CELEBRITY / VOICE

「一度死んで、生まれ変わったようだった」──スーパー・モデル、ジゼル・ブンチェンが語るすべて

トム・ブレイディとの別離、破綻した暗号通貨取引所FTXをめぐる騒動、スーパーモデルとしての自負、過去に抱えたトラウマから理想郷での子どもたちとの日々や叶えたい夢まで──新たなフェーズを生きるジゼル・ブンチェンが、過去と現在、未来、そのすべてを語り尽くす。

離婚で、「一度死んで、生まれ変わったようだった」

スーパーモデルとして名を馳せるジゼルは、コスタリカでのシンプルライフを満喫しながら、人生の次章に向けて完璧に準備を整えている。Photo: Lachlan Bailey

ジゼル・ブンチェンは魔女だとしても、きっと心優しき魔女だろう。

とある日の早朝、超有名なスーパーモデルであるジゼルは、スペイン語で「カシータ(小屋)」と呼ばれるあずまやにいた。コスタリカのニコヤ半島に建つ、メインの豪邸の陰にひっそりとたたずむこのカシータで、手の中には傷ついた一羽のコマドリを抱えている。家のテラスに置かれた白いソファにうずくまっているところを発見されたのだ。ジゼルは悲しげな表情で、この傷ついた鳥を、何のためらいもなくすくい上げ、ボロボロになっていたその爪に触れる。「あなた、大丈夫?」と、ジゼルは鳥に優しく話しかける。ふだんの少しハスキーなトーンとは少し違う、穏やかなささやき声だ。そしてエレガントな、ネイルをしていない人さし指で、鳥の小さな頭をなでる。これは「ちょっとしたレイキ」を送る行為だという。レイキとは、手で触れることで癒やしのエネルギーを伝える、ホリスティック療法の一つだ。自分の子どもたち、13歳のベンジャミン・レインと10歳のヴィヴィアン・レイクにも同じようにレイキを施すことがあるという。

彼女の手の中のコマドリは、ふんでまっさらなクッションを汚してしまったが、ジゼルはそれを気にも留めず、この鳥が心配で仕方がない様子だ(このときついたふんは、あとで自身で掃除していた)。家の管理人のヴィクターに連絡し、地元の動物保護区にコマドリを連れて行ってくれないかと頼むと、インセンスホルダーを即席の給水器にして、鳥のくちばしに水をぽたぽたと落とした。「こんな様子では死んでしまうんじゃないかと心配で」と彼女は言う。

彼女によれば、鳥やリス、チョウと心を通わせるのはよくあることなのだという。今、ジゼルはコスタリカの「自然のシンフォニー」に取り囲まれている。ここでは虫が鳴き、オウムが騒々しい声を上げ、この地域に住むホエザルの、まるでライオンのような雄叫びが響く。しかもこのカシータは、四方を取り囲む壁の一面を完全に開放できるつくりになっているので、虫や動物の声はいっそう身近に感じられる。彼女はここの豊かな自然について話し始める。

すると突然、コマドリが羽をばたつかせ、ジゼルの手から飛び立ち、はるか高く丘の上へと舞い上がっていった。私たちはあっけにとられた。これはケガをしていた足が奇跡的に回復したのか、ジゼルが本当は魔女なのか、どちらかということだろう。「愛の魔女かな」と彼女は自身の呼び名を提案する。

「吉兆ね!」と彼女は目を見開いて叫ぶ。私たちはコマドリの急回復について話し合い、そこに秘められた意味を探った。先ほどあの鳥がクッションに落としたふんにさえも意味があるように思えた。「“解放”されたかったのだと思う」とジゼルは笑う。だが傷ついた鳥が回復し、自由に空を飛ぶようになったというこのエピソードは、彼女自身の現在地と照らし合わせると、何かのメタファーであるように思えてならない。「制約は不要だから」と、2日間の自宅滞在中に交わした会話の中で、ジゼルは何度か告げた。「翼を広げて飛びたい」、とも。

オフタイムのジゼル・ブンチェンは、43歳になった今も、まるで神話の女神のようだ。その肌はノーメイクでも驚くほど美しく、ブロンズ色に輝いている。服装は栗色のバンドゥ・ビキニにハイウエストのカットオフ・ジーンズを合わせている。私の滞在中、彼女のトップスは常にクロップドトップかビキニだった。その姿には、見ているだけで怖じ気づいてしまうほどのオーラがあるが、ゴールデンレトリーバーを思わせる快活さがそれを幾分和らげている。

ジゼルはNFLの人気クォーターバック、トム・ブレイディとの長く実り多い結婚生活に終止符を打ち、新たな道へと踏み出した。道の先にあるのが栄光か、挫折かはわからないが、今は自分で道を選ぶことはできる。スーパーカップルとしてその名をとどろかせたジゼルとトムが正式に離婚したのは、2022年10月のことだった。だがそれまでには、2度目の引退宣言をしたトムの選手生活の終わりと二人の結婚の行く末を重ね合わせるような、心ない報道が相次いだ。22年2月に、トムは最初の引退を表明した。これはかなり前から予想されていたもので、妻のジゼルもこれには賛成していると伝えられていた。しかしそれから40日後、トムは引退を撤回する。所属先のタンパベイ・バッカニアーズが始動してからも、トムは「個人的な」問題に対処するため11日間にわたりキャンプを離脱した。その後二人は弁護士を雇い、注目を集めた短い協議期間を経て、離婚が正式発表された。二人はほぼ同じ文面の声明で、今後も親として友好的に子どもたちの養育にあたることを伝え、これまでともに過ごした時間に感謝を捧げた。23年2月、トムが再度引退を表明したときには、二人は婚姻関係を完全に解消していた。

二人の輝かしい結婚は、まるで完璧なプロムのようだった。夫婦としてMETガラに11回出席し、トムがスーパーボウルで勝利を収めるたびに、優勝を祝う大騒ぎの中で抱擁を交わす二人の姿があった。私が今訪れているこの家で、二人は09年に二度目の結婚式を催し、夕焼けの中でキスを交わした。サンタモニカで挙げた最初の式のあとには、トム自らディナーのステーキを焼いた。それだけに、二人の離別は、大きな衝撃とともに受け止められた。

