東京マラソン2025から、一般ランナーの性別の選択肢に「ノンバイナリー」を追加しました。そこには、多様なバックグラウンドを持つランナーにとって、マラソンが自己表現の機会になればという思いがあります。東京マラソンには努力の成果として、友人やご自身のためになど、さまざまな目的を持って走る参加者がいます。できるだけ多くのランナーに自信を持って、心の底から満足して走ってほしい。それを少しでも実現するために、今回の導入に踏み切りました。
実は東京マラソンは、「ワールドマラソンメジャーズ」という主要マラソン大会のひとつ。世界をリードする立場にいます。ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークではすでに2020年代初頭からノンバイナリーの選択肢が設けられ、東京が最後となりました。遅れの理由の一つとして、運営側が慎重に慎重になっていたことがあげられます。東京マラソンには、スポーツ競技そして一般参加型のイベントと2つの顔があるなかで、私たちは競技としての側面に比重を置いてきました。だからこそ、公平性や競技のあり方を含め、すべての参加者を否定しないものでなければという考えを強く持っていました。柔軟な対応が必要だという認識はありつつ、国内の大会や社会の反応と認知度を鑑みながら、足を止めて慎重にならざるを得ませんでした。私も日本陸上競技連盟やオリンピック委員会の一員として、これまで長くスポーツ業界に携わっていましたが、自身を含め内部の人間は陸上競技色の強い背景を持っています。まだまだ知識も経験も不足していて、どう対応すべきか悩んでいたのが正直なところです。
一方で、2019年からはプライドハウス東京の協力のもと、誰でもトイレや更衣室の設置、運営関係者への講習などを進めてきており、環境としての整備はされ始めていました。世界をリードする大会をしてどう広く社会に貢献し、考えを掲げていくのか。世界のスタンダードに合わせる必要性も感じていたころ、後押しをしてくれたのが、 アメリカ人ランナーのカル・カラミアさんでした。 ワールドマラソンメジャーズすべてを走破する と、「シックススター」の称号を得ることができま す。カラミアさんは、それを目指してノンバイナリーのカテゴリーで走り続けている方です。約2年前、東京マラソンにノンバイナリーの選択肢がないことについて問い合わせました。カラミアさんと対話を続けるなかで、その思いの強さはもちろん、自身が何者なのかを明確に表現しながらマラソンに参加できることの重要性を理解し、蔓延していた「慎重に」という空気から、やはり一歩を踏み出すべきだと確信しました。参加者に満足していただけるのか、まだ見ぬ課題があるか、将来的には表彰や賞金の授与を伴う枠とする必要があるか──まずはやってみないとわからない。カラミアさんの存在に背中を押され内部で議論したところ、もう環境面での準備はでき ていると感じたこともあり、それならば早々に採用しない理由はない、ということで今年の実践に至りました。
スポーツには障壁を越える力があり、私たちが多様な選択肢を提供する姿勢自体が、社会に対して強固なメッセージになると考えています。他方で、主要大会でも特に影響力の大きいニューヨーク、シカゴ、ボストンの拠点、アメリカではドナルド・トランプ大統領が「(認める)性別は男性と女性のみ」と表明しました。我々のような、街や市民を巻き込むマラソン大会は行政や議会を頼らなければならない背景もあるので、真っ向から対抗するような状況をつくりたくはありません。そんななかで、どうメッセージを出していくのか、 世界はまさにそんな葛藤の最中にいます。
東京マラソンはもちろんスタンスを変えるつもりはないですし、これを機にもっと世の中にメッセージを届けたいと考えています。スポーツは政治から独立し、戦争や経済格差にも影響されず、純粋に競技が行われるのが本来あるべき姿。時代が移り変わっても、差別なくスポーツの場が継続していくことが今こそ大事なのではないでしょうか。私にとっても、今年はレースディレクターとい う役職で経験する初めての東京マラソンになります。レース後には多様なバックグラウンドや思いを持つ、できるだけ多くの参加者とコミュニケーションをとりたいですし、ノンバイナリーを選択されたランナーの方々からも率直な意見をいただきたいです。東京マラソンはスポーツの機会を提供する組織として、まだまだこれから変わっていけると思います。世界と視点を合わせつつも、東 京ならではの大会を構築していく所存です。
Profile
大嶋康弘
福井県出身。日本陸上競技連盟、日本オリンピック委員会、日本大学スポーツ科学部教授などを経て、2023年9月、東京マラソン財団アシスタントレースディレクターに就任。2024年4月からレースディレクターを務める。
Text: Yasuhiro Oshima as told to Nanami Kobayashi
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