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ケンダル・ジェンナー、女性として生きる父について、ロングインタビュー。

アメリカでは誰もが知るお騒がせファミリー「カーダシアン家」の一員だが、自らの意志でトップモデルになり、今や時代を象徴するイットガールの座に君臨するケンダル。彼女が単なる他のモデルと一線を画した唯一無二の存在であるのはどうしてなのか? その生き方について、話を聞いた。
Photo by Instagram/@kendalljenner/Kendall Jenner

ケンダル・ジェンナーと会ったのはL.A.のウエストウッドにある高層マンションのロビー。ここは18歳になったケンダルが自分のお金(140万ドル)で購入した2ベッドルームの分譲マンションだ。それはカーダシアン一家からの独立を公表する手段という意味合いもあった。ロビーに現れたケンダルは、タイトな黒のジーンズにスタッド付きの黒いベルト、水着のようなスパゲティストラップのトップに白のスニーカーという出で立ちだった。

ケンダル・ニコール・ジェンナーが生まれたのは、元プロフットボール選手O・J・シンプソンに無罪判決(刑事裁判)が出たひと月後の1995年11月3日だ(ケンダルの母クリスは殺害されたシンプソンの妻ニコール−ケンダルのミドルネーム−の親友だった。一方、クリスの元夫ロバー ト・カーダシアンはシンプソンの弁護団の一人)。

いまでは当たり前の文化−テレビ局が時間ニュースを伝え、パパラッツィが追いかける−だが、当時はそれが世界中で起きている出来事に対する私たちの受けとめ方が大きく変わった時期だった。その年の8月にWindows95にブラウザ、インターネットエクスプローラーが搭載されたことで、インターネットが身近になり始めたばかりの時期でもあった。

映画『トゥルーマン・ショー』(リアリティ番組のスターとして成長していく少年の一挙手一投足がカメラによって記録され、時間世界中に生中継される物語)が上映されたのはケンダルが2歳のとき。つまり、ケンダルは私たちが今暮らしているデジタルとリアリティとセレブに夢中な現代文化の子どもとして育ったということだ。

Photo: INFPhoto/AFLO

私たちはロビーから階下の駐車場に向かった。そこには彼女の愛車、1957年式コルベット・スティングレイがある。このヴィンテージカーの価格は10万ドルとも伝えられている。マニュアル車の運転はどうやって学んだのか尋ねると「16歳のときに父から教わった。〝彼女〞の ポルシェで」という答えだった。ケンダルといるとこういった〝不一致〞にもやがて慣れてしまう。その後、彼女はときどき口をすべらせ、父を〝彼〞と呼ぶことがあった。父ブルースがケイトリンになった新たな現実にまだ適応しきれないことは明らかだ。

子どもの頃から 自分の意志でモデルに。

『VOGUE JAPAN』の表紙を飾るケンダル・ジェンナー。2015年11月号2016年10月号より。

ケンダルが13歳の頃からどうやって自分のキャリア-モデルを始めてわずか2年でエスティ ローダーとCM契約を結び、US版『ヴォーグ』誌のカバーガールに起用された-を自己プロデュースしてきたのか、私に語ってくれたのはキム・カーダシアンだった。「彼女は自分がやりたいことにぴったり照準を定めていたし、それを実現させた」とキムは言う。

ケンダルはカーダシアン姉妹のような結果を避けたかった。つまり、セレブというだけで有名であることに慎重になること、そして、確固たる形のあるもので有名になることだ。「もちろん、私の成功は彼女たちの成功があったから。彼女たちの過ちはすべて見てきたし、気をつけてきた」とケンダルは話す。

ある意味、彼女はリンダ・エヴァンジェリスタを彷彿とさせる。リンダも幼い頃からモデルを目指していたからだ。二人とも意志を持ってモデルになっている。ほとんどのモデルはスカウトされてモデルになる。それが最良の選択肢だからだ。だが、モデルになるのが目的の場合、たいていは失意と失望が待っている。結局、モデルになれるかどうかを決めるのは〝流行〞だからだ。

ケンダルがリンダを思い出させるもう一つの理由がある。90年代前半のエヴァンジェリスタ同様、ケンダルは一緒に仕事をするスタイリストやカメラマンと対等の立場にある。つまり、彼女はただの雇われモデルではなく、そもそも彼女がいることで成り立つ 「ケンダルの物語」なのだ。

2004年、「彼」だった頃の父ブルースと妹のカイリーとともに。Photo: REX FEATURES/AFLO

かつてブルースと名乗っていた父親のように、ケンダルは背が高く、引き締まった体をしている。学校では陸上やサッカーに秀でていた。父親のように孤独を好む性格で、長時間自分の部屋でビデオゲームをして過ごしていた。「妹のカイリーにはたくさん友達がいるのに私にはいなくて、それで泣いていたのを覚えてる」と話す。6歳頃からはポニーに乗って過ごすことが多くなった。

「家にはオフロードカーもゴーカートもあって、いつも乗ってたから運転がうまいの」とケンダル。「今思うと超皮肉だけど、男勝りに育ったことは父に感謝しているわ。だから父がトランスジェンダーだと告白したことは私にとってキツかった。だって『どうすればおてんばになれるか教えてくれたのはパパでしょ!』って。

