イドリス・エルバには品がある──それは見ての通りだ。そして背が高い。対面してから1時間が経つというのに、また新たな魅力に気づかずにはいられない。私たちの会話は、1980年代のイギリスで、映画スターを志す黒人少年の想いに深く切り込んでいった。それは若き日のイドリッサ・アクナ・エルバの想いだ──のちにイドリス・エルバを名乗ることになる少年は、シエラレオネ出身の父とガーナ出身の母のもとに生まれ、ロンドンで育った。
当時住んでいたハックニーやイーストロンドンのカニング・タウンといった地区では、極右政党のイギリス国民戦線が幅をきかせていた。「あの時代にカニング・タウンに暮らしていた黒人は、人種を理由にひどい目に遭ったり、街を歩いているだけで差別的なことを言う連中に追いかけられたりしたものだよ」と、イドリスは振り返る。
だが、彼は差別については深入りせず、別のエピソードを語ってくれた。13歳のときに、彼は演劇の教師に出会う。ミス・マクフィーという、このウェールズ人の教師が、彼の心に火をつけた。「とにかく夢中になったのを覚えているよ。先生はこんな感じだった。『いいですか』」と、先生の声をまねる。「『あなたたちには、目玉焼きになってもらいます。あなたはまさに今、フライパンで焼かれている卵です。どんな感じがしますか?』ってね」。
さらに彼は、クラスメートの様子をまねする。誰もがやんちゃ盛りの10代の少年で、演劇の授業になど見向きもしない。そして最後に、このときの自分の演技を再現してくれた。引きつったような体の動きに、口でフライパンのパチパチいう音やジュージューいう音を加える──ダフィー・ダックのような口もとで、飛び散る油を表現するのだ。演技を終えると、再びマクフィー先生の口調に戻った。「『とても演技が上手ね。あなたは目玉焼きになったことがあるのかしら?』」
今では46歳になったイドリス・エルバは髪にも白い物が交じるようになったが、活気にあふれ、魅力的だ。トラックスーツにTシャツという地味な格好で、Tシャツには「君の未来を刺すな」とのメッセージが書かれている。これはナイフを使った凶悪犯罪に警鐘を鳴らすものだ。イングランドとウェールズでは近年、こうした犯罪が急増しており、なかでも有色人種の若い男性が絡むものが多いという。このインタビューの後すぐに、彼はBBCに向かい、「ザ・ワン・ショー」でこの問題について発言する。番組に招かれたのは光栄なことだと言う彼は、「発言できる機会は、多いに越したことはないからね」と、その理由を語る。
ここで彼は話をいったんやめると、タバコを吸ってもいいかと私に聞き、開いている窓の近くに腰掛けた。窓から身を乗り出してタバコを吸う姿は、まるでマールボロの広告のように端正だが、彼自身には気取りは全くない。ここでようやく、彼は先ほどの質問に、本腰を入れて答え始めた──80年代に、イギリス生まれの黒人で、父親と同様に肉体労働に汗を流しながら、映画スターになる夢を持っている若者はどんな想いを抱えていたのだろう? 誰を手本にしていたのだろうか?
「(当時)この国では、黒人俳優や芸能人はほんの一握りしかいなかった。ただ、音楽は別だね」と彼は言い、窓の方を向いてはタバコの煙を吐き出す。「レゲエだけは、誰もが聴いているジャンルだった。イギリスの人はレゲエが大好きなんだ。この国に住む黒人の多くは、カリブ海の出身で、レゲエは彼らが持ち込んだ音楽だ。TVでも、レゲエ・バンドや、レゲエに白人音楽をミックスしたバンドなんかが出ていたね。でも俳優となると、ごく少数だったよ」
確かに当時のイギリスにも、コメディアンのレニー・ヘンリーのような黒人スターはいた。だが、それは例外的な存在で、イドリスは、シドニー・ポワチエ、ハリー・ベラフォンテ、リチャード・ラウンドトゥリーといった、世界的な黒人スターを見て子ども時代を過ごした。その後やや大きくなってからは、ちょうど名前が売れ始めたウェズリー・スナイプスやデンゼル・ワシントンなどが、彼の憧れとなる。デンゼルは80年代末に、『女王と祖国のために』(88)という映画の撮影でイギリスを訪れている。デンゼル演じるパラシュート部隊の黒人兵士が、貧しさから逃れるために英国軍に志願し、北アイルランドの紛争やフォークランド紛争に参戦するものの、帰還後は社会になじめず苦しむというストーリーだ。
