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正直さと創造性、そしてクィアネスのトビラを開いたビリー・アイリッシュ最新アルバム

ビリー・アイリッシュがリリースした3枚目のスタジオアルバム『HIT ME HARD AND SOFT』。「これまでに作ってきたものの中で、最も私らしいものである」と語る本作に込めた思いを紐解いていく。

過去、そして現在の自分自身との対話と抱擁

Photo: William Drumm

デビュー当時から音楽のみならず、ファッションや思想まで幅広い分野において影響を与え続けてきたビリー・アイリッシュが、5月17日にサード・アルバム『HIT ME HARD AND SOFT/ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』をリリース。約3年ぶりとなるスタジオアルバムは、世界中の注目を集め、すでに10億回以上のストリーミングを記録し、ビリーの新章の幕開けにふさわしいスタートを切った。

全10曲から構成される本作は、同時期にリリースされたビヨンセテイラー・スウィフトのアルバム収録楽曲数より少なく、物足りなさを感じるかと思いきや、全体を通して私たちのあらゆる感情を揺さぶり、聴き終わる頃には一曲一曲が私たちの人生に溶け込み、まるで自分自身が映画の主人公になった気分になる。あらゆるサウンドに挑戦していることもあり、一曲一曲が独立した楽曲に思えるかもしれないが、楽曲同士に共通する歌詞やメロディーが巧みに織り交ぜられ、アルバムを最初から最後までを順番に通して聴きたくなる仕掛けがあふれている。

当時わずか13歳だったビリーがSoundCloudに楽曲「Ocean Eyes」を公開してから、世界が彼女の生み出すクリエイションに注目し、あらゆるアワードで史上最年少の受賞記録を更新していった。10代にして“成功者”として見つめられるクレイジーさを楽しみながらも、その視線や期待を向けられる圧力や、女性に課せられる規範やボディシェイムに力強く抵抗する姿も表現してきたビリー。多くの人がそんな彼女の音楽に救われ、エンパワーされてきたことだろう。しかし今作は、「これまでに作ってきたものの中で、最も私らしいものである」とビリー自身が語るように、これまで以上にパーソナルな感情にフォーカスされ、他者へのメッセージではなく、混沌とした自分自身との対話と抱擁が表現されているように思う。

正直さと創造性へのトビラを開いたビリーの現在地

フィジカル・フォーマットは廃棄物を最小限に抑え、環境に配慮したできる限りリサイクル可能な素材を採用している。

1曲目の「SKINNY」では、前作に引き続き他者から見つめられる自身のボディイメージについて歌った曲。前作『Happier Than Ever』に収録されている「Not My Responsibility」では、“着心地のいい服を着ると女性らしくないと言われ、重ねて着ていた服を脱げば尻軽だと言われる”と、自身の身体や服装、尊厳すらも批判され否定されることへの怒りと悲しみを表現していた。だが、「SKINNY」では“ただ痩せただけなのに、みんな私が幸せそうだって言う。でも昔の私もまだ私なんだよ。そっちが本物の私かも。彼女だって可愛かったよ”と、傷つき続ける過去の自分を優しく慰めている。この曲は今作のために書いた最初の曲であり、この曲ができたことにより「正直さと創造性へのトビラを開くことにした」とビリーは語っている。

そのビリーの言葉が見事に体現されているのは、アルバムの中心に位置する6曲目の「THE GREATEST」だろう。「SKINNY」の次に作ったというこの曲ではアコースティックサウンドとともに報われない我慢と努力を静かに歌い上げたかと思うと、後半ではこれまでに聞いたことのないパワフルな声量で、“あなたが裸の私を欲するまで私は全然平気なふりをしてずっと待っていた。私って偉大だよね”と悲痛な叫びを歌っている。ビリーのこれまでの楽曲の中でも最もエモーショナルでドラマチックな展開は、彼女の正直さと創造性へのトビラが開いた証拠でもあるだろう。

「トビラ」というモチーフは、このアルバムにおいて重要なキーとなっている。3曲目に収録されている「CHIHIRO」は、誰しもが曲目リストが公開された瞬間にジブリ作品『千と千尋の神隠し』(2001)を連想したことだろう。まさしくこの楽曲は、ビリーが幼少期から好きだったジブリ、その中でも最も好きだと語る『千と千尋の神隠し』とビリー自身を重ね合わせて生まれた。“あのドアを開けて”と繰り返し歌うのは、劇中でカオナシが雨のなか千尋が働く湯屋を訪れ、千尋がドアを閉めずに湯屋へ迎え入れたシーンを想起させる。ドアを開けてくれたことによってカオナシは千尋に対して愛を感じ、物語が劇的に進んでいく。ビリーはその時のカオナシのように、悲しみの雨が降り続くなか愛を求めていたのかもしれない。

