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なぜ『ベルファスト』は今、観るべき映画なのか。オスカー7部門ノミネート作がウクライナ侵攻に重なる理由。

第94回アカデミー賞では、作品賞や監督賞などメイン7部門でノミネート。もっともオスカーに近い大本命作と期待される『ベルファスト』は、製作時には意図されなかった意味を持つ作品へと変容した。文字通り激震する故郷の街で過ごした自身の幼少期を、俳優としても活躍するケネス・ブラナー監督が、リアルかつユーモラスに描いた本作──その魅力を映画ジャーナリスト斉藤博昭が紐解く。
ベルファスト BELFAST

シンクロする現実が増幅する衝撃。

撮影現場でのケネス・ブラナー監督(左)と主人公バディを演じたジュード・ヒル。

映画は、作り手が意識しなかった反応を起こすこともある。たとえば製作当時と、鑑賞時で世の中の空気が変わっている場合。作り手が作品に込めたメッセージが、別の意味を帯びて観る者の心を不覚にも震わせてしまう。

この『ベルファスト』も昨年(2021年)末に初めて観た時は、作り手のメッセージを素直に受け止め、分断される世界の切なさを訴えるヒューマンドラマという印象だった。しかし2022年3月にもう一度観直してみると、世界情勢、つまりロシアによるウクライナへの軍事侵攻を重ねずにはいられなかった。1969年のアイルランド、ベルファストを舞台にしている本作は、もちろん現在のウクライナ情勢とはまったく関連がない。しかし多くの点がシンクロし、新たな衝撃と感動を発生させるのも、これまた事実である。映画は、ひとつの生命のごとく、姿を変えるのかもしれない。

俳優として、そして映画監督としても才能を発揮し続けるケネス・ブラナーが、自らの少年時代をモチーフに描いたのが、この『ベルファスト』だ。半自伝作品と言っていい。主人公は9歳の少年バディ。彼が暮らすベルファストの町で、プロテスタント系の武装集団がカトリック系の住民を攻撃するという激動の日々が展開される。シビアな設定を基本にしながらも、その視点はバディが中心なので、家族との関係、初恋のもどかしさ、住み慣れた町への愛着などが共感たっぷりに描かれる。ユーモア、ハートウォーミングな瞬間も多く、観ながら愛おしくなってしまう作品でもある。

ケネス・ブラナーは本作について「もし人が大人になる瞬間があるとしたら、私の場合はベルファストを離れた時だった」と語っており、暴動が収まらないベルファストの町を、バディの一家が出て行くべきか、という葛藤がドラマの中心になっている。この点も、たとえば進学や就職、結婚などさまざまな理由で生まれ育った町を離れた経験のある人に、故郷を懐かしむノスタルジーを喚起する。作品全体として普遍的な感動を誘う仕上がりだ。

ベルファストで生まれたケネス・ブラナーは、9歳の時に家族とともにイングランド南部のレディングへ移住した。王立演劇学校を卒業後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに所属し、若くして天才俳優として注目される。シェイクスピアの舞台で才能を開花させた後、映画界に進出した作品が『ヘンリー五世』。初めての映画ながら監督・主演の両方を務め、いきなりアカデミー賞で監督賞と主演男優賞でWノミネートを果たした。それが29歳の時。そこからは多くの作品で監督、俳優として大活躍。2022年公開の『ナイル殺人事件』でも監督と主人公のエルキュール・ポアロ役を兼任している。今回の『ベルファスト』も含め、ケネス・ブラナーはアカデミー賞で、主演男優賞、助演男優賞、監督賞、脚本賞、作品賞(プロデューサーとして)、脚色賞、さらに短編映画賞と、じつに7部門にノミネートされた実績を誇る。これも異例のケースで、マルチな才能は世界屈指なのである。

徹底されたリアリティ。

祖母役のデュディ・デンチほか、キャストはみなアイルランド出身俳優だ。

そのブラナーが『ベルファスト』では自ら出演することなく作り手側に徹し、主人公のバディに自分を投影した。キャスティングにもこだわり、ベルファストを中心に北アイルランド出身の俳優を多用。バディの祖母役のジュディ・デンチも母親がアイルランド出身である。1969年、ベルファストの人々のムードを作り出すうえで、徹底したリアリティを求めた。

ベルファストという場所への固執は音楽にも表れ、ブラナーがスコアを依頼したのは、ベルファスト生まれの世界的ミュージシャン、ヴァン・モリソン。モリソンの既存の8曲のほかに、本作のために作った1曲、さらにインストゥルメンタルも含めてサウンドトラックのほとんどが彼の音楽で構成された。ベルファストにルーツをもつ天才の曲は、物語と映像に自然と馴染んでいるだけでなく、シリアスでハードな場面にメロウな曲を重ねる効果など、ブラナーの音楽への演出も冴えわたっている。音楽によって本能的にテンションが上がる瞬間も多い。