過熱した報道にさらに油を注いだのは、パラソーシャル(メディアを通じてしか接触のない有名人に友人のような親近感を覚える感情)的な自己投影と、ジェンダーをめぐる議論がない交ぜになった次のような疑問だ──「ジゼルとトム」でさえ失敗するのなら、私たち一般人に結婚生活は維持できるのだろうか? キャリアの絶頂にある超一流の者同士は、結婚生活では共存できないのか? シスジェンダーでヘテロセクシュアルなパートナーシップでは、たとえどれだけ成功していても、女性の側が育児の多くを負担しなければならないのか? その一方で、これは単に、人の不幸を喜ぶ下世話な気持ちからの興味関心だった可能性もある。

コスタリカで私が滞在していたホテルに、オフロードカーに乗ったジゼルが迎えに来た時点で、離婚発表から2カ月半ほどの時間が経っていた。このときのジゼルはスポーツブラにショートパンツ、ビーチサンダルといういでたちだった。頭と顔にはリネンのスカーフを巻いていたが、これは顔バレを防ぐためではなく、未舗装の道を走行すると巻き上がる土ぼこり対策だ。ここコスタリカでジゼルは、地元の人からは同じ場所に住む仲間として扱われている。

13年間の結婚生活に終止符を打ってからわずか2カ月半しか経っていない時期でもあり、ジゼルがいまだに生々しい感情を抱えていることは明らかだった。「一度死んで、生まれ変わったようだった」と心境を語るジゼルは、母屋のリビングルームに脚を組んで座っている。空に手が届きそうな開放的な空間だ。ゲート付きのフェンスで囲まれたこの地所には、家屋のほかにピックルボールのコート、ヨガ用のスペース、そして鶏の飼育場が設けられている。鶏小屋では生ごみをリサイクルし、家族が卵をピックアップする。建物の眼下にはしゃれたプール、そして一面の海が広がる。

トムとの結婚生活、そして母としての日々で得たもの

Photo: Lachlan Bailey

離婚でパートナーを失う体験は、死にたとえられることも多い。ジゼルも「自分の夢の死」を弔っている最中だと話す。「本当につらい。『私の人生はこんなふうな道筋をたどるのだろう』と思い描き、全力を尽くして……」。ここまで話したところで、声が途切れた。私に謝ると、縁が赤くなり、うるんできた目もとに指先を当てる。さらに何度かヨガの深呼吸を試みたのち、話に戻った。「子どものころはおとぎ話を信じていました。自分がそれを信じていられたことはすばらしいことだったと思います。夢を叶えるためなら、人はどんなことだってする。自分のすべてを捧げるものです。だからこそ、望み通りにならず、努力が報われないと心が痛む。でも、人一人にできることには限りがありますから」

結婚生活を続けるためにジゼルが献身的に尽くしてきたことは、よく知られている。トムのパートナーだった時期の大半、世界で最もギャランティの高いモデルとして長くその名を誇ったジゼルは、自分よりも夫のキャリアを優先した。15年にはランウェイへの出演を取りやめ、その後は夫のチーム移籍に伴い、長く自宅のあったボストンを離れてフロリダに引っ越した。「タンパ(トムの移籍先だったバッカニアーズの本拠地)に引っ越すまで、この街には一度も行ったことがありませんでした」とジゼルは打ち明ける。「でも決まったからにはその街に行く。それが私の人生でしたから」

妻として、母としての生活に専念することは、当初はジゼルが完全に自分の意志で決めたものだった。「トムと出会ったとき、私は26歳で、家族を持ちたいと思っていました」と彼女は振り返る。13歳でサンパウロのショッピングモールで発掘されて以来、最も忙しい年には稼働日が年間350日に達するなど、ジゼルはこのときまで休みなしに働いていた。06年12月(レオナルド・ディカプリオとの破局から1年後)、ジゼルとトムは共通の友人であるエド・ラゼック氏から「ブラインド・デート」をセッティングされた。ラゼック氏は、ヴィクトリアズ・シークレットのCMO(最高マーケティング責任者)で、のちに多くの批判を集める「エンジェル」の仕掛け人としても知られている。ニューヨークのワインバー、タークス&フロッグスで、トムに目をやった瞬間に「この人だとわかった」と、ジゼルはかつて語っている。

熱烈な交際が始まった二人だったが、ことが公になる前日に、トムはジゼルに、彼女の前に交際していた女優のブリジット・モイナハンが妊娠中だという事実を告げた。一部の(あるいは大半の)女性なら、別れを告げていてもおかしくない状況だ。実際、ジゼルも別れを考えたという。「私たちすべてにとって難しい状況だった」と彼女は打ち明ける。結局、07年にトムとブリジットの間に息子のジャックが生まれると、ジゼルはこの子を自身にとっての「ボーナス・チャイルド(思いがけない贈り物のような子ども)」として慈しむようになる。

現在15歳になったジャックの誕生は、家族を持ちたいというジゼルとトムの思いを加速させるきっかけとなった。「ジャックがきて、幸福感で胸がいっぱいになりました。『自分も母親になりたい』という思いに目覚めるきっかけになったんです」とジゼルは言う。「美しくて小さな天使がやってきて、この子の世話をし、愛情を注ぐことになって。母親になることを夢見ていたから、その夢が実現したような感覚でした」。その後、09年にはベンジャミンが、12年にはヴィヴィアンが生まれる。ボストンの自宅で水中出産するという計画に、当初トムは反対したが、ジゼルのたっての希望でこの形が取られた。「私の世界は子どもたちがすべてでした。(子育ての)時間を持てたことを心からありがたいと思っています。二人には2歳近くまで母乳をあげていました。毎日学校に連れて行き、朝ご飯やランチを作り……ずっと一緒にいたんです」

一方で、ジゼルが「WAGS」(典型的なスポーツ選手の妻やガールフレンドの呼称)であったことなど一度もなかった。母親業最優先だった時期のことを、彼女は「ザ・ヴァレー(谷)」と的確に表現するが、その時期においても、パンテーンやディオール(DIOR)シャネル(CHANEL)をはじめとするブランドとの契約があった。結婚していた時期の大部分で、彼女のモデル業による収入はトムがNFLでのプレーで得ていた年俸を上回っていたと伝えられる(ちなみに、引退後にトムがFOXスポーツと解説者として契約した際のギャランティは3億7500万ドル=約530億円とも噂されている)。