後になってイドリスは、デンゼルがこの映画の撮影中、イギリスに暮らす黒人の実態についてレクチャーを受けたという記事を読んだ。デンゼルがわざわざそんなことをしなければならなかった理由は、アメリカに移り住んだ後になって、イドリスにもわかった。「イギリス出身なんですか? イギリスにも黒人って住んでいるんですか?」と尋ねられるようになったからだ。
「アメリカに行ってすぐのころは、『俳優志望です』と言うと、どの面接に出ても、物珍しい目で見られたね」と、イドリスは振り返る。当時のアメリカ映画界はイギリス生まれの黒人俳優に接した経験がなく、こうした俳優の扱い方が(まだ)わかっていなかったのだ。今では事情が変わり、ハリウッドでも多くのイギリス出身の黒人俳優が活躍するようになった。逆に数が増えたために、サミュエル・L・ジャクソンなどのアメリカ出身の黒人俳優が、自分たちが割を食っていると不満を述べているほどだ。
だが、イドリスが駆け出しの俳優だったころの面接には、そんな雰囲気はなかった。「みんな『すごいな! 君のイギリス英語が気に入ったよ。とても洗練されている』なんて言われてね」とイドリスは面接官をまねて、目を見開いて驚いてみせる。その後に続くのはこんな言葉だ。「『よし、決まりだ。じゃあ君はギャングその1だ』って」と、彼は当時を振り返って笑う。
インタビューが行われたのは、カムデン・タウンにあるイドリスの制作会社、グリーン・ドア・ピクチャーズの居心地のいいオフィスだった。2013年に創業したこの会社の作品では、イドリスほどの実力を持つ俳優に、「ギャングその1」を演じさせたことはないし、これからも決してないだろう。そんな役しか得られなかった時代も、今は昔になった。彼の多彩なフィルモグラフィがその証拠だ。昨年だけでも、彼は3作のテレビドラマに出演した。
その1つが、ミステリードラマ「刑事ジョン・ルーサー」の第5シーズンだ。主役のジョンを演じるイドリスは、この作品でエミー賞にもノミネートされている。映画の世界でも、監督デビュー作となる『Yardie(原題)』、アンドリュー・ロイド・ウェバー作の人気ミュージカルを豪華キャストで映画化した『キャッツ』、さらに人気シリーズのスピンオフ作『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』と、話題作がめじろ押しだ。
私たちが今いるオフィスも、イドリスの成功の証しだ。一見地味なガレージのような大きなドアを開けると、その中には立派なオフィスがある。1階では、スタッフが忙しそうに働いている。2階にはレコーディングスタジオがあり、プロデューサー2人とともに、将来有望な女性シンガー、アンナが、レコーディングの真っ最中だった。
DJやミュージシャンとしても名をはせるイドリスは、自身の制作会社の最も重要な業務は音楽だと考えている。家族にも音楽に接してほしいという。彼の5歳になる息子、ウィンストン(イドリスの父親にちなんで名付けられた)は、向こうの部屋でおもちゃで遊んでいるが、あまりに静かなので、いるのを忘れてしまいそうなほどだ。イドリスにはほかにも、最初の結婚でもうけた10代の娘がいるが、同居はしていない。そしてまた、新たな知らせが舞い込んだ。このインタビューからほどなくして、イドリスは再婚を発表し、太陽が輝くマラケシュで、(17年から交際する)モデルのサブリナ・デハウアーと式を挙げた。
というわけで、イドリスにとってこの1年はおめでたい年でもあり、次々と驚くようなことが起きた年でもあった。彼には珍しく、コメディへの出演も相次いだ。その1つが、共同制作も務めたネットフリックスのドラマ「ターン・アップ・チャーリー~人生アゲていこう!~」だ。この作品でイドリスは、親友の娘の子守を引き受ける、落ちぶれたDJという、やや自虐的な役を演じている。
また、3月には、「サタデー・ナイト・ライブ」で初のホストを務めた。ミュージシャンとしても成功を収めている。4月には、コーチェラ・フェスティバルで、主にハウスとヒップホップからなる2時間のDJセットを披露し、好評を博した。だが、これを上回るような、一生に一度の出来事も起きた。5月のメーガン・マークルとヘンリー王子のロイヤル・ウエディングでDJを披露する名誉を得たのだ。しかも王子から直々のオファーだったという。
ほぼ無名だった時代に、HBOの刑事ドラマ「THE WIRE /ザ・ワイヤー」の一癖あるヤクの売人、ストリンガー・ベル役でアメリカのテレビ界を席巻したころからは、隔世の感がある。だが、私の目の前で窓に腰掛けているイドリスには、ベルとの共通点は感じられない。たとえどんな端役にも、謎めいた魅力を持たせる演技ができるイドリスだが、彼自身には、こうした部分は全くない。
