
ウエディングドレス姿で海の中へ! ファッショニスタのプエルトリコ挙式に密着
ニューヨークで映像と写真のプロデューサーとして活躍するファッショニスタ、リジー・ハリスが叶えたのは、プエルトリコでのドラマティックなビーチウエディング。その模様を完全リポート!
新婦のリジー・ハリスと新郎のマイルズ・ハモンドは常に近くにいた。(2人ともニューヨークとその周辺で育ったため、何年も共通の知人たちと交流し続けていたのだ)そんな二人が初めてのデートに出かけたのは、2019年の11月のこと。共通の友人であるアッドヴェイル・コスレットによるセットアップだ。「それはアッドヴェイルが手掛けた3組目のセッティングでした」と新婦リジー。「成功の確率は私に有利なように思えました」と振り返る。
最初のデートは、新郎新婦のキャラクターと同じように控えめで気取らないものだった。DUMBO(ニューヨークの有名観光スポットであるブルックリン橋とマンハッタン橋の二つの橋の袂のエリア)にあるタイムアウト・マーケット・ニューヨークでの仕事後にディナーをしたのだ。
当時、『VOGUE』とコンデナスト・エンターテインメントでエディトリアル・フォト&ビデオ・プロデューサーとして働いていたリジー(現在は「M6Studios」の創設者兼エグゼクティブ・プロデューサーとして活躍中だ)は、少し気もそぞろだったことを思い出す。「翌日、キャス・バードと大きな撮影があったのと、テイラー・ヒルのブッキングが決まる途中だったから、デートの途中で電話に出なければなりませんでした」。しかし新郎はそんなことは気にならなかったようだ。「マイルズはヘッジファンドのアナリストなので、長時間労働に慣れているからか、まったく気後れしなかったんです。その後すぐに2度目のデートをすることになりました」
次の待ち合わせで、マイルズはリジーのアパートでスパゲッティ・ポモドーロを作ると申し出た。「彼は23個のトマト(1ダース余分なほど!)を持ってやってきて、それから彼は今まで食べた中で最高のスパゲッティ・ポモドーロを作ってくれました。残ったトマトで二人は彼女のキッチンカウンターに小さなタワーを積み上げ、その豊満なトマトのタワーがフェルナンド・ボテロの豊満な彫刻に似ていると言って笑いあったのだそう。(このフェルナンド・ボテロこそが、後の結婚式のキーワードの一つとなるのである)
この食事と、アートについての遊び心のあるやりとり(クリエイターであるリジーは、マイルズがコロンビアのアーティストに精通していることにも感心していた)の間に、2人は本当にお互いを好きになり始めた。「プエルトリコのセント・レジス・バイア・ビーチで結婚式を挙げることになったのですが、そこは世界最大のフェルナンド・ボテロの個人コレクションがある場所でもあるんです」とリジー。
パンデミックの間、夫妻はプエルトリコに移住することになった。そしてカリブ海の島での生活は、マンハッタン島での長年の生活から解放される絶好の機会となった。当初は、エマヌエル寺院(マイルズの実家の寺院)での挙式とレストラン・ダニエルでの披露宴を予定していたが、パンデミックによって頓挫したため、2人は結婚式の場所を完全に移すことにした。「プエルトリコのサンフアンに落ち着いてから、私たちの友人や家族の多くがプエルトリコに来たことがなかったり、私たちがプエルトリコに住んでいた1年間に私たちを訪れる機会がなかったことに気づいたからです」とリジー。
結婚式は2023年1月15日に行われた。ビーチでのウェルカムディナーから、リゾート内のクレーコートでのテニスの試合、そして砂浜とヤシの木が生い茂るビーチに突き出した芝生の上で行われた挙式。その結婚式のすべての活動を通して、リジーはファッションの筋肉を鍛えることとなった。
マンハッタンでの挙式で彼女が着ていたのは、バレンシアガ(BALENCIAGA)の2016年春夏コレクションのアーカイブのドレス(裾は未完成で、信じられないようなプリーツのディテールと、つなぎ合わせたシアーネックラインが魅力だ)。「二次会ルックのフィッティングのときにデザイナーのパトリシア・ヴォト(「ワン/オブ・バイ・パトリシア・ヴォート(ONE/OF BY PATRICIA VOTO)」のデザイナー)がそれを持っていると言っていたので、借りることになったんです」