副業的ビジネスへの挑戦として、トムとジゼルは、サム・バンクマン=フリードが立ち上げた暗号通貨取引所FTXの広告塔を務め、自らも数百万ドルを投資した。ジゼルはトムほど盛んに宣伝に関わっていたわけではないが、この取引所の環境および社会イニシアティブのトップという役割を担っていた。だが、FTXは22年11月に経営破綻した。「突然のことで驚きました。あの誇大広告をすっかり信じていたという意味で、私は他のみなさんと同じです」。法的な問題があるため、詳しいことは話せないというが、「金融アドバイザーからの話を真に受けて、FTXが真っ当ですばらしいビジネス」だと考えていたという。「これはとにかく……ひどい話です」と彼女は付け加えた。「こんなことになって、巻き込まれた人は気の毒だと感じています。今の私には、裁きが下されるよう祈ることしかできません」

これだけ多額の収入を得ているのにもかかわらず、結婚した際、ジゼルはモデルをしている自分のほうが、NFL選手であるトムと比べて融通が利くと判断した。多くの女性や母親と同様に、自分のことは多少わきに置いて、家庭を優先することにしたのだ。「トム、ジャック、そして生まれた子どもたちと、できる限りよい関係を築きたいと思っていました」と、18年に刊行された回顧録『Lessons: My Path to a Meaningful Life(教訓:意味ある人生に向かう私の道)』にジゼルは綴っている。「私は人の仲立ちが得意で、私が愛する人たちにとってすべてがより良く、スムーズで、調和が取れた環境を作るのが好きなのです」

「こんなに自分の体を愛した8カ月はなかった」

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家庭では母親役に専念してきたが、子どもたちが大きくなるにつれ、やりたいことに気づき始めたという。「私には夢があるんです。人生では、心から充実感を得られるものを見つけないといけない。そういう姿を子どもたちに見せたいと思って。本当の自分とは違う人生を生きるのではなくてね」。自らが夢を追求する姿を我が子に見せたいというのが、彼女の考えだ。

一方、夫のトムは超ベテラン扱いされるような年齢になっても、優勝チームメンバーの証しであるチャンピオンシップ・リングを獲得し続けていた。特にトムがニューイングランド・ペイトリオッツからタンパベイ・バッカニアーズに移籍した20年以降、夫婦の問題はエスカレートしていった。「妻はもうかなり長いこと家を守ってきた。彼女にもやりたいことがあると思う」と、21年10月、トムは自身のポッドキャスト「レッツ・ゴー!」で明かしていた。これとほぼ同時期に、チームメイトのロブ・グロンコウスキーと共演したYouTube動画でファンからの質問に答えた際に、「50歳になるまでプレーできると思いますか?」との質問に、二人は爆笑し、ロブはさらに「ジゼルがトムを50までプレーさせてくれるかな?」と冗談混じりに疑問を投げかけていた。

22年にジゼルとトムの結婚生活の破綻が公になると、メディアや一般の人たちはこぞって、離婚に至る過程とその理由について臆測した。「トムが引退を一度撤回したことで、結婚生活が暗礁に乗り上げたのだ」というのだ。だが結婚したカップルの関係というのは、一夜にして築き上げられるものでも、逆に壊れてしまうものでもないと、ジゼルは指摘する。「何年もの月日がかかるんです」

メディアの報道では、ジゼルを蚊帳の外に置かれた口うるさい妻として描くものが多く、「もしあなたがフットボール選手としてのキャリアを続けるのなら、結婚生活は続けられない」との最後通牒を突きつけたことが離婚の主因だという主張が目立った。だがジゼルによれば、これは事実に反するという。自身のこうした描かれ方に「とても傷ついた」と彼女は言い、こうした噂は「私が今まで聞いたどんな話よりも事実無根」だと断言した。「私は常に彼を応援してきたし、これからもずっとそうするつもりだった」と、ジゼルは語気を強める。その声からは強い感情がこもっている。「世界で一番幸せになってほしい人を一人選ぶとしたら、それは彼。彼には成果を挙げ、名声を得てほしいと願っています。すべての夢を叶えてほしい」

ジャック、ベンジャミン、ヴィヴィアンを伴い、ジゼルはトムが出場する試合ではいつも観客席に顔を見せていた。それでも、タブロイド紙は「私をアメフト嫌いのように描いた」と、彼女は離婚時の報道を批判する。「『これだけたくさん試合を見たのだからレフェリーにもなれるはず』と冗談を言っていたほど。アメフトは好きでした」

また、ジゼルの神秘主義の傾倒についても、陰謀論じみた話が拡散したことがあった。そのきかっけは19年、トムが試合前に祈りを捧げるための祭壇をジゼルがつくり、特別な「ヒーリング効果のある石」をプレゼントしたことを、彼がうっかり漏らしたことだった。彼女がホメオパシーの発想に基づくフローラルバスをトムのために作り、彼にオニキスを渡したのは事実だ。フローラルバスは「悩んでいるときの彼は、感情が激しく揺れ動くことがあるので、心を落ち着かせるのに役に立てばと思って」のことだったという。さらに「お守りとして」オニキスを渡したほか、障害を取り除いてくれるというゾウの姿をしたヒンズー教の神、ガネーシャの像もプレゼントしたという。

離婚に関して書かれた記事で、事実に基づいていないと思ったものは? と尋ねると、彼女は「すべて」だと断じた。「話題になっているのは、かなり大きなジグソーパズルの、たった一つのピースなんです」と、ジゼルは語る。「簡単に割り切れる話ではないのに……」。ジゼルはまた、ネット上でひそかに広がっている噂も否定した。それは政治、より具体的には「MAGA」(ドナルド・トランプのキャッチフレーズである“Make America Great Again”の頭文字)のロゴが入った帽子が、15年にトムのロッカーから見つかり、これが夫婦の間に亀裂が入る要因となったというものだ。「決してそんなことはありません」と彼女は断言した。これはジゼルに限った話ではなく、13年間に及ぶ結婚生活の崩壊のいきさつを、私のようなあまり面識のない相手に対して、ココナツ・ウォーターを飲みながら数時間で手短に説明できるかと言えば、それは誰でも無理なように思う。