私の1.5メートル先にいるイドリスは、親しみやすく、開けっぴろげで、エネルギッシュな話好きの男性だ。演技とはそういうものなのだろう。たとえ悪役だとしても、見ている側は、彼が演じているのだから、いろいろといきさつがあるのだろうと考えてしまう。これこそが映画スターの特質なのだ。好き嫌いを問わず、きっとこの人は根は悪くないんだと、観る者に信じさせてしまうところが、彼の演じるキャラクターにはある。そして、急速に変わりつつあるハリウッドは、そうした彼の特質を、ますます評価しているようだ。
イドリスが生まれたのは1972年、イギリスにアフリカやカリブ海諸国から多くの難民が流入した直後の時期だった。当時イギリスに生まれた黒人の子どもたちは、親がイギリスに来た時期によって、さまざまなアイデンティティを持つが、彼もそうした移民2世のひとりだ。また、イドリスの場合は、労働者階級の生まれということも大きな要素だ。
スカイ系列でオンエアされている新作ドラマ「Inthe Long Run(原題)」は、ハックニー地区やカニング・タウンで暮らしていた、自らの少年時代を描いたものだ。イドリスはこのドラマで、自身の父親を演じている。「しなやかなネコ」のようだと表現する父親は、彼の人生に最も大きな影響を及ぼした男性でもある。このプロジェクトを通して、父親を少し理解できるようになったと、イドリスは言う。
「時々、感情がこみ上げるときがあるね。80年代に戻って、自分の人生を演じているわけだから。『ああ、この話、覚えているよ!』って思う瞬間があるね。このドラマでは、自分の人生が再現されている。しかも僕は父を演じているわけだから、『くそっ、父さんはこんな目に遭ってたのか』って思うんだ。現実の人生と架空のドラマが絡み合う、不思議な体験だね」
イドリスの父はロンドン郊外にあるフォードのダゲナム工場で25年近く勤務し、その経験を買われて労働組合の代表者にまでなった。学校をやめたのち、イドリスもやむを得ず、父親と同じ職場で働くことになる。「19歳で、夜勤で働いていたよ」と、彼は当時を振り返る。「誰もができる仕事ではないね。『俺が演技を極めて、フルタイムで俳優の仕事ができるようになったら、全力でやってやろう。こんなありふれた、退屈な、同じことを繰り返す仕事を夜通しできるなら、きっと演技だってできるはずだ』って思っていたね」
こうして自動車工場の作業員から、俳優へと転身したイドリスの軌跡は、今ではよく知られている。アメリカでの労働許可を得られるはるか前に、夏休みを利用してニューヨークに降り立つと、来る日も来る日もオーディションを受けた。だが、なかなか役を得ることができない。どんな俳優でも駆け出しのときはそうだが、特に黒人で、しかも長身で存在感のある体格であればなおさらだった。
そんなときに、単発の仕事の話が来た。FOXチャンネルのパイロット版ドラマで、撮影はカナダだ。これでイドリスは、アメリカに入国できるビザを手に入れた。97年にニューヨークに移り住むと、その後はナイトクラブの用心棒や、マリファナの売人で生計を立てた。苦労の末に、「ザ・ワイヤー」でストリンガー・ベルの役を得たのは2001年のことだった。
ストリンガー・ベルの存在感を見ると、この役が5シーズンあったうち3シーズンで降板してしまったのが信じられなくなる。それほど、黒人社会や彼らの生きる道を描いたこのドラマにおいて、彼は欠かせない役だったのだ。このシリーズの原案を手がけたデヴィッド・サイモンによると、このドラマから卒業したとき、イドリスは将来に不安を抱いていたという。「だから僕はこう言ったんだ。『このシーズンがオンエアされて、最後のシーンを観れば、君にはオファーが殺到するだろう。その前に既に、そうなっているかもしれないけれどね』と」と、サイモンは振り返る。「するとイドリスは目を見開いて、『あなたが口にした言葉が、神様の耳に入っているといいのですが』と言ったよ」。サイモンの予言は的中した。
「ザ・ワイヤー」のオンエア後、イドリスは引く手あまたとなり、注目作にもいくつか出演した。そのひとつが、イギリスへの帰還を果たした「刑事ジョン・ルーサー」だ。さらに、ロングランのシリーズ物で役を得る機会も増えた。その多くは脇役だが、これがハリウッドの大作で役を得るきっかけになった。あまり話題になっていないが、同様に重要なのは、「ザ・ワイヤー」の直後から、イドリスがアメリカのブラック・ムービーに出演してきたことだ。『ゴスペル』(05)、『This Christmas(原題)』(07)、『Daddy’s Little Girl(原題)』(07)、そしてビヨンセが演じる主人公の夫で、浮気を疑われるという役柄を演じた『オブセッション歪んだ愛の果て』(09)といった作品だ。
