亡き父からの贈り物に狂喜乱舞した16歳のキム
キム・カーダシアンの人生のかなりの部分は、彼女が経験した出来事や心理状態の再現で占められている。しかも熱心な視聴者の希望に応じて、過去の出来事が「再放送」されることも実に多い。キムをフィーチャーしたリアリティ番組「カーダシアン家のセレブな日常」(ディズニープラスで配信中)で彼女の動向を追いかけている視聴者は、他人の人生を垣間見ることに興奮を覚え、延々と見続けるループにはまり込んでいて、リアル世界でもキム自身と親しい間柄であるような幻想にとりつかれている。実を言うと、私もそうした視聴者のひとりだ。1990年代のヴァレーガール(ロサンゼルスの高級住宅街、サンフェルナンド・ヴァレーに住み、独特の話し方をする女子を指す言葉)が生き生きと躍動する、ノスタルジックでさえある世界にどっぷりと浸かった私は、若き日のキムの姿をテレビやソーシャルメディアで繰り返し見て、目に焼きつけてきた。
その中でも一番のお気に入りのエピソードの一つが、弁護士、そしてビジネスマンとして知られた父親のロバート・カーダシアンから、16歳の誕生日にサプライズで高級車を贈られたときのキムの様子をとらえたビデオだ。それまで、ロバートは娘のキムに、「自分の車を持てるのはまだ先だ」と伝えていたという。それだけに、白いBMWが車寄せで待っているのを目にしたキムの喜びようは、熱狂的という表現ではとても足りないほどだ。「誕生日おめでとう、君はベストでゴージャスでこの車にふさわしい。毎週洗車するといい」──父ロバートはカメラに向かって、こう語りかけている。
この父からの呼びかけには、包み込むような安心感がある。温かく、安らぎを感じさせるトーンで、父親との関係がぎくしゃくしている若い女性なら、誰もが自分の父親もこんな言葉をかけてくれたらいいのに、と願うはずだ。私もこれを見ていて、車を贈られて驚嘆し、感情を爆発させている若き日のキムに共感し、父親が娘の16歳の誕生日に車のキーを渡し「君はこの車にふさわしい」というような世界に身を置いてみたいという気持ちが生まれた。まさに高校生レベルの好奇心から、私はごく若いころのキムの夢をのぞき見てみたいと思った──カニエ・ウェスト(現イェ)と出会い、母となり、メディアに出演し、SKIMSやSKKN BY KIMを立ち上げる前の夢を。
私が興味を持ったのは、キムが喜びの叫び声を上げる様子を収めたVHSテープ、そしてビジネスに結びつけることなど考えもせずに、メイクやスタイリングで果敢に冒険をしていたキム、7人の親友のグループでショッピングモールに行くのが好きだったキムだ。のちに彼女は、今のようなキャリアを築いていなければ、百貨店のメイシーズで働いていただろうと振り返っている。私の想像はさらにエスカレートし、ドラッグストアで買い物をするキム、ビバリーヒルズの車両管理局(DMV)に手続きに出かけるキム、父親の事務所にこっそり入り込んで訴訟案件をチェックし(父ロバートは当初、元妻と交際相手を殺害したとして逮捕されたNFLのスター選手、O・J・シンプソンの裁判で、弁護団に名を連ねていた)、いつの日か自分も父と同じような重い責任を負う日が来るのではと将来を思い描くキム──そんな姿が脳裏に浮かんだのだった。
無邪気な少女が、心を乱さない“大人”になるまで
こんな空想をめぐらせるのは私だけでなく、10代のころのキムは多くの人の想像力をかき立てる存在だった。史上最も殺伐とし、何かが起こりそうなムードに満ちていた時代のロサンゼルスを、キムは持ち前の意欲とバイタリティで生き抜いていた。当時、90年代前半のロサンゼルスは暴動や地震の発生で騒然とし、ハイウェイでは(O・J・シンプソンの逮捕劇ですっかり有名になった)ノロノロ運転のカーチェイスが繰り広げられていた。そんな時代を生きていた若き日のキム・カーダシアンを、私はのちに、インタビューやサタデー・ナイト・ライブ、リアリティ番組での告白、レッドカーペット、雑誌記事などで垣間見ることになる。しばし今のキムの姿を忘れて、若いころの彼女を見るとき、私の心にはノスタルジックな気分が生まれる。それはたぶん、私が目にしているキムが、自身の人生のすべてをシェアし、さながらジェダイ・マスターのごとく、どんなことにも心を乱さず、落ち着き払うすべを身につける前のキムだからなのだろう。そこにいるのは、自分の車をプレゼントされて喜びのあまり叫ぶキムだ。とはいえ私は、大人になったキムが、事業の立ち上げに奮闘している最中も、泣き止まない赤ちゃんを抱き上げる姿や、モノクロで統一された広い部屋で、あらゆる雑音、混乱、ゴシップに動じることなく、静かに過ごす姿も見ている。さらに言えば、姉のコートニーと取っ組み合いのケンカをしているときでさえ、その驚異的な魅力は少しも失われていなかった。そんなキムについて、私がインタビューで知りたかったのはただ一つ、どうして彼女がこれだけの成功を収めることができたのか?という点だった。
「どう私たちを育て上げたの?」子育てをめぐる、実母との対話
── 超多忙な日々の連続ですよね?