トムの引退とその撤回をめぐる騒動が起きる前から、トムとの間には徐々にすれ違いが生じていた。「時に人は、ともにいることで成長しますが、離ればなれになることで成長することもある」と彼女は語る。「私が26歳だったとき、彼は29歳でした。私たちは出会い、家族をもうけたいと願い、なんでも一緒にやりたいと思っていました。時間が経つにつれ、自分たちが相手とは別のものを求めていることを悟り、ここで一つ選択を迫られました。それでも、相手を愛していないということにはなりません。自分が自分らしくあり、真に自分が生きたい人生を生きるのなら、どこかで折り合える人が必要です。人間関係はダンス。バランスが肝心なんです」

ジゼルが本当に叶えたい夢は、「自分の延長線上にあること」

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「誰かを愛したら、牢獄に閉じ込めて『この人生を生きなさい』と命じることはしない。自由に、ありのままに生きられるようにしてあげるはずです。その上で、もし自分と相手の飛んでいきたいと思う方向が一緒であるならば、それはすばらしいことだけれど」

ジゼルが送りたい生活──コスタリカでは「ラ・プラ・ヴィーダ」と呼ばれる、シンプルで純粋な人生──を手に入れるためには、コスタリカに完全に移り住むのが理想だろう。「私の夢は、子どもたちをここで育てることでした」と、インタビューでジゼルは語っていた。「今までは好きなだけこちらに来ることはできなかったですが、これからはもっと連れてくることができます」(ジゼルの実子2人は、どちらも一部ホームスクールで学んでいる)。

ジゼルには、地元の友人や近所の人たちからなる「村」がある。金曜の夜には、彼女の家のアウトドアオーブンでグルテンフリーのピザを焼き、さらにたき火を囲み、小枝を持って、さまざまな話をする。最近のこの会のトピックは「勇気」だった。ジゼルは息子のベンジャミン(“ベニー”の愛称で呼ばれる)とピックルボールをプレーし、1日おきに、ピンタとアルカンツィア(スペイン語で“貯金箱”の意)といった名前の馬に乗り、娘のヴィヴィとともに田園地帯を散策する。今日の午後は私も母娘に同行し、ビーチに向かった。ゆっくりと濁流の中を進み、からみ合うヤシの葉の下を抜け、ヴィヴィが海岸沿いをギャロップで駆け抜けられるよう、沈もうとしている太陽と追いかけっこをするように馬を操った。「もうほかの街に行くことがなければ、ここで文句なく幸せでいられるでしょうね」とジゼルは言う。

ジゼルは今、山中にソーラーパワーを用いた小さな家を建てている。カシータと呼ばれるこの小屋の周囲で、自分が食べる食物すべてを栽培したいと考えているのだ。その近くにウェルネス・センターを開設することも検討しているという。以前にジュースクレンズやサイレント瞑想を愛する家族に勧めたことに通じる発想だ。「今は自分の延長線上にあるように思えることをやりたいんです」と言い、さらにこう告白した。「モデルの仕事は、本当の意味で私の延長線上とは言えない……サイレント映画の女優のようなものだから」。自身の人生の現在地についてはこう語る。「誰かほかの人の映画の登場人物にはなりたくない」 今後は、この現代的な家族の「主な拠点」は、マイアミになるようだ。ジゼルはマイアミ近郊のサーフサイドで、海岸沿いに建つ家を見つけた(検討を重ねながら、改築を進めたという)。ここなら、子どもたちの父親であるトムが住む、インディアン・クリークにある1700万ドル(約24億円)の豪邸にもほど近い。「マイアミは私にとっても都合がいい。ブラジルへの直行便があって、文字通りひとっ飛びだから」と彼女は言う。生まれ故郷のブラジルには、両親と、ジゼルと双子のパトリシアを含めた5人の姉妹が今でも住んでいる。「これからはもっとブラジルに足を運ぶでしょう」と言うジゼルは、自らのルーツを身近に感じてほしいと、ベニーやヴィヴィにもポルトガル語で頻繁に話しかけている。

年間にわたり、ジャックの実母であるモイナハンとともに彼を育ててきた経験は、トムとの親権をめぐる交渉や、ジャックを含めた3人の子どもと接する時間の確保に役立っているようだ。「ブリジットについて言えば、そう、彼女とはすばらしい関係を築いていますけれど……」と言ったところで一度黙り込むと、きっぱりとこう告げた。「人生では、あらゆることに努力が必要です。ジェットコースターのような感情の上がり下がりを経験することも覚悟しないと。難しい状況からなんとか抜け出さないといけなくなることだってあります」

「争ってまで手に入れる価値のあるものなど何もない」

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本当に、モイナハンと常に「すばらしい関係を築いていた」のだろうか? この表現に疑問を感じるというニュアンスをこめて、私がそう尋ねると、ジゼルは「いいえ!」と本音を漏らした。ジャックが生まれたあとも、二人は1年以上も顔を合わせなかったが、最終的には、モイナハンが家を構えるニューヨークの公園で、彼女とジゼルとトムの3人が親しげに話をするまでになった。ジャックとその実母に接してきた体験を「愛はすべてを乗り越えます」と、ジゼルは表現する。「この経験から必然的に多くのことを学んだおかげで、私の人生はずっと豊かになりました」。彼女が得た一番の教訓は「争ってまで手に入れる価値のあるものなど何もない」ということだ。

モイナハンとの関係では「私の目標は常に、『どうしたら私が一番役に立てる? 可能な限り問題のない状況にするために何ができる?』ということでした」と、ジゼルは考察する。「彼女の立場に身を置いて、『どうやって彼女をサポートしたらいい?』と考えていました。結局のところ、『(ジャックが)最高の生活を送れるようにするために、私たち大人は何をすべきか?』という視点に立てば、私たちはみなチームの一員だったからです」