「大変な時期もあったけど今は全然普通。たまに彼女(父)が男性だった頃の写真を見るとちょっと悲しい。乗り越えないとね。愛すべき新しい人ができたってことだから。不幸中の幸いかも。こんな言い方が適切ならね」。そう言うと自分の言葉の選び方を笑った。

2009年クロエ・カーダシアンとラマー・オドムのウェディングパーティにて。ケンダル・ジェンナー、コートニー・カーダシアン、クロエ・カーダシアン、キム・カーダシアン、カイリー・ジェンナー。Photo: Startraks/AFLO

ケンダルが混乱しているように見える要因の一つは、父が女性の家族全員と、少なくとも表面上は、共通点があることに違いない。

「私は他の姉妹たちとは全然違う。いつもそう。特にカーダシアン姉妹とはね。彼女たちはグラマラスなことに夢中だったし、毎日ドレスアップして華やかさの真っただ中にいた。私の中にもそういうのが大好きな部分もあるけれど、それと同時にカジュアルな格好をするのも大好きだし、私生活があることも好き。今、誰も私の居場所を知らないことでパワーをもらえる感じ。普段はそうじゃないから。毎日どうやって逃れようか考えないといけないでしょ。誰かに車を借りたりしてね。一日中私を追いかける人たちをどうやって撃退するか見つけ出すのに1時間かかることもある。出し抜いたと思った瞬間、自分をリラックスさせるの。お風呂に入ったりして、そういう状況から自分を切り離すことをしたり。そうすることでリアルな自分のままでいられるし、正気を保てるし、謙虚なままでいられる」。

リアリティ番組出身という偏見をバネに。

「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」Photo: Photofest/AFLO

母親が幼い我が子をリアリティ番組−『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』の放映がスタートしたとき、ケンダルは11歳だった-に出演させることが正しいことをしたという考えに同意するのはちょっと難しいが、この一家を知れば知るほど納得がいく。 結びつきが強く、勤勉かつタフな家族だからだ。

ケンダル・ジェンナーは驚くほど会話上手-10代特有の言葉づかいと大人びた意見を交えながら、何でも話そうという意志が感じられる-ではあるが、家族全員をカメラの前にさらして、こき下ろしや、薄っぺらだの欲張りだのといった嘲笑の対象にするという母の決断に対し、否定的に考える心の準備はまだできていない。今や「カーダシアン」という名前は何かの象徴、良いものとは限らない-になっていることについて触れると、ケンダルは初めて聞いたかのように目を見開いた。

「人は思ったことを言うものだし、ポジティブとは限らない。それに対して私たちは何も言わない。ひたすら我慢する。そんな人たちが私たちと会うと、いい意味で驚くのよ。思っていたのとは違うから。私がこれまで姉妹から学んだ最高の教訓の一つが、何でも本気にするなってこと。1週間もすれば終わるから放っておけばいい。私はそうやって育ってきた。姉さんたちはハンパなく強い。私と妹に、強くなって他人に影響されないようにしなさいって教えてくれた。何がリアルかあなたならわかるって」。

リアリティ番組は視聴者を含め、関わるものすべてを安っぽくしてしまうようだ。だから私たちはもっとシニカルになっていく。贅沢で排他的でちょっとした謎の上に成り立っている業界でケンダルが成功していることは、なおさら驚くべきことだ。「カーダシアン家の一員であることは彼女にとってマイナスに働いていると思う」とキムは述べている。「リアリティ番組出身ということで、世間は見下している。ファッション業界にはそういう世界をリスペクトしない人たちが大勢いるわ」。

ケンダルも大きな不安を覚えていた。「2年前にこの仕事を始めたときに思ったの。みっともないことになるって。誰も私を受け入れてくれなくて、完全に失敗するだろうって」。厳密に言えばそうではない。だが、ケンダルのキャリアを後押しするには、マーク・ジェイコブスのようなポップカルチャーの大御所が必要だった。

マーク・ジェイコブス(MARC JACOBS)2017年春夏コレクション、バックステージより。Photo: Startraks/AFLO

2014年秋のコレクション(その後すべてのショーと2つの広告キャンペーンに登場)に彼女を起用することでファッション界全体に彼女はクールだと見なすきっかけを与えたのだ。「彼女がカーダシアンだからではなく、モデルとしての実力があったから。彼女が成功したのは何から何まで大変な努力と情熱で取り組んできた証しだ」とジェイコブスは言う。

それはまた、彼女が早い段階で賢明な判断を下した証しでもある。「マークが初めてのショーに家族全員を招待してくれたときの私は『みんなのこと愛しているけれど、お願いだからショーには来ないで』って感じだった。まともに受けとめてもらおうと必死だったの。『これは冗談でも人目を引くための行為でもない。これが私のやりたいことなの』って言った。やれるんだって証明する必要があったの」。そう言うと深いため息をつく。すべてがうまくいった安堵のため息だ。「今は自分の居場所があるって思える。自分のものだって言える何かを達成した気がする」