「LUNCH」で語る、クィアネスのトビラ

ビリーは昨年『ヴァラエティ』誌のインタビューで「女性に惹かれる」と自身のクィアネスについて初めて口にした。この後、同誌のイベントのレッドカーペット上で、公の場で自身のクィアネスについて許可なく訊かれたことに対してアウティングであると批判。同時にレッドカーペット上では「カミングアウトの必要性を信じていない。『なぜ存在するだけじゃだめなの?』という感じ。ずっとそうだったけど、口にしてはこなかった」、「みんな知らなかったみたいだけど、もうわかったよね。ワクワクする!」とこれまで話してこなかった自身のクィアネスについて話すことに緊張している様子を見せた。ある意味クローゼットのトビラを開けたビリーが、他者からの強要や期待ではなく、自身の言葉でクィアネスをどのように語るのだろうか。

その一つの答えがアルバムリリースの翌日にミュージックビデオが公開された「LUNCH」だ。“あの女の子だったらランチに食べられる”、“これはときめきではなく、飢えだよね”と女性に対して性的に惹かれている様子を歌っている。後半では“友達以上の関係に興味があるんだ”、“彼女は本命みたいな味がするかも”と、性的に惹かれるだけでなく、恋愛として惹かれているのかもしれないというセクシュアリティやロマンティックの揺らぎがポップなサウンドで描かれているのも、レッドカーペットで語られた「ワクワクする」という言葉の体現なのかもしれない。

自分自身を取り戻し、進む新たなチャプター

アルバムのラストを飾るのは、未発表曲「TRUE BLUE」と「BORN BLUE」を組み合わせ再編集した曲「BLUE」。まるで海の中を浮遊しているような軽やかなメロディーから始まったかと思うと、2分を過ぎた頃から一変し、深海へと沈んでいくような深く重いサウンドに変わり、“怖過ぎて外に踏み出せない。自分が聞いたことに取り憑かれて石になってる”と、かつて成功をおさめ一躍有名になった陰で、引きこもりになってしまった過去の自分を赤裸々に歌い上げる。「苦しみの渦中にいるときは何を感じて、どのような状況なのかを理解することはできない。だけどしばらく経つと、こういうことだったのかと気づくことができる」とビリーはこのアルバムで一貫して、過去の自分と現在の自分を地続きに捉え、救うことのできない感情を楽曲にして優しくも強く抱きしめる。

また「BLUE」のメロディーは、アルバムの始まり「SKINNY」、そして中心に位置する「THE GREATEST」にも使われている。こうしたトリックのおかげで、独立した楽曲ではなく、アルバムとして1つの作品であることを強く感じさせられる。これもまた創造性のトビラを開いた先に見つけた音楽の楽しみ方なのかもしれない。

本作はビリーが今までで一番自分らしく、正直なものと語っているからこそ、これは彼女自身の話だと切り離してしまいそうになるかもしれない。しかし歌詞を見ると、詩的で抽象度の高い感情が繊細に多く描かれているのもあり、曲を聴き進めるごとにリスナー自身が持つストーリーに溶け込んでいく。「ポップスの世界では、牛肉が何からできているかを誰もが知っているように、誰もがみんなの人生を知っている。誰が誰を嫌っているかとかね。だけど私は『LUNCH』を聴いて、“あの子のことね!”とわかるようなものにしたくない。そういう音楽を聴くのはうんざりする。今のポップスはリスナーがどのように解釈するかの機会すら与えていない」と語るように、これはビリー自身が意図していることであり、彼女が音楽を楽しむ手段でもあるのだ。だからこそ私たちは楽曲を、アルバムをそれぞれに解釈し楽しんでいい。きっとビリーが伝えたいことは、彼女自身のタイミングで、言葉で、方法で伝えてくれるだろう。

あらゆるトビラを開け、自分自身を取り戻したビリー。同時にトビラの内側で塞ぎ込んでいた過去の自分を見捨てず、ともに新たなチャプターへと進んでいく。私たちもビリーのように、混沌とした過去と現状を受け止め、正直さと創造性のトビラを開き、歩みを進めていきたい。

※本文中の本人の発言は「Billie Eilish & FINNEAS: HIT ME HARD AND SOFT Interview | Apple Music」、「Billie Eilish's Very London Lunch | 'Hit Me Hard and Soft' Interview | Capital」、「Billie Eilish Talks All Things "Hit Me Hard and Soft" and going for it with "Lunch"」より引用。

Text: Kotetsu Nakazato