ええ。でも私は混乱しているときに一番力が出るタイプですから。
── 平均睡眠時間はどれくらいですか?
7時間は確保したいですね。そのくらいの長さが一番私に合っている気がします。でももっと長く眠れるなら、そうさせてもらいますけど。私は寝るのが大好きなんです。飛行機に乗るのも好きですけど、それはたっぷり眠れるからです。スマホのスイッチを切って、搭乗前にパジャマに着替えておいて、席に着いたらすぐに眠れるようにしています。本当に、どこでも眠れるんですよ。
── 本当ですか?
私の特技なんです。ほんとに。
── あなたでも、あまりに大変でもう自分の手に負えない、と感じることはあるのでしょうか?
そう思わないようにしています。今日も母とそんな話をしていたんですよ。今を楽しみ、精一杯生きるために頑張らないと、という。母はひっきりなしに風景の動画を送ってきます。一緒に旅行したときは、いつも「そのスマホを置いて、窓の外を見なさい!」と小言を言われます。別々の車で、空港からどこかに向かっているときも、母から電話が来て「あなた、またスマホいじってるの? 捨てちゃいなさい!」って言われるんですよ。
── そうおっしゃるお母様は、あなたに「スマホを使うな」と伝えるのに、スマホを使っているんですね。
そうなんです。でも母は、そういう時間を作ることで、私たちが精神的に追い込まれることが防げるのではと、気を遣って言ってくれているんです。
── 実はあなたがこれだけの仕事や役割をすべて自分でこなしているというのは、巧みに創り出されたイメージなのだと思っていました。でもこうして目の当たりにして、本当のことだと思い知らされました。
確かにたくさんありますからね。ソーシャルメディアに投稿しているのは、元気いっぱいのときの写真や超キュートに撮れたベストショットだけです。でも子どもたちが仲良くしていないときの写真も、これからはぜひアップしていきたいです。「そういう面もあるんだな」とわかってもらうことはとても大切だと思うので。友達がシェアしている写真も見るんですけど、そういうところに写っている子どもはみんな完璧な、いい子なんですよね。どうやったらそんな写真を撮れるのかわからないし、まったく理解できないと思うと同時に、うらやましくなりますし、素晴らしいな、とも思うんですよ。
子どもが4人いれば、性格も4通りで、まったく違います。助けてくれる人がいるのだから、とても恵まれているという感謝の気持ちはあります。でもどれだけ助けがあったとしても、赤ちゃんはお母さんが一番なんです。だから母親というのは、すべての問題を解決し、涼しい顔をしていなければなりません。そういう意味でも、子育てをしているみなさんすべてをとても尊敬していますし、今振り返ると、私の母はよくあれだけのことができたなと、信じられない思いです。
── 自分が親になってみて、ご両親についてもまた違った視点から見られるようになったんですね。
気がつけばいつも母に尋ねていますよ。「どうしてたの? 6人も子どもがいて、それぞれ強烈な個性があった。どうやって私たちを育て上げたのか教えて?」と。
── それで、お母様は何と?
母は淡々としていて、「私が毎日5時にウォッカを飲んでいたのはなぜだと思う?」とかわされてしまうんです。
「この国の司法制度がいかに不公平かを思い知らされる」
── 長い仕事を終えて帰ってきたあとのリラックス法は?
何も考えず、ベッドに横になるのが好きですね。ベッドでごろ寝しながらテレビを観るだけ、という一日が私にとっては完璧なリラックスデーです。今は自分のテレビ番組向けのインタビューの準備の真っ最中ですけれど。
── ご自身の番組の中で告白をすることが、セラピーのようだと感じたことはありますか?
