「女優になれるなんて思っていなかった。私は胸がないし、美しくないし、成功するはずがないと思っていた」
学生時代には、同級生から痩せすぎの身体を「半分少年で半分少女」とからかわれていたジェーン・バーキン。舞台俳優だった美人な母親の存在もまた、彼女が自分の容姿にコンプレックスを抱く原因となっていた。「誰かに美しいと褒められたときにだけ自信が持てたから、私は俳優を目指したんだと思う」
「男性のどこを見るかって? 私は才能」
「母は言った。『微笑みなさい。そうすれば世界も微笑み返してくれる。泣いたらあなたはひとりぼっちになる』」
「枕の下にいつもアイライナーを隠していた」
18歳のとき、13歳年上の作曲家ジョン・バリーと最初の結婚をする。有名人で女性にモテるジョンに愛されたいがために、ジェーンは常に枕の下にメイク道具を隠し、彼が寝ている間にメイク直しをしていたという。自信のなさからくるいじましい努力。だがジェーンの恐れは現実となり、長女ケイト・バリーを出産してほどなくして、ジョンは他の女性を好きになり、ジェーンの元を去る。
「美しく年を重ねる秘訣は、よく眠ることとよく笑うこと。そして、自分のしたいことをすること」
「(フランス語を話すときに)英語のアクセントがなかったら、私のキャリアは違ったものになっていたでしょうね」
60年代に映画出演のために出身地のイギリスからフランスへ。時はスウィンギング・ロンドンブーム全盛期。イギリス訛りの辿々しいフランス語を話すジェーンの可愛らしさは、すぐにフランス人を魅了した。
「彼の視線で、私は自分を美しいと思えるようになった」
運命の男性、セルジュ・ゲンズブールに出会ったのはジェーンが21歳のときだ。グラマラスというよりは華奢で痩せた彼女の身体を「俺の理想の体型だ。画家を目指していた頃は、君のような両性具有のような身体ばかりを絶賛していた」と言ったのが彼だった。愛する男性の称賛によって、ついに彼女は自分の自然体の美しさに目覚めていく。
「カンヌ国際映画祭の階段を登ったドレスのことをまだ覚えている。それにあのカゴバッグ。ロンドンの市場で買ったものよ。どこに出かけるときにも持っていた」
「エルメス(HERMÈS)の社長に『もっと便利でシックでなんでも入るバッグが欲しい』と言った 」
ジェーンは、どこに行くにもロンドンのマーケットで買ったカゴバッグを持ち歩いていた。ある日、ロンドン行きの飛行機で偶然隣りに座ったエルメス(HERMÈS)の社長に「あなたが欲しいバッグを作りませんか?」と声をかけられ、完成したのが「バーキン」であることは有名な話だ。ジェーンの理想を形にしたこのバッグは、世界中の女性たちの憧れのバッグとして今もなお人気を博している。
「メイクをナチュラルにしたら、必然的にメンズっぽいのが似合うようになった」
「大げさよ、私とセルジュはケネディ夫妻ではない。私たちカップルは、自由の象徴みたいなものだった」
1968年に映画『スローガン』の共演がきっかけで恋に落ちたジェーンとセルジュ・ゲンズブール。カップルは、スキャンダラスでスタイリッシュな伝説のカップルとなったが、実はその出会いは最悪なものだった。当時ブリジット・バルドーに振られたばかりのセルジュは、スクリーンテストで下手なフランス語を話すジェーンに不機嫌な態度を取っていた。彼女は、ふたりの仲を取り持つためにある映画監督がセッティングしたディナーの席で、セルジュの内気な影に隠れた魅力に気づき、ようやく恋が始まる。
「母親になることは私にとてつもない自信を与えてくれた。すごく幸せだった」
3人の才能豊かな男性との間に3人の娘をもうけたジェーンは、「3回、9ヵ月の間、お腹の中に赤ちゃんがいた時期がいちばん幸せな時期だったわ」と語った。20歳のときに最初の夫ジョン・バリートとの間に長女ケイト・バリー、24歳のときにセルジュ・ゲンズブールとの間に次女シャルロット・ゲンズブール、そして35歳で映画監督のジャック・ドワイヨンとの間にルー・ドワイヨンを出産。しかし長女ケイトは2013年12月11日、46歳のときにアパルトモンから身を投げて亡くなってしまう。愛する娘を失くしたジェーンの哀しみは計り知れない。
「逆境では、自分がしていることは正しいと信じることが大事」
「四十代の女というのは、もうこれが最後の恋かもしれないと思って途方もないことも平気でやってしまう。要するに四十代って、女にとってもっともドラマティックな時期ってこと」
「年齢を重ねてよかったことの一つは、娘たちとの理解が深まったこと」
参考文献:『ジェーン・バーキンの言葉』山口路子著(大和書房刊)ほか
Text: Moyuru Sakai
