Netflix の実写版ドラマ「ONEPIECE」で、主人公のモンキー・D・ルフィを演じたイニャキ・ゴドイは「自分はメソッドアクターではない」と言う。彼は子ども時代から過ごしてきたメキシコシティにある自宅の部屋から、リモートでインタビューに応じてくれた。「人生は一度きりだから、できる限りいろんなことを経験したい。(俳優として)ストーリーの語り手になりたいと思うのも、さまざまな経験ができるからです」
イニャキは子役として、地元のメキシコでスペイン語番組に出演してきた経歴を持ち、そのキャリアはすでに10年以上に及ぶ。その後、前述の「ONE PIECE」で主役の座を射止め、英語圏に進出を果たした。このドラマは2023年8月に配信を開始すると、高い評価を受け、実に93カ国でトップ10入りを達成した。既にシーズン2の制作も決定していて、24年内に撮影開始の予定だ。
原作者、尾田栄一郎も絶賛「イニャキはまさにルフィ」
原作に忠実な実写版「ONEPIECE」は、人気漫画やアニメシリーズを実写化したハリウッド版にありがちな、原作無視の傾向とは一線を画している。もちろん、これにはルフィになりきったイニャキの演技も大きく貢献している。主役のオーディションには、さまざまなバックグラウンドを持つ俳優数百人が挑んだが、イニャキは原作者の尾田栄一郎を笑わせることができた、ごく少数の俳優の一人だった。めったに表舞台に出ることのない尾田は、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、「一番の課題は、ルフィにぴったりの俳優探しだと思っていました。イニャキ・ゴドイのような俳優が見つかるとはまったくの予想外でした」と打ち明けている。「最初にルフィを生み出したときは、私に想像できる中で一番エネルギッシュな子どもを描きました。ぱっと見は普通の子どものようでいて、普通とはかけ離れた内面を持っている。イニャキはまさに、私が描くルフィそのものでした。本当に自然に感じられたんです」
「ONE PIECE」ユニバースの生みの親であり、こだわりが強いことで知られる尾田からこれほどの賞賛を得ているのは、イニャキの生来の才能であると同時に、彼が20歳の若さにして、すでに俳優として長い経験があることの証しでもある。この道に進んだきっかけは彼が4歳の時、グラウンドで見せる堂々としたそぶりを見た母親が、(スポーツそのものよりも)演技の才能を見出し、地元のミュージカル教室「ステージカンパニー」に通わせたことだった。その後彼は何度も教室で舞台に立ち、学校の課外授業でも演劇の上演に関わった。専業主婦の母親と税理士の父親は、演劇に情熱を傾ける我が子を応援し、オーディションへの送り迎えや、撮影現場への付き添いを買って出た。
11歳にしてスペイン語チャンネル「テレムンド」の連続ドラマで初の主要な役を射止めて以来、ミステリースリラー、犯罪ドラマ、ホラーコメディ、さらにはスーパーヒーローものまで、さまざまなジャンルの作品に出演してきた。
アメリカの昔の名作映画やテレビ番組を見て育ち、「ザ・シンプソンズ」がお気に入りのアニメだったというイニャキは、アメリカ進出をいつも夢見ていた。だが、このような形でハリウッドデビューを飾るのはまったく予想外だったという。大志を抱く監督や脚本家と同様に「アメリカの映画学校で学び、自分の構想を形にする。それが成功への道だと思っていたものですから」とイニャキは振り返る。
だが俳優のキャリアが順調な今、イニャキは学校に通い、自分の作品で成功をつかむという未来予想図を考え直しているところだ。特に、自分が愛する映像作家には正規の映画制作の教育を受けていない人も多いことを考えればなおさらだという。学校はこれからも選択肢の一つとして残るものの、メジャーなシリーズ作品で主演を務め、映像作品にまつわる仕事の裏表を学ぶ経験の中で、人生を変えるチャンスを得たことを考えると、このまま今の道を進む選択肢も捨てきれないという。
1シーズンで終わったNetflix のドラマ「インパーフェクト」を21年にバンクーバーで撮影していたとき、イニャキはあるテープオーディションに向けた準備を進めていた。これは詳細が公開されていない、匿名プロジェクトの主役を選ぶものだった。だが、先方から決定の連絡が来るまで、まさか自分がルフィ役を射止めたとは思いもしなかったという。「こういう本当に大きいプロジェクトに手を挙げるときは、前向きな姿勢が大事です。でも浮かれてはいけない。『よく考えろ。すごくワクワクするけれど、この役を得られる可能性は何百万分の1なんだから』って自分に言い聞かせないといけないので」とイニャキは言う。
