「パティ(・ルポーン)も、フランクと同じシチリア人。でもパティと違うのは、フランクはとても短気な人だったことかしら。でも30歳近く年上だったフランクは、私の人生にとってとても“重要な人”で、とても思いやりがあって、内気で、私がこれまで出会った誰より親しみやすくて近づきやすい人でした」
2024年9月、俳優で友人のパティ・ルポーンとともに「CBSサンデーモーニング」出演した俳優/活動家のミア・ファローは、亡き夫フランク・シナトラとの思い出をこう語り始めた。
本名マリア・デ・ローデス・ヴィリア・“ミア”・ファローは、映画監督の父と女優モーリン・オサリバンとの間に、1945年2月9日LAのビバリーヒルズに生まれた。厳格なカトリック教育を受けた彼女は、わずか2歳のときに短編ドキュメンタリー『Unusual Occupations: Film Tot Holiday 』(1947)で映画デビューを果たしたが、9歳のとき当時流行したポリオに罹患。そのため3週間隔離病棟で過ごしたのち、奇跡的に生還しその後TVドラマ「ペイトン・プレイス」(1964~1969)のアリソン・マッケンジー役で再びショービジネスの世界に復帰した。
そして1966年、世界的ヒット曲「My Way」でお馴染みの永遠の大スター、フランク・シナトラとの結婚を機に同シリーズを降板した彼女は、続くロマン・ポランスキー監督のサイコホラー映画『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)のローズマリー役でゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされ、名実ともに世界のトップスターへと駆け上がった。
ピクシーカットで新時代の女性を表現
「“なぜそんなに髪を短くしたいのか?”と聞かれても、私はただやりたかったからしただけ。本当にそれだけの理由です」
そんなミアのトレードマークといえば、人生のターニングポイントとなった映画『ローズマリーの赤ちゃん』で見せた美しいフェイスラインと繊細なネックラインを大胆に露出したピクシーカットだ。が、実際に彼女が髪を切ったのは映画公開2年前の1966年4月、US版『VOGUE』で巨匠フォトグラファーのリチャード・アヴェドンとのファッションストーリー撮影時だった。それまでキープしてきた腰まで届く美しいロングヘアをバッサリと切り落とし、ピアスを開けて大胆なイメージチェンジを図った彼女だったが、その行動は保守色の強かった60年代のアメリカ世論で“衝動的”だとされ、理解し難い“ブレイクアウェイ(伝統を打ち破るもの、新人類)”と呼ばれた。
そして、この時点ではまだ「ペイトン・プレイス」の撮影中だったため、彼女のヘアを見たTVクルーは皆驚き慌ててウィッグを用意した。だがそんなクルーに対し、自身は平然とこう言ってのけたという。
「どうして? 私には、まったく問題ありませんが」
ちょうどその頃、フランス映画界に台頭した”新たな波”を意味する「ヌーヴェルヴァーグ」ムーブメントの旗手故ジャン=リュック・ゴダール監督の名作『勝手にしやがれ』(1960)に彼女より7歳年上のアメリカ人女優故ジーン・セバーグが出演。シャンゼリゼ通りで『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙を売るパトリシア役の“セシルカット”で新たな時代の幕開けを告げ、イギリスでは4歳年下のピクシーカットの新人モデル”ツイッギー”が鮮烈なモデルデビュー(1966)を飾るなど、ショートヘアがヨーロッパを席巻していたときだった。
一見ランダムで切りっぱなしのように見えるミアのピクシーカットは、US版『VOGUE』の一部の読者からは斬新すぎると評されたようだが、当時の“新人類”の女性たちのお洒落心を大いに刺激した。そして、型にはまらない自由なスタイルを求めた女性たちは、こぞってピクシーカットで新たな時代の空気を謳歌した。
「My Way」フランク・シナトラとの思い出
「フランクは私に『ローズマリーの赤ちゃん』から降りろと言いました。でも、私は降板しなかった。だから私を捨てたのです。撮影中もずっとフランクは『彼女は絶対出演させない』と言い張って、スタジオ責任者と口論になりました」。一方でミアは、2024年に『デイリーメール』紙でフランク・シナトラとの短い結婚生活についてこう明かしている。
ミアが彼と出会ったのは1964年。20世紀フォックスで当時19歳の彼女は『ペイトン・プレイス』、50歳の彼は『脱走特急』を撮影中で、二人の間には31 歳の年の差があった。そして二人の結婚の経緯について、ミア自身は2024年11月に「ドリュー・バリモア・ショー」に出演した際にこんなふうに振り返っている。
「いつ結婚するかは前日に決めたので、慌ててクローゼットにある一番良いドレスを用意しました。婚約中に彼は撮影でイギリスへ行ってしまったので、私は一人小さな借家で待っていましたが、カーテンがなかったので中が丸見えでした。外は報道陣が取り囲んでいて、彼らと目が合わないよう冷蔵庫まで床を這ってピザを取りに行ったのを覚えています(笑)。そのとき、フランクから電話がかかってきて『明日結婚しようか』と。私は『それはいいわね』と答えて、そのままラスベガスのホテルで挙式しました」
