LIFESTYLE / CULTURE & LIFE

ビヨンセ、ビリー・アイリッシュ、セレーナ・ゴメス、トラヴィス・ケルシーの母が登場──スターを育てた母たちが語る子育て術

ティナ・ノウルズ、ドナ・ケルシー、マギー・ベアード、マンディ・ティーフェイ。世界を舞台に活躍するスターを育てた4人の偉大な母が語る子育て、スターダム、大志、そして次なる目標とは。

〈左上から時計回り順に〉ビヨンセの母、ティナ・ノウルズ、NFL選手のトラヴィス・ケルシー(テイラー・スウィフトの彼氏)の母ドナ・ケルシー、ビリー・アイリッシュの母、マギー・ベアード、セレーナ・ゴメスの母マンディ・ティーフェイ。

私が到着したとき、撮影現場では本日の主役たちが、思い思いに過ごしていた。セットの片隅に置かれたソファでは、ドナ・ケルシーが背中を丸めた姿勢でくつろいでいる。彼女はたった今、『Christmason Call(原題)』の撮影現場から到着したところだ。グリーティングカードメーカーのホールマークが製作する、アメリカでは2024年11月公開のこの映画で、彼女はスクリーンデビューを飾った。アメリカで最も有名なアメフト界のスター選手、ジェイソンとトラヴィスの兄弟の母であるドナは、パブリシストやスタイリスト、アシスタントをともなわず、たった一人でここにやってきたが、すぐになじんだ様子だ。

このあとの座談会で、息子のジェイソンとトラヴィスについて、「堂々と、自分らしさを貫いている」とドナが話しているのを聞いたときも、私は即座に、これは母であるドナから受け継いだ特質だと確信した。かつては銀行員として働き、2022年のスーパーボウルでは息子2人の直接対決を見守ったドナはこの日、初めての映画撮影のエピソードを披露して、スタッフを喜ばせていた──夏の暑さがピークの時期に、冬の格好で撮影するのが辛かったというのも、そのエピソードの一つだった。

そのころ、二脚で一組のメイクアップチェアでは、ビリー・アイリッシュフィニアス・オコネル兄妹の母、マギー・ベアードと、セレーナ・ゴメスとグレイシー・ティーフェイ姉妹の母、マンディ・ティーフェイが、おしゃべりに興じていた。二人は若々しく活気に満ちていて、その繊細かつ生き生きとした表情は、今や有名人になった娘たちと、驚くほどよく似ている。

そして、一流セレブの娘たちに匹敵するほど魅力的なのは、二人が醸し出す心の温かさ、そして世の中に貢献したいという固い決意だ。子どもたちの教育に専念するまでは俳優やミュージシャンとして活動していたマギーは、2022年に食糧問題や気候変動と闘う決意のもと、NPO「サポート+フィード」を立ち上げた。娘たちがすぐそばに住んでいるというマンディも、娘のセレーナがプロデュースするコスメブランド、レア・ビューティーの広告キャンペーンに登場したほか、Netflixのドラマシリーズ「13の理由」で母娘共演を果たし、メンタルヘルスに関するスタートアップ「ワンダーマインド」を共同で立ち上げている。

こうした活動を知れば、二人が出会ってすぐに意気投合したのも納得できる。それから数分後、ビヨンセとソランジュの母、ティナ・ノウルズが部屋に音もなく滑り込んできた。「滑り込んできた」というのは比喩ではない。ティナが部屋に飛び込んできたとき、本当に空中に浮かんでいたからだ。部屋に入るなり、彼女がヴィジュアル・ディレクターの髪を褒めると、私たち編集スタッフは、自分たちの仲間が神の祝福を受けたかのように狂喜乱舞した。ティナは、娘の一人であるビヨンセがプロデュースするヘアケアブランド、セクレドで副会長を務めている。そして実際に対面してみると、ファッションデザイナーや慈善事業家としても活動する彼女には、単なるパワーを超えたオーラを感じる──その場にいる者をすっかり魅了してしまう、特別な何かを放っているのだ。

