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イザベラ・ロッセリーニが目指す、サステナブルな家と暮らしとは。

女優でかつてトップモデルでもあったイザベラ・ロッセリーニは、ニューヨーク郊外に購入した古い納屋を改造し、動物たちとともに暮らしている。そして、今、地元のコミュニティを巻き込み、サステナブルなライフスタイルを本格始動中だ。母で伝説の女優イングリッド・バーグマンから受けた影響や、映画『ブルーベルベット』の話を交えながら、現在68歳となったイザベラが今一番情熱を注いでいる生き方について語った。

愛犬たちとともにカメラの前に現れたイザベラ。

イザベラ・ロッセリーニがベルポート(ロングアイランド南岸のハンプトンエリアにある気取らない小村)を発見した1982年は、彼女の人生でも指折りの波乱の年、栄光と悲劇双方が記憶に刻まれた年だった。まず、ランコム(LANCÔME)と独占契約を結び、当時、世界でもっとも稼いだモデルとなった。また、伝説のスウェーデン人俳優で母のイングリッド・バーグマンをがんで失った。さらに、彼女がいま「家」と呼ぶ場所と出会うという重要なできごとがあったのだ。

室内に飾られている母イングリッド・バーグマンの写真。

モデルで俳優で映画プロデューサーで作家で、のちには農場主にもなった彼女がそのささやかな親密さに心ひかれたのはうなずける。ここは彼女が少女時代を過ごした村を彷彿とさせるからだ。

「ここはほんとうに素敵で、あたたかなコミュニティなのよ」と彼女は言う。「繁華街はわずか数ブロックだけ。そしてとてもヨーロッパ的な雰囲気があるの」。彼女のマンハッタンのロフトから少し列車に乗り、折々に訪れるというところからスタートしたベルポート通いは、やがてより永続的なものに発展した。ロッセリーニは夏のあいだコテージを借り、次にイースト・パッチョーグに別荘を買った。長く滞在すればするほど、彼女はマンハッタンに帰りたいと思わなくなっていった。「それが始まりだった」ロッセリーニはそう言う。それからほぼ20年経ったころ、村を自転車で走りまわっているときに、たまたま行き止まりの道に入りこんでしまい、その先に一連の農場の建物があったのだ。

「私はとても美しい、大きな赤い納屋に気づいたの。すぐにスウェーデンを思い出したわ」ロッセリーニはそう言う。「それを目にしたとたん、私はそこが気に入ってしまった」。そこは売りに出されていた──ある問題付きで。開発業者たちが取り壊しを決定していたのだが、ロッセリーニはそれに待ったをかけ、大好きな納屋と付属するコテージを救うべく交渉したのである。彼女はまったく躊躇しなかったという。「広大ではないけれど、私生活が守られる印象がある」彼女はカエデの木々に囲まれたこの6エーカーの土地のことをそう語る。「私はずっと人里離れていながら、コミュニティともつながりを持てる家が欲しかった。ここからだと、歩いてすぐ村に行けるのよ」

地元の再生材を利用して荒れ果てた納屋を改造。

やるべき仕事は山積みだった。1850年に建てられたこの納屋は、すっかり荒れ果ててしまっていたのだ。土間は崩壊しており、暖房設備も断熱材もなかった。「そこは動物を入れておく場所として、それからパーティーのときに使われていた」彼女はそう以前の所有者たちに言及する。共通の友人に引き合わされたあと、ロッセリーニは遊び心と伝統的美意識で知られる建築家ピエトロ・チコニャーニに協力を依頼した。同じローマにルーツを持つ者として意気投合し、いまも親しい友人同士であるふたりは、ゲスト用の宿泊設備を再構築し、彼女の主な居住空間で子どもたち──モデルのロベルト・ロッセリーニとフードライターのエレットラ・ロッセリーニ・ヴィーデマンでいまはもう成人している──のプレイルームにする納屋の構造を強化する仕事に取りかかったのだった。

