ニューヨーク、ソーホー地区にあるこのアパートメントには、ソフトウエア・エンジニアのオーナーが、経理責任者の仕事をしているフィアンセと暮らしている。だが彼は当初、自身がこのような空間に暮らす姿は、想像もしていなかったという。そう語る彼は、スカート付きのカバーがかけられたビーダーマイヤー様式の椅子に座っている。目の前には人造大理石のダイニングテーブルがあり、背後のガラスの壁には18世紀の画家で建築家としても活躍したジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ作のエッチングが飾られている。予想外だとは言うものの、ワインを注ぎ、シャルキュトリーを盛りつけ、ニューヨーク州北部に所有する養蜂場で採られたはちみつを添えて私たちをもてなしてくれる姿は、実に堂に入っている。彼によると、この部屋の内装設計を依頼したフード・アーキテクツに伝えた要望はごくわずかで、その一つが「家でパーティーを催したい」というものだったという。
オーナーのリクエストは「開放感あふれる空間作り」
そんなオーナーが、数々のプロジェクトをバズらせてきた型破りの建築事務所、フード・アーキテクツを知ったのは、インスタグラムを通じてだった。フード・アーキテクツはオフ-ホワイトの店舗デザインを手がけたほか、イーストリバーに巨大プールを浮かべる構想を打ち出している。さらに「AD100」に名を連ねるインテリア界のマエストロ、アクセル・ヴェルヴォールトとともに、キム・カーダシアンとカニエ・ウェストがカラバサスに建てた大邸宅の設計を担当していたという、知られざる実績もある。
施主であるオーナーの具体的な希望は、このアパートメントを開放感あふれる空間にし、間取りを刷新して、より自然光を取り入れた作りにすることだった。だがフード・アーキテクツに伝えた説明は、かなり抽象的なものだった。「私はこのスペースで、型破りなこと、通常の基準から外れたことをしてくれる人を選びたかったのです」と、オーナーは振り返る。
実際、フード・アーキテクツの仕事ぶりは型破りだった。「まるで風景のように感じられるしつらえを構想しました」と語るのは、今回のプロジェクトにフード・アーキテクツとともに関わった、キャス・ナカシマだ(キャスはその後独立し、自身の事務所を立ち上げている)。アーキテクト・オブ・レコード(AoR、法的な責任を負い実務設計を行う設計事務所)となっていたモデルス・ノヴスとともに、フード・アーキテクツは既存の内装すべてを取り去り、収納やランドリースペース、バスルームなど、家の主要な構成要素すべてを、リブ状の装飾を施した扉で覆われた、ポケットのような壁面収納に仕舞い込んだ。
そして、リビングエリアは通常の壁ではなく、厚みのあるコルクとガラスのパネルで仕切ることにした。これはまさに、訪れるゲストを楽しませるためのしつらえだ。エレベーターを降りると、真っ先に目に入るのはコルク張りのコートクローゼットだ。
右に曲がり、カクタス・ガーデンを抜けると、ソファのあるスペースに至る。この部屋の壁にも、DJブースを収納する専用のスペースが設けられている。一方、入り口で左に曲がると、キッチンがあり、その先には“カンバセーション・ピット”が見える。ベッドルームとオフィスはこの裏側にある。ゲストの視界を完全にシャットアウトしているわけではないが、落ち着きがあり、人目を避けられるスペースとなっている。
「これはバックエンドとフロントエンドを非常に意識した作りです」とオーナーは、自身が仕事で携わるウェブ開発の用語を用いて説明する。「壁に収納されたものすべてが、部屋の空間にあるものをサポートする仕組みになっていますからね」。そんなオーナーの定番のジョークは「簡単に言うと、僕たちは3ベッドルームと2.5バスルームを備えた物件を、収納だらけのワンルームに作り替えてしまった」というものだ。
名作建築に着想を得た内装インテリア
一方、AD100に名を連ねる建築会社、チャーラップ・ハイマン&ヘレロのアダム・チャーラップ・ハイマンがこのプロジェクトに加わったのは、室内に置く家具について構想を練り始めたころだった。彼はソファをスタート地点とし、そこから有機的にアイデアを広げていった。「フード・アーキテクツが作り出したのは、ある意味、ファンタジーの世界の建築です」と、アダムはこのスペースを定義する。「そんな空間をアレンジするなら、このデザイン言語と全く相入れない要素を採用するのが最も面白いと考えました」。