だが今日、このそうそうたる4人の女性にお集まり願ったのは、そのたぐいまれなオーラを思い切り浴びるためでも、ジョークに大笑いするためでもない(確かにこの日一日は笑いが絶えなかったが)。俳優、アクティヴィスト、アスリート、大物実業家、時代を動かす変革者など、私たちが最大限の敬意を払う女性たちはみな、自分の成功の恩人として、共通する人物を挙げていた。

それはすなわち「母親」だ。どのインタビューやスピーチを見ても、それは明らかだった。私たちが崇めるアイコンやチャンピオンを育てたのは母親だ。私たちがこよなく愛するアーティストを、周囲からつまはじきにされても信じ続けたのも母親だ。ジェイソンとトラヴィスのケルシー兄弟に、フィールド上で自らの才能を信じるよう説き、ビリーとフィニアス兄妹を育て上げ、セレーナとグレイシーのために戦い、ビヨンセとソランジュに「限界など存在しない」と信じさせたのも、それぞれの母親だ。子どもたちの証言を聞けばわかる──この世界を動かしているのは、母親なのだ。

だが、母親たちに、その功績にふさわしい感謝の言葉が贈られることはめったにない。文字通り、人類の存続を一身に担っている存在でありながら、見下され、見過ごされ、なきものとして扱われ、無視されることもしばしばだ。今日ここに集まった、誰からも愛されるスターの母でさえ、そうした周縁に追いやられる体験をしている。

というわけで今回は母親にフォーカスを合わせることにした。大志や不屈の努力、そして愛に関して、彼女たちから教わることは山ほどある。何しろ、親として誰もが体験する瞬間と、スーパーボウルの試合、さらにはそのハーフタイム・ショーなど、あまりに現実離れした瞬間の両方を味わってきた人たちだ。さらにその間、スポーツ音楽、テレビ、ビューティーなど、多くの業界を代表する才能を育てあげている。彼女たちの偉業は、本誌が常に伝えてきたテーマとも相通じている──それは、世代を超えて受け継がれる、女性の力だ。

“うちの子どもたちもみんな人間なんだ、と知ってもらえたらと願っています”──マギー・ベアード(ビリー・アイリッシュ母)

フィニアス・オコネルとビリー・アイリッシュの母親、マギー・ベアード。女優として1981年から活躍している。2022年、COVID -19のパンデミックに世界が混乱する中、2人の子どもの協力のもと、食糧不安に苦しむ人々に植物由来の食事を提供することを目的としたNPO「サポート+フィード」を設立した。

──今日は世界で最も有名な子どもたちを育てた、アイコニックなお母さまが一堂に会する機会となりました。ではまず、順番に自己紹介をお願いします。

マギー・ベアード(以下・マギー) 私はマギー・ベアード。ビリー・アイリッシュ・オコネルとフィニアス・オコネルという、2人の子どもがいます。どちらもミュージシャンでソングライター、そして人間的にも、どこから見ても最高です。

ティナ・ノウルズ(以下・ティナ) 私はティナ・ノウルズ。3人の素晴らしい子どもの母です。ビヨンセ、ソランジュ、そしてもう一人の“娘”、ケリー・ローランドがいます(※デスティニーズ・チャイルドのメンバーのケリーは、子ども時代にノウルズ家で暮らした経験があり、ティナを「ママ・T」と呼んで敬愛している)。

マンディ・ティーフェイ(以下・マンディ) 私はマンディ・ティーフェイ。セレーナ・ゴメスとグレイシー・ティーフェイの母です。

ドナ・ケルシー(以下・ドナ) 私はドナ・ケルシー。ジェイソンとトラヴィスという、2人のアメリカンフットボール選手の母です。どちらも堂々と、自分らしさを貫く子どもたちです。

──では早速、メインテーマの母としての生き方についてうかがいます。母親になる前に想像していたイメージと、実感との違いについて教えていただけますか?

ドナ 母親としての生活は、人生で体験したどんなことよりも大変だったように思い母親という務めを得たことをとても名誉に感じていました。私が今まで負ってきたなかでも最高の務めですよ。

マギー 私は20代のときに自分の母を亡くしたのですが、ずっと母親になりたい気持ちがありました。でも、これほど深い愛情や喜びの感情が湧き起こることに、心の準備ができていたか? と言えば、そうではなかったように思います。自分が持つあらゆる創造的なスキル、才能、すべてが必要とされます。だからこそ、とても満足感を得られる務めですね。

マギーは、ビリーとフィニアスが制作した楽曲「Six Feet Under」(2016)のミュージックビデオの編集を担当したことも。Photo: Getty Images

──我が子が、自分の予想を大きく上回る人物になると悟った瞬間はありましたか?そのとき、「このことは母親の私にとって、どんな意味を持つんだろう?」と思いましたか?

