チーズとソックスの香りは表裏一体?
香りはその人の印象に大きく影響するが、これは嗅覚がダイレクトに感情を呼び起こすことと関係している。「ほかの感覚は先に認識が起こり、それに対して感情が生まれます。しかし嗅覚は逆。香りを嗅ぐと、好き/嫌いといった直感の反応が起こり、その理由は後から組み立てられるのです」と心理学のスペシャリスト、坂井信之さんは説明する。「匂いはある程度対象に近づかなければ判断できません。遠くのものを認識できる視覚や聴覚とは異なるため、このような回路になっていると考えられます」。それが自分の命を脅かす危険なものなら、すぐに回避するよう動かねばならない。のんびり認識している暇はないのだ。
こんな実験があるという。イソ吉草酸というにおい物質を、チーズの画像、靴下の画像とともに嗅いでもらう。すると前者はいい匂いと判断され、後者は悪臭と判断されてしまう。イソ吉草酸は汗や足裏のにおいの原因物質で、チーズにも含まれるものだ。このことから、匂いだけで物事を正確に認識するのは困難であり、私たちは周辺にある情報を補完しながらその匂いの価値を判断しているのだとわかる。
フレグランスも同様に、ボトルデザインやブランドストーリーが変われば、たとえ同じ香りだとしても感じ方が大きく変わっていくのだろう。ならば、今ある香りの印象をブラッシュアップさせていくこともできるだろうか? 「生理的に苦手な香りでない限りは可能です。 例えば日々その香りを身につけていれば、自然と好きになっていく現象があ ります。これは単純接触効果といって、知らない人でも毎日同じ空間で接し ていると親しみがわいていくのと同じ原理です」(坂井さん)
楽しい記憶と結びついた香りを用いると、気持ちが上向きになりやすいとも言えるそう。「人が自ら発する匂いもいくつか研究されていて、ストレスを生じたときや、健康状態が悪化したときのものは既に発見されています。同様に、うれしいときに発する匂いもあるはずで、私たちはそちらの研究を進めています。楽しい記憶にまつわる香りと同様に、心を上向きにしたり、楽にする可能性がありますから。香りが気分のありようを変えるという事実は、これからもっと注目されていくでしょう」(坂井さん)
マインドが変わる、8つの香り
意識的にマインドセットをしていく場合には、香りが持つイメージが大きな手がかりとなる。そこでフレグランスのノートを8つに分け、それぞれの特徴を同じくパフューマーの山藤陽子さんに訊いた。「フローラルは愛の力。花は固定された場所で咲き誇り、虫を誘って受粉させます。生命の根源となる魅惑的な存在だから、自信をもたらし、自己愛を育んでくれるはず。同じ植物でも、ハーバル・アロマティックは安心感やウェルネスのイメージ。調子を整えてくれる頼もしさがあります。シトラスはポジティブで快活。どんな空気にもなじむ愛らしさを持っています。ウッディは重厚な安定感があるから、はやる心を落ち着かせてくれるでしょう。甘くおいしそうなグルマンは、幸福感で満たしてくれる。フゼアはしっとり、地に足を着けたいときにいい。雄大な波しぶきを感じさせるドラマティックさもあります。ムスクやスパイスなどのオリエンタルは癖になる刺激をくれるもの。特にムスクはセンシュアルな高揚感を担っています」
さて、キャラクターを把握したら、マインドセットのためにどうチョイスするか。このとき大切なのが、自分自身の感覚を信じることだと山藤さんは話す。「こんなふうになりたいという願望をしっかりと見据えること。そのヴィジョンを胸に、一旦情報は脇に置き、無作為にいろいろな香りを試してみてほしい。本能が求めるものに行きつけばピンとくるはず」
私にはこれしか似合わない、そんな先入観はなるべく持たないように心がけてみたい。そのうえで、いくつか考え方のヒントを。一歩踏み出して現状打破したいときは、いつもと違う香りで冒険してみる。本当の自分を知りたいときは、自分自身を大事にケアできる香りを。優しい印象を与えたいときは、甘さのあるやわらかな香りを。緊張状態が続くときは、深く呼吸ができる香りを。そんなふうに視点を定めると、きっと選んだフレグランスの威力は倍増していく。私たちの香りの認識は、周辺情報に大きく左右されるものだからだ。
話を聞いたのは……
NOBUYUKI SAKAI
坂井信之。博士(人間科学)。東北大学大学院文学研究科心理学研究室教授、東北大学脳科学センター所属。心理学・認知神経科学を専門とし、味覚や嗅覚、対人印象等に関する120超の研究論文を発表。医学や栄養学などの分野と連携しQOLの向上を目指している。
YOKO YAMAFUJI
山藤陽子。パフューマー、ライフ スタイルコーディネーター。上質 で心地よいライフスタイルを提案 するYORK.主宰。コンサルティ ング、プロダクトの企画開発、舞 台演出の調香などを幅広く手がける。2021年にパフュームブランド 「SCENT OF YORK.」をローンチ。
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※この記事は『VOGUE JAPAN』2024年7月号「記憶と場所を自在に旅するフレグランスの纏い方」(p.96-99)より転載しています。
Interview & Text: AYANA Editor: Toru Mitani