ええ、もちろん。ときには以前の体験を再び語ったり、振り返ったりすることで、涙があふれてくることもあります。それに、昔の怒りがありありとよみがえってくることも。デリケートな内容だと、撮影してかなり経ってから感情があふれてくるんです。いつも驚かされますね。
── あなたの人生のエピソードで、私が最高に気に入って何度も観ている(筆者注:こんなことを本人に言うのが本当にみっともないことなのはわかっている)のは、あなたがベビーバー試験(カリフォルニア州でロースクールを経由せずに司法試験の受験資格を得るための予備試験)に合格したときの映像なんです。
あれは私にとっても、お気に入りのエピソードです。あの場には娘も一緒でした。長い間、娘は、母親である私がいつも勉強している理由がわからなかったそうです。試験に落ちて泣いていたり、娘自身とまったく同様に、テストの前にとても不安になってしまったりする私の姿も見ています。でも私が喜びの涙を流すのを見て、私にとってあの成果がどれだけ大切なものか、娘もわかってくれたはずです。
── あなたの合格は、この国の刑事司法制度の改革に向けた種がまかれた、重大な意味を持つ瞬間だと感じました。死刑や不当な投獄がまかりとおるアメリカの実情は、世界の他の国を戦慄させています。あのようにむごたらしい現行の制度に戦いを挑む気概のある人はみな、心からの尊敬に値すると思います。
そう言ってくださってありがとう。本当にさまざまな人から、それぞれ違った理由で、すでに相談が来ています。手紙や他の人からの紹介という形が多いですが、引き受けるなら、きちんと時間をかけて、助けようとする相手の人となりを知りたいというのが、私の考えです。緊急の対応が必要な案件でなければ、面会を申し込む場合もあります。でも死刑執行を控えていて、厳しい戦いが続いているときは、時間がありませんから、とにかく動くしかないのです。
── この方面でのあなたの体験が、生活のほかの部分にどう影響しているのかが気になります。法律家として見聞きした話が、夢に出てくることはありませんか? それとも日中の生活の中で、意識に影響を及ぼしているのでしょうか?
とても興味深い質問ですね。生々しい夢を見ることはないですが、刑務所を訪ねて実際に収監されている人たちと面会すると、そのときに感じた思いは決して消えず、私を駆り立てますし、この国の(司法)制度がいかに不公平かを思い知らされます。そして、刑務所の代わりにリハビリセンターがあれば、状況はどれだけ違うかと、痛切に感じます。前回は妹のクロエに同行してもらうことができました。これはとても大きかったですね。クロエは私のしている仕事をすべて見てくれていますから。(収監されている)人たちを知り、どのような来歴を持ち、どうしてあのような行為をする決断に至ったのかを理解すれば、自然と心が開くものです。
── 今まで関わった中で、最も思い入れがある案件、最も誇りに感じた案件はどれですか?
アリス・マリー・ジョンソン(初犯にもかかわらず執行猶予なしの終身刑を受けたが、キムが当時のトランプ大統領に直談判し、減刑が決まった女性)の件はこれからもずっと、私にとって大切なものであり続けるでしょう。彼女が刑務所から釈放されて5年が経ちました。現状を変えていかなければならない思いを抱いた、最初の体験で、その後に続く変化のきっかけとなった件です。でも、ブランドン・バーナードさんという紳士の場合は、私は助けることができず、死刑が執行されてしまいました。でもこうした残念な事例も、とてつもなく価値ある教訓を私たちに与えてくれます。
「心が乱れているときは、できるだけ感情を表に出さない」
── あなたが法の現場に立ちたいと考えた動機は、弁護士だったお父様の影響が大きいですよね。仕事をしているときのお父様について、思い出はありますか?
父が一つ一つの案件に取り組んでいる姿を、私はじっと見ていました。父から品格、そして落ち着き、集中を保つ術を学びましたし、私自身にも父の気質を受け継いだ部分があると思っています。叱られることもありましたが、父はそうしたときでもプロセスを大事にし、対話を心がけていました。「ほら、ここに来なさい。これについて話をしないといけないよ」というのが口癖でした。母が怒ったときは、何だか笑えるんです。怒りのあまり、私たち子どもの名前をちゃんと言えなくなってしまうので。「コートニー、カイリー、ああもう、名前はどうでもいいわ、あなたたち、こっちに来なさい!」って。
── 母親というものは、苦悩の感情を表に出すべきではない、途方に暮れていることを子どもに悟られてはいけない、と言われますね。でも私の母はそうした感情を表に出す人だったので、家庭の中で、感情の強さ、熱さを学ぶことができました。強い心、共感する心を持つべきだと知ったんです。あなたは、お子さんに自分の感情を見せていますか? 我が子の前ではガードを緩めることもあるのでしょうか?