これらは決して高い評価を得た作品ではない。彼の出演作リストをざっと見た人なら、もっと「出来の良い」大作に目が行って、見過ごしてしまうだろう。だがイドリス自身にとっては、非常に大きな意味を持つという。「ああ、確かに『ザ・ワイヤー』は大人気のドラマだったね」と彼は言う。「でも、一番人気というわけではない。全く違う。そもそもHBOがあのドラマを1シーズンで打ち切りにせず、3シーズンまで継続することにしたのは、アフリカ系アメリカ人の契約者が増えていたからなんだ」
彼がこのドラマから降板したとき、黒人のプロデューサーや監督は、黒人の観客の間で人気が出そうな役柄を、いくつか紹介してくれたという。今はこうした作品に出ることもなくなったが、「『ザ・ワイヤー』以外の世界での僕のキャリアは、あそこからスタートしたんだ」と、イドリスは感謝を忘れない。「今はもう、僕らも成長して、ずっと広いハイウェイを走っている。それに、アフリカ系アメリカ人が作る映画を観るのは、同じアフリカ系アメリカ人ばかりではないからね。より広い層に受け入れられている」
最近になって、イドリスがさらに大きな役柄を狙っているとのうわさが流れた。ヒーローでありながら、モラルが常に揺らぐ、複雑なキャラクターを演じてきたイドリスに慣れ親しんだ人にとっては、驚きのニュースだ。これはもちろんボンド、あのジェームズ・ボンドのことだ。イドリスが次の007になるとのうわさは、ここ数年、イドリスのキャリアの中で不思議なまでに大きな位置を占めてきた。それも無理もない話だ。考えてみれば、確かにイドリスにはうってつけの役柄だ。
彼が黒人俳優として初のジェームズ・ボンドになるとのうわさに火をつけたきっかけのひとつが、18年に『ハリウッド・レポーター』誌が行ったアンケート調査だった。このときは、調査対象になったアメリカ人のうち実に63%が、彼にボンドを演じてもらいたいと思っているとの結果が出た。まさに時代の変化を反映した結果と言えるだろう。このうわさを加速させていたのは、現実的な可能性というよりは、人々の意見だったように思える。実際には、あらゆる情報を見る限り、彼がボンド役になることが真剣に検討された形跡はない。
実際に話を聞いた際にも、イドリスはこのうわさを否定し、この件についてはあまり話したくない様子だった。「ジェームズ・ボンドは、誰もが演じたがる、アイコニックな、愛されるキャラクターだ。観客を、現実逃避の旅に誘う役柄だよ」と彼は言う。「もちろん、『ジェームズ・ボンドを演じてみたいか?』と尋ねられたら、僕だって『もちろん!』って答えるよ。魅力的なオファーだからね。でも僕は必ずしも、"黒人のジェームズ・ボンドになりたい"わけじゃないんだ」。今では彼も、このうわさを逆手にとって楽しんでいる様子で、007風のツイートをしたり、現在ボンド役を務めるダニエル・クレイグとのツーショット写真をアップしたりして、ファンを翻弄している。
だが、その気はないとは残念な話だ。黒人の007という設定を使った、これまでにないプロットも、いくつか考えられる。例えば、ボンドといえば白人男性、という先入観の裏をかき、追っ手をかわす姿が目に浮かぶ。ボンドは実は黒人だった、あるいは女性、あるいは黒人で女性だった、というわけだ。「ところで、これはスパイ映画だからね。本当に裏をかくのだったら、目立たない方がいいに決まっている」とイドリスは言う。
その後も007の話題に乗り気になることはなかったイドリスだが、少し本音を漏らす場面もあった。「ある世代の人たちからは『あり得ない』と言われてしまう。そうなったらがっかりだよ。結局は、僕の肌の色が問題になる。もし僕がその役を受けて、失敗したら、あるいは成功しても、それは肌の色のせいなんだろうか? いずれにせよ、僕は難しい立場に置かれるんだ」