そのプロジェクトは主に地元の再生材を利用して行われた。チコニャーニは本来は外装用の板材を室内の断熱用に使用し、外壁は深い赤に塗った。また、ベランダに入るエントランス内のガラスの壁など、窓がひとそろい設置された。このベランダには幅広のすのこ状の渡り板を通って行けるようになっており、ロッセリーニが朝のカプチーノを楽しむ場所になっている。「私たちは粗削りな雰囲気を保ちつつ、機能的な家に造りかえた」とロッセリーニはチコニャーニが愛情たっぷりに残したと語る「納屋らしさ」について説明する。

屋内プール。

ロッセリーニは地下室にプールを造ろうと考えていた。しかし、チコニャーニが3つめのダッチスタイルの納屋を建て、コンクリート張りのクールで幾何学的な内装にしてプールとジムを設置しようと説得し、現在、彼女は毎朝そこで1時間を過ごすのが日課になっている。それは斬新なアプローチだった。「各建物がひとつの広場を形成するように配置されている」と彼女は言う。「それはまぎれもなくイタリア的だけど、納屋はこのとおりスウェーデン風で、非のうちどころなく私にぴったりなのよ」。そしていま、納屋の地下にはベッドルーム、バスルーム、ミニキッチン(「私はとても小食なの──パーティーを開くときは、ゲストハウスのキッチンを使っている」)各ひとつと、再生材を使った白い板壁とそれと合うようペイントされたレンガの床の小さなダイニングルーム、そして車庫がある。その上は大洞窟のようなリビングスペースで、ふたつの高い中2階があり、ロッセリーニはかつて干し草置き場だったそのスペースに書斎、自身の寝室、そして中央の柱から配管した銅板張りの床のバスルームを作った。

バスルーム。

「この農場全体にはユーモアと謙虚さのようなものがある」チコニャーニはこのプロジェクトについてそう言う。ムードボードは使用せず、ふたりのクリエイティブなアプローチのみで進められたそうだ。たとえば、通常の階段の代わりに、インダストリアルな鉄骨階段が用いられている。「美意識よりもたたずまいを重視したんだ。彼女はとてもエレガントで質実剛健な暮らしを思い描いていた」。ロッセリーニのデザインへの意欲は、彼女自身をも驚かせたという。「おそらく、それはファッションと同じ行為なのよ──服を着たり、メイクアップをするのはインテリアコーディネートとよく似ている」と彼女は言う。「私にとって、これらはうりふたつなの」

寝室。

この納屋の真の美しさはそのとほうもない大きさに宿っている。生まれついてのミニマリストであるロッセリーニは、全長35フィート(約10メートル)のこのスペースをあえて装飾の少ない状態のまま保とうとした。「実際、これをインテリアコーディネートするのはとても難しいし、この家のアイデンティティはその圧倒的な大きさにある。あれこれ飾りすぎてしまったら、この家のよさが損なわれてしまうわ」そう語るロッセリーニは、シンプルなソファ、そして使わないときにはたたむことができるディレクターズチェアとテーブルを好む。しかし長年にわたり、彼女の装飾をできるだけ少なくしようという意図はしばしば挫かれた。「うちががらんとしていると思い、きっと喜ぶだろうと考えてみんなが私に家具をくれるの。でも私は喜ばない。だって、がらんとしているのが好きだから」彼女はそう言って笑う。彼女の家具の大部分は、棚に並んでいる多くの写真集と同じく、亡き母から受け継いだものだ。エントランスには非常に豪華なダイニングテーブルが鎮座しているが、これは異父姉ピア・リンドストロームとその息子ふたりによって作られ、装飾され、寄贈された。「これは美しいわ。だけどとても大きいの」と彼女は指摘する。

広々とした居住空間。

高い壁と低い棚には亡き父ロベルトをはじめとするロッセリーニ一族の写真が飾られている。彼はネオレアリズモのイタリア人映画監督であり、バーグマンは子どもも夫もいる身で彼と恋に落ち、当時のハリウッドを大いに悔しがらせたのだった。「友人だったフォトグラファーたちが撮ってくれた私の写真がたくさんあったんだけどね」ロッセリーニはセシル・ビートンやアンリ・カルティエ=ブレッソンが撮ったポートレート類に言及する。「人から虚栄心が強いと思われるだけだったから、大部分を母のアーカイブ(イングリッド・バーグマン・シネマ・アーカイブ)に寄贈した。だけど実際は、そうした写真を見て私の心に浮かぶのはそれを撮ってくれた人のことだったわ」

