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祝61歳! ジョディ・フォスター、透明感あふれる美しさでインテリジェンスを体現するトップランナーの成功の鍵

一点の曇りもないポーセリンスキン、吸い込まれそうなアイスブルーアイズ、そして、そこはかとないインテリジェンスを感じさせる至高の演技力で、世界を魅了する俳優ジョディ・フォスター。プライベートでは2児の母であり、同性婚をした彼女が明かす、長きにわたり第一線で活躍し続けるための秘訣とは。
祝61歳! ジョディ・フォスター、透明感あふれる美しさでインテリジェンスを体現するトップランナーの成功の鍵
Photo: John Sciulli/Getty Images

「年齢を重ねた女性の中には、メイクを濃いめにしたほうが映える人もいます。ですがジョディの場合は違います。彼女は、“レスイズモア”のアプローチで一段と輝く女性の一人です。ですから今回のイベントでは、目もとをニュートラルなトーンのまとめ、潤いとツヤのあるリップでフレッシュな印象を演出しました」

2021年7月、カンヌ国際映画祭に臨んだ当時58歳の俳優ジョディ・フォスターのメイクについて、専属メイクアップ・アーティストの一人であるブレット・フリードマンはアメリカ『People』誌の取材にこう話した。

以前から「メイクをするとかゆくてしょうがないから、すぐに家に帰って洗い流したくなる。だから、撮影でメイクをするのは苦痛」と公言し、自身のビューティーに関して滅多に語ることのないジョディだけに、彼女メイクに関するこうした具体的な彼の言葉は大変貴重だ。そんな彼はまた、ジョディがFarm House Freshの「One Fine Day Flawless Face Polish」を愛用しており、いつ見てもフレッシュな肌は週1回の角質ケアの賜物であることも明かした。

確立された演技論

アリシア・クリスチャン・ジョディ・フォスターこと“ジョディ・フォスター”は、1962年11月19日、アメリカ・ロスアンジェルスに生まれ育った。1965年、わずか3歳にしてコパトーンのCMに出演し、子役としてキャリアをスタートした彼女は、母イヴリンのマネージメントのもと、数多くのテレビCMやホームコメディに出演し、フォスター家の稼ぎ頭となった。その後、子役として短命に終わることを危惧した母の采配により、マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デ・ニーロ共演映画『タクシードライバー』(1976)に出演。子役からの脱皮を図るため、14歳にして児童売春婦役に挑んだことで新境地を開いた彼女は、当時その胸中をこう語った。「子どもから大人に移行する段階で、大人の役を演じるときは必ず純粋無垢な“誰かの妹”が定番。ですが私は、その考えが嫌いです」

『タクシードライバー』(1976)に出演、12歳の娼婦役というチャレンジにより子役から俳優への階段を上がった。

Courtesy Everett Collection

『告発の行方』(1988)でレイプ被害者を演じ、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の主演女優賞を受賞。

©Paramount/Courtesy Everett Collection

『羊たちの沈黙』(1991)で二度目のアカデミー賞主演女優賞を獲得。唯一無二の演技力で才女の名をほしいままに。

©Orion Pictures Corp/Courtesy Everett Collection

その後、彼女の名を世界的なものにしたのが『告発の行方』(1988)だ。この作品で性暴力サバイバーの役を体当たりで演じた彼女は、第61回アカデミー賞主演女優賞を獲得。続くアンソニー・ホプキンス共演『羊たちの沈黙』(1991)で、FBI研修生クラリス・スターリングを演じ、演技とは思えないインテリジェンスあふれる表情で再びアカデミー賞主演女優賞を獲得し、名実ともにハリウッドを代表する俳優へと上り詰めた。そして2023年以降も『True Detective』の撮影が控えているなど、61歳を迎えた現在も順調なキャリアを築いている。

