大事なことを言おう。SNSのフォロワーは支持者ではない。野次馬である。他人の人間関係は、最高のエンタメなのだ。人は、誰と誰がどうなって、腹の中ではこんなことが、水面下ではあんなことがと想像するのが何より楽しい。戦国時代や幕末ものが好きな人も、会社の噂話や芸能ゴシップが好きな人も同じだ。
ここ数年、ファンたちの暴走とセレブたちの絶え間ない燃料投下で、SNSはさながら観客参加型リアリティショーの舞台と化している。最近でいえば、ご存じ、ヘイリー・ビーバーとセレーナ・ゴメスのファンたちの騒動である。言わずもがなヘイリーはジャスティン・ビーバーの妻。セレーナは10代の頃から彼と何度も別れたりくっついたりしながら交際していた。セレーナとの決定的な別れの3カ月後に、ジャスティンはヘイリーと婚約。二人が結婚してから5年ほどが経とうとしているが、今もこの3人とその友人たちを巡ってファンたちはさまざまな憶測を巡らせ、膨大な量のコメントが日々書き込まれている。
誰が意地悪をした、誰と誰がつるんでいて、誰が反撃をした……そんな憶測を受けて、セレブたちも和解したと思ったら蒸し返し、否定したと思ったらほのめかして、ファンとアンチを振り回す。ついに気に食わないセレブに殺害予告や脅迫コメントをする人たちまで現れた。昨今はさすがに度を越している。
5年前にヴォーグ ジャパンの表紙を飾ったヘイリーは、まだヘイリー・ボールドウィンという名前だった。ちょうどジャスティン・ビーバーとの婚約が報じられた頃だ。見出しには「お騒がせなブロンドガール」とある。父は俳優のスティーヴン・ボールドウィン、母は元モデル、おじたちも著名な俳優という芸能一家で育ったヘイリーは、10代でモデルデビュー。いわゆる二世タレント、ネポベビー(縁故の子)である。当時もインフルエンサーの一人として知られてはいたが、ジャスティン・ビーバーとの結婚によってその知名度は劇的に上がった。今では、毎日のようにネット記事がアップされる超有名人。
あなたが10人に知られれば、あなたの知らないあなたが10人、この世界に誕生することになる。他人の頭の中に生まれた自分には手出しができない。勝手に親しみを持たれ、反感を持たれ、わかっているとか失望したとか言われる。相手は自身の頭の中のあなたを見ているので、生身のあなたとの間にはいつもズレがある。夫婦でも親子でも、きっとズレているのだ。
何千万、何億人ものフォロワーを持つということは、目のくらむような数のズレを引き受けるということだ。そして今、人々は数の力というものを知ってしまった。先述の“揉め事”で、セレーナは大幅にインスタグラムのフォロワーを増やして4億人を突破。世界で最もフォロワー数の多い女性セレブとなった。一方、不買運動よろしくヘイリーと友人のカイリー・ジェンナーのフォローをはずした人たちが100万人ほどもいたという。数を与えるのも取り上げるのも、コメントでハートマークをたくさん送るのも嫌がらせをするのも、SNSユーザーたちの思いのままだ。そして有名人たちは、メンタルに打撃を受ける一方で、その「数」を使ってビジネスで巨額の利益を上げている。どれほどうんざりしても、アカウントを閉じると宣言しても、すぐにまたSNSへの投稿を再開しては炎上することを繰り返すのは、彼ら彼女らが依拠するビジネス自体がそうした気まぐれなフォロワーによって大いに潤っているからでもあるだろう。
社会の格差が広がる中、ヘイリーのようないわゆる有名人の二世たちはネポベビーと呼ばれ、批判されることもある。ヘイリーは自らのYouTube番組に二世セレブの大先輩、グウィネス・パルトロウを迎え、ネポベビー批判について尋ねている。それに対して、縁故でも不公平じゃないと思う、そりゃ幼少期にいろんな有名人に会える環境は恵まれているけど、いざ役者の世界で仕事を始めたら、むしろ偏見や悪意に晒されるのだから人の倍も努力していい仕事をしないと評価されないのよ! と断言するグウィネス姐さんに大いに励まされるヘイリー。彼女自身も批判の只中で胸にネポベビーと英語の文字がプリントされたミニTシャツを着る強心臓の持ち主である。生粋のエンタメ界育ちならではの余裕すら感じる。
だがそれは同時に、衆目に晒されるステージから一生降りられない宿命でもある。今はSNSユーザーが夫婦関係にまで首を突っ込んでくるのだからさぞ鬱陶しいだろう。愛され、憎まれること自体が仕事というのはしんどかろう。人は誰かを「推す」ときに、正義を押し通す快感を覚え、「推し」のライバルをいじめる楽しさを堪能し、「推しへの愛」を免罪符に、好きなだけ拳を振り回すことができる。そこで発散しているものは何か。身近な人を重ね、なりたい自分を重ね、他人の人生を消費して知らぬ間に時間を搾取される。誰の人生も一度きりだ。生身の自分にいいねと言える実体験に貴重なエナジーを使いたいものである。
Text: Keiko Kojima
Photos (magazine): Shinsuke Kojima