実際のところ、彼の実績は申し分ない。そのフィルモグラフィには、世界的な大ヒットシリーズが並んでいる。テレビドラマで大成功を収めた後に、二枚目俳優、さらにはドル箱スターとなった前例としては、ジョージ・クルーニーがいる。だが、実際の出演作のタイプは大きく異なる。21世紀に入り、映画スターのあり方が大きく変わったからだ。21世紀は、大型シリーズ作品の時代だ。確かにクルーニーも、97年にバットマン映画に出演している。だが、なんとか評判を落とさずに務めを果たすと、その後こうした作品に出ることはなかった。
一方、イドリスの場合はこれとは対照的に、ありとあらゆる種類の大型シリーズ作品に、常連のように顔を出している。これほど多くのシリーズ作品に出ているのは、彼以外では『アバター』や『スター・トレック』に出ているゾーイ・サルダナくらいだろう。『エイリアン』の前日譚(『プロメテウス』)、マーベルの『マイティ・ソー』3部作とその続編、『スター・トレック』、『ファインディング・ニモ』の続編『ファインディング・ドリー』、ディズニーの名作アニメ映画のリメイクの『ジャングル・ブック』、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィック・リム』(ただし続編には出演していない)、そのすべてにイドリスは名を連ねている。
007シリーズではいまだに難しい、人種に縛られないキャスティングの好例もある。イドリスは17年にスティーブン・キングの小説を映画化した『ダークタワー』で、主役のガンスリンガーを演じ、マシュー・マコノヒー演じる黒衣の男と死闘を繰り広げた。興行的には失敗に終わったものの、かつての西部を思わせる世界で活躍する腕利きのガンマンを、侍の優雅さをもって演じたイドリスは、真のスターの力量を証明した。どんなジャンルのどんな役でも、彼が演じるなら観てみたいと思わせる、客を呼べる俳優になったのだ。
人種に縛られないキャスティングには、もちろん、良い点がある。そもそも、映画というのは現実とは違う。大半の役は、どんな姿形、体格、あるいは肌の色をしている俳優にも演じられるはずだ。これまではどんな役も白人の俳優が演じるのが当たり前だったが、それがマンネリの元凶だったのだ。才能ある非白人の俳優たちのキャリアの壁になってきたことは言うまでもない。その意味で、イドリスは特に『マイティ・ソー』シリーズでの自らの役柄を誇りに思っているという。彼が演じるのは、あらゆる出来事を見据え、耳にする能力を持つ、アスガルドの戦士、ヘイムダルだ。原作のコミックでは、「北欧神話の神として描かれている」と彼は言う。「金髪で、青い目で、長髪のね」
「黒人のキッズだってコミックを読むと、みんな気がついたんだよ。スケーターとか、漫画マニアの子だっているんだから」。彼はヘイムダル役をオーディションで手に入れた。「第1作を監督したケネス・ブラナーに言われたのは、これだけだよ。『俳優としての君が気に入っている。君にこの役をあげよう』ってね」
ただ、イドリスは別に、有名キャラクターが出てくるシリーズ物を選んで出演しているわけではないという。「この映画はシリーズ化されそうだから、この役を演じたいなんていうことはないよ」と彼は言う。むしろその逆のようだ。「俳優なら誰でも目指す、究極の目標は、誰に聞いても『ああ!あの人!』と言われるような、当たり役をひとつ手に入れることだよ。そこから、作品世界が広がって、固定ファンもつく。俳優なら誰もが、そういう、自分の当たり役をシリーズ化するという夢を抱いているはずだね」
彼にとって、そうした名刺代わりの作品はBBC制作の刑事ドラマ「刑事ジョン・ルーサー」だ。この中で彼は、無作法で、衝動的で、道を外れる刑事、ジョン・ルーサーを演じている。つい気になってしまうが、まったく共感はできないキャラクターだ。番組は現在、5シーズン目に入り、将来的には映画化も考えられる。「3、4本、『刑事ジョン・ルーサー』の映画版ができるといいね」とイドリスも期待を寄せる。
一時期、「刑事ジョン・ルーサー」のアメリカ版を作るという話があった。このときはあらゆる人種、ジェンダーの俳優が主役候補として検討された。このときのことをイドリスは今でも忘れていない。「あの役を演じ切れるかどうか、問題はそれだけだった」と彼は言う。結局、このプロジェクトは本格化することなく頓挫した。
では今後、私たちはイドリス・エルバのどんな姿が見たいのだろう? ストリンガー・ベル役を端緒に、彼はこれまで、メジャー作品と黒人向けの作品に並行して出演するキャリアを送ってきた。また、ここまでで彼の演じる役柄には一定の「型」が生まれている。だが、誰もが観たがっているのは、イドリス・エルバが悪役を演じ、道を踏み外す姿なのでは?
