「私は、皆に別の目で、違う視点で人生を見てもらいたいの」。
マドンナがマドンナであり続けることは、時には多くの人々を苛立たせるようだ。それは、20〜30年前に彼女がプロデュースした乱交賛美のヴィジュアルや、SM風の演出、イエス・キリストに対する挑発的な発言などよりも、はるかに大きな問題となっている。
例えばミック・ジャガーならミック・ジャガーであり続けることはOKだろうと思えるし、イギー・ポップもTシャツを脱いで観客のほうへダイブすることが今後も許されるのだろう。しかし、その一方で、あらゆる時代を通じてこれまで最も成功したポップミュージシャンであるマドンナには、58歳にして79歳のジェーン・フォンダの品格ある振る舞いを手本にすることが求められる。
元夫で長男ロッコの父親でもある映画監督ガイ・リッチーでさえ、なぜ彼女が早く引退しないのかをどうしても理解しようとしない、と彼女は明かした。「なんでアルバムをもう一枚出して、ツアーをもう一回やって、フィルムプロジェクトをもう一度立ち上げなきゃいけないんだ?」と彼は聞いたという。彼女に言わせれば、善意のコメントにさえ、女性の創造力はもっと別の動機や賞味期限の早い食べ物に基づいて発揮されるものだといった性差別的な当てこすりが入り交じっていた。だが彼女にとって、自分を表現することは呼吸するのと同じぐらい重要だという。「私は、皆に別の目で、違う視点で人生を見てもらいたいの」と彼女は説明しようとし、そこで不思議そうにこう言った。
「そもそもなぜ説明しなきゃいけないの? スティーヴン・スピルバーグに、なんでいつまでも映画を撮ってるんだって聞く人いるかしら? 彼、もう十分に成功したし、十分稼いだし、すごく有名になったじゃない?それとか、誰かパブロ・ピカソに向かって、OK、君は今歳だし、もう絵は十分描いただろ、なんて言ったかしら?」
マドンナが、性別や年齢による差別について文句を言ってもいいのだろうか?既に成人した娘を連れ、網タイツやGストリングといった露出度の高い服装でパーティーに現れるというのに?といった意見もある。つい先日、マドンナは、著名なフェミニストの社会学者カミール・パーリアから、年齢相応の品格がないし、ウーマン・オブ・ザ・イヤー・アワードの受賞スピーチでは、受賞したにもかかわらず女性嫌悪や女性差別、ワークハラスメントについて苦言を呈したとして、厳しく批判された。だが、こうした非難の根拠として挙げられた論点は、ぱっと見には筋が通っているように思えるとしても、ことマドンナに関しては馬鹿げているとしか言えない。
ビヨンセやテイラーのはるか前にマドンナが存在した。
彼女がアイコンになったのは、社会があらかじめ定めた役割に束縛されなかったがために、エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソンやプリンスなどと肩を並べる女性スーパースターというポジションを初めて創出したからだ。ビヨンセ、テイラー・スウィフト、レディー・ガガやリアーナは、より派手な衣装で着飾ったクールでコンテンポラリーなマドンナの代役ではなく、マドンナに成功をもたらした戦略を内面の奥深くに吸収した継承者なのだ。以前我々がマドンナに対して感じていたかもしれない腹立たしさの多くは、振り返ってみれば、非常に大きな効果を生じるものだったことがわかる。
つまり計算された挑発、破廉恥な言動や彼女の自己顕示は、自らの行動によって生じた結果の責任は自分自身にあるという明確な意識とセットになっていたのだ。彼女が主導して興したレコード会社マーヴェリックは、他のアーティストが運営するどのレーベルよりも利益を生んでいたし、提携するグループ会社ワーナー・ブラザースに億ドル以上をもたらした。
誰からも重要視されない、田舎じみた取るに足りない人物だった。
信じがたいことだが、ミシガンの小都市で学校に通っていたときの彼女は、内向的で引っ込み思案で理知的だとみなされていた。年代の終わり頃、彼女はクリエイティブなニューヨークの中心街に移り住み、伝説のクラブ「ダンステリア」のクロークでアルバイトをしていた。マンハッタンにあるこのクラブは、当時、その奇抜さや才人が多く集まることから、アンディ・ウォーホルのスタジオ、ファクトリーと比較されていた。
