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エミー賞最多ノミネートの「ウォッチメン」が問いかける“正義”──根底にあるブラック・ライヴズ・マター。

原作で1980年代中頃の米ソ冷戦時代だった舞台が現代に継承され、魅力的な新キャラクターが登場するドラマ「ウォッチメン」。原作を超える大胆な設定にもかかわらず、新たなファンを開拓した同作は、エミー賞で最多の26ノミネートを獲得するなど高い評価を得ている。その背景をアメコミ通のD姐が紐解く。

黒衣・黒マスクの女性ヒーロー、シスター・ナイトとして活動する主人公のアンジェラ・エイバー。ドラマ「ウォッチメン」はデジタル配信中。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

9月20日(現地時間)に開催される米テレビ界最高峰の賞レース、エミー賞。本年度の最多ノミネートを受けたのが、この「ウォッチメン」である。NetflixやAmazonプライムが台頭してきても、やっぱり強いプレミアム・ケーブル局のHBOが製作した今年の大本命だ。HBOは「セックス・アンド・ザ・シティ」から「ゲーム・オブ・スローンズ」まで数多くの名作・ヒット作を生み出してきた。今年、「ウォッチメン」に次ぐノミネートを受けたのも同局のシリーズ・ドラマ「キング・オブ・メディア」である。

最多ノミネート、言い換えれば今年批評家から最も絶賛された作品、と言ってもいいかもしれない。「ウォッチメン」は80年代に出版され、2009年にはザック・スナイダー監督で映画化もされたアメコミの33年後の世界を描いた“続編”で、「LOST」や「LEFTOVERS/残された世界」(HBO)のクリエーターで、『ワールド・ウォーZ』(13)などの映画脚本も手がけたデイモン・リンデロフが創造したオリジナル・ストーリーだ。

製作総指揮のデイモン・リンデロフとアンジェラ・エイバー役のレジーナ・キング。Photo: Jeff Kravitz/FilmMagic

リンデロフは複雑でキワドくて一度ハマったら抜け出せないヤバい闇、「ウォッチメン」の狂気のパラレルワールドを見事に踏襲しながら、新しいストーリーテリングに昇華させた。ドラマは原作や映画版を見ていなくても十分に理解できるように意図的に製作されているので、「ウォッチメン」って何? という人でもまずは見ていただきたい。とは言え、知っておいたほうがより楽しめたり、一見では気がつかない細かいネタだけれども重要なカギになるヒントがあるので、そちらを紹介しておこうと思う。

ヒーローもまた愚かで醜い人間であり、そのパラレルワールドに漂うのは絶望。人類に希望はあるのか?そして「ウォッチメン」とは何か。

1.リアルな社会を痛烈に批判して独自の世界を構築。

かつてオジマンディアスと名乗っていたエイドリアン・ヴェイトを演じるのは、ジェレミー・アイアンズ。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

「ウォッチメン」はDCコミックによるアメコミでヒーローものの枠には収められているが、その中身はアメリカ近現代史の裏歴史でもある。オリジナルの12話が出版されたのが、1986年9月から翌年1987年10月にかけて。アメコミの中でも大人向けに製作されたものはグラフィック・ノベルと呼ばれ、「ウォッチメン」もこの部類になる。実に30年以上も昔の作品だが、いつ読み直してもこれ以上に完璧なグラフィック・ノベルが存在するのかという思いになるし、グラフィック・ノベルの可能性を飛躍させたポップカルチャーの金字塔でもある。

実際、『タイム』誌が発表した「英語で書かれた小説ベスト100冊」では『ライ麦畑でつかまえて』やヘミングウェイ、ピンチョンと並び、なんと『ウォッチメン』も選出されている。これはグラフィック・ノベルとして100選に入った唯一の作品でもある(『タイム』誌が選んだグラフィック・ノベルのベスト100冊にももちろん選出されている)のだ。当時の社会情勢が大きく影響して描かれていて、アメリカのキューバ危機、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻を経て米国とソ連の対立が悪化した冷戦真っ只中、核戦争へのカウントダウンが始まったと危惧される情勢の1985年を舞台に執筆されている。

2.ウォッチメンたちには超能力はない。だからこその親近感と空恐ろしさ。

パラレルワールドのアメリカでは、警官が身を守るためにマスクで顔を隠している。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

いわゆるスーパーヒーローものであってスーパーヒーローではない、ウォッチメン。それが面白い。空を飛んだり稲妻を起こしたりする超能力はない、普通の人々なのだ。元々はコスチュームを着て“悪党をやっつける”的な自警団として、1939年にミニッツメンとして結成され活躍したが、モラルの低下などから世間の反発にあい、10年後には解散し自警団活動も違法となる。

そのうちの数名は政府の手先となり、JFK暗殺やキューバ危機、ウォーターゲート事件の隠蔽に関与する。そのおかげで「ウォッチメン」の世界ではニクソン大統領が3期大統領を務めるというパラレルワールドに突入しており、ドラマ版の舞台である2019年には俳優のロバート・レッドフォードが大統領になっているという設定だ(このアイデアは、実はコミック版で「ロバート・レッドフォードが1988年の大統領選に出馬?」という新聞の見出しが描かれたひとコマがあり、ある意味でコミック版ファンへのサービスとも言える)。

Dr.マンハッタンを演じるのは、『アクアマン』で宿敵ブラックマンタ役のヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