マンディ 成り行きに従うしかありません。だってそうでしょう? 迫り来る問題をやりすごしながら、子どもが情熱をもって取り組んでいることをサポートするしかありません。そこはほかの親御さんとまったく同じで、自分にできるベストを尽くして、苦しいときも乗り切るだけです。

ドナ アメリカ中の子どもたちと比べて、我が子にどれだけ実力があるのかなんて、わからないですからね。自分が住んでいる地域で実績があっても、うちの子は違う、と気づくのは、いろいろな大会に出たり、地元の街以外の選手と対戦したりするようになってからです。親としては、子どもが好きでやっていることを何でもサポートし、心から楽しめるようにするべきだと思います。

──アメフトの大会に出始めたばかりのお子さんをフィールドのそばから見ていて、「この子たちは何か持っている!」と思ったことはありましたか?

ドナ あの子たちがアメフトを始めたのは中学1年のときです。それまではホッケーやラクロス、バスケと、いろいろなスポーツを体験しました。二人とも運動能力はとても高かったですが、大学から勧誘の手紙が来るまでは、実感はなかったですね。そういう手紙を見てようやく「そうか、この子たちは何か持ってるんだ」と思うようになりました。

“うちの子は、何よりも人として素晴らしい”──ティナ・ノウルズ(ビヨンセ母)

アメリカの実業家、ファッションデザイナー、慈善家として活動するティナ・ノウルズ。1980年、マシュー・ノウルズと結婚し、ビヨンセとソランジュ・ノウルズを授かった。2011年に離婚し、その後2013年頃から交際していた俳優のリチャード・ローソンと2015年に結婚するも、2023年に離婚している。

──さてティナ、あなたのおうちで、「娘たちは予想していたよりすごい道を歩もうとしている」と気づいた瞬間はありましたか?

ティナ はい。確かビヨンセが7歳だったときですが、ダンスの先生が、娘をスター発掘番組に連れて行ってくれました。ほかの参加者はかなり年上で、高校生の子もいました。私は不公平だと感じました。ビヨンセはまだ7歳だったんですからね! ダンスも、とてもシャイだった娘のためを思って始めたものです。それなのに、ステージに登場した娘は、完全にその場を支配していました。夫と私は「あれ、本当に私たちの娘かしら?」と思っていましたね。ステージから、自信がはっきりと伝わってきたからです。この日のステージのような姿は、私も初めて見ました。

──自信に満ち、瞬く間に成功を収める我が子の姿を見ていて、母親として、もう少し地に足をつけるように忠告したくなるときはありますか?

マギー 「ビリーがラジオシティ・ミュージックホールやマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立つのを見ていて、クラクラするんじゃない?」とはよく聞かれますね。そういうときは、「娘がハイランドパークのザ・ハイ・ハットのステージに立ったときから、クラクラしていますよ」と返しています(ザ・ハイ・ハットはLAに以前あった300席のライブハウス)。すべて相対的なもので、母としてはすべてに感じるところがあります。私たちは家族ですから、普段は至って普通の暮らしを送っています。世間からはいろいろ言われますけどね。10万人の人が見つめるステージに立つのは、1時間半ほどです。それ以外の時間は、家族と夕食のテーブルについたり、兄から心ない言葉を投げつけられたり、という生活です。華やかな面があっても普通にしていられるのは家族と過ごす生活があるからです。

ビヨンセと12歳の孫、ブルー・アイビーが、声優を務めた『ライオン・キング:ムファサ』のプレミアに、ジェイ・Zとともに駆けつけたティナ。

──今でもお子さんとはそういう、普通の生活を送る機会はありますか?名声に振り回される世界で、あきらめなければならないことはありますか?