どちらもありますね。子どもたちの父親(カニエ・ウェスト)について何か気がかりなことがあって、心が乱れているときは、できるだけ感情を表に出さないよう心がけます。なぜそうした強い感情を抱くのか、自分は知っておく必要がありますが、その理由が、子どもたちが知るには不適切な場合もあるからです。ただ、そんなときでも「大きくなったらわかるよ」と言うのは最悪です。私はそういう人にはなりたくないですね。でも、感情的になっている理由がそれ以外の事柄で、子どもたちにもわかることなら、それはもう、一も二もなく、感情をあらわにして涙を流しますね。たとえばクリスマスの朝に、母からドールハウスをプレゼントされたときに、私は泣いてしまいました。子どもたちはその理由がわからなかったようでしたが、「これはお母さんが小さかったころに、おじいちゃんの家で遊んでいたものなのよ」と説明しました。
── 子どもたちとソーシャルメディアとの関係についてはどのように考えていますか? 私たちの世代にとっては非常に厄介なものでしかないですが、あなたはどう対処しているのでしょう?
もし完璧な世の中だったら、ソーシャルメディアなんて存在するでしょうか? きっと存在しませんよね。でも一番上の娘は実に軽やかに、遊び心を持って付き合っていますよ。私と一緒に動画をつくるのが大好きなんです。いろいろなことが起きると、親として、子どもと向き合って話をしなければならないこともあるでしょうね。彼女のスマートフォンにはまだソーシャルメディアアプリは入っていません。そもそも何週間もスマホに触れないこともあるほどで、スマホに依存するタイプではないですね。もし気がかりな部分があったら、私ももう少し気にしていたはずです。
── あなたの高校時代は、ロサンゼルスの街が最も荒れていた時期と重なっていたと思います。90年代なかばという、あの街が活気にあふれ、しかし混沌とした中で10代を過ごすことになりましたね。
高校時代の私は、最高の友達に恵まれていたんです。小学校、中にはその前から仲が良かった子たちで、今でもみんな、一番の親友です。仲間内では「ザ・ライファーズ(一生ものの友達)」という名で呼んでいる、7人のグループです。写真を見ては、ティーンのころのパーティーとか、バト・ミツワー(ユダヤ教の成人式)とか、いろいろと振り返っています。ぜひ言っておきたいのは、あのころの私たちはとってもクールだった、ということです! 私はいつも、みんなに支えられていると感じていました。でも確かにあなたの言うとおりで、考えてみると、10代のころ、特にあの90年代なかばの日々は、目まぐるしかったですね。ご存じのように父はいろいろな訴訟を手掛けていましたし、私の人生の中でも、かなり強烈な時期でしたから。94年には、私も親しくお付き合いしていた、当時のボーイフレンドのお母さん(マイケルとジャネット・ジャクソン兄妹の甥にあたるT・J・ジャクソンの母、ディー・ディー・ジャクソン)が殺されるという事件がありました(ディー・ディーはプールで遺体となって発見され、その後交際相手の男性が殺人容疑で逮捕された)。あのときは、私も証人として裁判に召喚されました。あんな若いころにこんな経験をさせられるなんてあり得ません。しかもその直後に、OJ(シンプソン)の裁判があって、とにかくいろいろなことが積み重なったんです。
── ディー・ディーの裁判にはどういう形で出廷したのですか?
