娘が幸せでいてくれたらそれでいい
VOGUE(以下、V) 最初は拒絶されてしまったという家族との関係は、どのようにして変化していきましたか?
ERIKO 付き合って一週間たったころに、私たちは双方の母親に報告しました。私の母は他者を非難するような人ではないのですが、高齢でもあるからかよっぽど戸惑ったみたいで、同性愛に対して「それって気持ち悪くない?」という一言でした。それから母もむきになってしまい、「職場では言わないほうがいい」だとかメールをしてきて。埒が開かないので「私が今大事に思っている人は女性だけど、あなたの娘であることは何にも変わらないからね」とメールしました。そこからは普通に会うし話しはするけど、一切恋人のことには触れない状態が半年間続きました。
でもある日、なんでもない世間話の中で、「AKINAとここに行って、こんなことがあって面白かったんだよね」と母に話したら大爆笑してくれて。これかも!って思ったんです。かしこまった感じで話すわけじゃなく、それから少しずつAKINAの話題を会話に盛り込むようになって。そして二人が急に会うタイミングがあり、印象がよかったのか帰り際に「これからもよろしくね」と母がAKINAに握手していました。今はもう母はAKINAのことが大好きです。
AKINA あのとき、グッときました。
ERIKO 親や親友に拒絶されると、深い傷にもなるし、それによって心のシャッターを閉めてしまうことってあると思うんです。今、母は何かとAKINAのことを気にかけてくれるから、それに救われていますし、私たちは周囲の人に恵まれていると改めて感じます。
AKINA 私の親は拒絶はなかったけど、戸惑いはありました。子どもはどうするのとか先のことを心配して、「よく考えなさい」といった感じのスタート。でも、二人が幸せそうにしてる姿をみて、自分の娘が幸せだったらこれでいいのかもって思ってくれたようで、今は母が自ら自分の友達にERIKOのことを紹介してくれて、母だけじゃなく、母の親友までもERIKOのことが大好きです。
プロポーズをきっかけにカミングアウト
V 付き合って2年後にAKINAさんからプロポーズされたと。それはどんな感じだったのでしょうか?
AKINA ERIKOを喜ばせたいと思って、私はずっと準備してて。二人で一緒に海で拾ったシーグラスで指輪とイヤリングを、ジュエリーデザイナーの友人に作ってもらいました。そして付き合って2年記念の日に朝ベッドに呼んで、言う前に感極まっちゃって指輪を握りしめながら泣いちゃって。「これからも一緒にいてくれる?」と言って指輪を出しました。
ERIKO 最初、かわいいアンティークの巾着みたいなのが枕元に置いてあるのが見えて、ママからもらった何かを思い出して急に泣き始めたのかと思って心配していたら、まさかの指輪が出てきてすごく感動しました。今でも思い出すとほっこりします。
このプロポーズがきっかけとなり、私はすべての人に対してカミングアウトすることができました。これまでも“彼”という一人称は使ったことないし、“パートナー”や“相方”という言い方をしていたのですが、みんな勝手にそれが彼だと思って聞いていてなんだか嘘をついているみたいな気持ちで……。でもプロポーズの次の日から、今まで言えなかった仕事先の人などにも言えるようになり、皆が祝福してくれてめちゃくちゃ生きやすくなりました。どこかコソコソ生きていたんだと自覚しました。こうも変わるきっかけを作ってくれて本当に感謝です。
AKINA 私は最初から全員にオープンだから、ERIKOのような悩みはなくて。でもあのときを境に、お互いのことを誰かに紹介するときの他者との距離感を掴めてきた気がします。
ERIKO カミングアウトする前は「言う」「言わない」の二択で、言っていないと裏切っている感がどこかありました。例えば、たまたま会ったAKINAの知り合いに、AKINAから恋人として紹介してもらえないと少し気にしている自分がいましたが、いざカミングアウトしたら、“あえて”言わなくてもいいことも増え、全く気にならなくなりました。
同性カップルは入居できない? 家探しの困難
V 市のパートナーシップ制度を提出して変わったことはありますか
AKINA 2021年4月1日に私たちが住む市でもパートナーシップ制度が始まることがわかり、第1号になろう!と思ったら、1号になるには抽選があることがわかり、結局11号でした。もうすでに10組いたことが逆に嬉しかったです。
ERIKO 自分たちの中のひとつの形として提出したので、制度に期待したわけではないのですが、もしも婚姻の平等に準ずる権利が得られる選択肢があったら、それはそれで嬉しいなと思います。パートナーシップ制度があると、携帯の家族割が使えたり、市営住宅に申し込む権利があったりしますが、法律上相続できないですし、危篤な状態になったときに病院に入れてもらえない可能性はあります。
AKINA ERIKOはどういう制度があったらいいと思う?