あるいは、悪そうに見えるという程度でもいいかもしれない。ストリンガー・ベルも、ドラッグディーラーで、「悪いやつ」ではあるが、好きにならずにいられない人物でもあった。イドリスと同様に、「ザ・ワイヤー」で演じたオマール・リトル役がブレークのきっかけとなったマイケル・K・ウィリアムズは、イドリスをスパーリング・パートナーに例える。撮影予定表にイドリスの名前があると、「特に入念に脚本を読み込んで、細部まで手を抜かないよう、念には念を入れていた」と話す。大勢のキャストの中でも、彼がそこまで特別扱いするのはごく一握りだったという。イドリスのラストシーンの撮影前には、メイクアップ用の控え室でマイケルが泣いてしまったほどだ。
ストリンガー・ベルは、ドラマの原案の共著者、エド・バーンズが、かつてボルティモア警察に勤務していた際に捜査したドラッグディーラーを下敷きにしている。原案を書いたデヴィッド・サイモンによると、バーンズはこのリアル版ストリンガー・ベルに尊敬の念を抱いていたという。「犯罪の証拠を巧みに隠す、その頭の良さには驚くね」とサイモンは言う。「非常に抜け目なく、考えが深く、物静かに何かを企んでいる」。イドリス演じるストリンガー・ベル像は、ここから生まれた。
ハンサムで沈着冷静、不思議なほどプロに徹している男だ。公営住宅の片隅での取引に、MBAレベルの厳密さを持って臨む男──だからこそ、犯罪者としては、いっそうたちが悪いのだ。イドリス自身が持つ人なつっこい魅力も、逆に怖さを引き立てていた。サイモンはこのキャラクターを、「世慣れた者特有の傲慢さと自信」と、「全く逆の内面」の両方を持ち合わせた人物だと解説する。単なる犯罪者ではなく、知性や複雑な心理を持つ人物に見えるというのだ。
イドリスは、ストリンガー・ベルの役の演技には、生い立ちの中で身につけたものが役に立ったと話す。ベルの人物像は、少年時代に知り合ったマリファナの売人を下敷きにしているという。「ザ・ジェント(紳士)」という通り名で知られたその売人は、人当たりが良く、プロフェッショナルで、控えめな男だった。「ドラマに登場する葉っぱの売人っていうのは」と言うと、イドリスは声を低くする。「やたらと派手で、景気のいいおっさんっていう感じに描かれているよね」。だがイドリスは、どんなときも感情を表に出さないことで知られるイギリス人だ。それだけに、彼はストリンガー・ベルを、これまでの売人のイメージとは異なる姿で描きたいと考えた。善し悪しはともかく、ベルはサービスの提供に徹する人物だ。
最新作の『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』でも、イドリスが演じるのは、かつては善玉だった悪役だ。ブリクストンという名前はあるが、予告編では誰もが彼を「ブラック・スーパーマン」と呼ぶ。というのも彼は遺伝子改造を受けた超人戦士という設定で、誰にも止められそうにないからだ。このブリクストンを演じる俳優に関して、デヴィッド・リーチ監督にとって、イドリス以外の選択肢はなかったという。「(主役のルーク・ホブスを演じる)ドウェイン・ジョンソンの宿敵を演じられる俳優を探すだけでも大変なのに、今回はそこにジェイソン・ステイサムも仲間に加わるわけだからね。そうなると、候補は本当に限られてくる」。
繰り返しになるが、イドリスは決して、大ヒットシリーズが好きというわけではない。それでも、「自分なら彼(ブリクストン)を、人気キャラクターにできるんじゃないかと、密かに思う気持ちはあった」と打ち明ける。彼自身も、悪いやつを演じるのが好きなのだ。悪役独特の複雑さが気に入っているという。最近はアクション映画への出演が相次いでいるが、これも好きになりつつあるという。アクションでは、通常の劇映画とはまた違った想像力が必要になるが、いつもの殻を破り、新たなことに挑戦するからこそ、ハングリーでいられるのだ。イドリスは同じような役で満足するタイプではない。
では、『キャッツ』はどうだろう? イアン・マッケランやジュディ・デンチといった名優に加え、テイラー・スウィフトと共演するこの作品でも、彼が演じるのは悪人......いや、悪猫だ。ミュージカル版が下敷きにするT・S・エリオットの『キャッツ──ポッサムおじさんの猫とつき合う法』には、彼が演じるマキャヴィティについて、こんな記述がある。「あらゆる人間の法則を破ってきた猫。重力の法則にさえ従わない。空に浮かぶその姿を見たら、インドの行者でさえ目を丸くするはず」。果たしてイドリスがこの役をどう料理するのかと、気にせずにいられないだろう。重力の法則を破る。私はさきほど、彼が目玉焼きになりきる姿を目の前で見たが、それでもまだ、猫を演じるイドリスについては想像がつかない。
