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学校に行かないのはおかしいこと? 不登校から考える「教育」の本質【有識者による不登校座談会|前編】

年々増え続けている子どもの不登校。その支援は充実しているとは言い難く、不登校に関する偏見や間違った知識も社会に根強く残っている。不登校の子ども本人やその家庭の負担を減らすために、社会に何ができるのか? 「多様な学びプロジェクト」代表の生駒知里、『不登校新聞』編集長の石井志昂、認定NPO法人カタリバ代表理事の今村久美、そして奈良女子大学大学院教授の伊藤美奈子と3回にわたり考える。

Photo: Emily Salamone / EyeEm / Getty Images

子どもの不登校は、決して珍しいことではない。不登校はここ数年増え続けており、文部科学省が2021年10月に発表した調査では小・中学校における不登校の児童生徒数は19万6,127人と過去最多を記録した。

文部科学省は不登校の定義について「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により,児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にある者 (ただし、「病気」や「経済的理由」による者を除く。)」としている。ただし、定義上は不登校に当てはまらないものの、病気や家庭の事情、経済的理由などさまざまな理由で学校を長く欠席している人もいる。そうした子どもたちを含めると、その数はさらに多い。

しかし、不登校の子どもやその親に対する支援も不足しているのが現状だ。子どもたちの心のケアだけでなく、親が日中、仕事などで不在の場合でも不登校の子どもたちがただ安心して過ごせる場所を見つけたり、学ぶ意欲のある不登校児のための学校以外の教育の場や機会を見つけたりしようにも、本人や家庭が金銭的・時間的・精神的に大きな負担を強いられることが多い。その一方、教員不足や長時間労働が叫ばれている学校もまた、一人ひとりのケアにかけられる時間が限られている。さらには、不登校に対するサポートが得られるかどうかに地域差があるのも課題だ。

こうした問題はなぜ起きているのか。そして、不登校の子どもへのサポートを特別なものとしてとらえず、「みんなのための措置」として広めるためには社会に何が出来るのか。「多様な学びプロジェクト」代表の生駒知里、『不登校新聞』編集長の石井志昂、認定NPO法人カタリバ代表理事の今村久美、そして奈良女子大学大学院教授の伊藤美奈子と考えた。

不登校支援が不足する理由

奈良女子大学大学院教授(学校臨床心理学)・伊藤美奈子(左上)、『不登校新聞』の編集長・石井志昂(右上)、認定NPO法人カタリバの代表理事・今村久美(左下)、「多様な学びプロジェクト」代表・生駒知里(右下)。

VOGUE JAPAN編集部(以下、V) 不登校の子どもは年々増えていますが、その支援はいまだ少ないように感じられます。民間のフリースクールを利用するにも経済的な負担が大きかったり、子どものケアをするために働く時間を減らさざるを得なかったりと、子どもだけでなく親への負荷も相当なものです。そもそも、なぜ日本の不登校支援はここまで自助努力に頼ったものになっているのか、みなさんのご意見をお聞かせください。

今村久美(以下、今村) 不登校の問題について考えるときにまず目を向けたいのが「日本において学校はどう定義されているのか」ということです。日本の学校教育法では「学校とはこういう要件をクリアした場所である」といった要件が明確に書いてあります。そこに照らし合わせたとき、施設やカリキュラム、教職員免許の有無などに関する細かい要件を満たしていない民間のフリースクールは正式には学校ではないということになっているんです。

そして、憲法89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という一文があります。憲法を作った時の状況や作った方々の気持ちを正確に把握できているわけではありませんが、「教育の目的は人の可能性を開き、よき国民を育てること」という大前提が当時あったのではないかと推測します。そうした憲法上の制限があることで、子どもにとって必要だと思ってフリースクールのような教育活動をしたくても、補助金などの公金を使って事業を展開できない構造になっています。

この状況を少しでも変えようと果敢に挑んだ政治家の方々もいましたし、いまは家庭が自由に自己判断で子どもの学び方を選ぶ分には良いというところまで来ていますが、経済的負担も家庭でというのが現状です。やはりお金は負担されません。敷かれている学校教育の基準が厳しすぎるのに、そこから漏れたら自己責任という構造は変えなくてはいけないと私は思います。

生駒知里(以下、生駒) 今村さんがおっしゃっていたことに加え、私は日本の政府が教育にかける予算が低いという点も付け足したいと思います。OECD諸国の平均を下回るほど教育にかける予算が少ないなかで、公教育の先生方は多忙を極め、教育改革をしたくてもそこにリソースを割けない状況にあるんです。

ではなぜ教育予算が少ないのかと言えば、それは「子育ては女性・家庭がすべきもの」という封建的な考え方が日本に根強いからだと私は考えています。加えて子どもに対する考え方の面でも、子どもには主権があって、自分の人生をより良くしていく力があるという意識が日本社会のなかでまだ一般的でないという点もあるのではないかと思います。

石井志昂(以下、石井) 不登校支援が不足している理由として、不登校が「問題視」されているから、ということも挙げられると思います。今の学びのとらえられ方は、すべての子どもが学校という場所で与えられた机の前に座って学ぶ事だけが学びであり、学校の外でみんなと遊んだり、道ゆくおじさんからいろんな事を教わったりといったことは学びではないというように、非常に狭いものになっているように感じます。それゆえ、学校の外に出てしまう人はすべて問題児であるかのように考えられてしまう。

