23年前、世の中がハロウィンで賑わう10月31日にこの世を去ったリヴァー・フェニックス。10代で青春映画の金字塔『スタンド・バイ・ミー』(86)に、また1991年にはキアヌ・リーヴスとの共演した『マイ・プライベート・アイダホ』といった名作に出演していたリヴァーは、若きスターとして人気を博していた。そんなとき、インターネットもまだ当たり前ではなかった時代だったにもかかわらず、瞬時に衝撃的なニュースが世界を巡った。「リヴァー・フェニックス死去」――。
リヴァーは、当時ジョニー・デップがオーナーだったLAのライブハウス「ザ・ヴァイパー・ルーム」で、恋人のサマンサ・マシス、弟のホアキン、妹レインと飲んでおり、ドラッグのオーバードースで意識を失った。このとき、119番通報をしたのが当時19歳のホアキンだった。取り乱し、錯乱したホアキンが「兄が大変なんだ、急いで来てくれ」と何度も繰り返すコールは、恐ろしいほどつらく悲しい。
リヴァーはコカインとヘロインのオーバードースと診断され、そのまま搬送先の病院で帰らぬ人となってしまった。以来、ホアキンは兄について多くを語ることはなかったが、『ジョーカー』の演技で功労賞を受賞した今年のトロント国際映画祭の受賞スピーチで兄について言及。感動のスピーチを行った。
「僕が15~16歳だったある日、兄リヴァーが『レイジング・ブル』(80)のVHSテープを持って、仕事から帰って来た。そして僕にそれを見せてくれたんだ。翌朝も僕を起こすと、また僕にそれを見せた。そして『お前ももう一度演技をやるんだ。お前のやることはこれなんだよ』と、僕の意思を確認するのではなく、僕に俳優として生きろと言ったんだ。そして、僕はそんな兄にとても感謝している。なぜなら、演技が僕に素晴らしい人生を与えてくれたから」
Text: Rieko Shibazaki