『キャッツ』の監督、脚本を手がけるトム・フーパーは、以前からイドリスのファンで、特にストリンガー・ベルの演技が心に残っていたという。そのため、脚本の第1稿から、マキャヴィティについては彼をイメージしていたとのことだ。今回、監督にとってうれしかったのは、イドリスのコミカルな一面が見られた点だった。監督とイドリスがマキャヴィティのモデルになる人物を考えていたときに、ジャック・ニコルソンの名前が浮上した。「怖いけれどコミカルで、予測不可能、そんな性質を同時に演じることができる俳優だからね」とフーパーは振り返る。
イドリスも、この役についてはかなり考えたという。「猫には9つの命があるというけれど、彼(マキャヴィティ)には、もう1つしか残っていない。だからなんとか、今の一生で認めてもらいたいという気持ちが強すぎて、ちょっと不安定なんだ。何度か死に直面して、それを乗り越えている。複雑なところを抱えたキャラクターで、たぶんトム・フーパー監督は......そういうところを間違いなく表現できる役者を求めていたんだろうね。それでいて、歌と踊り、ニャーと鳴いたりもできる役者を」
イドリスがニャーと鳴けるのかは怪しいところだ。歌はどうだろう? 「いわゆる『シンガー』ではないね」と言い、自分がプロのミュージシャンであることをさりげなくアピールする。「メロディを口ずさみながら、曲を作ったことはあるよ。僕はずっと音楽に関わっているからね」。確かに彼はシンガーとは言えない。『キャッツ』に出演する話が来るまでは、ミュージカルに出るなど考えたことさえなかったという。だが、意外なオファーだったからこそ、魅力を感じたようだ。
「僕は俳優だからね。一度もやったことがない役柄だった。それで思ったんだ、やらないわけがないよね?って」。こうクールに語ったイドリスだが、フーパー監督によると、実際にはずいぶん興奮していたようだ。「一度ミュージカルに出てみたいという夢があったらしいんだ。全く知らなかったんだけどね。というわけで、イドリスは夢をかなえた。しかもテイラー・スウィフトとの共演で」
確かに、やらないわけがないだろう。とはいえ、イドリスの人気が爆発するのをリアルタイムで見てきたこちら側からすると、『キャッツ』はその流れからはいい意味で外れた選択だ。とはいえ、彼の大躍進は演技の世界だけにとどまらない。冒頭で触れたコーチェラ・フェスへの出演は、DJが何年も前から売り込みをかけてようやく手にできるような大チャンスだ。イドリスにとっても、ミュージシャンとしての長い活動の中で、ハイライトと言える出来事だった。この数年前には、イギリス最大級のフェス、グラストンベリーにもDJとして出演を果たしている。
また、今年に入って、大物俳優の勲章である、「 サタデー・ナイト・ライブ」のホスト役のオファーも受けた。さらに昨年は『ピープル』誌の「最もセクシーな男性」号で表紙を務めている。黒人男性がこの栄誉を得るのは、96年のデンゼル・ワシントン以来だ。こうした実績を見ると、彼は突然、メジャー級の大物俳優になったかのように見える。『ザ・マウンテン決死のサバイバル21日間』ではケイト・ウィンスレットとの2人芝居をこなし、『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』ではマシュー・マコノヒー、さらにはザ・ロックことドゥエイン・ジョンソンと死闘を演じている。だが、はたから見れば、彼は突然大きな成功を収めた中堅クラスの俳優だ。その落とし穴は、彼も自覚している。
「マルコム・グラッドウェルの、1万時間の法則を知っているよね。僕も懸命に努力するしかなかった。でも実感としては、もがいて、もがいて、もがいて......止まって......またもがいて......さあ走るぞ! という感じだったんだ」。「ザ・ワイヤー」でブレークするまで、彼には9年間ほど、鳴かず飛ばずの時期があった。また、つい最近までは見過ごされがちだったが、音楽活動も、彼にとっては決して単なる趣味ではない。音楽であれファッションブランドであれ、俳優の副業は、金も地位も手にした者の気晴らしとか、ブランド強化策として見過ごされがちだ。