ティナ ソランジュは、そもそもそういう世界に関わらないですね。普通に買い物にも行ってくれます。もちろん、ビヨンセの場合はそうはいかないので、そこは寂しく思いますね。一緒に食料品店に行ったり、子どもたちと出かけてカフェテリアで食事をしたりした、昔の暮らしが懐かしいです。今はもうショッピングモールには行けませんから。

マンディ こういう話になると、私はいつもディズニーランドに例えています。機械仕掛けなどが見える、舞台裏に回らないといけないので、もう表側のテーマパークを心から楽しむことができないという。それは残念ですね。以前はターゲット(アメリカの大手スーパー)に出かけて、買い物をしたり、他愛もないことを楽しんだりしたのですが、もう今はそういうことはできないので。

──マギー、ティナ、マンディのお子さんはみな、とても若くして名声をつかみましたよね。ドナの息子さん2人は、もう少し大きくなってからでしたが。

ドナ 息子たちの子ども時代のエピソードを話せば、「ほかの男の子と何も変わらないんだ」というのがわかってもらえると思います。何枚窓を壊したか、とか、近所から何回苦情が来たか、という。別に特に性格に問題があったとか、お行儀が悪かったとかいうわけではなかったんですよ。とてもやんちゃだったというだけで。ただ、子どもらしくいさせてあげたのがよかったと思います。息子たちもそのことに一番感謝していますし、そのおかげで、成長する足がかりが得られたと思います。

──今となってはできなくなった、息子さんたちとの懐かしい思い出はありますか?

ドナ 正直、もうどこにも一緒に行けないですからね。一緒に時間を過ごしたいなら、レストランや映画館を貸し切るしかありません。私は時々、人目を避けて出掛けていますけどね。そういうときは誰も息子たちのことを知らない場所に行きます。

──お子さんたちは多くのスタッフを抱えていますし、そうした人たちの生活を支えています。セレブを厳重にガードするスタッフの中に母親として割って入って、「正しいことはこっち。これは間違ってる。私の言うことを聞きなさい」と伝えるときに、苦労はありますか?

マギー 誰もが大事にしている価値観があります。それ自体は別に悪いことではありません。でも立場によって、大事に思うことは違います。母親であれば、それは我が子が幸せで健康で、満ち足りていて、世の中に貢献できるようであってほしい、ということです。

ティナ 最初のうちは、私は美容師として生計を立てていました。自分で稼いだお金があれば子どもたちに同行して、守れると思ったんです。毎日飛行機に乗って飛び回ることに憧れていたわけではないですよ。華やかな生活とはほど遠いですし。でも我が子を守るためにはやるしかなかった。この業界は若い子を食い物にしては捨てる、その繰り返しですから。だから私は、子どもの周囲に置くものは慎重に選ぼう、業界のメカニズムに食い物にされないようにしなければ、と固く心に決めていました。それが私のミッションになったんです。何しろ自分の子ですから。守りたいと思いましたし、子どもたちを守る存在が必要でした。本当ですよ。必要だったんです。

──駆け出しのころに、母として「この子を守らなければ」という気持ちが強烈にこみ上げたときはありましたか?

ティナ 毎日ですね。本当に毎日です。私はもとはおとなしい性格でしたが、我が子の話になれば、いつも真剣でした。

──ティナ、一番誇らしく思った瞬間は?

ティナ 誇らしく思えた瞬間は本当にたくさんあります。ありきたりに聞こえるかもしれませんが、本心を言いますね。アーティストとして、子どもたち自身が愛する活動をしてくれることは誇りに思います。でも、世界に良い影響を及ぼしたときも誇らしい気持ちになります。つい笑顔になってしまうんです。いわゆる大舞台は、何度か見ていると慣れてしまうところもあるのですが、今言ったような瞬間はまったく別物ですね。

娘たちに口を酸っぱくして言ってきたことが息づいているのを目の当たりにすると、これも誇らしいですね。「周りの人に親切にしなさい、自分のことばかりにかまけてはいけない」というようなことです。実際、「ちょっと、娘たちは自分のスーツケースは運べます」とスタッフに言ったり、娘にも「人の目を見てあいさつしなさい。ディーヴァになっちゃだめ。そういうことはここでは通らないから」と伝えたりしたことがありました。こういうことこそ、親として子どもに教えなくてはいけません。放っておいても覚えませんから。周りの誰もが何くれとなく面倒を見てくれますし、媚びてくる人だっていますからね。だから私は「だめ、だめ。あなた、一人じゃ何もできないわけじゃないでしょう?」と言ってきました。だから、周囲に人当たりよく接しているのを見ると一番誇りに思いますね。

