ビニールハウスに住みながら、少年院にいる息子と再び一緒に暮らすことを夢見る訪問介護士のムンジョン――。ドラマ「SKYキャッスル~上流階級の妻たち~」で知られるキム・ソヒョンが『ビニールハウス』で挑むのは、決して這い上がることのできない社会の負のスパイラルの中で生きる女性だ。韓国の格差社会を根底に、残酷すぎる現実を突きつけてくる作品で彼女が伝えたかったこととは? 物語の脚本を手がけ、みずからメガホンを握った新人監督イ・ソルヒとともに、本作への思いを語ってくれた。
「どのような状況下でも前進していく、生きていく意志を持った作品」
――キム・ソヒョンさんにお伺いします。脚本に魅了されて出演を決めたそうですね。どのようなところに惹かれたのでしょうか?
キム・ソヒョン(以下ソヒョン) 他人の話のようには思えず、自分自身の物語であるという風に感じました。この映画は老後や福祉の問題をはじめ、現在、私たちが生きている社会が抱える問題を覗き込む作品になるだろうと思ったんです。それだけではなく、私自身が年を重ねるなかで感じていることも含まれている脚本だと思いました。同時に、私自身が若い頃に感じていたもどかしさや悲しさ、それらもすべて描かれています。最も惹かれたのは、どのような状況に置かれていても前に進んでいく、生きていく意志を持った作品であるという点です。
――監督がソヒョンさんにオファーをした経緯をお聞かせください。
イ・ソルヒ(以下ソルヒ) 低予算の映画を作りながら、手書きの手紙を俳優さんに届けたり、 マネージメントサイドに情熱を伝えてオファーをする監督も多くいらっしゃると思います。でも私はものすごく憶病なので、そんなことは到底考えられませんでした。キム・ソヒョンさんは「オファー」という言葉すら恐れ多いような存在ですから、最初は彼女に役をお願いするなんて、夢にも思っていませんでした。でも当時ご一緒していたキャスティングディレクターの方が、ソヒョンさんと長い間、信頼関係を築いていた間柄だったんです。その方の提案のおかげで、運良くこうして出会うことができました。
「ソヒョンさんは、ピュアな魂を持つ純真な少女のような方」
――ソヒョンさんは、日本でも「SKY キャッスル〜上流階級の妻たち〜」などでよく知られている俳優です。ビニールハウスに住むムンジョンは、これまでのイメージを覆す役柄ですよね。
ソルヒ ソヒョンさんは韓国の国民であれば観たことがない人はいないくらい、これまでさまざまな役柄を演じてきた方です。カリスマ性のあるパワフルで都会的な役柄を演じることが多かったので、ご本人もそういう方だろうと思っていたんです。なので、ムンジョンを演じていただくには、彼女自身が強すぎるのではないかと思っていました。ところが実際にお目にかかると、お話をしていても弱々しささえ感じるようなところがあって、ピュアな魂を持つ純真な少女のような方だったんです。力強いキャラクターを演じるときには、かなりのエネルギーを使っていたのではないかと思うに至りました。インタビュアーの方のなかには、「これまでのキャラクターとは違う役を演じるのは大変だったのでは?」と聞かれる方が多くいらっしゃいますが、むしろ私は彼女の性格はムンジョンに最も近いのではないかと思っています。
ソヒョン その通りだと思います(笑)。
――胸が痛くなる場面も多い映画ですが、撮影中に精神的に追い込まれることはありませんでしたか?
ソヒョン 台本を読んでいる間はずっと泣きっぱなしでしたが、現場で追い込まれるようなことはありませんでした。若いスタッフの方々がたくさんいる和気あいあいとした雰囲気で、情熱にあふれる現場でした。当時はコロナ禍でしたので、無事に撮影が終わってほしいという思いの方が強かったです。寒いなかでの撮影だったため、それを乗り越えて頑張ろうという気持ちもありました。撮影中は大変さを感じることはありませんでしたが、完成した映画を改めて観ると大変な作品だったんだなと思うような、私にとっては不思議な作品でもあります。
――監督からの演出で心に残っていることを教えてください。
ソヒョン 監督とは初めてご一緒したのですが、私たちの間にはお互いに言葉にせずともわかり合えている部分があったと思います。具体的な演出というよりも、ムンジョンのあまり明確ではないしゃべり方など、表現については話したような気がします。
ソルヒ 初めてソヒョンさんとお会いしたときに、「話し方のトーンがとてもいいので、そのまま演じてください」とお伝えしました。撮影中に「少しかっこよくなってしまったので、力を抜いてもう一度お願いします」ということはありましたが、キャラクターの骨組みなどについてはそれほど話していないんです。ソヒョンさんの持つ本来のトーンのなかから生まれてきた役だと思います。
――ムンジョンのビジュアルの作り方について、相談したことはありますか?
ソヒョン 俳優キム・ソヒョンとしては役柄に沿って作り上げられたかっこいいイメージも好きなのですが、自分のなかにはムンジョンのような惨めな姿もあると思っているので、私の普段のナチュラルな姿を見せればいいのではないかと考えました。最初、監督からは「何を着てもかっこよくなるから……」と言われたような気がします(笑)。
「システム不在の世界のなかで、個人が希望を失わずに生き抜いていく映画だと思っている」
――最初にソヒョンさんが話したように、この映画のなかには高齢化や介護、少年犯罪、貧困や格差、心に問題を抱えた人たちの生きづらさなど、現代社会のさまざまな問題が描かれています。監督のなかには、こうした題材を取り上げることで観客の意識を変えたいという思いはあったのでしょうか。
ソルヒ そのような壮大な目標を持って作った映画ではありません。けれども観客がこの映画を観て、さまざまな問題をありのままに受け止めてほしいという気持ちはありました。ストーリーを追っていった先に訪れる結末に寄り添っていただいたうえで、一緒に問題について感じてほしい。そんな願いを持っています。私自身はこれらの問題は、韓国社会のシステムの不在によって引き起こされているものだと思っているんです。ではどうしたらいいのかと考え続け、生きていくしかないと思っています。
――最後に、『ビニールハウス』が日本の観客にどのように届くことを期待していますか?
ソヒョン 監督のお話にもあったように、『ビニールハウス』には社会的な問題が描かれています。大変な環境で生きる人たちを保護して、どのように制度を改善していく必要があるのか。それを考えるきっかけにもなると思いますが、私自身はシステム不在の世界のなかで個人が希望を失わずに生き抜いていく映画だと思っているんです。息苦しく、もどかしい気持ちになる作品ではあるけれど、それぞれの場所で夢や希望を持ち、踏ん張って生きていこうとする人の映画として届いたらうれしいなと思います。
『ビニールハウス』
監督・脚本・編集:イ・ソルヒ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク
3月15日(金)よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
Interview & Text: Mika Hosoya Editor: Rieko Shibazaki