つまりこのクラブでは、例えばLL・クール・Jがエレベーターを操作していたし、シャーデーがバーの後ろに立っていた。またキース・ヘリングがビースティー・ボーイズとともにテーブルを拭いていた。マドンナが、たとえヘリングやジャン=ミシェル・バスキア、ウォーホルらと親しくしていたにせよ、彼女は、その関心対象や明白な競争心にもかかわらず、誰からも重要視されない田舎じみた取るに足りない人物のままだった。彼女は、アーティストらしく一貫して女性の性を風刺的に表現したり自身の生活をパフォーマンスアートのような形に仕立てることをいとわなかったが、そうした姿勢は報われた。
若い女性であり、聖女であり、母親であり、娼婦でもある。
さらに彼女は、若い女性であり、聖女であり、母親であり、娼婦でもあるという、宗教性を込めた原型的な女性の理想像を、快楽、罪、惑溺、嫌悪感といった観客の弱点を突くように扱うことの意味をカトリック教徒として理解していた。彼女は、昔も今も絶えず新しい役作りに熱中している。つまりガールパンク、マリリン・モンロー/マテリアル・ガール、芸者、ドミナといった役どころがそれだ。
またショーン・ペンとの大っぴらでワイルドな関係にのめり込んだり、ガイ・リッチーと結婚をしてミセス・リッチーになってみたり、初めての妊娠期間中にはスピリチュアルな変遷に熱中したり、マクロビオティックやユダヤ教のカバラの信奉者になったり、成長中の子どもたちの母親としての役割を務めたり、また若い恋人に入れ込んでみたりと、彼女に退屈させられたことは一度たりともない。
時代とともに常に変化し、進化し続けるということ。
恐らく心理学者は、彼女のことをスリルや新鮮さの探求者、つまり常に新しいものに刺激されたがり、変化を恐れない人物と表現するだろう。大半の人は、年齢を重ねるにつれてこうした自由な精神を失っていく。というのも、彼らは自分が作り上げ、慣れ親しんだライフスタイルを維持しようとするからだ。マドンナは、常に確信をもって未来を我が物としているように見える。
彼女がステージの上でブリトニー・スピアーズとクリスティーナ・アギレラにキスをしたのは随分昔のことのように思える。その後に、マイリー・サイラス、ドレイク、ケイティ・ペリー、テイラー・スウィフトやその他大勢との共演が続いた。こうした共演は常に彼らのキャリアの絶頂期だったのだが、マドンナの人気が劣って見えるなんてことは一度もなかった。たとえ彼女のリスキーな役作りの変遷や過激でアクロバティックな舞台や激しいキスなどが、その唐突感のゆえにリハーサルのような印象を与えたとしても、それらには象徴的なパワーがあり、マドンナは反対に自分より若い世代のことを意識させたと同時に、自らもう一度世間の議論の対象になった。
ゴシップ記事満載のタブロイド紙を読まず、キム・カーダシアン式のスタンドプレー的な自己宣伝に抵抗力のある者でさえ、マドンナから逃げおおせることは3分の1世紀前からできていない。なぜなら、彼女の挑発は文化を揺り動かすと同時に、ニュースになるからだ。
人権や女性の権利、LGBTのための闘士。
エンターテインメント・メディアとして影響力のある媒体『ビルボード』と『ハリウッド・リポーター』を少し前まで総括していたジャニス・ミンは、マドンナが『セックス・アンド・ザ・シティー』のずっと前から性のおもしろくも複雑な側面をテーマとして扱っているとして、彼女を高く評価している。たとえ彼女の大胆な試みやスキャンダル、道徳に束縛されない姿勢が他人に気まずい思いをさせるとしても、彼女は他の人々のために新たな発展の余地を生み出すのに成功した。
マドンナ自身は、自らを人権や女性の権利、LGBTのための闘士とみなしている。彼女は2008年、つまりデビューアルバム発売25周年を記念してロックの殿堂入りした機会に、ザ・ストゥージズに自身のヒット曲2曲をカバーさせた。これには抗議の意味があった。というのも、このバンドはいつも無視されていたからだ。他の人々を苦しめる不公正さに彼女が心を寄せる様子は誠実な印象を与える。
「私は白人で裕福だから悪意に満ちた攻撃を免れていると皆思っているかもしれないけれど、そんなことないのよ」。彼女の反骨心ある生き様、型破りな家族、多数の若い情人は、他の人々にとってはしゃくの種なのだと彼女は言う。「そもそも私がやることなすこと全部不愉快だと思われているような気がすることがよくあるわ」とも彼女は語っている。
時には人を不快にさせることも才能のうち。