“家族よりも仕事について話すことが増えてしまったなら、そこはブレーキを踏むべきタイミング”──マンディ・ティーフェイ(セレーナ・ゴメス母)

セレーナ・ゴメスと、11歳のグレイシー・ティーフェイの母親、マンディ・ティーフェイ。セレーナと『The Newsette』の創業者、ダニエラ・ピアソンとともに、メンタルウェルネスの会社「ワンダーマインド」を立ち上げ、メンタルヘルスについてオープンに話し合うことができるメディアを運営する。

──マンディ、あなたは以前、誰かがセレーナの傘を持ってあげようとしたときに、「この子には自分で傘を持たせてください」とお願いした、というエピソードを話していましたね。

マンディ 私のお気に入りのエピソードの一つなんです。あのときはセレーナがちょうど撮影用のトレーラーから出てくるところで、出入り口のところに傘があったんです。それで、スタッフが娘の代わりに傘を持ち、食事でも何でも運んでくれるのを見ていて、「娘は自分で傘を持てますよ」と言ったんです。自分の車に給油する方法だって身につけないといけません。まずは人として自立しないといけませんから。

──「少し休みをとらないといけない」とお子さんに告げたこともありますか?

ティナ 私の場合は、しょっちゅうです。私は常に闘っていますから。子どもたちは仕事が大好きで、創作活動に熱心です。それは素晴らしいことだとは思いますけど、仕事のプレッシャーやストレスを感じなくて済む時間も必要です。しょっちゅうそう言っているのですが、あまり響いていないみたいで。

──マンディ、あなたの場合、セレーナの仕事に関わったこともあれば、距離を置いていた時期もありますよね。そこはどのように判断しているんですか?

マンディ 筋が通っていると思えばやる、それだけだと思います。でも家族よりも仕事について話すことが増えてしまったなら、そこはブレーキを踏むべきタイミングです。娘と一緒に創作活動をしたり、ストーリーを語ったりするのは好きです。ただ、メンタルヘルスは、娘と私のどちらにとっても、とても大事なことです。それは一貫しています。そこがしっかりしていれば、家族の中で問題も生まれせんから。今は娘が会いに来たときも、仕事の話題は出しません。帰るときに「メールを送るから、余裕があるときに返信して」と伝えるだけです。

サウス・バイ・サウスウエストのイベントに親子で登壇したときの様子。メンタルヘルスに関するディスカッションに参加した。Photo: AP/Aflo

──マギー、あなたはお子さん2人をもうける前に、ハリウッドで活動していましたね。最近もドラマ「フレンズ」に出演していたときの映像が発掘されて、ネット上で拡散されました。ご自身はどう感じていたんですか?

マギー 笑っちゃいましたね! みんなの反応が、「そっか、ビリーってネポベイビー(2世セレブを揶揄した表現)だったんだ」という感じだったからです。「あのエピソードで私が役をゲットできたのは、もう少しで健康保険の加入資格を失うところだったからってご存じ?」って言ってやりたくなりましたよ(訳注:アメリカの映画俳優組合の健康保険には年収規定があり、俳優活動で一定以上の年収を得られないと資格を喪失する)。夫と私は“労働者階級の俳優”でした。収入が低いながらも何とか暮らしていましたが、そのぶん子どもたちと一緒に過ごす時間はたくさん取れたので、それは本当に良かったですね。

でもこの業界は基本的に、私たち夫婦のような暮らしをしている人か、それさえ難しい人が多いんですよね。だから、子どもたちがああいうふうになった時点では、“あちら側”についてはまったく経験がありませんでした。この業界のほとんどの人が“こちら側”の人たちだというのは、あまり知られていないと思います。創造性があり、熱心に仕事に励んでいて、生活は苦しいけれど、本当に楽しくて、充実感がある、そういう生活です。でもドアをくぐってあちら側に行くと、まったく違う暮らしが待っています。突然、まるで別の舞台に立たされるわけですから。

──メディアやInstagram、TikTokは来る日も来る日も、みなさんのお子さんを夢中になって追いかけています。もうコメントは読まないようにしていますか? それともあえて読むほうですか?