そのため、ジゼルはタブロイド紙から漏れ伝わる情報に動揺を隠せないときでも、夫の元彼女であるモイナハンと友好的な関係を維持すべく努力した。「私と彼女は敵ではありません。チームなんです」と彼女は強調する。「そこが素敵なところです。今振り返っても何の後悔もありません。何もかも気に入っています」。実際、ジゼルと息子と娘は、結果的に現役最後となった試合に至るまで、ずっとトムを応援し続けた。それは、私がインタビューする数日前に終わった、NFCプレーオフのワイルドカード・ラウンドだった。彼の所属するバッカニアーズは、ダラス・カウボーイズに惨敗し、トム個人にとっても、ポストシーズンではキャリア最低レベルのパフォーマンスだった。だがこの件について、ジゼルは傷口に塩を塗るようなことはしなかった。「つらい試合でしたけど、わかるでしょう? 現実を見ましょう。アメフトはチームスポーツで、一人ではプレーできないんです。あの状況で、彼は本当によくやったと思います。だって(トムのポジションであるクオーターバックを守る)オフェンスラインが不在だったんですから」

子どもたちはすくすくと育ち、ジャックは今でも彼女の「ボーナス・チャイルド」であり続けている。ジゼルが「とても愛しています」と語るジャックは「クォーターバックする」(この家族に実にふさわしい動詞だ)道を選び、父親の母校であるミシガン大学に進学したいと考えている。一方、私たちのインタビューの間、友達とくつろいだり数学のテストに備えて勉強したりしていたベニーは、iPadで絵を描いたり、サーフィンやスキーのような球技以外のスポーツをしたりするのが好きだという(ただし“トム・ブレイディの息子”であることから、運動はできて当然とのプレッシャーは大きく、ボストンではある野球の試合の後にこれがいじめへとエスカレートしたこともあった)。絞り染めの服を着たヴィヴィは馬術選手を目指している。ジゼルと驚くほどよく似ていて、母のiPhoneのFace IDをアンロックできるほどだ。

そしてジゼル、ベニー、ヴィヴィの親子3人が夢中になっているのがブラジリアン柔術だ。ジゼルによれば、「ジャックも好きなんですけど、私たちと一緒に過ごす時間があまりないので、それほど長くやっているわけではないんです」とのことだ。マイアミに拠点を置くブラジル人のペドロ、ギー、ホアキムのヴァレンテ3兄弟のもとで、3人は稽古を積んでいる。柔術に熱中するあまり、家には柔術の稽古場が設けられ、3兄弟が家族に同行して4〜5日間を一緒に過ごすほどだ。「彼らは“先生”なんです」と、ジゼルは3兄弟の心技体や意識の高さを褒めたたえる。ジャックとベニーが10代になったところで、ジゼルは「師匠たちのようなレベルの心の清さを持った人間に育てるには何ができるだろう? 価値観を教えられるだろうか?」と考えたという。ボストンで過ごした7年間に、ジゼル(トムから「ジゼ・リー」と呼ばれるほどのブルース・リーの信奉者だ)はカンフーを習い、剣とこん棒を使った戦闘術を習得し、妊娠9カ月になっても練習に励むほど熱中した。

ジゼルと子どもたちはヴァレンテ兄弟の柔術アカデミーに安息の場を見つけた。「すばらしい人たちです。このような安心できる場所を作ってくれたのですから」と彼女は3人を高く評価する。ジゼルいわく、最年長のペドロは「哲学者」でギーは「落ち着きがあり穏やか」だという。そして、ジゼル母子を指導しているのが一番下のホアキムだ。コスタリカの自宅近くのレストラン「コージーズ」で、ジゼルや子どもたちとディナーをともにしている姿や、ジゼルと1組のエアポッズをシェアしながらジョギングしている姿、彼女や子どもたちの一団と一緒に乗馬に出かけた姿などが写真に撮られている。ジゼルが昨年インスタグラムのリールに投稿した、再生回数が900万回を超えている動画では、白い道着に身を包んだジゼルが、柔術の名のもとにヴァレンテ兄弟の一人を投げ飛ばし、ヘッドロックをかけ、思いのままに操っている様子が捉えられていた。ジゼルにはホアキムと交際しているとの噂があるが、彼女はこれをあっさりと否定した。「離婚したことで、私を誰かとくっつけたがっているということなんだと思います。彼は私たち親子の先生ですし、何よりも大事なことですが、私が尊敬し、信頼する人なんです。子どもたちのそばに、あのようなエネルギーを発する人がいてくれるのは本当にありがたいです」

「心乱されることなく子どもたちを育てたい、それだけ」

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私がこのインタビューを行ったコスタリカを去ってから数週間後、デイリー・メール紙が「独自スクープ」として、新たな交際の噂を伝えた。お相手とされたのは、不動産王のジェフリー・ソファーだ。ソファーはトムの友人で、トムと同様にインディアン・クリークに住んでいる(そしてエル・マクファーソンの元夫でもある)。この記事がちょうどインターネットで拡散したタイミングで、ジゼルに電話をかけたところ、彼女は打ちひしがれていた。ソファーとは「いかなる関係も持っていない」と断言し、さらにこの半年はまともに顔を見たことさえないと付け加えた。「彼はトムの友人ですが、私の友人ではありません」。私もジゼルに、これほど元夫のトムと近しい相手と付き合うだろうかと、この報道を疑問に思っていたと伝えると、「私は彼の友人とは付き合いません。この男性とも付き合う気はない」とのことだった。彼女が特に憤慨しているのは、55歳のビリオネアであるソファーと、打算で付き合っているというニュアンスが報道に感じられた点だ。「これってつまり、年上の男性と私が付き合っていて、それは相手が金持ちだからだ、という話ですよね。まったくあり得ません」。そしてこう続けた。「自分についてひっきりなしにウソの話がでっち上げられているのを目の当たりにしたら、とても心穏やかではいられなくなります。私はシンプルなタイプで、自然の中で過ごしたい、放っておいて、というタイプです。今だって自分の仕事をして、心乱されることなく子どもたちを育てたい、それだけです」

コスタリカの自宅での彼女は、まさにこの言葉通りの暮らしを送っている。開け放たれたリビングで、ジゼルとヴィヴィは私の求めに応じ、護身術のミニレッスンを披露してくれた。もし相手が正面から襲ってきたら「片足を持ち上げてかかとで蹴るんです」と、ヴィヴィは重々しく説明し、暴漢のひざを正確に狙うしぐさを見せた。 ジゼルも「バン!」という掛け声とともに、スローモーションで護身術のデモンストレーションを見せてくれる。「若い女の子が、大柄な男性を3発のキックで倒した、とホアキムが教えてくれました」とヴィヴィが付け加える。