しかし、青い肌で常に全裸がデフォルトのDr.マンハッタンは例外で、その能力は自らの身体や環境を自由に変え、指先一つで物体や人間を消滅させ、さらには火星にも自力で瞬間移動できるし未来予知もでき、全知全能でもはや神の領域とも言えるパワーを持つ。そして超能力とは言えないが世界一頭がいい男、というのがオジマンディアスだ。頭が良すぎるがゆえに、世界で最も危険な男オジマンディアス。ドラマ版では映画版には出てこなかったキャラクターも登場するが、このDr.マンハッタンとオジマンディアスの存在は覚えておいて損はないだろう。

ベーカリーのオーナーと3人の娘を育てる母として、ヒーローの顔を隠していたアンジェラ・エイバー。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

今年のアカデミー賞で最優秀助演女優賞を受賞したレジーナ・キングが、ドラマ版の主人公の新キャラクター、シスター・ナイトことアンジェラ・エイバーを演じる。“ある理由”により、警官や刑事はその素性を隠すためにコスチュームを着て、顔はマスクで隠すようになった。タルサ市警刑事のアンジェラは全身黒づくめの修道女(シスター)の出で立ちで、街のある重要人物が殺害された事件を発端に、謎と陰謀に立ち向かうのだが、そのかっこよさは歴代アメコミ女性キャラでダントツ、クリスチャン・ベールのバットマンに劣らないカリスマ感が漂っている。

3.舞台は実在の「90年以上なかったことにされた人種差別・虐殺事件」。

ドン・ジョンソン演じるタルサ警察署長のジャッド・クロフォードは、警察の中で唯一マスクを被らない。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

設定は原作の1985年から30数年後の2019年で、オクラホマ州タルサを舞台にしている。なぜタルサなのか? かつて黒人のウォール街と呼ばれていたタルサは裕福な黒人の街だったが、1921年にある人種衝突がきっかけで白人市民が黒人市民を相手に暴動を起こし、数百人にも及ぶ黒人を虐殺、街や住居を破壊し1万人以上の黒人が住居を失い、「アメリカ史上最も残虐な人種暴動」となった。さらに驚くべきことに、1996年に調査委員会が発足されるまで75年にも及びこの歴史的事件は「なかったこと」とされ、2001年にようやくオクラホマ州知事が事件を認め、生存者や犠牲者の遺族などに損害賠償を認める法令に署名をした。

前述の“ある理由”とは、タルサではかつての暴動を正当化する白人至上主義の組織「セブンス・カヴァラリー」が暗躍し、ある日、夜中に一斉に警察関係者宅を襲い、多くの犠牲者を出した「ホワイト・ナイト」の首謀者となり(この事件で亡くなった白人の同僚の子どもをアンジェラと夫は養子にしている)、この事件をきっかけに警察関係者は身元を明かさないようマスクやコスチュームを着用するようになって「ウォッチメン」となるわけだ。

ジーン・スマート演じるFBI捜査官ローリー・ブレイクは、かつてヒーローのシルク・スペクターとして活動していた。Photo: Mark Hill/HBO/Everett Collection/amanaimages

また「セブンス・カヴァラリー」のメンバーが被っている黒いシミがついた白の頭巾は、かつてのウォッチメンだったロールシャッハのトレードマーク。ロールシャッハは映画では事件の謎に迫る正義の探偵の役回りだが、最後には殺害されてしまう。殺害される前に新聞社に送った陰謀の概要(ある惨劇が核戦争による人類滅亡を防ぐための計画犯罪で、見事にそれは成功した)を記載した手記が、スタッフの手にかかるところ(掲載されたかどうかは明言されていない)で原作は終了(掲載されたかどうかは名言されていない)しているが、ドラマ版では陰謀説が新聞に掲載されロールシャッハが白人至上主義から勝手に英雄視されシンボル化されてしまっていたという流れになっている。

ドラマが全米でスタートしたのは2019年だが、2020年5月以降、ブラック・ライヴズ・マター運動が今もなお起こっているのは誰もが知るところだ。パラレルワールドだったはずが現実に、我々が映画や小説で見る「ディストピア」は、もうすでに我々の現実なのかもしれないと思えてくる。エピソード1は正直、若干テンポが遅くいかにもパイロット版の自己紹介とネタ振りが多すぎるが、どんどんと伏線が回収されていくエピソード2の後半あたりからは、驚愕の連続でのめり込むこと間違いなしなので、エピソード1・2を是非乗り越えてほしい。

イギリス・ノーサンプトン出身のアラン・ムーアは現在66歳。Photo: Kevin Nixon/SFX Magazine/Future via Getty Images

ところで、コミックの原作は天才アラン・ムーア、作画はデイヴ・ギボンズで、ギボンズはドラマでもコンサルティング・プロデューサーとして制作に関わっている。だが、『V フォー・ヴェンデッタ』(06)やホアキン・フェニックスの『ジョーカー』(19)の元ネタにもなっているグラフィック・ノベル『バットマン: キリングジョーク』なども手がけた巨匠アラン・ムーアは、著作権のこじれから2次作品との関わりを一切拒否している。

しかしDCコミックスでは「ウォッチメン」をユニバース化し重要視していて、各キャラクターの若かりし日々を描いた前日譚「ビフォア・ウォッチメン」シリーズや続編「Doomsday Clock」のコミックを刊行、「Doomsday Clock」にはドクター・マンハッタンやオズマンティス、コメディアン(原作で死んでいるが、ドクターマンハッタンが生き返らせた、笑)の他、スーパーマンやバットマン、ジョーカーも登場する。これだけ好評だったドラマ版、終わり方も続きが気になるエンディングだったが、クリエーターのリンドルフ自身がシーズン2の製作には興味がないので、製作予定もないと伝えられているのは非常に残念だ。シスター・ナイトのその後、そして怪演を見せてくれたジェレミー・アイアンズのあのエグすぎるキャラも、もう一度見たい!