ERIKO 一番は家探しの問題かな。よくある「二人入居可」という物件の条件は、結婚を前提としたカップルじゃないとダメなんです。古い慣習の名残で、旦那さんが一人でも家賃を払えるということ。もちろん、ルームシェア可の物件だったら大丈夫なのですが、そういった物件は少なくて。二人の関係性を話したら、「大家さんが近くに住んでいるので」という理由で断られたこともあります。
AKINA 申し込むところまで話が進んでいたのに、私たちの関係を伝えた瞬間、急に顔色を変えて対応が変わり……。引っ越し自体大変なことなのに、また断られるんじゃないかという不安にエネルギーを取られます。市はパートナーシップ制度を出しているけれど、本当に意味を成しているのか疑問に感じることもあります。
ERIKO 多様性が重視される時代だけど、そもそも世界は多様であるから、LGBTQ+とくくる必要がなくなることが目指すべき未来かと思います。
“家族”になっていくのを実感した中国への旅
V パートナーシップの中で、ポジティブな変化を実感した出来事はありましたか?
ERIKO 去年の10月にはじめてAKINAの故郷である上海に行ったこと。それは二人の関係をまた大きく変えてくれた旅行でした。私たちは中国人と日本人のカップルですが、私は日本のメディアを見て育ったので、正直なところ中国に対してのイメージがあまりいいものではなく、どこか自分と中国を切り離して考えていたので、自ら行こうと思ったことがあまりありませんでした。ずっと一緒にいること、相手の人生をひっくるめて大切に思っていることは確かなのに、なぜか行く必要はないと思っていて……。でも、いざ行ってみたら想像もしていなかった街が広がっていました。先進的で、洗練されていて、街に活気が溢れ、一見無愛想に見えても実は優しい人が非常に多かった印象です。誰かの情報を鵜呑みにして、否定的にジャッジしていた自分をすごく恥じた経験でもありました。自分の目で見て、体感して初めて中国のことが少しだけわかった気がしました。
AKINAのお母さんの仲の良い友達にも会えて、言葉は全くわからないけど、皆が楽しそうに笑っていて、とても温かい気持ちになれました。それはきっと、今のAKINAの一部を間違いなく作ってくれた人たちに会えた嬉しさからだと思います。また、亡くなったおじいちゃんと昔よく行ったという場所に実際に立ち、おじいちゃんと過ごした幼少期の思い出話をその地で聞いたとき、幼い頃のAKINAを想像して、ジーンときたこともありました。私たちの中にもっと深い繋がりができたと感じる旅でしたし、こうやって家族になっていくんだなと感じました。
AKINA 自分のすべてを受け入れてもらえるってすごいことなんだと実感したし、自分のアイデンティティをもっと大切にしたいと思う旅でした。自分のこれまでの人生を、パートナーであるERIKOに肯定してもらえたように感じて、そこからパートナーシップもどんどんいい方向に進んでいるように感じます。
ERIKO 元々リスペクトしていたし、AKINAの存在そのものに力をもらっていたけど、あの上海旅を境に、パートナーシップに対する意識が変わりました。自分のことも相手のことももっと大事にするようになったことで、これから先も“ずっと一緒に過ごしていく”ということに現実味が増した大きな一つのきっかけでした。
AKINA 今後、新しいビジョンもあり、私が中国に行く機会も増えそうですが、物理的にたとえ距離が離れても深いところで繋がっているところに安心感があります。こんな風に自分の可能性をもっと広げたいと強く思うようになったのも、自分の弱みだと思っているところを、強みとして捉えてくれるERIKOの存在が大きいです。
ERIKO 何をしてくれていても、何もしてくれなくても、AKINAの価値はなにひとつ変わらず、私はAKINAという人間そのものをただただ大切に思っています。私がダメなモードになったとしても、AKINAのハグでもう一回頑張ろうと思えるほど、AKINAの大きな愛に支えられている日々。大袈裟じゃなく、今世でこの人に出会えたことを誇りに思っています。
Photo: Courtesy of AKINA & ERIKO Text: Mina Oba Editor: Mayumi Numao