ケイトリン・ジェンナーとして人生を再スタート。1976年モントリオール五輪で金メダルを獲得したブルース。Photos: Best Image, AFLO

彼氏いない歴2年ということもあり、ケンダルについて世間はいろいろ噂するのかもしれない。だが、誰も彼女の恋愛事情を知らないのは、仕事がすべてだからだ。それに姉妹からの教訓を学んでもいる。「自分でも何が起こっているのかわからないのに、他人にとやかく言われたくない」と言う。「私たち家族は積極的に他人を受け入れている。違いも、個性も受け入れている」。彼女は唐突に語り出した。

「偏った判断はしない。でも明らかに『男』だった父が今は女性になっているのは変な気分。間違いなくチャレンジングな経験。でも、ずっと『何が起こっているの?』っていう雰囲気はあったと思う。妹のカイリーと私は父が浮気をしているんじゃないかと思っていた時期があった。化粧品とマニキュアを持っていたから。フワフワの偽おっぱいやウイッグを見つけたこともあった。実際、家の中で〝彼女〞の姿を偶然に見かけたことがあるの。彼女は気づいていなかった。すごく早起きして、ドレスアップして家中を歩き回ってスリルを感じていたのね。それから私たちを学校に送るためにまた普段のブルースに戻る生活。ある日、朝4時に目が覚めた私は、のどが渇いていたので台所で水を飲んで部屋に戻ろうとしたの。そのとき、ちょうど完璧な女装姿の父が階段を下りてくるところだった。文字通り凍りついたわ。幸い、父は私の姿を見てないし、今でもこのことは知らないはず。そんな姿を見たのは初めてだった」。

そう言うと彼女はしばらく黙っていた。「母は知っていた。3度目のデートでわかったみたい」

リカルド・ティッシとケンダル・ジェンナー。2017年ジバンシィ バイ リカルド ティッシ(GIVENCHY BY RICCARDO TISCI)のバックステージにて。Photo: REX FEATURES/AFLO

数週間後、ジバンシィ(GIVENCHY)のショーでモデルをするためにパリに来ていたケンダルと会った。「どんなに孤独な仕事か理解できないでしょうね」と彼女は言った。「たった一人で世界中を飛び回って仕事をする。仕事が終わったらホテルに一人で帰っていく。想像しているのとは全然違う生活」

フィッティングのためにリカルド・ティッシが現れた。ケンダルは明日着るドレス姿で出てくる。作業が終わり、ドレスを脱ぐためケンダルがいなくなるとティッシは言った。「彼女はとても特別なんだ」。キムとカニエと親しかったにもかかわらず彼は、キムにモデルをしている妹がいることは知らなかった。

ある日、キャスティング・ディレクターが彼に数枚のポラロイド写真を見せた。「なんてきれいな娘なんだ」とティッシは言った。「ケンダルが私たちに会いに来たとき、キャスティング・エディターが言ったんだ。『彼女がキム・カーダシアンの妹だってご存じでしょ?』って。ケンダルは完全に別個の存在としてそこに来ていた。1枚のポラロイド写真からすべてが始まった。あの時の写真をまだ持っているよ」

シンディ・クロフォード。Photo: Everett Collection/AFLO

ケンダルはこの先ずっと慢性的な疲労を抱えることになるかもしれないと観念している。「このキャリアを長く続けたい。他のことに挑戦しないというわけではないけれど、シンディ・クロフォードのように、年齢を重ねても仕事を続けられるようなキャリアを目指したい。だから彼女のことが大好きだしリスペクトしている。彼女のような人生が私の理想」

ケンダルは「スーパーモデル」という言葉を使ってはいないが、彼女が意味しているのはそれだ。 だが、近頃はモデルというだけで有名人にはなれない。離職率が加速している事実が大いに関係している。人々にはモデルたちに入れ込むような時間がほとんどない。それにモデルたちはインスタグラムという飢えた獣に餌を与える(写真をアップする)のに夢中なため、セレブという元手をさっさと使い果たしてしまう傾向がある。月に1度、雑誌の表紙に登場する代わりにインスタグラムで絶えず大衆とつながっているからだ。

クロフォードはケンダルについて「彼女はパワーを手放していない」と話す。「私が彼女の年齢だった頃の遥か先を彼女は進んでいるわ。私がそこにたどり着くまでしばらく時間がかかったのよ」シンディが元祖モデルの大御所だとしたら、ケンダル、ジジそしてベラ・ハディッド-キム・カーダシアンが言うところの「カリフォルニア・ガールズの新しい波」- はまったく別のレベルでアプローチしている。

だが、ケンダルについてもっとも特筆すべきこと、他のモデルたちと違っていることは、彼女は有名人としてこの業界に入ってきたということだ。それでいて、デザイナーやカメラマンやファッション・エディターが彼らのビジョンを投影したいと思えるように、彼女は自分を変えることができる。それは稀でとらえがたいモデルの才能だ。教えられたり、真似したりすることはできない。唯一無二の存在、それがケンダルなのだ。