ドナ いやだわ。ああいうものには関わらないのが一番。近寄る気にもならないです。

ティナ 大部分は、うのみにしないように気をつけています。場合によりますね。ただし、孫たちについてひどい書き込みがあれば、言うべきことは言います。孫たちは未成年で、自分たちの意思でこうしたことに関わっているわけではありません。何度か苦言を呈して、自分の考えを知ってもらおうとしたことはあります。でも本当にたくさんのコメントが押し寄せてくるので、どこかで線引きをしないといけないですね。

──世間に知られていないことで、お子さんたちについて知ってもらいたいことはありますか?

ティナ うちの子は、何よりも人として素晴らしいんです。誰ともトラブルを起こすことはありません。誰かのことをとやかく言ったりせずに、自分のやるべきことに集中して務めを果たしています。それでもう十分です。こういう仕事に関わっていて一番大変なのは今言ったようなところなんです。自分にとっては我が子ですからね。やっぱり守ってあげたいと思ってしまいます。子どもたちには「お母さん、ひどいコメントに返事をしないで。無視すればいいんだから」と言われます。私もある程度だったら自重できるんですが、あまりにひどいときは、一言申し上げないと、と思います。言ってしまえば、それで終わりなんですけどね。

マギー 私は、うちの子どもたちもみんな人間なんだ、と知ってもらえたらと願っています。そこが一番大切なポイントなんです。今でもはっきりと覚えていますが、ビリーがブリット・アワードに出演したときとても落ち込んでいて、それもインターネットのせいだったんです……。地元の新聞に酷評されるのだって、不愉快ですよね。でもそれなら、何百万人もの人にあることないことをコメントされているわけではありません。私たちが親として向き合っている子どもたちはちょうど、そうした前例のない体験をしている世代なんです。

“母親は私が今まで負ってきたなかでも最高の務め”──ドナ・ケルシー(NFL選手ジェイソン&トラヴィス母)

NFL選手のジェイソンとトラヴィスの母親、ドナ・ケルシー。高校時代には陸上競技でジュニアオリンピックに出場した経験を持つ。MBA取得後、金融業界で30年にわたってキャリアを積み、慈善活動などにも積極的に参加してきた。2023年、2人の息子をスーパーボウルで対決させた初の母親としても話題となった。

──今日お集まりいただいた中にはお2人、おばあちゃんになられた方がいらっしゃいますね。孫が生まれたことで、母親としての思いに変化はありましたか?

ドナ 楽しいですよ! 我が子が自分の子どもに接している姿を見ているだけで心が弾みます。どんな親になるのかな、と見守っています。父親として子どもと触れ合っている息子を見ると「こんなに優しい子が、アメフトのフィールドではどうしてあんなに猛々しくなるんだろう?」と思いますね。トラヴィスはいい叔父さんですし、ジェイソンは最高の父親です。子育てに熱心で、親切で、優しいところが息子たちにあることを改めて知って、心が温まります。女の子に対しては、特にそうです。

──ティナ、あなたはどうですか?

ティナ 本当に、最高です。この座談会が終わったら、まっすぐに飛行機に乗り込んで、孫たちのところへ向かいます。私のほうが子どもになっちゃいますね。夏はハンプトンズで過ごしたんですが、毎日ブランコをこいで、泳いで、孫たちと楽しみました。子どもに返った気分になります。実の子どもほど「どんな子に育つかな?」とキリキリしないですしね。そういう意味での責任は、祖母の私にはないですから。自分の子どものときはやらなかったようなこともやりますよ。大人の神経を逆なでするような、やかましい音を立てるおもちゃを買ってあげるとか。とにかく孫は最高ですね。

──娘さんを見ていて、自分と似たタイプの母親だなと感じますか?