だが実際は、イニャキこそが「何百万人から選ばれた一人の俳優」だった。ちょうど家族と一緒にニューヨークに向かう飛行機に乗っていたとき、母親のもとに、「息子さんがルフィ役に選ばれた」とのWhatsAppメッセージが届いた。同行していた妹が機転をきかせたおかげで、この一報を受けた際のイニャキの様子は録画されている。今回のインタビューでも、彼は深く息をつくと、「この『ONE PIECE』出演は自分の人生を変える」と家族に伝えたことを覚えていると語った。「たくさんの人の期待がかかっているのを知っていたし、僕もワクワクしていました。でも、不安もものすごくありました。大きな責任を負うわけなので。でも、これがどれだけ重大なことだったのか、当時はまだのみ込めていなかったように思います」。この時の体験から数年が経った今、自らが負う責任を知った上で当時を振り返るイニャキの瞳は、大きく見開かれている。「結局、僕は俳優なので、自分の仕事をきちんとするだけです。長いことこの仕事をやってきて、ルフィだけでなく、演じるすべての役柄に、僕は同じだけの熱意を注ぎ込んできました」
「自分らしく生きることで、周囲の世界を変えていく」
話が決まるとすぐに、イニャキはルフィを演じるための準備に身を投じた。まずはジム・キャリー、ローワン・アトキンソン、チャールズ・チャップリン、バスター・キートンなどの俳優の動きを研究し、インスピレーションの源とした。いずれも、テンションが高く、体を張ったコメディ演技で知られた俳優ばかりだ。また、原作の漫画を読み、アニメ版シリーズもじっくりと見て、そこから得られた洞察を、自身の役柄の解釈に役立てていった。さらに、ルフィならではの特異な性質についても、自らメモを取ってまとめた。口の端が両耳に届きそうなほどの満面の笑み、感情を併せ持った知性、身体能力、生まれ持った海賊精神、そして何よりも、彼のエネルギッシュな楽観主義だ。
だがなかでも最大の課題は、恐れを知らないルフィというキャラクターをどう演じるのか、という点だったはずだ。ルフィは自分の荒唐無稽な願いや夢を、誰にでも喜んで明かすような人物だ。
俳優とは本来、繊細な感情表現をするよう指導され、そうした演技で評価を受けることが多い。それだけに恐怖心や不安と無縁のルフィというキャラクターを演じるにあたり、自分が俳優として培ってきた直感を乗り越える必要があったと、イニャキは打ち明ける。「これまで演じてきたのとはまったく違う役柄を演じるんだ、と自分に言い聞かせなくてはなりませんでした。常識はずれで、人望があり、どこにでもついてきてくれる仲間がいて、夢を追いかけ、直感を信じ、人の考えなど気にしない、そういう人物です」と彼は言う。そして、ルフィが体現する哲学に、演じているイニャキも感化されていった。「ルフィがすごいと思うのは、彼自身はあまり変わらないところです。自分らしく生きることで、周囲の世界を変えていくんです」
役者が役を演じているとき、どこまでがそのキャラクターでどこからが本人なのか? これは俳優がよく聞かれる、古くからある問いかけだ。年齢を重ね、経験を積んだ俳優などは、本人とかけ離れた役柄を与えられるケースも増えるが、若い俳優の場合は実世界での本人を反映した役にキャスティングされるのが常だ。イニャキの場合もこの例に漏れず、スクリーンで演じる伝説的な存在、ルフィにひけをとらないほど生気に満ち、尽きることのない自己表現への欲求を抱えている。「ONE PIECE」でのイニャキについては、「ルフィを演じるために生まれてきたようだ」との賛辞が相次いでいる。ルフィと同様に、イニャキは早口で盛んに手ぶりを交え、自身の人生や仕事について話すときも、明るく楽観的なトーンを漂わせる。だがそれでいて、インタビュアーに媚びているとの印象を与えはしない、絶妙な匙加減なのだ。
ハリウッドで生き抜くために不可欠なスキル
インタビューの間、彼のテンションが落ちることはほとんどなかったが、驚くほど内省的な一面を見せる瞬間もあった。プライベートについてはあまり多くを明かしたがらないその姿勢からもわかるように、イニャキはすでに公私の間に線を引き、時に一人で考える時間が必要なことを理解している。これは生き馬の目を抜くハリウッドでのサバイバルには不可欠なスキルだ。
