『欲望』(1966)
イタリアの名匠、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の初の英語作品『欲望』は、アイコニックなポスターのヴィジュアルも有名だ。1960年代のロンドンで活躍する人気ファッションフォトグラファー、トーマス(デヴィッド・ヘミングス)の奇妙な体験を描く。
ジェーン・バーキンは友人とトーマスを訪ねる新人モデル役で出演。トーマスにぞんざいな扱いをされながら、なんとか写真を撮影してもらおうと食い下がり、最後はスタジオでトーマスも交えて大はしゃぎするが、結局は撮ってもらえないまま追い返される。1960年代のスウィンギング・ロンドンを体現するような役で、ジェーンは「ただ無邪気な女の子でいればよかった」とのちに振り返っている。
『スローガン』(1969)
公私にわたるパートナーとなるセルジュ・ゲンズブールと出会った作品。ジェーンは18歳で結婚したイギリス人の作曲家ジョン・バリーと破局を迎え、フランスに新天地を求めた。そして、当時フランス語を全く話せないままオーディションに臨み、見事に役を得たものの、セリフは音声を丸暗記して意味もよく理解しないまま演じていたという。
セルジュ演じる気鋭のCM監督は、映画祭で若いイギリス人女性と恋に落ちるが、彼には妊娠中の妻がいるというストーリー。1968年、夏のヴェネツィアで撮影は行われたが、セルジュは当初ジェーンのことを鼻つまみ者扱いして、現場は重い空気だったようだ。事態を打開しようとピエール・グランブラ監督は2人だけを招いたディナーをセッティングし、そこで彼らは打ち解けた。
やがてフランスを象徴するアイコン的カップルとなり、1971年に娘のシャルロット・ゲンズブールが誕生。2人は1980年に破局するが、その後もセルジュが1991年に亡くなるまで音楽活動は共に行っていた。
『太陽が知っている』(1969)
南仏サントロペの別荘を舞台にアラン・ドロンとロミー・シュナイダーが主演したサスペンス。ジェーンは、ロミー・シュナイダーが演じたマリアンヌの元恋人の男性の娘で、アラン・ドロンが演じるジャン・ポールを誘惑しようとする18歳のペネロペを演じた。
セルジュ・ゲンズブールは、撮影中にジェーンがアラン・ドロンに誘惑されるのではないかと気を揉んでいたというが、実際彼女は主演2人に圧倒されるばかり。あまりの緊張にセリフを言う声もうわずりがちだったという。衣装はクレージュ(COURRÈGES)が担当。ペネロペが纏うギンガムチェックのドレスや白のクロシェのカバーアップなど、今でも夏のバカンスの参考にしたいスタイルばかりだ。
『ドンファン』(1973)
フランスを代表するセックスシンボル、ブリジット・バルドーの最後の主演映画で、監督は彼女の元夫ロジェ・ヴァディム。1970年代のパリを舞台に「もしドンファンが女性だったら」という発想で、美女のジャンヌが次々と男性を手玉に取り、破滅させていく。ジェーンが演じたのは、年上の男性と結婚したばかりの従順なクララ。彼女は奔放なジャンヌに魅せられていく。
ブリジット・バルドーは、1960年代にセルジュ・ゲンズブールと不倫関係だったことがあり、その時に彼が作詞・作曲した「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を一緒にレコーディングしていた。だが音源は1980年代まで発表されず、代わりに1969年にジェーンとのデュエット曲としてリリースしたところ、大ヒットした。
そんな奇妙な縁がある2人は、ジャンヌとクララが裸でベッドに寝そべるシーンではどうしていいかわからず、考えた挙句、歌うことに。ブリジットは「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を提案したがジェーンは断り、結局スコットランド民謡の「いとしのボニー」となった。
訃報を受け、ブリジッド・バルドーはツイッターに直筆の追悼メッセージを投稿。「あんなにきれいで、みずみずしくて、ありのままで、子どもの声をしているなら、死んでしまう権利はありません。彼女は、私たちの心の中で永遠に生き続けます」と綴っている。
『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1975)
1969年に発表し、過激な歌詞と表現が物議を醸すとともに大ヒットしたデュエット曲をモチーフに、セルジュ・ゲンズブール自ら監督・脚本を務めた同名映画。人里離れたバーで働く女性が、店に立ち寄ったトラック運転手の青年をゲイと知りながらも恋に落ちる。ジェーンは、ショートヘアで少年のような服装で“ジョニー”と呼ばれる主人公を演じた。
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年下の恋人がいながら、両性具有的なジョニーに惹かれるゲイのクラスキーを演じたのは、1960年代後半から70年代にかけてアンディ・ウォーホルが製作した映画の数々に主演したジョー・ダレッサンドロ。ジェーンの訃報に接し、彼もツイッターで「チャオ、私の可愛いジェーン。あなたはいつまでも記憶に残り、私は共有した時間を決して忘れない。寂しくなります」と哀悼の意を表している。
『ラ・ピラート』(1984)
1980年から1992年までジェーンのパートナーだったジャック・ドワイヨン監督による衝撃作。夫と暮らすアルマのもとに元恋人のキャロルが現れ、アルマを連れ去る。妻の行方を追うアルマの夫、追跡を手伝う夫の友人、そしてキャロルに同行する謎めいた少女までもがアルマに強く惹かれ、5人の関係がもつれ合う。ちなみにアルマの夫を演じたのは、ジェーンの実兄で映画監督のアンドリュー・バーキンだ。
膨大なセリフの応酬で描く暴力的なまでの愛の物語は、第37回カンヌ国際映画祭で上映され、物議を醸した。ジェーンは、第10回セザール賞の主演女優賞にノミネート。セルジュ・ゲンズブールと破局後、若くきれいであることだけを求められる役から脱却し、成熟した女性としてのリアルな葛藤を表現するようになった。
『美しき諍い女』(1991)
ジャン・リュック・ゴダールやアニエス・ヴァルダなど、ヌーヴェルヴァーグの監督たちにも愛されたジェーン。1983年の出演作『地に堕ちた愛』のジャック・リヴェット監督と再び組んだ『美しき諍い女』では、『放蕩娘』(1981)で共演したミシェル・ピコリが演じる主人公の画家フレンホーフェルの妻リズを演じた。妻がモデルの絵画を10年前に描きかけたまま放置していたフレンホーフェルは、若く美しいマリアンヌが現れたことで彼女をモデルに再び描き始める。
マリアンヌを演じたエマニュエル・ベアールは、ジェーンの訃報に「悲しみで心が張り裂けそうで、話すことができません」「彼女は私の愛するもの全てでした。揺るぎない献身、自由、そして限りない優しさ。他者への配慮。彼女はとても美しい人で、仲間でした。面白くて軽快で、メランコリック。そして3人の素晴らしい娘をこの世に生みました。ありがとうジェーン」とコメントを発表した。
Text: Yuki Tominaga

