昨年の夏、私は25人ほどの友人たちとフェスに参加した。彼らとキャンプをするのは毎年の恒例行事で、その参加人数は年々増えている。中には古くからの親しい友人もいれば、新たな顔ぶれ、年に1、2度しか会わなくなった人もいる。
ある朝、みんなで朝食をとるために集まったときのことだった。私はそこにいる全員が子なしであることに気がついた。
私は37歳だが、ここ数年を振り返ってみると、交友関係が広がっていると同時に、その入れ替わりも激しい。特に、育児中の人たちと過ごす時間は減っている。少なくとも、こういった大人数でのフェスや旅行、夜の時間帯に会うことはなくなった。いつかまたそういった場で再会できるようになるかもしれないし、そうならないかもしれない。でも今は、彼女たちのスケジュールに合わせて、会える時に会えることに満足している。
新しく広がる交友関係
30代になると、交友関係について、あまり語られない側面があると思う。私の場合、親となった友人たちとは疎遠となったものの、新たに子なしの友人が増えた。子を持つかどうかによって、しばらく変わることのなかった交友関係に変化が訪れたのだ。子どもがいない私たち(そして近年、その数は増えている)は、友人の輪に“空き”が生まれ、新しい友だちをつくったり、これまでなんとなく繋がっていた人たちとの仲を深めたりするスペースと時間が、突然とできたことに気づくかもしれない。これは私にとっては喜ばしいことで、人生の思いがけないボーナスとなった。
私たちがよく耳にするのは、子どものいない女性が抱える悲しみや孤独、親となった友人や赤ちゃんと接することの難しさ、あるいは子どもが欲しくても、何らかの理由で授かれなかった女性たちの苦悩だ。多くの女性ライターたちは、こういった葛藤や繊細な感情を見事なまでにストレートに表現している。不妊に悩むエリザベス・デイは、最新作『Friendaholic(原題)』の中で思いやりに欠ける子持ちの友人を手放すことを率直に語った一方、エマ・ギャノンは小説『Olive(原題)』の中で、友人グループの中でただ一人母親になりたくないという疎外感をフィクションとして描いた。シーラ・ヘティによる『Motherhood(原題)』では、友だちに見捨てられたような歯がゆさを捉え、その心情をこのように綴っている。
「人は子を持つと、子の方を向く。そして“その他”となった私たちは取り残されていく」
私はこういった気持ちを否定するつもりはない。不妊に悩む友人たちを目の当たりにしてきたが、それは地獄だ。その一方で、赤ちゃんが生まれることで友人のライフスタイルが一変し、簡単に会うことができなくなると、どこか胸の奥が苦しくなることを私自身も知っている。
しかし、子どもがいない人生は不幸だとか、喪失感と孤独だけをもたらすという考えは有害だ。こういった考え方は女性たちを不安にさせ、遅れをとらないため、あるいは取り残されないために家庭を持つ必要があるというプレッシャーをかけかねない。そもそもすべての女性がそれを望んでいるわけでも、できるわけでもない。それに、そんな定説は単に真実ではない。
新米ママがママ友をつくるように、子なしの人も、年齢を重ねるにつれて周囲の人たちと絆を深めていくことができる。最近親しくなった人の中には、自分の友人グループのパワーバランスが変わってきたことや、親となる道を歩んでいない人を見つけてどれほど嬉しいかを正直に話す人もいる。また、多くのクィアの友人たちが結婚と子どもは既定路線ではないと見ているようで、何人かは臆面もなく、むしろ楽しげに、「絶対に家庭を持ちたくない」と断言している。
自分だけの自由な時間があること
3年ほど前、私はロンドンから電車で北に2時間ほどのところにあるシェフィールドに引っ越した。言うまでもなく、新天地では新しい交友関係を築く必要があったのだが、シェフィールドで出来た新しい友人たちは偶然にも皆、子どもがいない。まだ幼い子を持つ親は手いっぱいだからというのもあるかもしれない。しかし、ここでも子どもがいないことが接点となることがある。もちろんデリケートな話題であることに変わりはなく、新しく出来た友人にわざわざ「子どもは欲しいか」なんて野暮な質問をする気はさらさらない。しかしそれでも、私たちがこれから子どもにつきっきりになることはないとわかると、お互いにほっと安堵することがよくある。
誰にも邪魔されないゆったりとした午後、自分のペースで散歩へと出かけ、時には明け方まで踊り明かす──私は30代後半になっても、こんなふうに自由気ままに過ごしている。私たちには、自分が何者なのか、何をしたいのかを考え続ける余裕があるのだ。
先日、友人たちに「今は趣味の時代だ」と冗談のつもりで話したとき、彫刻から音楽、キックボクシングに写真まで、子どもを持たない友人たちの多種多様な趣味の数々に圧倒された。親同士は深い繋がりを持てないとか、充実した人生を送れないと言っているわけではないが、私が知る何人かは、少なくとも手がかかる幼少期は、仕事と育児以外にあまり時間を割けないことを嘆いている。
私は、そんな慌だしい日常を送りたいとは思えない。私自身、母性に対していつもややアンビバレントな感情を抱いているのだが、パートナーとの間には、子どもを持たない可能性が高まっている。多くの友人がそうであったように、いつか強い母性がやってくるかもしれないという考えには前向きだったが……今のところ、そんなものはない。そして、友人たちのかわいい子どもたちと一緒に遊ぶことが大好きな一方で、その子たちを親の元へと返せることを喜んでいる自分もいる。子育ては素晴らしいものだとは思うが、私にとっては恐ろしくもあり、同時に難解なもののように映る。そういったことに考えを巡らせていると、私は今の生活を維持したいと思うのだ。
人生の豊かさに目を向けて
30代で友情を深めたり、新たな友情を育んだりしていると、私はすでに充実した人生を歩んでいるという実感が生まれてくる。もちろん、他の人たちが同じように感じているとは言えない。まだ子どもを諦めていない人もいれば、一緒に家庭を築いていきたいと思える相手に出会えなかったことや、妊娠できなかったことに対して悲しみを抱いている人もいる。憧れだった家族を持てないというのは心を痛める経験であり、子どもがいないことは孤独だという語り口は、いくらかの人にとっては本当のことだ。
しかし、それだけが唯一の経験談ではない。私は、子どもが欲しいかどうかを決めかねている人や、あるいは子どもを持てない事実と向き合っている人たちが、この人生の豊かさに勇気づけられることを願っている。私はフェスのキャンプ場を見渡しながら、陽気でオープンマインドな人々に囲まれている自分に気づいたとき、ふとこんな感覚が込み上げてきたことを覚えている。「すごい。子どもを持たないと決めたら、こんなことが起こりうるんだと、どうして誰も教えてくれなかったんだろう?」
私と友人たちは、この8月にも集まっている。多くの人たちが新しい仲間を連れてきては、グループは大きくなり、これからもこの楽しみは年々広がり続けていくだろう。そしてまた新しい友人ができるかもしれないと思うと、わくわくする。そう、子どもがいなくても、私の人生はまだまだ広がり続けているのだ。
Text: Holly Williams Adaptation: Motoko Fujita
From VOGUE.CO.UK