実写版「ONE PIECE」の配信開始は、ハリウッドの脚本家と俳優のストライキと重なったため、ファンとの直接の交流は、偶然の対面の機会に限られた。だがそのおかげで、自分の顔が知られているという意識が、徐々に身についたとイニャキは考えている。「ONEPIECE」でこれまでとはレベルの違う知名度を得たとはいえ、彼は今でもごく普通の生活を送れると強調し、「自分は特に気まずい感じはしない」と話す。だが、周囲の人に悪いと思うことはあるという。「(呼び止められて)サインをしている間、一緒にいる友達や家族をそばで待たせてしまうから」
有名になることにイニャキが複雑な感情を抱いているのには、セレブとして名前や顔が知られることはあくまで「副産物」であり、俳優としての最終目標ではない、との思いがある。同世代には、世間に見せる自らのイメージに過剰なまでに意識的な俳優もいるが、彼はより穏やかで人間味のあるアプローチをとり、公の場での写真撮影やサインの求めにも気さくに応じている。それは、こうしたファンとの触れ合いを仕事の一部だと見ているからだ。「ルフィや『ONE PIECE』、そして僕の出演作が、観てくれた人にとって大事なものだっていうことはわかっているし、そういう気持ちはありがたいなと思います。自分の活動を好きでいてくれる人とは、関わっていたいんです」
「ONE PIECE」シリーズの新たな顔として、イニャキは自身のプライベートでの行動が作品と結びつけられることを理解している。それでも「間違ったことを言ったり、悪いことをしたりするんじゃないかと怖くなったり、神経質になったりすることはない」という。それは、自身のパブリックイメージをコントロールできているという実感があるからだ。「うん、確かに責任はありますよ。でも僕が(ルフィ役に)選ばれたのは、そういうことにもきちんと対処できると思われたからだし、自分でもうまくやれていると思います」と彼は言う。イニャキはまだ若く、時に不透明で混沌としているこの業界で自分に何ができるか、見極めている最中だ。だがハリウッドの内部事情にはあまり興味がなく、演技でベストを尽くすことに集中しているという。
それでも、俳優の道を選んだゆえの孤独を感じることはあると、彼は認める。これまで彼はほとんどの現場で最も若手だった。また、母国メキシコではプライベートでも仕事面でも、人との密接なつながりがあったが、アメリカでは若い俳優の友人はあまり多くはない。つまり彼には、スポットライトを浴びながら成長する、現実離れした体験について話せる相手があまりいないのだ。
イニャキのあくなき挑戦の原動力
「みんなの心に残る役者になるのが夢」だと語るイニャキは、ハリウッドでのし上がるための闘いが楽なものではないことをよくわかっている。近年はより多様なバックグラウンドを持つ人材がハリウッドに進出してはいるが、アメリカの全人口の19%をヒスパニックやラティーノが占めていることを考えると、映画やテレビの世界で活躍するその割合は不当なまでに少ない。しかも、過去16年間で事態に進展がほとんどみられないことが、南カリフォルニア大学のアネンバーグ・インクルージョン・イニシアティブによる最新の調査で明らかになっている。進境著しいラティーノの若手俳優の一人として、多様化の波に洗われるハリウッドで、イニャキは「針を大きく前に動かそう」としている。「世界各国の俳優にとっては、今は本当にいい時期だと思いますし、前向きな気持ちになれます。今僕たちに与えられているチャンスは、何年も前の時代とは様変わりしています」。と彼は言い、たった10年前なら、「ONE PIECE」の主役に自分のようなラティーノの俳優が選ばれることはまず考えられなかったはずだと指摘した。
今のところ、イニャキが見据えるのは近い将来だ。ハリウッドや世界各国のプロデューサーから主役クラスのオファーを受けているものの、今は「ONE PIECE」をできるだけ長く制作し続けることに集中していると強調する。「これから何年も『ONE PIECE』を続けられるし、それで僕は満足なんです。何でもかんでも手を出す必要もないですしね」と彼は語る。それでも、いつか究極の悪役を演じてみたいという夢があるという。「極悪非道で、そういう自分を愛しているような」役を演じたいと言い、実生活における自分とあまりにかけ離れているところに、やりがいを感じるのだと打ち明けてくれた。
自身のポテンシャルを広げようとする、イニャキのあくなき挑戦の原動力は「自身の生きる意味とは?」という問いにつながっている。「自分にできることって、とにかく充実した時間を過ごすことだけなんです。だって、なぜ自分がこの世界で生きているのか、その理由はわからないですから」
Photos: JOSEFINA SANTOS Text: Max Gao Translation: Tomoko Nagasawa
