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最愛の兄リヴァーとの別れ、その23年後に明かされた秘話。【ホアキン・フェニックスを徹底解剖vol.2】

今週は大ヒット公開中の『ジョーカー』の主演、ホアキン・フェニックスが歩んできた道を辿る。特異な環境で生まれ育った彼の俳優人生を語る上で、欠かせない存在がいる。それは1993年に突如、23歳の若さで生涯を閉じた兄リヴァー・フェニックスだ。
1988年にNYで撮影された貴重な家族写真。左からホアキン、母アーリン、リヴァー・フェニックス。Photo: John Roca/NY Daily News via Getty Images

23年前、世の中がハロウィンで賑わう10月31日にこの世を去ったリヴァー・フェニックス。10代で青春映画の金字塔『スタンド・バイ・ミー』(86)に、また1991年にはキアヌ・リーヴスとの共演した『マイ・プライベート・アイダホ』といった名作に出演していたリヴァーは、若きスターとして人気を博していた。そんなとき、インターネットもまだ当たり前ではなかった時代だったにもかかわらず、瞬時に衝撃的なニュースが世界を巡った。「リヴァー・フェニックス死去」――。

絶世の美男子といわれていた20歳のリヴァー。Photo: Robin Platzer/Twin Images/The LIFE Images Collection via Getty Images/Getty Images

リヴァーは、当時ジョニー・デップがオーナーだったLAのライブハウス「ザ・ヴァイパー・ルーム」で、恋人のサマンサ・マシス、弟のホアキン、妹レインと飲んでおり、ドラッグのオーバードースで意識を失った。このとき、119番通報をしたのが当時19歳のホアキンだった。取り乱し、錯乱したホアキンが「兄が大変なんだ、急いで来てくれ」と何度も繰り返すコールは、恐ろしいほどつらく悲しい。

リヴァーはコカインとヘロインのオーバードースと診断され、そのまま搬送先の病院で帰らぬ人となってしまった。以来、ホアキンは兄について多くを語ることはなかったが、『ジョーカー』の演技で功労賞を受賞した今年のトロント国際映画祭の受賞スピーチで兄について言及。感動のスピーチを行った。

9月9日(現地時間)、トロント国際映画祭で俳優賞を受賞したホアキン・フェニックス。Photo: Matt Winkelmeyer/Getty Images for TIFF

「僕が15~16歳だったある日、兄リヴァーが『レイジング・ブル』(80)のVHSテープを持って、仕事から帰って来た。そして僕にそれを見せてくれたんだ。翌朝も僕を起こすと、また僕にそれを見せた。そして『お前ももう一度演技をやるんだ。お前のやることはこれなんだよ』と、僕の意思を確認するのではなく、僕に俳優として生きろと言ったんだ。そして、僕はそんな兄にとても感謝している。なぜなら、演技が僕に素晴らしい人生を与えてくれたから」

Text: Rieko Shibazaki