「起業したのは、社会にどう貢献するかを考えてのことなんです」
もともと慶應義塾大学の先端生命科学研究所で「クモ糸人工合成」を研究していた関山和秀は、2007年にスパイバーを設立したきっかけをこう語る。クモの糸が持つタンパク質の特性を人工的に再現する研究開発をもとに、スパイバーは世界に先駆けて人工構造タンパク質の量産化技術の確立に成功。15年にはスポーツウェアを手がけるアパレルメーカー、ゴールドウインと提携し、19年には素材名をその生産プロセスにちなんで新たに「Brewed Protein™(ブリュード・プロテイン)」と打ち出した上で、ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)から同素材を使った製品「ムーン・パーカ」を発表した。人工タンパク質を用いた衣服として世界から注目を集めた経緯から、「新素材をつくるスタートアップ」と捉えられがちだが、関山率いるスパイバーが事業に取り組む目的は「世界平和」にあるという。
「いまアパレルで使われている素材の何割かを人工タンパク質に置き換えればCO2の排出量を大きく減らすことができたり、砂漠化を引き起こす原因とも言われる綿などの材料の過剰栽培を抑えることもできるようになります。そうなると、人類が資源を奪い合って戦争することがなくなるかもしれない。世界平和を実現したいんです。素材開発は、現在とりうるひとつの手段でしかありません」
そんなスパイバーは、ファッションの領域で前述のザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)やサカイ(SACAI)、ユイマ ナカザト(YUIMA NAKAZATO)といったブランドとのコラボレーションに精力的だ。あまりに大きな可能性を秘めたスパイバーの事業が、いまファッションの領域に傾注するのには、どのような意図があるのだろうか。
「アパレルの分野は産業規模も大きく、そこで発生している環境負荷も甚大。だから、その領域において貢献することは、自分たちのミッションと合致しているんです」
ただし、関山はもともと、ここまでアパレルに注力することは想定していなかったという。当初は人工的なタンパク質を製造し、そこから「川下」の工程、つまり糸や生地をつくる工程は、外部のサプライチェーンに任せるつもりだった。しかし、創業当初に複数の繊維メーカーにコンタクトしたところ、自分たちのやろうとしている実験が実用化のテーブルに載らない小さな規模だったため、相手にしてもらえなかったと振り返る。
「ただ、自社のなかで工作をしながら製造用の装置をつくったりしているうちに、自分たちで素材をつくる工程まで手がけたほうが早いという確信が持てるように。もちろん、ただのバイオ研究者に繊維に関するノウハウなどない。そこで、繊維メーカーOBの方々に協力をあおぐようになったんです」
実はスパイバーにはこれまで、日本の繊維メーカーで研究開発に携わってきた熟練のエンジニアが10名以上、アドバイザーとして参画してきた。なかには複数の特許を出願した実績を持つ者や、退職後、大学で教鞭をとっていた人もいる。そんな日本の繊維業界を支えてきたレジェンドともいえる人々が、 スパイバーのもつ技術とその可能性に目を輝かせ、自らの知見を提供してくれるのだという。
「既存のものとは全く異なる繊維の将来性に興味をもってもらえました。幾通りものパターンで20種類のアミノ酸を組み合わせることで(長いものでは100個ほどのアミノ酸が直鎖状に連なる)、タンパク質を使った新しい繊維は生まれます。この組み合わせの数は、全宇宙にある原子の数より大きいんです。私たちがこれまで発表してきた人工シルクやクモの糸などの自然の模倣は、その可能性のなかのほんの一部でしかありません」
こうして、ファッションの世界の門外漢だったスパイバーは、徐々に日本が培ってきた繊維業界のノウハウを身につけ、ファッションの世界での活動を広げていく。そのなかでも、18年に始まった中里唯馬とのコラボレーションでは、ファッションデザイナーがもつ視点に目を開かされたという。
「たとえばパリコレで発表した作品に用いたバイオ・スモッキングという技術は、もともと天然のクモの糸が持つ水に濡れたときに収縮する性質を活用したものです。実はこの性質は、アパレル素材としてはデメリットだと考えていました。洗濯で縮むのは致命的な弱点ですし、その他のアパレル素材開発においては、ずっとこれを克服する研究開発を続けていたくらいです。それを中里さんが見て『面白い』と言ってくれた。結果、縮む性質を欠点ではなく個性と捉え、収縮をコントロールすることで生地自体の形を自由に変容させて、無縫製でも体に合った1着をつくる前述の技術が生まれました」
07年の起業から10年以上が過ぎ、日本のファッション業界から多くを学んだ関山が意識しているのは、そのレガシーの継承だという。
「繊維技術を私たちに教えてくれるアドバイザーの方々の多くは70〜80代。創業当初からお世話になっていた人のなかには、すでに亡くなった方も。ものづくりというのは、途絶えるともう一度立ち上げるのがきわめて困難です。繊維産業の立ち上がりが日本よりも早かった米国では、もうすでに技術の継承が難しくなっていると聞きます。そういった意味では、私たちはとてもラッキーだったんです」
スパイバーは山形に研究拠点を構えながらも、タイとアメリカに量産工場を建設・準備中で、来たるべき量産化に向けて着実にステップを進めている。継承した技術を、かつて日本が誇ったような繊維をつくる「工場」のかたちで国内に還元する計画はないのだろうか。
「ラグジュアリーブランドに使われるような付加価値の高いものであれば、日本でものづくりを最終工程まで行うのは不可能ではないと思います。とくに現在提携しているメーカーさんは、それを可能にする技術を持っています。ただ、個人的には、日本で行われるべきなのはR&D(Research & Development)だと思っています。実は現代の工場は、高度に自動化されて、もはや雇用を生みません。先端素材のノウハウを世界に提供して、そのロイヤリティーでまた新しい技術を開発する。世界から繊維に関する開発者が集まるような方向性を、日本は目指すべきだと思います」
日本の繊維産業と最先端のバイオ研究をつなぎ、それを自由なデザイナーの視点で拡張し、新しいファッションの基盤をつくる。スパイバーが構想するのは、これからの日本がクリエイテイブに貢献するためのつながりなのだ。
Photos: Courtesy of Spiber Text: Shinya Yashiro Editors: Maya Nago, Sakura Karugane