「私はルールに従うのではなく、心に従って行動しています」。英国王室の古い慣習より自分の直感を大事にしたダイアナ元妃は、掟破りのプリンセスと言えるだろう。結婚式の宣誓の言葉で夫に「従う」という言葉を省略し、育児では「王子たちに普通の幼少期を過ごして欲しい」という願いから、母乳を与え、時にはマクドナルドに出かけることも! 自分の信念を恐れずに実行した、強い女性だった。
100以上の慈善団体のパトロンを務め、1996年にはアメリカで「その年の人道主義者」に選ばれる。リオデジャネイロの病院を訪問した際には、王室の規定であった手袋着用をせずにエイズ患者と握手。「人々と握手することで触れ合いたいから」がその理由だった。彼女の献身的な姿は世界中の人々に感銘を与えた。彼女の死後に集まった寄付金を元に設立された「ダイアナ・メモリアル基金」では、1億4500万ドルがチャリティに寄付されている。
その美貌やファッションだけが世間にもてはやされ、常にパパラッチに追われていた彼女。だが1995年にBBCの番組「パノラマ」のインタビューで、イギリス国民に向かってこう宣言した。その後、ダイアナがアンゴラの地雷原を歩く姿を捉えた写真は世界中の注目を集め、彼女の対人地雷禁止キャンペーンは大成功を収めた。チャールズ皇太子との別居により、彼女の本質が目覚め始めたのだ。
1992年には作家アンドリュー・モートンによる暴露本『ダイアナ妃の真実』が出版され、ミリオンセラーに。ダイアナへのインタビューを元に書かれたその本では、夫・チャールズ皇太子のカミラ夫人との長年の不倫や、それが原因で過食症と鬱病を患ったことなどが赤裸々に綴られていた。20歳という若さで嫁ぎ、王室にも夫にも存在を軽んじられてきた彼女。この言葉にはそんな彼女の、自虐的なユーモアが込められている。
「私は他の皆とはちがう道を切り拓いていくことになると思います。この王室という制度から離れて、路上にいる人たちを助けに行くことになるでしょう」。その言葉通り、ホスピスやホームレス支援センターなど、さまざまな場所に足を運び、慈善活動に励んだ。幼い頃の両親の離婚や、夫に愛されない結婚生活で孤独な想いを抱え続けて来た彼女には、不遇な人々の痛みや不安、哀しみがよくわかるという能力があった。
BBCのインタビューでは「私たちの結婚生活は常に3人だった」と結婚前から続いていた、夫とカミラ・パーカー・ボウルズの公然の不倫関係について言及。冷淡なチャールズ皇太子との結婚生活は、第二子のヘンリー王子が生まれた際、「なんだ、また男か」と言われた時点で、冷めきったものに。
幼いウィリアム王子とヘンリー王子を連れては、ホームレスの宿舎や病院の重病患者の慰問に訪れた。ウィリアム王子はのちに、「母が僕たちの目を覚ましてくれて、とても感謝している」と語っている。ふたりはそれぞれ、ダイアナの遺したチャリティー基金や慈善施設のパトロンを引き継ぎ、現在も国内外での人道支援活動を熱心に行なっている。
Text: Moyuru Sakai