母娘のコンビによるデモンストレーションは、どんどん熱くなっていく。「ヴィヴィ、私があなたを羽交い締めにしようとしたらどうする?」とジゼルが叫び、娘を後ろから強引に抱えようとする。「そんなことしたらこうよ!」とヴィヴィは応じ、前方に体を突き出して、母親の両足首をつかむ。そのしなやかな脚と、指の長い足は母譲りだ。こうして母親の体のバランスを崩し、床に仰向けに転がして見せる。それを見た私は、ヴィヴィなら大人の男性も転がすことができるだろうと確信した。さらにジゼルは、手のひらの付け根部分を打ち付けることで、相手の鼻の骨を折ることもできると教えてくれたが、大事なのはこの技を使わざるを得ない状況に陥らないようにすることだという。「ホアキムは何て言っているの?」と彼女はヴィヴィに問いかけ、自らこう答えた。「争いごとに首を突っ込むな、だったよね」。この様子を見た私が、柔術は女性に大きな力を授ける術のように思えると告げると、ジゼルも「驚くほどですよ」と応じた。

翌朝5時半、シェルターから引き取った6匹の愛犬のうちの2匹とジゼルは、自宅近くのビーチで、私のほうに歩み寄ってきた。その光景はまるで、映画の中のあの世を見ているようだった。「天国か地獄、そのどちらかみたいですね」と言うと、ジゼルはこう応じた。「どちらを生きるかは、往々にしてその人次第なんですよ」

日課となっているこの散歩で、ジゼルは子どもたちが目覚める前の時間を使って英気を養っている。4時半には携帯電話に設定した、フルートの音のような「ZEN」という名のアラーム音で目を覚まし、瞑想をし、いくつかのヨガのアーサナをとりながら、21分間にわたりデーヴィー(ヒンズー教の母なる女神)に祈りを捧げる。「毎日、昇る太陽を出迎え、沈む太陽に別れを告げるのを習慣にしたいと思っているんです」

ジゼルが次にやりたいことのリストには、実にたくさんの事柄が載っている。「笑えるものを一つ教えますね」と彼女は私に言う。「私の夢の一つは、スーパーヒーローを演じることなんです」

実は私も、「ジゼル2.0」フェーズに入った今の彼女が、演技の道に進む気があるのか、尋ねるつもりでいた。『プラダを着た悪魔』では、記憶に残るカメオ出演も果たしていたことを引き合いに出すと、彼女はこう応じた。「想像してみて……私が撮影現場にいたのは、2時間ほどだったけれど、あのシーンで私が共演を果たしたのは誰だったか。メリル・ストリープエミリー・ブラント、それから、アン・ハサウェイですよ!」──だが今は、本格的に俳優の道を選ぶつもりはないと、ジゼルは断言し、「私はスーパーヒーローを演じたいだけ」と、独特のハスキーな笑い声をあげた。彼女がこう思うに至ったきっかけは、息子と娘と一緒に『ワンダーウーマン』を観たことだった。「女性があれほど強くなれると、私は身をもって証明できるかなと考えたら、できるかもと思って。ファッションの世界では、『君はスポーティ・スパイスだね』とからかわれていました。撮影現場でいつも、何かにぶら下がったり、ジャンプをしたりしていたから」。隠れた動機もある。「正直、娘に『お母さんってクールだな』と思われたいんです」

子どもたちは、今のところはまだ母親の偉大なレガシーに気づいていない。地元のブラジルでは「街を歩いていると誰もが私に気づいて呼び止めるのですが、子どもたちは『なぜみんなお母さんを呼び止めるの?』と聞いてきます」。子どもたちには、昔の雑誌の表紙を見せることもあるという。

そしてモデルとしての最新のプロジェクトが、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)の広告キャンペーンだ。現代美術家の草間彌生とコラボした新しいカプセル・コレクションで、トップレスにジーンズという姿の写真を撮影したのは、これまでも彼女とよくコンビを組んできたスティーヴン・マイゼルだ。共演者にも新旧のスターが勢揃いし、クリスティ・ターリントンリヤ・ケベデデヴォン青木ベラ・ハディッドカーリー・クロスなどが名を連ねている。だが彼女は、キャットウォークを賑わす、今をときめくイットガール、つまりケンダルやヘイリーについてはよく知らないと打ち明ける。「何しろ私は13年間、ボストンに住んでいましたから」と、彼女はその理由を挙げる。モデル業への本格復帰により、さらに多くの「ビッグなファッション・モーメント」が今後訪れると、長く彼女のエージェントを務めるアン・ネルソンは意味深にほのめかす。アンによれば、ジゼルは自身のミニマリスティックな美意識を反映した、アクティブウェアのライン立ち上げを検討中で、「パリのショーに出演してほしいという大量のオファー」も受けたという。「ひょっとして、気持ちが変わるかもしれない、という期待から依頼してくるのです」とのことだ(ジゼル自身は「絶対ないとは言いません。人生で唯一、確実なのは“変わり続けること”ですから」というスタンスだ)。

意図的に活動をスローダウンした時期を経た今となっても、ジゼルのトップモデルとしいうステータスに変化はない。最近も、ある裁縫師からボディサイズがマネキンとまったく同じだと言われたという。かつてと比べると「年齢に関しては許容度が大幅にアップしています」とアンも指摘し、58歳のクリステン・マクメナミー、53歳のナオミ・キャンベル、49歳のケイト・モスがいまだに第一線で活躍している点に触れた。「こうしたアイコニックなモデルたちは、究極のミューズとして崇められています。年齢などまったく問題ではありません」