カラーが示す“奇跡”。

そして特筆すべきは、モノクロ映像だ。ケネス・ブラナーの記憶の回顧とともに、作品を観るわれわれもノスタルジックな気分に浸るうえで、モノクロはじつに効果的。ただし、一部でカラーの映像も使われる。それは冒頭に登場する現在のベルファストのシーン。さらに劇中でバディら登場人物が観る映画や演劇の部分だ。映画館のスクリーンがそこだけカラーになり、舞台上の演劇シーンや、それを反射する祖母のメガネがカラーになったりする(モノクロの映画は、さすがにモノクロのまま)。

これは何を意味するのか? 1969年のベルファストの現実=モノクロと、そこから離れた非現実のパートの区分なのだが、ケネス・ブラナーによると「カラーは奇跡の象徴」とのこと。映画や舞台の世界は、当時のベルファストの人々にとって、現実から逃避できる奇跡の時間である。中でも1968年の映画『チキ・チキ・バン・バン』の空飛ぶ車のシーンに対するバディ一家の興奮は、映画が人々に奇跡をもたらすことを証明する。そして現代のシーンについては、プロテスタントvs.カトリック、さらにナショナリスト(アイルランド側)vs.ユニオニスト(グレートブリテン側)と、人々の二分による壮絶な内紛の歴史があったベルファストが、現在こうして平穏に保たれている“奇跡”をアピールする。

モノクロが暗い過去だとしたら、カラーで迫ってくる現在のベルファストは、明るさ、美しさがより際立つことになる。映画が観る時代とともに印象を変えるとしたら、その美しさを目にした瞬間、戦争によって荒廃した地(2022年3月の時点なら、それはウクライナになる)が、何年か後に復活する“奇跡”を信じることにもつながる。バディの一家が、近所の人々や祖父母と離ればなれになっても故郷を出ようとする決断も、争いによって祖国を追われる人々と必然的にシンクロしてしまうわけで、パートカラーの効果は、意外なレベルまで広がることになった。世界では絶えずどこかで分断や争いが起こっているので、こうした映画ではシンクロも発見しやすいが、『ベルファスト』はリアリティの追求と巧妙な演出で、このシンクロを最上レベルで達成した。

最短ノミネート作に凝縮されたドラマ。

このように紹介すると『ベルファスト』は壮大な作品という印象だが、上映時間が1時間38分とコンパクト。アカデミー賞作品賞にノミネートされた10本の中で、最短である。日本映画の『ドライブ・マイ・カー』の約3時間を筆頭に、2時間30分前後のノミネート作が大勢を占めるなか、逆に新鮮だ。そもそも映画の最適な上映時間は、人間の生理、集中力を考慮すると、90分前後という説もあるほど。アカデミー賞作品賞には、それなりのボリューム感も要求される気もするが、近年の受賞作を振り返ると2時間前後のものが多い。「長ければ良い」というわけではないのだ。

最後に付け加えたいのが、ヘア&メイクのこと。『ベルファスト』を任されたのは、日本人アーティストの吉原若菜である。ケネス・ブラナー監督作では『シンデレラ』や『オリエント急行殺人事件』『ナイル殺人事件』でもヘア&メイクを担当し、信頼関係を築いている。『ベルファスト』はヘア&メイクが際立つ作品ではないにしろ、1969年の時代を再現し、なおかつモノクロでどのように映えるかを計算する“縁の下の力持ち”的な仕事を日本人が完璧にこなしている点は注目に値する。今回のアカデミー賞ではダイアナ元皇太子妃を描いた『スペンサー ダイアナの決断』で、ダイアナ役のクリステン・スチュワートが主演女優賞にノミネートされたが、同作のヘア&メイクも吉原が手がけた。つまりアカデミー賞に絡む作品を2本も支えている。

彼女自体は今回、アカデミー賞にノミネートされてはいない。しかしアカデミー賞とは、監督や俳優という、いわゆるスターたちを祝福するだけでなく、一本の映画を成功に導くさまざまなスタッフにスポットを当てる場でもある。『ドライブ・マイ・カー』を“同じ日本人として”誇らしく思うのであれば、『ベルファスト』でその才能を発揮した日本人アーティストにも、ぜひ賛辞を送ってほしい。

Photos: ©2021 Focus Features, LLC.

Text: Hiroaki Saito Editor: Yaka Matsumoto