日本にはいま不登校になっている子どもが20万人くらいいますが、不登校の実態調査の対象は、文字通り「全員」です。これは裏を返せば、「学校を休んでいる人を全員見つけ出さなければならない」という圧にも似たものが、教育現場や親にかかっていることになりますよね。そういった仕組みも不登校を問題視する原因になっているのではないかと思っています。

伊藤美奈子(以下、伊藤) いま石井さんからもありましたが、私自身が学校に関わるなかでも「登校することが当たり前」という考えは非常に根強いんだなと感じます。それがひるがえって「登校しない子は問題児だ、おかしいんだ」という偏見につながっている現状があるのだろうと思うんですね。

不登校の子どもに学校の外で多様な学びの場を提供することを目的とした「教育機会確保法」という法律が2017年にできて、理念的には現状を変えようという動きもありました。でもなかなか浸透せず、「不登校は本人に問題がある」「不登校は家庭の問題である」という意識も払拭されていません。行くのが当たり前という考え方が強すぎて、新しい風が吹いても大きく流れを変えるところまで到達できていないのです。

生駒 石井さんや伊藤さんがお話していたように、不登校を問題視する雰囲気が社会にあると、当事者は言いづらいのですよね。うちの子はいま高校一年生ですが、小学一年生の時点でもう学校に行かなくなったんです。「半年行ってみて、自分には合わないと思ったから学校を辞める」と。私が「でも勉強をしたり、自分と違う人と出会ってほしい」と話すと、彼は「それは学校じゃなくてもできる」と言いました。まだ7歳になったばかりでしたが、もう個がここまで確立されているんだと思いましたね。彼は「1+1」の答えは必ずしも2じゃなくて、粘土と粘土を混ぜたら1になるし、重曹とクエン酸を混ぜたらゼロになるとも言っていました。それを「1+1=2」と教えられるのは違うと思う、と。それを聞いて、私は彼が間違っているとは思えなかったんです。

でも、「学校に行かない」という選択を他者に話すと、みんなが「学校に行かないとまともな大人になれない」と反対しました。するとある日、息子が「僕は大人になれない」と言ったんです。学校に行っていない僕は脳が退化して大人になれないんだ、と。私は学校に行かないことを悪いと言ったことはないし、息子の感性や個性を守っていきたいと思って子育てをしていたのですが、7歳の彼は、そうした社会の雰囲気を感じたんでしょう。

これを聞いて、だから子どもも保護者も不登校を隠してしまうのではないかと思ったんですね。不登校の人は実は多くて、地域の中にも不登校の子どもたちはいるし、そこにかかわっている保護者や大人はたくさんいるのですが、結局隠してしまうから孤立していて、社会にどうしてほしいのか言えないんだと思うんです。だから、変わっていかない、アップデートされていかない。でも、そういった人たちが声を失ってはいけないと思うんですね。日本の社会は、「少数派」にすごく冷たいと感じます。私は自分がいままでどれだけ傲慢に生きていたかを、自分がその「少数派」の立場になってはじめて分かりました。

「登校することが当たり前」という圧力

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石井 不登校が問題視される理由は、先ほど伊藤さんからもあったように「登校することが当たり前」という考え方が根強いということに尽きると思います。2017年には文部科学省が「小学校学習指導要領解説」の総則のなかで、不登校という行為を「問題行動」と判断してはならないと明記していますが、この文言を知っている先生はほぼいません。文部科学省が言っていてもみんながスルーしてしまうくらい、学校へ行くのが当たり前になっているんです。

伊藤 私もいろいろな研修に講師として呼んでいただくたびに不登校は問題じゃないとお話はするのですが、登校することがあまりに当たり前になっていて、しっかり浸透しているか不安は残ります。もちろん、学校に行くことが助けになる子もいます。学校に行ったら頑張っている先生方がいて、決して良い教育がないわけではない。その教育を受けて卒業し、リスクなく社会に出られる子もいます。けれども、そうした子どもが過半数だったとしても、全員ではない。それを全員とみなしてしまっている教育がいままで行なわれてきたんだなと痛感します。その認識をどうすれば根底から覆せるのか、国が考えないといけない課題だなと改めて思いました。

今村 学習指導要領の総則にどんなことを明記しても現場に伝わっていかない原因のひとつとして、代案がないということもあるように感じます。特に地方には、フリースクールがひとつもない場所もあります。また、不登校の子どもたちをサポートする「不登校特例校」は全国に21校、「教育支援センター」を設置している自治体は全国の約6割にとどまり、不登校の人数に対して受け入れ可能人数が足りていない場所も多くあります。つまり、学校以外に子どもたちを受け入れられる場所がないということです。

V いま今村さんから「代案がない」という指摘がありましたが、ではどんな代案がありえるのか。次回は、民間による支援と公的な支援の両方から考えていければと思います。

PROFILE(五十音順)
生駒知里
多様な学びプロジェクト」代表。
学校の外での子どもの居場所づくりや、不登校の子どもをもつ保護者向けのサポートを提供している。

石井志昂
不登校新聞』の編集長。日本で唯一の不登校専門紙として当事者・経験者の声や識者のインタビューを発信している

伊藤美奈子
奈良女子大学大学院教授(学校臨床心理学)。スクールカウンセラーとして親子の心に寄り添い、不登校をめぐる文部科学省の有識者会議で委員を務めている。

今村久美
認定NPO法人カタリバの代表理事。オンライン不登校支援プログラムの開発や島根県での教育支援センターの運営など、不登校の子どもへの幅広い学びの機会を提供している。

Text: Asuka Kawanabe Editors: Maya Nago, Asuka Kawanabe, Mina Oba