ファッション界で生き抜く中で経験したトラウマの数々

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その人生の大半をファッション界で過ごしてきたジゼルだが、この業界に入って間もないころの記憶は、今ではトラウマと化している。銀行の窓口で働いていた母ヴァーニアと、不動産業界から転身して社会学者になった父ヴァウディールの間に生まれたジゼルは、ブラジル南部オリゾンティナの勤勉な中流家庭という環境で育った。人形が欲しくても、誕生日にプレゼントされるまで我慢するしかない家だった。「娘たちはみんな、祖母の家に行くときは舗装されていない道を裸足で歩き、飼っている鶏と遊んでいたそうです」と、アンは私に教えてくれた。これはスーパーモデルとなった彼女が今、自分の子どもたちのためにコスタリカで再現しようとしている環境だ。

メールインタビューに応じた双子の姉妹のパトリシアは「どんどん細く、背が高くなるにつれて、生まれ育った小さな町はジゼ(ル)にとってあまり快適な場所ではなくなっていった」という。「ジゼは、自分は場違いだと感じていました。そこにモデルにならないかという、絶好のチャンスがやってきたのです」

14歳にしてすでに175cmあったジゼルは、高校に進学せず、東京に向かい、カタログモデルの仕事をする道を選んだ。このとき、ほかに5人の娘がいた母のヴァーニアは同行できなかった。「信じられないほど怖いもの知らずでした」と、パトリシアはジゼルを評する。「14歳で単身、英語も話せないのに家を出るなんて」

ジゼルも今、13歳の子どもの母親として振り返ると、自分はまだ未熟な状態で大人の世界に放り込まれたと感じると語る。「13歳のときはバービー人形で遊んでいたのに、14歳になると、私は日本にいました」。生活力に関しては問題はなかったが(7歳のときから家の手伝いで料理や掃除をしていた)、「この世界でひとりぼっち」だと感じていたという。10代のころ、彼女はニューヨークにある悪名高い「モデルアパートメント」で暮らし、コカインやヘロインを乱用するのが当たり前という環境に身を置いていた。「『死なずに済めば、すべては自分を強くする体験になる』と実感するようなことを見てきました。私の守護天使はすごく強力なんです」と彼女は言う。

ブレイクのきっかけは18歳だった1998年にやってきた。アレキサンダー・マックイーン(ALEXANDER McQUEEN)の春夏コレクションで、素肌に白のクロップドトップをペイントした姿でウォーキングを披露した。ランウェイに降り注ぐ“雨”でペイントが溶け、彼女はほぼトップレスと言っていい姿だった。こうして「ザ・ボディ」とも呼ばれる彼女の身体は、ウェイフ的な「ヘロイン・シック」が理想とされる時代を終わらせ、女性の肉体美を賛美する時代の幕開けを告げた。だが時代の転機となったこのショーは、彼女自身の人生の中でも最悪レベルのトラウマを残した。デザイナーのマックイーンは当初、ペインティングは使わず、完全にトップレスでジゼルにランウェイを歩かせるつもりだった。そして、当時ほとんど英語を話せなかったジゼルは、自分の身を守るために戦うこともできなかった。

彼女はあからさまな表現は避けつつも、この業界の暗部に言及する。「私が目にし、(カトリックの)信仰があったゆえに何とか逃れることができた状況は……」と、彼女の声は小さくなっていく。肥大したエゴを持つファッション界の大物から受けた非人間的な扱いを、彼女は回想する(具体的な名前は挙げなかった)。面と向かって投げつけられた、とても口にできないような言葉、「感情のない……モノであるかのように」扱われた体験を彼女は今でも覚えている。「そんな中を生き抜かなければならなかった……」と言う彼女の声は震え、目には再び涙が浮かんでいる。「感情が抑えられなくなるんです。思い出すと、当時と同じ目に遭っているように感じて」。涙が浮かぶときに何を思い出しているのかと尋ねると、彼女はシンプルに「どれだけつらかったか、ということ」とだけ答えた。それでも、「手ぶらで家に帰りたくなかった」と彼女は当時を振り返る。「両親は私を信頼してくれていました。私ならできる、というところを二人に見せたかったのです」

20代はじめにパニック発作を発症すると、ジゼルはヨガや瞑想に救いを求め、コスタリカに頻繁に足を運んだ。「本能的に『自分はこんなことでつぶされる人間じゃない』と思っていました。『あの人たちが8時間も裸で立ちっぱなしのままの私を放置して、水も食料もくれないのはなぜ?』と思いながら、何もせずに震えているタイプではなかった」とジゼルは言う。「あの状況では自分は何の価値もない人間だと思い詰めていてもおかしくなかったけれど」

双子の姉妹のパトリシアによれば、ジゼルはこのとき、自身の家族の価値観や、質素な生い立ちを心のよりどころにしていたという。「きらびやかな世界に目がくらむことは決してありませんでした」と、パトリシアは振り返る。

ジゼルはモデルの仕事を極めるという自らのポリシーを貫いた。「選択次第では、ドラッグに溺れ、パーティー三昧する道を選ぶこともできました。吸血鬼に生き血を吸われ、利用されていたかもしれません。でも私は生き延びました。壊されることはなかったんです」

ここまで話したところで、ビーチに日が昇ってきた。ということは、ジゼルの日課の、昇る太陽を見ながらの瞑想の時間だ。彼女は目を閉じ、あごを上に突き出し、深く息を吸って、太陽光線の熱を、誰もが知るその顔に受けるのだった。「ここで一つ質問。あなたはトイレに行くのを我慢しがちなタイプ? そんなことはない?」シュールな光景だが、ジゼルがこの質問をしたのは、私の胃腸の状態を確かめるためだ。ビーチの散歩と、日の出の太陽礼拝という朝の日課をこなしたあと、彼女はいつも、家族全員に朝のスムージーを作る。そこに入れる材料が、私の体調によって変わってくるということなのだ。「バナナを入れるとお通じが整い、パパイヤは柔らかくしてくれる」と、彼女はキッチンでバイタミックスとチャンピオンジューザーの間を往復しながら説明したかと思うと、外の吠える声に注意を促す。「サルの声が聞こえる?」