過去の名作に手本を求める、アカデミックなアプローチを持ち味とするアダムは、今回のインテリアの手本として、モスクワにあるロシア構成主義建築の巨匠、コンスタンチン・メーリニコフの自邸を採用した。1920年代に建てられたこの邸宅は、円筒をつないだ奇妙な構造に六角形の窓を配したアヴァンギャルドなデザインで名高く、その後は博物館として使用されている。
メーリニコフと同様に、アダムはビーダーマイヤー様式に着目し、エレガントなダイニングチェア一式を入手した。テーブルは、人造大理石を素材とする現代のアーティスト、フィーカス・インターフェイスに依頼して作製したものだ。
フード・アーキテクツのオリジナル・コンセプトで示されていた要素の一つ、レザー張りの“カンバセーション・ピット”については、ハイマンはオカルト的とさえ言えるテイストのインテリアを考案し、キリムのカバーをかけたクッションと19世紀のアメリカ製の五角形のテーブルを配置した。ソファの背後、コルクの壁に飾られたのは、皿に載せられた洗礼者ヨハネの首とサロメの絵で、さらに不穏な空気が強調される。
このようなどこか人を不安にさせる雰囲気、そして新旧のアートをマッシュアップした室内装飾は、この家の至るところで見ることができる。ベッドルームのアクセントとして配されているのは、森を描いた古いタペストリーだ。20世紀に制作された別のタペストリーは、超特大のフロアクッションにリメイクされてリビングに置かれている。ダイニングテーブルの向こう、アルミ製のブラインドがつけられたガラスの壁にかけられているのは、ピラネージによるエッチングの数々だ。このブラインドは、オーナー自身のアイデアだった。
デザイナー側はシアーな素材を使えないかと試行錯誤していたが、オーナーは日本のオフィスの様子をとらえた写真を見て、ピンときたといい、こう語る。「ブラインドには90年代のオフィスのブースの雰囲気があり、そこが美的に快いと感じたんです」。これはこのアパートメントにいくつか見受けられる、室内装飾と建物を結びつける、インダストリアルな要素の一つだ。また、機能的なルックをよしとするハイテクデザイン・ムーブメントへの目配せとも言える。
だがこの家では、ハイテク感がデコラティヴなディテールの楽しさを凌駕することはない。あらゆるスペース、そして巧みに隠されたドアの向こうには、サプライズが用意されている。メインリビング脇の、日当たりの良いちょっとしたスペースにあるのは、カクタス・ガーデンだ。手彫りの木の額に入った1900年頃のアート作品が壁に飾られた空間には、カクタス・ストアで手に入れた、レアな品種のサボテンが並べられている。
「この家はマシンをイメージしてデザインされています」とアダムは説明する。確かに、ベッド、スピーカー、さらにはDJブースに至るまで、あらゆるものが視界に入らないよう巧みに隠されている。「それぞれのスペースは、日常生活に必要な機能を果たすよう、建築的な視点で設計されています」。オーナーはこのアパートメントに暮らし始めてから約1年が経ったが、今でも、この家でどう暮らしていくのが良いのか模索中だという。
家の目玉となる“カンバセーション・ピット”は、パーティーラウンジよりは、夜に映画を見るのに使われることが多いが、これはオーナーも予想していたことだ。また、毎晩寝る前に室内のブラインドをすべて閉じているという。確かにシャワースペースは少し広すぎるが、オーナーはこの場所で、仕事上有益なひらめきをいくつも得ているという。
この家はいつまでも、オーナーを驚かせ続けている。オーナーと同居するパートナーは、笑いながらこう語る。「今でも、キャビネットの扉を開けてみたら、思っていたのと違った、ということがあります」
Photos: Angela Hau Text: Hannah Martin Translation: Tomoko Nagasawa Editor: Sakura Karugane