6つ目か7つ目のルックが登場したあたりから、アンソニー・ヴァカレロによる今季のサンローラン(SAINT LAURENT)は、昨年9月のシンプリシティを極限まで追求したコレクションを焼き直しているわけではないことがわかった。中盤あたりになっても、ジャケットはサンローランが1962年に発表したビートニクス風のコートを想起させるものが数着披露されたくらい。どうやらアウターが主役の一般的な秋冬コレクションでもなさそうだ。
会場は私室のような2つの円形の部屋。八の字のように連結しているふた部屋は、エメラルド色のダマスク織りカーテンに囲われていて、ゲストたちはデセデ(DE SEDE)の世界最高峰の黒いレザースネークソファ「DS-600」に座っている。あたりに漂っているのは「オピウム」の豊潤な香り。そして親密な空間を生かしたランウェイは、雨上がりのパリの街路を連想させる。最後のモデルがランウェイを練り歩き始めた頃には、サンローランの2024-25年秋冬コレクションのほぼすべてがシアーであることが明らかだった。
ヴァカレロが生み出した48のルックは、ほとんどがシースルー。そのすべてがタイツと同じ生地から作られていた。ファッションに少しでも興味がある人や日頃からインスタグラムを徘徊している人、セレブたちのレッドカーペットスタイルをチェックしている人ならご存知かと思うが、ここ数年はシアーがかなりキテいる。諸手を挙げてボディポジティブを歓迎する世間の流れ、互いを出し抜きたい一心のセレブたち、自分の体型を見せびらかすナルシスト的な行動。さまざまな要因によって一躍トレンド入りを果たしたシアーファッションは、話題になるたびに露出度がエスカレートしていき、これ以上はいけないところまで来てしまったように思える。
このような状況下において現れたのがヴァカレロだ。彼は1966年に発表されたシアーブラウスなど、ムッシュ・サンローランがこれまで手がけたシアールックにオマージュを捧げながら、シースルーの概念を見事にひっくり返した。インスピレーションのひとつでもあるマリリン・モンローのアイコニックなジャン・ルイ(JEAN LOUIS)のドレスのように、かつては革命的でシックだったシアー。それが昨今ではいかにありふれたものになってしまったかをヴァカレロは巧みに批評すると同時に、全く新しい形で再解釈した。
彼はバックステージでこう語った。「今の時代はファッションで溢れかえっていて、同じようなものばかりが溢れています。これまで誰もやってこなかった、心躍る何かを打ち出したかったんです。私の仕事は、毎回リアルなファッションや実用的なものを作ることではないのです」
クラフツマンシップと革新の追求
ヴァカレロがランウェイに送り出したのは、緻密に仕立てられたタイトなシルエットのボウネックブラウスやペンシルスカート、膝下にかかるドレープドレス、さらにはヘッドラップ。体に密着する繊細な生地はあらゆる方向に伸ばされ、素材の挑発的な透け感を補うかのように、アイテムそのもののフォルムは至って上品で奥ゆかしい。カラーパレットはトープ、キャラメル、オリーブ、オークル、チョコレートブラウン、朱色、ブラックなどの艶やかな色合いからなり、ルックを完成させる小物はパテントレザーやチェーンでできた極細のベルト、ウエッジヒールやスティレットシューズ、重ね付けされたルーサイトのバングル。モデルの腕にさりげなくかけられたマラブーフェザーのジャケットでさえ、アクセントを加えるアクセサリーのように映る。
しかし、今回使用された生地の特性を改めて思い返すと、服を仕立て上げることは決して簡単な試みではなかっただろう。ストッキング生地は簡単に引っ張られ、破れ、電線する。ここまで扱いの難しい素材を用いることで、ヴァカレロはアトリエのクラフツマンシップの高さを見せつけることに成功したのだ。それと同時に「儚く、マッチの火のように一瞬で付いて消える」コレクションであるとも彼は言う。有名メゾンのデザイナーに期待される、巨大なインパクトを残す演出があるコレクションではなく、いち個人として興味をそそられたささやかなアイデアを全うさせた「あまのじゃく的なアプローチ」をとったことはヴァカレロ自身も承知している。商品化に関する取材陣からの質問も、すべて想定の範疇内だったようだ。「製造過程については聞かないでください。説明できないので」と穏やかに笑いながら語った。彼にとって、アウターを詰め込んだ従来の秋冬ショーを開催することは「当たり前過ぎて、予想内」。とは言いつつも、秋冬らしいアイテムは確実に販売すると言う。
服の存在意義をも問う、ヴァカレロのヴィジョン
大半のコレクションは「着る」ためにデザインされている。だが、サンローランの軽やかなルックたちは「服は着るもの」という概念そのものに挑む一度きりしか纏えないような繊細さで、どんなに丁寧に扱っても脱ぎ着する際には確実に電線したり、どこかしら破損してしまいそうだ。しかし、ウェアラブルなものしか作ってはいけないというルールはどこにもない。デザイナーもときにはあらゆる縛りから解放され、コレクションを遊びと実験の場にしてもいいだろう。
リアルクローズを突き詰めるデザイナーが多い今シーズン。その中で発表されたメゾンの実験的なコレクションは、ヴァカレロの優れた直感力と揺るぎない自信の表れだ。胸を露わにするルックが多いため、賛否両論を呼ぶことは間違いないが、彼はそれさえもわかっていて歓迎している。
「何も感じてもらえないよりも、好きか嫌いかのどっちかの方がいいです」
※サンローラン 2024-25年秋冬コレクションをすべて見る。
Text: Mark Holgate Adaptation: Anzu Kawano
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