「自分の力を誰かに委ねてはだめ。これは自分の人生だから」

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この家がある敷地の丘の斜面で採れるフルーツや野菜は、ジゼルにとって自慢の品々だ。今後出版予定の料理本では、こうした農産物を使ったレシピも披露するという。「本当にシンプルなレシピにしようと思っています」と彼女は言う。キッチンカウンターにあふれんばかりに載せられている収穫物は、小さなバナナ”や細いバナナ、そしてクアドラードスと呼ばれる、太くて短い地元のバナナ、2種類のケール(柔らかいタイプとシャキシャキしているタイプ)、ユッカの葉(「ユッカチップを作ります」)、グリーンペッパー(「昨日ちょうど、オリーブオイルと塩で漬け込んだところです」)、そしてピタンガだ。「ピタンガを食べたことはある?」とジゼルは言い、チェリーのような見た目のこの木の実を私に差し出した。キッチンは大賑わいだ。子どもたちのために作ったスムージーを注ぐジゼルに加え、ジョーダン(子どもたちの家庭教師の一人)、ジョーダンの“レディー”、「ラス・チカス」(スペイン語で「女の子たち」の意、キッチンで食事を作る役割の女性二人)と私がひしめき合っている。ジゼルが母屋であるこの家を建てたのは、大人数のゲスト、主にブラジルから来る自身の大家族をもてなすためだった。だが、前述のカシータは、自身の「聖域」だと説明してくれた。

建物の壁には明るい木目の板が使われ、クリーンなしつらえで、バナナとパパイヤの木に挟まれている。戸外には冷水プールと、1人用のバスタブが、地面を掘り下げるかたちで設けられている。延べ面積900平方フィート(約83.6平方メートル)の、ベッドルームを兼ねたこのカシータは、まさに女性にとって夢の隠れ家だ。ジゼルが自らデザインした建物は、至ってクリーンなしつらえで、戸外には冷水プールと一人用のバスタブが、地面を掘り下げるかたちで設けられている。延べ面積約83.6㎡の、ベッドルームを兼ねたこの「小さなおうち」は「100%オフグリッド」だと、彼女は誇らしげに語る。

棚にずらりと並ぶ本のタイトルには、スピリチュアル系だけでなく、疑似科学的な内容をうかがわせるものもある。ネオ・シャーマニズム系の著者ドン・ミゲル・ルイスの著書や、「『セクストロジー:セックスと性の占星術』(ジゼルは家族思いで家事に長けているとされるかに座だ)、江本勝の『水の奇跡』などが並んでいる。『水の奇跡』は、「希望」「憧れ」といったポジティブな言葉をかけると、水の中に雪のような結晶が生まれ、「醜い」「絶望」といったネガティブな言葉をかけると濁ってくると主張する本だ。「私たちの身体はほとんど水でできている」のだから、これは自分や他人に対する言葉遣いを考える上で学ぶことが多い本だというのが、ジゼルの意見だ。

このカシータの周囲には至るところにクリスタルが置かれていて、紫のアメジストの大きな結晶のほか、ナイトスタンドには乳白色のセレナイトの天使像が飾られている。ジゼルによればこれは(おそらくはポジティブなものではない)「気を祓う」効果があるのだという。部屋のベッドリネンは白で統一されてシワひとつなく、へりにはエレガントなヒョウが描かれたエルメスのスカーフを折りたたんだものが添えられている(最近は、娘のヴィヴィが一緒に寝ているという)。ベッドの上には、サーフボードを操るジゼルを上空から捉えた、大判の白黒写真が飾られている。この写真のジゼルは、広大な海との対比で、とても小さく見える。だが、WitchTok(魔術をテーマにしたハッシュタグ)界隈の臆測にいらだちを覚えているというよりは、彼らの主張を受け入れてもいいと思っている様子だ。

そして、ベッドサイドにある深い引き出しから「観音オラクル」を取り出す。これは慈悲の心を持つ仏教の仏、観音菩薩をテーマにした、女性向けのタロットカードのようなものだ。この2日前に占ったときには、ジゼルは「聖なる母の王朝」のカードを引いたという。それを見て、彼女は「自分の人生に今起きていることに目を向けるよう促され、完璧によい方向に進んでいるという確信」を得られたという。目の前のヒマラヤスギのテーブルに置かれたお香からは煙が上がっている。

並んだカードを見ながら、「こういうものを使うから、魔女と呼ばれるんでしょうね」と言って、ジゼルは笑う。「占星術やクリスタルが好きで、祈りを捧げ、自然の力を信じているという理由で、私のことを魔女と呼びたいのなら、別にかまわない」と彼女は言う。カトリックの家庭に育ったが、その信仰から離れたジゼルにとっては、神秘主義への思いこそが新たな福音であり、自分が一番必要なときに心を慰め、力の源泉となってくれる存在でもある。子どものころはおとぎ話を信じていたジゼルだが、今は違う。「誰かが自分を救いに来てくれるなんて、そんなことはない。自分の力を誰かに委ねてはだめ。これは自分の人生だから。あなたの人生はあなたが監督を務める“映画”なのだから」

インタビューを終えると、ジゼルとヴィヴィ、ベニーの親子はジェット機に乗ってマイアミに戻った。

だがジゼルはその後も、コスタリカの家で救った、傷ついたコマドリのことを考えていた。数日後、彼女はあの一件の意味をグーグル検索し、結果のスクリーンショットを私に送ってきた。「コマドリを目にしたなら、それは人生に起きるネガティブな出来事から自分を解き放ち、新しくよりハッピーなフェーズに入ることを促しています」という部分を、彼女は黄色のマーカーで丸く囲っていた。

そして彼女が下線を引いていたのは、以下のフレーズだった。「あなたが目にしたコマドリは、新たな始まりを象徴しているのです」

Profile
ジゼル・ブンチェン
1980年、ブラジルに生まれる。90年代後半にブレイクしたスーパーモデルの一人で、現在に至るまでファッションシーンにおいて圧倒的な存在感を放つ。13歳でモデルにスカウトされ、同年に単身来日、東京でモデルの経験を積んだ過去も。米経済誌『フォーブス』が発表するモデル長者番付では2007年以降8年連続で第1位に輝いた。私生活では、NFLのスター選手トム・ブレイディと09年に結婚、22年に離婚を発表。

Photos: Lachlan Bailey Styling: George Cortina Hair: Shay Ashual Makeup: Diane Kendal Manicure: Kristina Konarski Set Design: Belinda Scott Produced on Location: Select Productions Translation: Tomoko Nagasawa Text: Michelle Ruiz Translation: Tomoko Nagasawa