『ぼくの好きな先生』(02)や『人生、ただいま修行中』(18)など、「被写体の映画を撮る」のではなく、「被写体と共に映画をつくる」ことをしてきたフランスの現代ドキュメンタリーの巨匠、ニコラ・フィリベール。彼の最新作の舞台となるのは、精神疾患のある人々を迎え入れるユニークなパリのデイケアセンター「アダマン号」だ。そこで過ごす人々の日常を程よい距離をもって見つめた日仏合同製作映画『アダマン号に乗って』は、第73回ベルリン国際映画祭で最高賞、金熊賞を受賞。審査委員長の俳優クリステン・スチュワートらから「金熊賞をこの作品に贈るのは光栄です」と賛辞が送られたのは記憶に新しい。精神科のデイケアセンターのドキュメンタリーという言葉だけを拾って、その実態を暴くようなものを少しでも想像してしまうと、完全に冒頭から裏切られるだろう。完璧ではないわたしたち人間そのものをいきいきとした表現者として受け入れる、柔らかいまなざしがそこにはある。
セーヌの水辺に浮かぶデイケアセンター
──金熊賞受賞、おめでとうございます。ドキュメンタリー映画というジャンルが、最高賞に選ばれた意義をどのように捉えていますか? 思わず「Are you crazy?」とコメントされてましたが。
とても驚きましたし、予想外のことでした。国際映画祭のコンペに出品できるだけでもとてもうれしいことなのに、最高賞をいただけたことを名誉に感じています。ドキュメンタリー映画が認められたという証明でもありますし、こういう職人的である意味、脆弱な映画を認めてくれたんだと思いました。審査委員長のクリステン・スチュワートさんを代表して、「審査員全員の心が動かされた」という言葉をいただいたのですが、それはきっと普通のドキュメンタリーに期待しているようなものと本作が全然違ったので、いい意味でショックだったんだろうなと感じましたね。
──初めてアダマンに訪れたときの感想を聞かせていただけますか?
7、8年前ぐらい前になりますが、本当にうれしい驚きでした。精神医療の介護の現場というのは、機能的であることが優先されがちなので、美しいと感じる場所はほとんどないんですが、船を模した建築、使われている素材も、セーヌ川の水辺にあるという環境も、全てがアダマンの美しさを引き立ていました。パリの中心にありながら、パリではない感じに見えるのもいいなと思いました。
レッテルを貼らずに人を見るということ
──そもそもアダマンがそういう方針なのだと思いますが、映画の中では、患者も介護チームも、特に役職がフィーチャーされることなく、患者らしき人が診断されることもなければ、病名で人をラベリングすることがなく、平等に存在しているのが印象的でした。
アダマンでは、治療を行う人が白衣を着ていませんし、外見からは、この人は作業療法士である、精神科医である、患者であるいうことはわからないんですよね。あえてはっきりさせていないんです。なので、この映画でも、意図的に説明を入れていません。レッテルを貼らずに人を見てほしいという考えのもとに、この映画は撮られているので。
──病気で苦しむことはあっても、病気はその人に属したり、その人を定義するものではないと思います。
そうです。誰かを病気の人として見るということは、周りがその人を病気の中に閉じ込めてしまうようなことじゃないですか。そうしないことによって、人と人との間にある垣根が取り去られ、この人は一体どういう人なんだろう?と思いながら見るようになる。そうすると、個々への理解が深まりますし、この人は患者さんみたいだけど、なんだか自分ととても共通点が多いという気づきもあると思うんです。
──多かれ少なかれ、誰でも社会で生きることに対する障害があったり、苦しみを多かれ少なかれ抱えていると思いますし、浮き沈みも繰り返していますしね。
本当にそうだと思います。誰も完璧ではないですし、それぞれに苦労したり、困難を感じている。そう考えると、正常かそうでないかを区別するはっきりした境目というものはないんです。私たちはその間を行き来していて、垣根はとても曖昧なものなんですよね。
尊重し合って育まれる、程よい距離感
──映画を撮ることによって、どうしても病気に苦しむ人を搾取してしまうのではないかという恐れが最初はあったそうですが、どうやって程よい距離を見つけていったのでしょうか?
そのために何か準備できることは、実はないんです。人間関係って、人それぞれのちょうどいい距離感があって、相手を近いと感じるか、遠く感じるかは直感的で、自発的にお互い感じるものですから。映画を撮るにあたってできるのは、撮っている相手を尊重することです。答えたくなさそうな、踏み込みすぎる質問は私はしません。そうやって接しているうちに、だんだん私というものを感じてもらえて、信頼関係が生まれてくるんだと思います。
──本作は、アダマン号にまつわる三部作としてシリーズ化されるそうですが、撮りたいテーマというのは、次々と溢れてくるものなのでしょうか?
アイデアがどんどん生まれ、結果的に独立した三部作にすることが決まりましたが、私は、好奇心がとても強い人間なのだと思いますね。新しいことに挑戦してみたいし、知らないことを知りたい。未知との出会いや全然知らない人に近づいていくことって、ある意味では、ちょっとしたリスクですよね。どういうふうに転ぶかわかりませんから。だからこそ、リスクも積極的に取っていきたいと思います。
──歳を重ねると保守的傾向が強くなったり、知らないことがさらに怖くなると一般的に言われていますが、フィリベール監督は真逆のスタイルですね。
むしろ怖いかもという状況に身を置いて、何か新しいものを見出すことが好きなんです。新しい人と出会うことは、自分自身を見つめ直す機会になりますしね。例えば、精神疾患のある人たちは、理解が難しいと世の中から怖がられてしまう傾向にありますけど、あえて彼らと出会うことによって、自分が変わっていく。だから映画も、お得意の、快適なものにあぐらをかいて、既に知ってることを知ってるように撮るのではなく、実験的に撮っていくようにしています。
生きるために、前向きな体験を映画にしていく
──人手不足や賃金水準の低さが深刻化する精神医療の現場において、人間の尊厳を守ることが難しくなっているという状況は、ここ日本でもかわらないと思います。簡単には解決できない問題を前に、思考が暗い方向に向かってしまうこともあるのですが、フィリベール監督のドキュメンタリーは希望を捉えていますよね。そういう視点を持ち続けられている理由とは?
実は、この映画で感じていただけるほど、私自身は楽観的ではないんです。ポジティブな人間が撮っているように見えるかもしれませんけど(笑)。人間というのは、最悪のこともできてしまうことは知っていますし、その中でずっと生き続けるためには、あちこちで前向きな体験をうまく掴みながら生きることしかできない。
──監督にとってのその前向きな体験のひとつが、アダマン号なんですね。
そうです。アダマンは心温まるホスピタリティに溢れる場ですし、そこにいると、私もそうですし、患者さんもほっとする、穏やかな気持ちになるところなんです。デイケアセンターには珍しく、すごく詩心がある場所だなと。私は、誰もがそういう場を必要としてると思うんです。恐れや不安は、私だけじゃなくみなさん抱えていると思いますが、それを乗り越えるために、希望を持てる体験をする場を映画にしていくということが、私には必要なんです。まあ、自分自身を安心させて、生きていくために私は映画を撮り続けているんだと思います。
『アダマン号に乗って』
公開日/4月28日(金)
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開
https://longride.jp/adaman/
Text:Tomoko Ogawa