1993年に23歳の若さで急逝したリヴァー・フェニックスが、8月23日に、生きていれば48回目となる誕生日を迎えた。
当時、反抗期まっただ中のティーンエイジャーだった私は、特にリヴァーの熱狂的なファンというわけではなかったけれど、その物憂げで鋭い眼差しや、反抗的な佇まいの中に光る知性に、異性としてというよりも同じ人間として、言い得ぬ共感と憧れを抱いていたように思う。これほど遠い存在にそんな思いを抱いたのは、実のところ後にも先にも、その翌年に亡くなったニルヴァーナのカート・コバーンとリヴァーだけだ(いかにも90年代な顔ぶれですが)。そして、才能あふれる二人を奪ったドラッグという未知なる恐怖に、身体の底から慄いたことも鮮明に覚えている。
48歳のリヴァーがどんな人物になっていたかは想像の世界に任せるとして、こうして彼の写真を見返すと、どこかジェンダーを超越するような美しさに改めて圧倒される。『君の名前で僕を呼んで』のティモシー・シャラメもそれはそれは美しかったが、悲哀を孕んだ繊細な神々しさは、やはり彼だけのものだ。
おそらく多くの人と同様に、わたしがリヴァーに出会ったのも『スタンド・バイ・ミー』だった。当時わたしは、家出が何かも知らないピュアな小学生。リヴァー演じるクリスという存在と、どこか達観したような眼差しを、その美しさに興奮しまくる母親の隣で、どことなく怖い思いで観たように記憶している。
本作で「ヴィーガン版ジェームス・ディーン」と絶賛されたリヴァーは(彼は両親の影響で生涯ヴィーガンを貫いた)、その後も良作に恵まれた。反戦活動家の両親のもとに生まれたダニーの苦悩を好演した1989年の主演作『旅立ちの時』では、アカデミー賞にノミネートされ、ナルコレプシーの男娼役を演じた1991年のガス・ヴァン・サント監督作『マイ・プライベート・アイダホ』では、ヴェネチア国際映画祭の主演男優賞を受賞。この作品で共演したキアヌ・リーブスや、同じく友人だったジョニー・デップらとともに、将来を嘱望された俳優だった。
しかし皮肉なのは、彼をリヴァーたらしめたのが、常軌を逸した壮絶な生い立ちだったということ。もしリヴァーが順風満帆な子ども時代を過ごしていたなら、きっと私たちは、あの憂いに満ちたリヴァーの表情を観ることはなかっただろうし、早すぎる死を迎えることもなかったと思うと、複雑だ。
カルト教団に入信していたヒッピーの両親のもとで育った彼は、各地を転々として暮らした。教団内にはびこる性的虐待に耐えられなくなった両親は(リヴァー自身、幼い頃に性行為を強いられたとインタビューで語っている)、のちに子どもたちを連れて教団から脱するが、その後もフェニックス家の生活は貧しく、リヴァーは過酷な幼少時代を過ごした。
そして、そうした傷のすべてが、リヴァーに規格外の魅力を与えたわけだ。彼は俳優業と並行してミュージシャンとしても才能を開花させ、また、動物愛護や自然保護にも情熱を傾けた。麗しきハリウッドに、グランジという新しい美意識を持ち込んだディスラプターでもあった。この早熟でナイーヴな永遠の美青年を偲んで、今週末は、ティーンまっただ中の娘とともに、リヴァー映画祭でも開こうかな。
Text: Maya Nago