ティナ ええ、すごくそう思います。全員がそうですね。

スーパーボウルでの様子。トラヴィスのカンザスシティ・チーフスと、ジェイソンのフィラデルフィア・イーグルスのウェアを半分ずつつなげた特注ジャンパーで参戦した。Photo: AP/Aflo

──ちょっと前の話題に戻らせてください。マギー、あなたは“労働者階級の俳優”だった、と言っていましたよね。この席にはもう一人、デビューしたばかりの俳優がいます。ホールマークのクリスマス映画の撮影から、この座談会に直行してくれたドナです。撮影現場の雰囲気について話してもらえますか?

ドナ 一部始終をお話しするわけにはいかないんですけど、「本当に興味深かった」とだけは言えますね。この業界の人たちの働く姿を見て、学べるのが楽しかったです。私は新入りですからね。この仕事を始めたばかりです。それでも、みんな私がどういう人かを知っているので、そういう意味ではラッキーですね。今回のオファーが来た理由もわかっています。うちの子どもたちや、その知り合いのセレブたちのことを知っているから、私にも興味を持ったのでしょう。その点は、多少割り引いて考えるようにしています。でも撮影そのものは本当に楽しかったですよ。

──ポップカルチャーの世界で描かれた母親で、一番気に入っているものを挙げていただけますか? テレビ番組でも、映画でもけっこうです。

ドナ 私が一番好きなのはクレア・ハクスタブル(人気シットコム「コスビー・ショー」の一家の母親の役名)です。弁護士で、5人の子どもがいて、妻で、その役割を全部こなせる能力がある。自分もこういうふうになりたい、と憧れました。

マギー 今なら、『バービー』でアメリカ・フェレーラが演じた母親ですね。母親の生き方をあそこまで端的に表現したセリフって、今までなかったんじゃないですか?本当に大変な努力をしている、献身的な母親だとわかる場面でした。

──『バービー』のあのセリフですね……種明かしをすると、あのセリフは、この座談会記事のタイトル候補の一つだったんです。「私たち母親はじっと立ち止まったまま動かない。それは娘たちが振り返ったときに、自分がどこまで先に進んだかがわかるようにするため」という一節ですね。

マギー 私は『バービー』とは特に関係が深いんです。子どもたちが楽曲を書き下ろしていますからね。でも観ていて、ゲラゲラ笑う場面もありましたし、最高に楽しい経験でした。みんなの演技も素晴らしかったですし。でもあのセリフは──大事なのは親としての立場と個人の幸福追求のバランスですよね? 私たちの世代は「お母さんはここにいるから、あなたたちはここから先を目指して」と言うような母親にはなりたくないと思うんです。

2012年に、私は映画を自主制作しようと決めました。友人と共同で脚本を書き、制作資金はクラウドファンディングサービスのKickstarterで募りました。なぜそんなことをしたかというと、我が子に「あなたも主体的に世の中を動かすことができる」と、実際の行動で見せたかったからです。自分のアイデアに誰かが「イエス」と言ってくれるのを待つ必要はない。自力でやれるんだ、という。ただし、その後子どもたちに起きたことは、私の映画とは何の関係もありません。成功はすべて子どもたちの努力の成果ですから。それでもこの映画にはとても大切な意味があったと、今でも信じています。「子どもには自分を追い越してはるかに遠いところまで行ってほしい」と期待をかけつつも、親には親で自分の人生がある。そこが大事なポイントだと思うんです。親になったからといって、自分の人生が終わったわけじゃないし、新しいものも作れる。そこも同じくらい大切ですよ。

ドナ その通りですね。両方の面があるんだと思います。私はいくつかの州に支店を持つ、ある民間の銀行で働いていました。誰にも負けたくなくて、本当に、身を粉にして働きました。当時、家族では私が主に収入を得るために稼ぐ立場だったんです。

子どもたちに「女性にも何でもやりたいことができる」という姿を見せることはとても大事だと思います。でも私自身は、『バービー』に出てきた立ち止まっているタイプの母親ではありませんでした。夫と私は、結婚生活がうまくいっていないことに気づいていましたが、子どもたちのために一緒にいました。私たち夫婦は友人みたいな関係でしたね。だから友好的にもふるまえましたし、子どもたちができるだけ“普通の暮らし”ができるよう、心を砕きました。ただこの点だけで言えば、引っ越して別の家に住めるようになるまでの数年間は〝じっと立ち止まっていた〞時期でしたね。