同性愛にカミングアウトは必要なのか

第70回ゴールデングローブ賞授賞式で“カミングアウト・スピーチ”したジョディ・フォスター。

Handout/Getty Images

プライベートでは、『サマーズビー』(1993)で出会ったプロデューサーのシドニー・バーナードとの間に未婚のまま2人の息子をもうけたジョディ。だが、現在に至るまで子どもたちの”生物学上の父親”を明かしておらず、2014年4月に俳優で写真家のアレクサンドラ・ヘディソンと結婚したことで、世界の注目を集めた。そんな彼女は、2013年に第70回ゴールデングローブ賞でセシル・B・デミル賞を受賞し、そのときのスピーチでカミングアウトについて言及。その中で、ただの一度も「ゲイ」や「レズビアン」という直接的な表現を使うことはなく終始婉曲な表現を使っていたが、メディアは事実上のカミングアウトとして報じた。

「今夜は盛大なカミングアウト・スピーチになります。が、私はすでに石器時代にカミングアウトをしていますので、ここでは必要ないかもしれません(笑)。21世紀という現代社会では、有名人のプライベートを尊重することは当たり前とされています。ですから、今の私に一つだけ言えるのは、私は“無垢で純真な女の子”ではないということ。もし私にそれを期待しているなら、それは本当の私ではありませんし、これからも決してあり得ません」

2013年時点では自身のセクシュアリティについてこう語っていた彼女だったが、のちに「Net-A-Porter」のインタビューで、もう少し踏み込んだ発言をしている。

「6月はプライド月間ですから、子どもたちを連れてパレードに行きます。ですが、私にとっては6月だけじゃなく、毎日がプライドデーなのです」

“天才肌”のメンタルマネージメント術

俳優、監督としての長年にわたる功績により第74回カンヌ国際映画祭で名誉パルムドール賞を授与された。

Toni Anne Barson

「私はニューヨークが大好きです。本当に、信じられないほど素晴らしい街だと思いますし、ここにはすべてがありますから。でも、実のところ私はサンフランシスコの方が好きです。私は、バークレー、スタンフォード、コロンビア、プリンストン、ハーバード、イェール大学に合格しましたが、最終的にイェール大学を選びました。そんな私に対し、何も努力をしていないと言う人もいますが、それは間違いです」

1980年、当時18歳のとき『Interview』誌でアンディ・ウォーホルとの対談でこう語ったジョディは、リセ・フランセ・ドゥ・ロサンゼルスに学んだ。そのため、フランス語に堪能な彼女は、フランス映画への出演はもちろん、フランス語版の吹き替えも行ってきた。また、イェール大学でアフリカ系アメリカ人文学を専攻した彼女は、アフリカ系アメリカ人アカデミズムの第一人者であるヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアに師事。彼の指導を受け、アメリカの黒人作家として初めてノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンに関する論文を書き、1985年に優等で卒業した。その後1993年、再びイェール大学に学んだ後彼女は、1997年に名誉美術博士号を取得し、2018年に同大学生涯功労賞を受賞した。

頭脳明晰で、幼くして成功を収めるなど、非の打ち所がない人生を歩んで来たジョディ。だが、彼女自身はこれまでの人生についてこんな風に振り返っている。「私は、3歳から働き、7歳になるまでに家族を養い、若くして有名人になりました。そして、私の側にはいつも強い母親がいました。だから、“22歳でポケットに2セントだけ持ってハリウッドに来て有名になった”ような成功者たちのように、自力で成功を掴むことはできませんでした。それにはたくさんの理由がありますが、ただ私の人生がその人たちとは違っていた、ということにすぎないと思っています」

さらに、「自分が何かの代弁者であると思ったことはなく、そういう役割は向いていない。自分は“演技する”ことで人に奉仕しているだけ」と常に口にしていた彼女は、俳優業以外の分野で積極的に表舞台に出ることにはいつも後ろ向きだったという。

何ごとに対しても常に一歩引いた姿勢を貫きながら、子役時代から長きにわたり第一線で輝き続けてきたジョディ。そんな彼女にとって最も重要なのは、自尊心を大切にすることとメンタルマネージメントだと続ける。

「この業界で、子役が生き残るのは並大抵の努力ではありえません。そして、さまざまな誘惑に負けていたら、今の私はなかったと思います。ですから、もし私が何かのロールモデルになるとすれば、常に自尊心とメンタルヘルスを優先して来た点でしょう。そして、私がこれまである意味“無傷”でいられたことこそが、何かの模範になるのではないかと思うのです」

Text: Masami Yokoyama Editor: Rieko Kosai