証言を迫られました。毎日、ボーイフレンドと出廷したんです。私はまだ14歳だったんですよ。
「今のところ、心が完全に折れたことは一度もない」
── ところで、あなたのご自宅とオフィススペースには、まるで修道院のような趣がありますね。ごみごみした要素はまったくなく、落ち着いた色のチョイスや、インテリアのテイストには、バランス感覚がみなぎっています。前世であなたは高僧だったのかもしれませんね。
以前、霊媒師に占ってもらったことがあるのですが、その人いわく、私の魂は過去の人生で相当の功徳を積んでいるので、ストレスやプレッシャーをどうやって乗り切ればいいのか、完璧に見えるようになっているそうです。私がこれだけ落ち着いていられるのはそのためでしょう。確かに、危機的状況になって少しストレスを感じることもありますけど、緊急事態で困っている多くの人にとって、私は問題を解決してくれる存在なんです。今のところ、完全に心が折れたことは一度もないですね。両親は支えであり手本。「子どもたちの模範でありたい」
── あなたが夫との別離を乗り切った一部始終は、エンターテインメントの世界で私が目にした中でも、もっとも潔い姿だったという印象を受けました。
ありがとう! 時にはまったくほかの選択肢がないこともあるんです。私が別のやり方をしていたら、状況をもっと良くすることができたでしょうか? それはないですね。もっと悪くしていた可能性は? それはあります。ある程度のところまで来たら、人は自分に最終決定権が得られない状況や、自分が知っている真実を明かせないことを受け入れなければならないと思います。それに、私は自分の両親という、とても良いお手本を見ていました。それが支えになりましたね。「自分の子どもたちにとっても模範でありたい」と思えるようになりましたから。
── 「待てば海路の日和あり」ということわざのようですね。あえて誤解を解く必要などないのかもしれません。大事なのは反応しないことです。
まさにおっしゃる通りです。人はつい、むきになって反応してしまうことがあります。でもそれは状況の解決には役立ちませんし、それで解決が早まることもありません。
── 美意識についても、内面にある魂についても、「新しいキム」が現れたように感じます。どのように新たな自分を迎えたのか、そしてその際に別れを告げたものは何なのか、教えてください。
確かに、これは新しい私だと感じます。以前の私にとって、一番の自信の源は、その人の意見を心から信用できるパートナーを持っていること、だったんです。そうした状況にあると、ある意味では自分の意見を失うわけです。今の私は「とにかく正しいことをしたい」という気持ちがみなぎっています。自分の周りにあるもの、そばにいてくれる人すべてをありがたく思い、自分のやるべきことに集中し、子どもたちとの関係に重きを置きたいと考えています。別れを告げたものについて言えば、私は自分が来た道を忘れるタイプではないんです。これまでのことすべてに感謝しています。
── あなたが経営するアパレルとシェイプウェアブランドのSKIMSは驚異的な成功を収めていますし、スキンケア製品ブランドのSKKNもこの夏で1周年を迎えます。今はどんな気持ちですか?
事業がどんどん大きくなることにワクワクしています。スキンケアについては言いたいこと、やりたいことをたくさん抱えていて、ようやくそれが形になろうとしているところですね。
── 今、一番時間をかけているのはスキンケアビジネスですか? メイクアップについてもリサーチはしているのでしょうか?
常にリサーチはしていますよ。でも、私にとっての最大のリサーチは、メイクをしてもらっているときなんです。私がお願いしているメイクアップ・アーティストは一流ばかりですから。そういう人が使うプロダクトを見たり、お話を聞いたりするのがとても参考になりますね。毎週のように、こうして直接話す機会があるのはラッキーだなと思います。
── ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)の23年春夏コレクションでは、ミューズと広告キャンペーンの顔を務めましたね。ファッションについて、知る人ぞ知る、新興ブランドを発掘することもありますか?
いろいろな要素をミックスしています。新しい、才能あるデザイナーも大好きですよ。私のスタイリストはいつも新たな関係やブランドを探しています。私たちはいつも、絶え間なく、ストリートの声に耳を傾け、今店に出ているもの、みんなが好きで着ているのはどんなものかをチェックします。旅先でもそうですよ。(父親のルーツがある)アルメニアに行けば、いつも地元のデザイナーは誰かと尋ねます。マイアミやロンドンに行ったときは、ちょっと違ったスタイルを意識します。地元の人みたいな服装をするのが好きなので。
── 文章に関わる者としてぜひお聞きしたいのですが、今読んでいる、面白い本はありますか?
今はローラ・リン・ジャクソンの『サイン』という本を読んでいます。とても気に入っています。
Photos: Rafael Ravarotti Stylist: Ibrahim Kamara Hair: Chris Appleton Makeup: Hiromi Ueda Set Designer: Ibby Njoya Manicurist: Simone Marino Post Production: Dtouch Lnd Location: Circus Studios Production: Amazed Productions Thanks to Kim’s make-up artist, Rokael Lizama Translation: Tomoko Nagasawa