イザベラが序文を書いたピエトロの本。Pietro Cicognani: Architecture and Design by Karen Bruno Photography by Francesco Lagnese Foreword by Isabella Rossellini Published by Vendome Press, available in all good bookstores and online. (October 2020)

つまるところ、ロッセリーニの家は非凡な人生の多方面にわたる記録である。両親の精力的な映画人生を記念する映画ポスターしかり、彼女がチャック・ジョーンズ(アメリカのアニメーター、漫画家、映画脚本家、プロデューサー)を通じて集めたアニメのセル画しかり、デヴィッド・リンチ監督の手がけた油彩画や写真しかりだ。マーティン・スコセッシ監督、そして元モデルでマイクロソフトのクリエイティブディレクターであるジョナサン・ヴィーデマンとの結婚生活を経てロッセリーニが交際したリンチ監督にとって、彼女は恋人でありミューズだった。悲しむべきことに、彼女が鮮烈な印象を残した1986年のリンチ監督作品『ブルーベルベット』の思い出の品はすでに失われて久しいそうだ。「あのベルベットのドレスはある友達がハロウィーンパーティー用に借りていって、そのまま返ってこなかった」と彼女は言う。「それに、うちの猫がウンチしちゃったから、ウィッグも捨てるしかなかったのよ」。そして、ロッセリーニが最近やったワンマンショーツアー『Link Link Circus』 のアートワークもサーカスバナーやカスタムメイドのアクロバットサーカスネットとともにディスプレイされている。中2階の床のすきまにはこのサーカスネットが使われているのだ。

家のみならず、地域で目指すサステナブルライフ。

建築家ピエトロ・チコニャーニとイザベラ・ロッセリーニ。

ところで、ロッセリーニの家のもっとも際立った特徴のひとつが、外と中の境界のあいまいさである。泳ぎに行ったり、料理をしたり、眠ったりするたびに、彼女はいったん屋外へ出ることになる。ロッセリーニの一日は夜明けとともに、飼っている動物たちの様子を確認することから始まる。現在いるのはニワトリ150羽、アヒル20羽(「この子たちはおもしろいし、気立てがいいし、すばらしい卵を産むけれど、散らかしやなの」)、七面鳥6羽(「美しいけれど、とても喧嘩っ早いのよ」)、ミツバチ、クニクニ豚のつがい、そして雑種犬のピノッキオとモルシである。また、1マイル離れたブルックヘブンに28エーカーからなるコミュニティ主導の有機農場があるが、これはロッセリーニが2013年に設立したものだ。彼女の娘が役員を務めるこの農場は、地元のたくさんの家庭に供給するに十分な量のはちみつや野菜を生み出している。「テニスコートを建設するよりも、私は農場を持ちたいと思った」そう彼女は言う。「それがコミュニティにどれほどすばらしい恩恵を与えるかということには気づいていなかったんだけどね。でもみんな新鮮な野菜を食べたいし、ニンジンがどんなふうにできるかを見せたり、赤ちゃん羊をなでさせるために子どもたちを連れてきたいんだわ」

ロッセリーニはプロジェクトに没頭しているときがもっとも幸せだという。そして68歳のいま、彼女の意識はどうやったら農場を経済的に維持し続けられるかに向けられている。ロッセリーニとチコニャーニは、その敷地に彼女の家と同じ3室からなる簡素なベッド&ブレックファストを建設するという難事に取り組んでおり、2021年の夏にオープンを予定している。また、彼女はファッションを学ぶ学生たちがさまざまなウールを直接、体験することができるようにと羊の希少種を少数、育てている。「私の計画は少しエキセントリックに思えることもあるかもしれない」と言ってから、彼女は挑戦的にこう付け加える。「だけど、ただ黙って美しくいることだけを望む人たちを驚かせないために、私が自分のしたいことをがまんする義理なんてある?」さて、この件で言い争うつもりのある人々には、彼女と彼女が大事に飼っているニワトリたちが相手になるだろう。

Photos: Francesco Lagnese Text: Aimee Farrell