近年、ハリウッドの映画界を席巻しているマーベル映画。今年も『アベンジャーズ/エンド・ゲーム』をはじめとして3作が公開されたが、ある作家の原作は今年だけで3本も映画化されている。御年72歳にして、一人でマーベル映画に対抗できる才能溢れるこの男こそ、ホラー界の帝王スティーブン・キングだ。
ツイッターのフォロワー数は560万人を超え、さらに現在も放送中のキング原作ドラマシリーズだって3本もある。『ペット・セメタリー』(2020年1月日本公開)、『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』に続く、今年の全米劇場公開映画3作目は『ドクター・スリープ』。1980年に公開されてホラー映画の大傑作となったあの『シャイニング』の続編である。
『シャイニング』のオーバールック・ホテルでの悲劇から40年後、めちゃくちゃ可愛いく賢い5歳の美少年だったダニーが、惨劇の精神的な苦痛と自分の持つ特殊能力“シャイニング”と葛藤しながら過去と向き合い、新たな“敵”集団と闘う姿を描く。大人になったダニー(ダン)を演じるのはユアン・マクレガー。
敵となる謎の集団のリーダーで美しすぎるヴィランには、『グレイテスト・ショーマン』(17)でブレイクしたレベッカ・ファーガソン。この敵集団、生き血ではなく、死に際の苦痛の悶絶が気体化したスチームの“息”を吸う。シャイニングたちを狙う半ヴァンパイアで、より多くの悶絶スチームを得るために殺し切らないように苦痛を与え続ける(しかも子供相手に……)という類を見ない極悪非道さ。
前半、オカルトの玉手箱か!という展開で超常現象もハリウッド的に解釈されると、アメコミヒーローのスーパーパワーみたいでかっこいいなとシビれる。感動の人間ドラマ的要素を取り込みつつ、特に後半は『シャイニング』ファンにグッとくる大サービスながら、(なぜか私は油断してしまっていたようで思った以上に)がっつりホラー作品に仕上がっていて、思わず「キャッ」と声がが出てしまうようなシーンもいくつか。
『ショーシャンクの空に』(94)、『スタンド・バイ・ミー』(86)などホラー以外の作品でも知られるキングだが、やはり本領を発揮するのは誰にでも起こりうるような恐怖で人間の心理をえぐるモダンホラー小説だ。初映画化作品となったホラー作品『キャリー』(76)は、主演のシシー・スペイセクらがアカデミー賞にノミネートされ、その4年後に映画化された『シャイニング』は衝撃的な内容で大ヒットした。
しかし、大ベストセラー作家の数ある映画化作品でも『シャイニング』は、とにかく別格である。なぜなら監督が革新的な映像美と完璧主義者で知られ、後世の様々なジャンルで最も影響を与えた最高峰のクリエーターとも言える映画界の巨匠スタンリー・キューブリックだから。1999年に70歳で心臓発作により急死するまで、監督・脚本家として携わった長編・短編映画16本は、すべてがスティーブン・スピルバーグからティム・バートン、クエンティン・タランティーノ、ギレルモ・デルトロら多くの映画人の教科書のような存在。
そしてダークコメディ、歴史物、SF、恋愛、戦争……とキューブリックは作品ごとに違ったジャンルの映画を撮ることでも知られている。すでに『スパルタカス』(60)、『2001年宇宙の旅』(68)、『時計じかけのオレンジ』(71)で世間的な名声も得ているキューブリックが、「映画史上、最も怖いホラー映画を撮りたい」として挑んだ作品で、『エクソシスト』(73)の監督オファーを断り、キング作品を読み漁った末に選んだのが『シャイニング』だ。そしてホラーという枠を超えて、最も有名で今なお賞賛される映画となった。
『シャイニング』は、作家志望の中年男ジャック・トーランス(ジャック・ニコルソン)が妻と幼い子供を連れて、雪深く冬の間は交通が遮断され宿泊客が訪れられないことから、冬季休館となる人里離れた高級リゾートホテルの管理人として5カ月間住み込むことから始まる。閉ざされ孤立した空間の中で歪んでいく心理と怪奇現象が、キューブリックならではの完璧な計算され尽くされた映像で描かれる。
しかし原作者のキングは、公開されるやこのキューブリック版『シャイニング』を罵倒した。キングは作品に自分の体験を投影することが多い。彼は学生時代いじめられっ子だったが、『キャリー』(76)の主人公などいじめ関係はよく登場するし、『ミザリー』(90)でも主人公は作家だし、肥満体型であったキングは『痩せゆく男』も執筆した。
『シャイニング』の場合、キング自身が山の中のホテル(原作では実際に宿泊したスタンレー・ホテルが登場する)に家族で引きこもった体験のみならず、主人公のジャックはアルコール依存症だったように自らも父親もアルコール依存症だった。またキングの父は4歳の時に失踪し、父に捨てられてしまったと感じる心の傷を抱え、父子関係の確執もあって特別な思い入れがあった。