とはいえ、マドンナには、まさに人を不愉快にさせるその才能のゆえに、コカ・コーラと同様に再認識されるだけの価値がある。その意味で、彼女が自分を引き立たせるドレスを身につけ、まともなメイクアップをして初老期の始まりを迎えることを拒否していると非難することは、リベラルで教養のある人々でさえ、高い能力を持つ女性が外見やモラルに関する彼らのイメージの領域に完全に一致していなければ、どれほど容赦ない仕打ちをするかを暴いている。
それでもマドンナは、我々にとって騒々しいフェミニストであり続け、その結果、摩擦から生じる彼女のブランド力は、引き続き厄介であると同時に先駆的であり続ける。写真家のスティーヴン・クラインとの共同作業から2013年に生まれた非営利的なショートフィルム『secretprojectrevolution』は、芸術における表現の自由の意義をテーマとしていた。社会の全階層で増大する経済的不均衡が、怒りによって誘発された不寛容と深刻に受け止めるべき問題をもたらすだろうという彼女の警告は、後になってその見通しの鋭さが改めて印象づけられる。
彼女が、純粋に音楽的な、またはヴィジュアルだけの表現形式ではもはや満足できなくなっていることは明らかだ。レベル・ハート・ツアーでは、観客と政治的テーマについてディスカッションするために曲と曲の間に時間を取った。同様に2015年9月には、チケットが完売した88カ所の全コンサートのオープニングに、前座の代わりにコメディ女優のエイミー・シューマーが登場した。これもまた、マドンナが社会に批判的なリードボーカルとして自身を再発見するとともに、ミュージックシーン以外の活動家やアーティストに共感していることを示す間接的な証拠だと言える。
闘う女としてのマドンナにようやく時代が追いついた。
実際、彼女はこの10年間というもの、独自の政治的意見を展開してきた。11月初めにトランプが選挙に勝った後、彼女は喪失感、絶望、失望といった漠然とした感情を的確にまとめ、「朝起きると、胸が張り裂けたんじゃないかという気がするわ。だって大好きな恋人が私を見捨てていったんだから。私はすっかり打ちのめされ、ノックダウンして心の中が空っぽになったような気分なの」と述べた。
数週間にわたって悪夢のように感じられたことが新しい現実となった今、マドンナは、何度となく再起する女性としてのーつまり困難な変化を、単なる脅威というだけでなく、チャンスでもあると解釈する者としての、自身の経験を発信している。「Nasty Woman(嫌な女)」という運動には、闘う女性としてマドンナが積み重ねてきた何十年もの経験がプラスになるかもしれない。彼女は、ボーイフレンドの半数が次々に亡くなっていくというのに、レーガン政権がどれほどエイズ危機を見て見ぬふりをしていたかをまだ覚えている。当時は、草の根レベルの活動に解決策があることがわかった。現在もまた、こうした活動に希望があることが彼女にはわかっている。
「トランプが選ばれたのには、それだけの理由があると思うの。つまり私たちがどれほど怠慢で不熱心だったかを私たちに見せるためだったというわけ。私たちは自由や権利を当然のことと考えていたわ。夜明け前がいつも最も暗いとはよく言ったものだわ。多分、私たち皆が団結して抵抗するために、ああいうことが起きる必要があったのよ」。
ワシントンで開催されたウィメンズ・マーチでの怒りのこもった彼女の呼びかけで、メディアは大騒ぎとなった。これは単に「ファック・ユー」という挿入句がふんだんにちりばめられていたからというだけではなく、内容的にも聴衆を興奮させるものだったからだ。彼女は、ホワイトハウスを爆破しようかと考えたが、その代わりに愛の力に賭けることにしたと述べた。「みんな、革命を起こす用意はできてる?何もかもひっくり返す用意がある?……私は愛を選択したわ。みんなもそう?」
実にマドンナならではの、マドンナらしい発言に、時代と共に闘う女を演じ続けてきた彼女に時代が追いつく瞬間を見た。
マドンナ
1958年生まれのアメリカ人歌手、女優、映画監督、実業家。1980年代には「ライク・ア・ヴァージン」や「マテリアル・ガール」など時代を象徴する世界的大ヒット曲で一世を風靡。一方、映画『エビータ』の主演を演じたり、映画監督に挑戦をしてみたり、不屈の精神で新境地を開拓し続けるチャレンジ精神に世界中のファンが惹かれる。最近は、女性の権利向上のために政治的活動に精を出している。
Styled by Arianne Phillips Text: Esma Annemon Dil