日としている。
日本が植民地支配をし、自治や言論の自由も認められず差別や弾圧、慰安婦や徴兵での強制連行が行われていた大韓民国では、8月15日は「朝鮮が日本から独立を取り戻した日」として「光復節」という祝日に制定されている。
形を変えながら“戦争”はいまだに続いている
8月15日の前後には、日本軍と米軍による地上戦によって沖縄でおびただしい数の住民が犠牲となり、自然や文化の破壊も行われた6月23日「慰霊の日」、広島と長崎が原爆の投下で恐ろしい被害に遭った、8月6日・9日「原爆の日」がある。
沖縄での地上戦、広島・長崎での原爆投下、そして日本の降伏から79年が経過。戦争を体験した世代が数を減らし、当時の話を聞ける機会は年々減少している。日本にいると日常のなかで“戦争”の影を感じることは少ないのかもしれない。
一方で、現在進行形で“戦争”は続いている。イスラエルによってパレスチナで行われている民族浄化と虐殺がある。過去の植民地支配にて行われた搾取や差別は、今も格差を生み続けている。日本政府は軍事費を増やしながら、沖縄での基地建設を続けている。だからこそ、8月15日は戦争による被害と同時に、現在にまで続く加害に目を向ける日としたい。
現在を生きる27名による、8月15日の日記集
そんな日を前におすすめしたい本が、椋本湧也作の『日常をうたう』だ。今を生きる27名それぞれの、2023年8月15日を記録した日記集である。事前に椋本さん自身が、戦争体験者で94歳になる祖母へのインタビューを行った録音を公開。その音声を聴いてから、各々が記した8月15日の記録をまとめた1冊となっている。
祖母へのインタビューは、「戦争が終わって、電気つけてもいいって、黒い布切れを取ったときにね、もう一番うれしかった。あぁ明るいなーと思うた。 燭とか、そんなんやったよ? 空襲で狙われんようにこんな筒みたいな黒いのを垂らして真下だけしか明るくないの。だから一番うれしかったんが、明るかったこと」と始まり、5分少し続く。耳を傾けながら、私たちが実際に目にすることのできない、当時の戦火での暮らしを想像する。
ページを捲っていくと、東京、台湾、ノルウェー、ケニアなど場所も違えば、それぞれが過ごす異なる2023年8月15日が並ぶ。にもかかわらず、似た想いを抱えている日記もある。
「ふんっと身体を起こして、まずは日めくりカレンダーをめくった。毎年買っているお気に入りの日めくり。きょうは、『ラップのはしっこが分からなくなる日』だそう。あ〜あるある、と心の中でうなずいた。8月15日との関連性は全然分からない」
「うまく出来たおじやを食べながらテレビをつけると、ぱっと画面に追悼式の映像が流れた。あぁ、今日は終戦記念日か。思わず目をつむり『これ以上戦争がおきませんように』というシンプルな願いと共に黙祷した。目を開けて、朝ごはんの続きを食べ、テレビを消してソファでうたた寝した」
「心配をすることなく、戦争を感じることのない今の私の日常。それが、どれほど幸せなことか、8月15日の今日、いつも通りの朝を過ごしながら、ヒシヒシと感じています」
手元にある“平和”を見つめながら、79年前に想いを馳せる。一方で、現在の暮らしのなかで感じている強い危機感を記したものもあった。
「ロシアとウクライナの攻撃は続いているし、世界ではそのほかにも紛争や内戦が起こっている。日本でも軍事費・防衛費が増額されているし、昨年末あたりから『新しい戦前』なんて言葉を見聞きするようになった。平和も戦争も、気付けば当たり前にそこにあるものでも、一朝一夕で起こることでもなくて、積み重ねた先にあるもの。そしてそのどちらも生み出すのは『人』で、だからこそ私たちは日々それらについて考え、自分や世の中に問い続けなければいけないのだと思う」
加害・被害の歴史と現在の日常は地続きである
椋本さんはこの本の制作に至った経緯をこう話す。「戦後すぐの時期、全国各地の農民や主婦、学生たちのあいだで、生活の実感を自らの言葉で綴るサークル誌が何千タイトルも発行されたことをご存じでしょうか。戦後日本における平和運動は『自分の生活に根を持つ』という地点から出発しました。本書の根底にあるのは、自分が直接体験していない他者の記憶をいかに受け継ぐことができるか、という問いです。これまでも学校の授業やテレビ番組で戦争を“教科書的”に学ぶ機会はありましたが、どこか自分には関係ない出来事のように思えてしまう。では、過去の加害・被害の歴史や今この瞬間も起きている殺戮と、自らの足もとにある日常が地続きであるという想像力を『制作プロセス』と『読書体験』によって掴むことはできるか。それがこの本で試したかったことです」
そして、8月15日の日記を残し続けていく意義を「それぞれに固有の戦時体験はいまだ“未定の遺産”として存在します。他者の記憶を私たちがどう受け取り、どう語り継いでいくかによって、それらは意味があるものにもないものにもなり得るのだと思います。この夏、ぜひこの本を手に取り、他者の声に耳を澄ませ、あなた自身の言葉を綴ってみていただけたらうれしいです」と述べた。
本書の最後は、「この本を読んだあとに来る『8月15日』の日記を書いて送ってください。2024年でも、2025年でも、2050年でも、2100年でも。文字でも、音声でも。一度きりでも、何度でも構いません。ただし、できるかぎり個人的な視点で。あなたがうたう8月15日の日常を、ぜひきかせてください」と締めくくられている。
2024年、気候危機と異常気象は歯止めのかかることなく年々深刻化している。沖縄では米兵による性的暴力事件が起こった。11月には米大統領選挙を控えている。そんな今年の終戦の日、人々は何を考えるのだろうか。あなたの8月15日の日記を、以下リンクからぜひ書いて送ってみては。
URL/https://0815nikki.tumblr.com/
Photo: Courtesy of Yuya Mukumoto Text: Nanami Kobayashi