シャンパーニュから日本酒へ
富山県、白岩地方に位置する「IWA」の酒蔵。建築家の隈研吾が設計し、その無駄のないミニマムな空間とどこか温かみのある造りは、佇む者の心と心地よく刺激する。「IWA」という名前は日本酒の新しい銘柄でもある。手がけたのは、世界中から愛されるシャンパーニュ「ドン ペリニヨン」の5代目醸造最高責任者を経てブランドを立ち上げた、リシャール・ジョフロワ。「ゲラン」5代目調香師のティエリー・ワッサーはリシャールと厚い友情で結ばれており、今回彼らは「IWA」の空間と酒を堪能するためにここまでやってきた。
日本人がナチュラルに思い描くものと違い、海外の人が思い描く“SAKE”というイメージが存在するが、「いわゆる日本酒風の“SAKE”ではなく、本格的な日本産の“日本酒”をつくりたかった。そこで自ら日本で酒蔵を建て、そこで本物をつくることにしたのです。自分のスタイルのある正真正銘の日本酒を」。より世界中で愛される日本酒を追い求め、異国の地で再スタートを切った。世界有数の豪雪地で、日本アルプスの豊富な水に恵まれた土地で地道に酒と向き合っていく。
素材にこだわる、という点においては香水も同じ。「花、根、木や葉など、3000以上もの原料をもとにゲランのフレグランスは作られています。それらをどんなバランスで、どうブレンドしていくかが鍵」とティエリーが話すと、リシャールは「まさにアッサンブラージュ(仏語で組み合わせるという意味)。ブレンドは構成のアートと言えますね」と続ける。
共通するコードは、奥行きある上質な香り
ゲランが2005年に発表したコレクション「ラール エ ラ マティエール」は、メゾンが持つさまざまなフレグランスの中でもよりリュクスでアート的なアプローチが施されたものである。地球上のあらゆる自然、植物を贅沢にボトルに閉じ込め、華やかで時にミステリアスな香りを放つ。日本酒「IWA」も多彩な香りの変化が楽しむことができるが、嗅覚を刺激され、イマジネーションが膨むといった点で“香水”と“日本酒”は同じものかもしれない。そこでそれぞれを比較し、共通項を探してみたいと思う。
日本酒「IWA 5」には完成されたレシピはなく、毎年アッサンブラージュを絶妙に進化させている。今回異なる年につくられた3つの「IWA 5」から3つのタイプを味わった中でも「アッサンブラージュ3」は体験したことのないみずみずしい口あたり。限りなくウォータリーなのにどことなく香ってくるフローラルさ、軽やかさに含まれる深みと重さ。そのアンビバレントな駆け引きに、たった一口で夢中になった。本当に美味しい。
兵庫県産の産地の異なる3種類の酒米を使用し、特徴的な品種を含む5種類の酵母を用いて醸造。伝統的な生酛造りの技法も用い、完成した原酒をアッサンブラージュさせた後、1年以上瓶熟させ「IWA 5」はできあがる。ティエリーもその味わいを堪能する。「技巧的な味わい。奥深く、どこまでもみずみずしい」と日本酒を口に含み、舌と脳で記憶していく。それを受けてリシャールはその難しさを教えてくれた。「35年ワインをつくってきたけど、日本酒づくりは本当に難しい。ただ、共通するものがあるので今までの経験を存分に生かすことができる。酵母との掛け合わせを含め、無限のオプションとコンビネーションが存在します」
異なるブレンド、異なる味わいと香り立ちを楽しんだ後は、ティエリーが「ラール エ ラ マティエール」コレクションより「ローズ シェリー」について語ってくれた。「オーケストラを率いるように目指すべくベストなバランスへと向かっていく。トルコやブルガリア、フランス産の異なるローズ、それぞれの個性を理解することが重要なのです」。そこで、香水に使われるさまざまなローズのエッセンスを試させていただくことに。とあるブルガリア産は、青みがありフレッシュでいてどこかフルーティ。「これは1kgのエッセンスを作るために、約3500kgのローズが必要な貴重なもの」とガイドし、その希少価値に驚く。さらに香ってみた他の産地のローズは、酸味やスパイシーさを感じる控えめな打ち出し。どこかクローズしたような印象もあるシックな佇まいだ。