こうして1966年に結婚した二人だったが、代表作『ローズマリーの赤ちゃん』への出演をめぐって衝突し、その2年後にピリオドを打つことになった。映画関係者を両親に持つミアにとって、同作品を降板することはまさに“禁じ手”。そのため、執拗に降板を迫るフランクを拒否し続けてきた彼女は、最後まで彼が本気ではないだろうとたかをくくっていた。が、ある日「私の出演するすべてのシーンの撮影をほぼ終了し、完成まであと1カ月のところでフランクの弁護士が離婚届を持って撮影現場に現れたのです」
フランクとの離婚後も『グレート・ギャツビー』(1974)、『ナイル殺人事件』(1978)などの作品に出演し、名実ともに名優の名をほしいままにしたミア。私生活では、その後映画監督のウディ・アレンと交際したが、彼がミアの娘ディランに性的虐待をした容疑で裁判沙汰に発展するなど、その関係は危ういものだった。そんなときでも、元夫であるフランクはミアの元に真っ先に駆けつけ、ウディに対し“報復”を請け負ってもいいと申し出るなど、1998年にフランクが他界するまで良好な関係を保ち続けていたという。
そして今日、紆余曲折を経て今日無事に80歳を迎えたミア。そんな彼女は、今でも愛すべき存在と語るフランクとの短命に終わった夫婦の日々を、こんなふうに振り返っている。
「私とフランクが31歳も離れていたことが、夫婦生活を維持することを難しくさせたことは確かだと思います。なぜなら、19歳の私は他の同年代の人より精神的にはるかに未熟で世間知らずの子どもだったから。こんな“子ども”を抱えて夫婦生活を維持しようとしてたなんて、本当にフランクにはかわいそうなことをしました。ラスベガスの通りでペットを連れた人にいちいち話しかけたり、眠くなったらテーブルでも居眠りをしてしまう──そんな子どもだった私に、彼はとてもとても忍耐強く接してくれました。だからこそ、彼は今でも私の人生にとってかけがえのない人なのです」
参考文献:
『What Falls Away:A Memoir』(Random House Publishing Group December 1, 1997)
https://people.com/mia-farrow-frank-sinatra-had-temper-but-was-compassionate-and-shy-8705258
https://www.nytimes.com/2019/12/11/style/jean-seberg-style.html
https://www.vogue.com/article/mia-farrow-short-hair-pixie-haircut-1966-richard-avedon-photographs
https://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-14061573/Mia-Farrow-Frank-Sinatra-divorce-papers-Rosemarys-Baby.html
https://people.com/mia-farrow-frank-sinatra-relationship-look-back-8553249
https://people.com/mia-farrow-frank-sinatra-served-divorce-papers-rosemarys-baby-set-8742171
https://faroutmagazine.co.uk/frank-sinatra-break-woody-allen-legs/
https://people.com/mia-farrow-frank-sinatra-served-divorce-papers-rosemarys-baby-set-8742171
https://www.theguardian.com/film/2007/feb/05/2
Text: Masami Yokoyama Editor: Rieko Kosai
READ MORE
- シンガーのシャーデー(66)が語る、永遠の美の秘訣とトランスジェンダーの息子への懺悔
- 祝52歳! 永遠のロリータアイコン、ヴァネッサ・パラディが語るビューティールーティンとAI時代の表現活動
- 「若いころより断然幸せ」。ヘレナ・ボナム=カーター58歳が語る、エイジングと女性の魅力と恋愛と
- 俳優ティッピ・ヘドレン94歳、 アメリカ・ネイル界のゴッドマザーが起こした美しきレボリューション
- カトリーヌ・ドヌーヴ(80)、 世界一エレガントな生粋のパリジェンヌの美しさと生涯現役の秘訣
- ブリジット・バルドー、人生に永遠の輝きをもたらした3つのコンプレックス
- ツイッギー、祝74歳! 「世界は私の脚を記憶している」──往年のカルチャー・アイコンが語るナチュラル・エイジング
- VOGUEエディターおすすめの記事が届く── ニュースレターに登録