紹介した商品を購入すると、売上の一部が VOGUE JAPAN に還元されることがあります。
リゾが提唱する「セルフ・ラブ」の二つの側面
美しさ、と呼ばれているものに苦しめられているときの対処方法にはいくつかあって、そのうちの代表例が「自分を愛するようになる」ことだ。ボディ・ポジティブ──一般的に「美しい」と呼ばれる容貌をしていなくとも、自分自身の身体を肯定的に受け入れる姿勢──のアイコンであり実践者であるアーティスト、Lizzo(リゾ)は、自身が主催するオーディション番組「リゾのビッグスター発掘」の中で、繰り返しその方法論を提示する。「リゾのビッグスター発掘」は、リゾのステージでともに踊るプラスサイズのダンサー=ビッグガールズを新たに選ぶべく、多数の応募から選ばれた13人のダンサーが招集されるシーンから始まる。新たなビッグガールズ候補は黒人女性の割合が高く、トランス女性であるジェイラ、韓国系とのダブルルーツであるイザベラなど、さまざまなマイノリティ性を帯びたメンバーが集まった。
リゾはビッグガールの条件として、さまざまな要素を求めている。そこにはステージダンサーに必要なスタミナや振り付けを覚える早さ、ダンスの鋭さといった技術面はもちろんのこと、揺るぎない自信、失敗しても平然と踊り続けられるメンタルの強さ、自己肯定といった精神面も含まれる。
たとえば第4回では、リゾの新曲に合わせてダンサーたちが新しい振り付けを披露する場面が登場するが、振り付けの途中でダンサーは目の前に用意されたガラスに自らを縛ってきた言葉を書き、それを打ち砕いてみせる。SNSにおいてミーンスポ(meanspo:「太りすぎている」と思われる人物に対して侮辱、誹謗中傷をし、体重を減らすよう脅迫する行為)を受けてきたイザベラは「デブ」と書いたし、自分自身が最大の敵だと語ったジェイラは自分の名前を書いた。お前にはできない、という声には、たとえそれが自分自身によるものであっても「黙れ」と言ってやれ。リゾはそのように語り、ダンサーたちをエンパワーする。「真の自分」を見つけること、世界の冷たさの中で自分を愛すること。リゾが与えるレッスンや課題、アドバイスの数々は、いずれも「セルフ・ラブ」のキーワードに彩られている。
そんなリゾの示すセルフ・ラブは、二つの側面に分けて考える必要があるだろう。一方にはリプレゼンテーションの問題がある。“痩せ型の白人”が支配的な芸能の世界において、そうでない人たちは自分の目標にできるスターがいない。大柄な女性、特に黒人女性が多く活躍するビッグガールズの存在は、“痩せ型の白人”ではない多くの人たちに自分にも芸能の道が開かれていることを示し、願いを叶えられる可能性があることを示すのだ。これは差別によって消されていた選択肢の“回復”である。リゾとビッグガールズは、自分自身を愛して受け入れている(もしくはその過程にある)。そして、社会規範に根ざした支配的な美の基準において強い風当たりを受けなければならず、自分を卑下・抑圧して生きている人たちに、「自分自身を美しいと言い、愛してもいい」のだというメッセージを発している。番組を通じてダンサーたちが目指すのは、自分に似た誰かを救うというプロジェクトの達成でもあるのだ。
もう一方には、自己啓発としての側面がある。リゾは繰り返し「あなたは美しい」と言葉を尽くし、ダンサーたちが本当に自分を美しいと思い、愛せるようになるためのレッスンを重ねる。スピリチュアルな雰囲気の中で感情を解放するダンスレッスンやヌード写真の撮影といったさまざまなイベントを通じ、ダンサーたちは自分自身が抱えていた自己嫌悪を自分の力で前向きに克服していくのだ。この自己肯定のメッセージは、リゾからダンサーへ発せられたものだが、同時に番組から視聴者に向けられたものでもある。
「己は“醜い”と思ったままでも生きていけるだけの環境が欲しい」
さて、この二つの側面に関して、リプレゼンテーションの問題については非常に重要だと素直に思う。自分を愛するという選択肢が差別によってあらかじめ失われているとき、それが復活するのは重要なことだ。それを成し遂げたいと願う人の勇気は惜しみなく賞賛したい。
ただ、注意したいのは後者、つまり自己啓発のほうである。一視聴者として思うのは、なぜそうまでして自分を美しいと信じ、愛さねばならないのか、という疑問なのだ。私は醜形恐怖症の当事者だが、今、自分に必要なのは二つ──社会において支配的な美の基準が崩壊することと、自分の容姿が嫌いなままでも余裕で生きていける社会の到来だと信じている。私を醜いとする社会が悪いのに、なぜ私が自分の内面を変えなければならないのだろう? リゾのレッスンを見てわかるのは、自分を愛するための努力が恐ろしく過酷であるという現実だ。そりゃあわかるよ、自分を美しいって言えて、自分を大事に思うことができたらどんなに世界は変わって見えるだろうか? でもその境地にたどり着くまでの道のりは、過程の困難さによって多くの人を振り落としていく、まさにオーディション番組のような険しい獣道であるに違いない。
自分を美しいと思えない、愛せないという理由で、その道なき道を苦しみながら進まねばならないと言われるのは、私にはどうにも納得できないのだ。特に、社会的規範に適合的でない要素を持った個人が生き延びるために必要な行動が、この世にはあまりにも多すぎると改めて実感する。自己を愛するための努力にリソースを割かなければいけない状況そのものがおかしい。己は“醜い”と思ったままでも生きていけるだけの環境が欲しい。
どんな人でも、弱いメンタルと自己嫌悪を抱えたまま簡単に楽しく生き抜ける社会にならなければ、絶対におかしい。
Profile
高島鈴
1995年、東京都生まれ。本稿のテーマは『現代思想特集=ルッキズムを考える』(青土社)収録の「都市の骨を拾え」にも詳しい。10月に初のエッセイ集『布団の中から蜂起せよ』(人文書院)を刊行。TW: @mjqag
Photos: © Amazon Studios Text: Rin Takashima Editor: Yaka Matsumoto