「その年によってローズは香り立ちが変わっていきます。2022年は猛暑が続いた地域があり、安定しなかったローズもある」(ティエリー)。クオリティとボリュームの両立は難しく、その時に獲れた素材を軸に配合を変えていく。香りの安定を構築しながらも、旬の素材を生かしかがら新しい香りをクリエイトするという、なんとも高尚な作業である。「もし“A”のローズしか手に入らないとすれば、“B”を使って強さを抑える。そういった配合のテクニックがその都度不可欠なのです」。変化していくプロセスを個性とする「IWA」の日本酒づくりに対して、香水は一定の香りを作りづけることが重要。ともにその上での努力は私たちの想像を超えるものだ。
ローズをふんだんに吸収した「ローズ シェリー」は、ブルガリア産、トルコ産、さらにグラース産を使用。エッセンスやローズウォーターを贅沢に折り重ね、果実みを帯びたトップノートから本格的なローズの華やかな印象が広がる。時間が経つにつれ、ラストノートのムスクのニュアンスがなんとも奥深い女性像を描く。甘やかなバニラっぽさにもわずかに苦味がかぶさり、非常に上質だ。
「現在はコアとなる数人のパフューマーと協力していて、例えばこの香りはデルフィーヌ・ジェルクによるものです。皆、原料を求めて世界各国をめぐり、工場でのプロセスも把握しながら想像力を最大限に生かして香りをクリエイトしています」(ティエリー)。豊かな自然の一部、そのエナジーを用いて生まれる、今まで人々が体験してこなかった新しい香り、味わい、奥行き。その全てがその人の生活の一部となり、より豊かな“人生”を後押ししてくれる。香水を作るティエリー・ワッサー、日本酒を作るリシャール・ジョフロワが目指すことは同じなのかもしれない。
自分の中にある知的好奇心を育てる
酒のクリエイトに関して「創造性が最も重要である」と話すリシャールに続けて、ティエリーはこう語ってくれた。「私の中には今も子どものようハートがある。2歳の時と同じように無邪気な気持ちがあり、タブーは存在せず、禁じられたことはない。そんな世界の中で想像と創造を繰り返しているのです。クリエイションは、まさに“遊び心”。そう言えるでしょう」
タブーは存在しない。自由でいることでしか生み出すことができない、本当の意味でのラグジュアリーを存分に体験した。最後に独自の視点で20年間、寿司と向き合ってきた職人、「鮨人(すしじん)」の木村泉美さんが特別に寿司と「IWA」の日本酒を使ったカクテルとのペアリングを披露してくれた。タブーとされがちな日本酒を用いたカクテルは、パイナップルと豆乳、セロリとの組み合わせなど、まさに自由な発想によるもの。「こんなことを許してくださったリシャールさんに感謝します」という木村さんの言葉を聞くと、いかに型破りな挑戦であるかが理解できる。
「ひとつの香水を創り上げるために、2年以上の時間がかかる。でも、この寿司を味わっている時のみなさんの笑顔がここにあるように、こんな瞬間を想像しながら香水をクリエイトしているのです」と、ティエリーは繊細なイカのにぎりを頬張った後に話す。もの作りの真髄とは、まさにこのこと。
真っ白なキャンバスに色で彩るような想像性。それを具現化する、一筋縄にはいかないブレンドの妙。愛とパッションを原動力に生まれたものは、人生を豊かにする。そんな哲学を存分に堪能できた今回のスペシャルセッション。ティエリーの持つ好奇心に触れ、自分の中の好奇心も自由に育てていこうと誓い、さまざまな“香り”に浸っていきたいと思えた素敵なセッションだった。
Profile
ティエリー・ワッサー
ゲラン五代目調香師。2007年よりコラボレーションがスタートし、翌年にはマスターパフューマーに任命され、以降、「コローニュ デュ パフュマー」や「アクア アレゴリア」コレクションなど、さまざまな香りのクリエーションを展開。オートクチュールのような優雅な香りを提案し、かつ、多くの人々に愛されるフレグランスを創り出す独自のクリエイションを続け、現在に至る。
リシャール・ジョフロワ
醸造家。葡萄園を営む家系に生まれ、シャンパーニュ地方で育つ。1990年より「ドン ペリニヨン」醸造最高責任者を約28年間務めた後、富山県に酒蔵を建て、2019年より日本酒ブランド「IWA」をスタート。長年のシャンパーニュづくりの経験をベースに日本酒の新たな可能性を見出す。現在はフランスと日本を行き来するライフスタイルでクリエイションを続ける。
Photos: Tomoaki Makino Editor & Text: Toru Mitani