映画ではホテルの土地にまつわる忌まわしいエピソードには触れられているのに、原作で描かれている父ジャックや母ウェンディ(シェリー・デュバル)らへのキャラクターの深堀りが一切排除されている。狂気に化していくジャックが、原作では“呪われたホテル”という魔物のせいであるというファンタジー要素が大きいのに対して、映画版ではジャックは「取り憑かれている感」だけではなく、人間が本来持つ邪悪さ(アルコール依存症であることも含めて)を具象化した姿かのように冷酷に表現されている。自分を捨てた父に対する赦しやアルコール依存症の苦しみと、救いの思いを込めて執筆したキングにとっては、大事なこだわりの点が排除されてしまったのだから、彼が非難するのも致し方ない。また映画のエンディングは、原作と大きく違うものになっている。
監督のマイク・フラナガンは、『ウィジャ ビギニング 〜呪い襲い殺す〜』(16)など数々のホラー映画をヒットさせた、いわばホラー映画のプロ監督だが、『ドクター・スリープ』は実にうまくキューブリック映画にもキング原作版にも忖度している。小説『ドクター・スリープ』は2013年に出版されベストセラーになり、ホラー小説界の最高峰であるブラム・ストーカー賞の最優秀賞をキングは5年ぶりに受賞した。
映画『ドクター・スリープ』はあくまでも映画『シャイニング』の続編として製作されているので、重要な設定がまた小説版とは一致しないのだけど、最終的には小説版『シャイニング』ともつじつまが合うばかりか、アルコール依存症で廃れた生活をしている大人になったダニー(ダン)のセンチメンタルな部分も描かれていて、キング御大が太鼓判を押す出来となった。
キング御大は気に入らなくとも(キングは主人公がジャック・ニコルソンであることも気に入らなかった。ニコルソンだといかにも豹変しそうなので、普通の感じの俳優が良かったという理由で)、キューブリック映画『シャイニング』は、あらゆる面で卓越した技術とセンスで人間(時には演者)の心理を映像で操るかのように表現し、芸術としてのホラーを完成させ、映画の歴史を変えるほどの名作であることには間違いない。ファンは今でも全てのアスペクトにキューブリックが込めた「意味」と「答え」を求め、考察している。
ワンシーンの撮影が完成するまで1カ月かかったり、127回撮り直してギネスブック記録になったり、セリフが日に何度も変わるなど、演者を精神的に追い込んだ。特に妻役のシェリー・デュパルはノイローゼ状態になったとか、ダニー役の子役は撮影中にホラー映画だと全く気がつかなかったといった撮影裏話は数知れず。映像美と視覚効果といった映画論はもちろん、裏テーマはアメリカ人によるネイティブ・アメリカン原住民の虐殺を物語り、ホロコーストや人種差別批判をしている、アポロ11号の月面着陸はフェイクでキューブリックが撮影した暗喩だ、ジャックがダニーに性的虐待をしていたことをほのめかしているetcといった秘密のメッセージの考察・ファンセオリーは挙げたらキリがないが、重要なモチーフ「237号室」には触れておきたい。
映画『シャイニング』で全裸の老婆の亡霊が出現する問題の部屋は237号室だが、小説ではもともと217号室だった。詮索好きなファンはダニーがアポロ・ロケットのセーターを着ている、月の距離まで237000マイル、カーペットの柄はアポロ11号が打ち上げられたケネディ宇宙センターの地図と同じ、だと237号室にした理由は月面着陸フェイク説の根拠の一つとして唱えていた。
しかし、実際にはキング自身が元ネタの体験で泊まった部屋番号が217号だったけれど、映画の撮影で外観を使ったホテルから「217号室は実在するので、実在しない部屋番号にして欲しい」との要求で映画では237号室になった。『ドクター・スリープ』でもアノ237号室が登場すると同時に、ダン(ユアン・マクレガー)が勤めるホスピスで最初のシャイニング的体験をするのは217号室で、小説『シャイニング』のオマージュになっている(ちなみにホスピスに採用される時の面接シーンも、『シャイニング』での面接シーンとディテールそっくりのオマージュになっている)。皮肉にも舞台となったホテルでは、217号室を指定して予約する客が後をたたないのだとか。
登場人物に関しても『シャイニング』へのオマージュがある。ダニーを演じたダニー・ロイドは現在47歳。『シャイニング』で映画初出演した後、オーディションを受け続けても役を得ることが出来ず、中学を卒業すると同時に俳優になることを断念。現在はコミュニティ・カレッジ(大学の単位を取ることができる公立のカルチャーセンターのような教育機関)で生物学の教師をしているが、『ドクター・スリープ』では一瞬だけどカメオ出演している。野球少年(『ルーム』や『ワンダー 君は太陽』のジェイコブ・トレンブイ)の父親として、息子の試合を観戦している。
『シャイニング』を見ていなくても『ドクター・スリープ』が十分に楽しめるかどうか考えてみたが、キューブリックの芸術性というとてつもなく高いハードルを持ち込まなくて済むので、ある意味でストーリー通りに楽しめるのかもしれない。キング御大次第だが、もっと続きが見たい、第三弾小説を書いて欲しくなる、そんな作品だと思う。
『ドクター・スリープ』
2019年11月29日より全国ロードショー
配給/ワーナー・ブラザース映画
doctor-sleep.jp