確かに、暇なときにドラムセットやターンテーブルの前に立つだけ、というパターンも多い。だが、音楽のキャリアにしても、4、5年の歳月をかけて築き上げてきたものだと、イドリスは強調する。また、TV番組や映画も出演ラッシュが訪れたように見えるが、そのほとんどは19年より前に撮影された作品で、公開時期がたまたま重なっただけだ。アメリカに渡ってからの3、4年間は俳優の仕事はほとんどなく、オマー・エップス、ドン・チードル、ボリス・コジョー、テイ・ディグスといった、ライバルの黒人俳優に阻まれる日々が続いたのだが、そんなことも今では忘れてしまいそうだ。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの俳優から、今抱えている不安について話を聞くのは興味深い。そもそも、内面の不安と向き合い、受け入れることは、俳優という仕事の一部でもある。その一例が、「サタデー・ナイト・ライブ」だ。生放送のこの番組では、ネタ合わせや台本制作、リハーサルもすべて、1週間の中で行われる。また、コメディというジャンルも、彼の得意分野とは思われていない。インスタグラムを見ればわかるように、プライベートではユーモアを欠かさず、コメディ演技の才能もあるとはいえ、まだその点は認知されていないのが現状だ。
とはいえ、彼は「サタデー・ナイト・ライブ」出演を楽しんだという。「面白かったよ。確かに、正直、ものすごく大変だったけどね」。今回は特に、普段以上に心を開く必要があったという。「思い切って飛び込んで、自分自身や、抱えてる不安をさらけ出す方が、いい体験ができることがわかったよ」と彼は出演を振り返る。
確かに彼は常に、自分の不安な部分を見せている。俳優でもない限り、こうした体験をすることはまずないだろう。「自分自身をさらけ出しているんだ。それで文句を言われたり、じろじろ見られたり、意見を言われたり、笑われたり、称賛されたりする」と彼は言う。「何を言われるにしても、俳優という仕事がそれに拍車をかけているのは間違いないね」
そうした立場に、彼はなかなか慣れることはできなかった。彼はほかの俳優の例を挙げる。「ダニエル・デイ=ルイスは本当に優れた俳優だけれど、人前に出るのは嫌いで、その姿勢を貫いた。僕にはそんなことはとてもできない。憧れるけどね。無名の存在でいられて、誰にも見られることなく、インタビューも受けない。それで、ダニエルのようなキャリアを築ければ、それが一番いいんだよ」
確かにその点が、21世紀に有名人となった者特有の難しさなのだろう。イドリスがようやく名が知れる存在になったころ、デイ=ルイスは、すでにオスカー俳優だった。今、活動を始めていたら、かつてと一変した業界と摩擦を起こしていただろう。ソーシャルメディア時代となった今は、イドリスのような、積極的に情報を発信する、親しみやすいキャラクターを持つ芸能人は、ネット上でも影響力を発揮することを求められるものだ。
「上を目指すうちに、もっとフォロワーを獲得するようにと期待されて、自分がマーケティングの機械と化してしまう。以前なら、僕にフォロワーが全然いなくても、ちゃんとギャラがもらえたし、あとは取材対応をすればよかった。でも、僕に800万人のフォロワーがいて、その全員が出演作を観てくれるのなら、映画会社はそっちを求めるようになる。だから、とにかく目立て、というプレッシャーは高まっているんだよ」。言い換えれば、ツイッターで何でも好きなことを言える時代は過ぎたということだ。「それに、自分や、住んでいる家の写真を載せると、背景を拡大して検証する人たちがいることも忘れちゃいけない。だから以前よりも、ずっと用心しなければならないんだ」こうした時代の風潮を、彼はよしとはしていないが、受け入れてはいる。
最初のインタビューから数週間後、私はイドリスと再び会った。その間に、彼はコーチェラ・フェスに出演し、モロッコで3日間にわたる結婚式を挙げていた。この結婚式も、本来なら公開されることのない個人的なイベントだが、何しろイドリスは有名人だ。豪華な挙式の模様を収めた美麗な写真がブリティッシュ・ヴォーグを飾り、世界中で彼を愛するファンの嘆きを誘った。彼が新婦のサブリナ・デハウアーと出会ったのは、『ザ・マウンテン~』撮影中のトロントでのパーティーでだった。今となっては古風にも思える、完璧な出会いと言えるだろう。
「人生で大切なのはバランスだよ」とイドリスは言う。「仕事はしなければならない。今は僕も、人気が出ているし、仕事がもらえるのは素晴らしいことだよ。でもそれとは別に、僕は妻と子どもたちを熱狂的に愛しているんだ」。彼が何よりも大事にしているのは、今でも家族だ。名声でも、俳優としての仮面でもなく、カニング・タウンに育ち、今は大人の男性になったイドリス自身と、彼が愛する人たちが最優先なのだ。「家では、僕は有名人ではない。僕は僕だ」と彼は言う。「そして、僕のチームや家族、作品を作るときに毎日一緒に働く人たちにとっては、僕たちは有名人ではない。何が言いたいかわかるよね? 毎日が初日のような心構えで、常に臨んでいるんだ」
Profile
Idris Elba/イドリス・エルバ
1972年、イギリス・ロンドンに生まれる。、10代のころからDJや自動車工場勤務などで家計を助けつつ演劇を学ぶ。1990年代後半からTV界で活躍し、渡米後に出演したTVドラマシリーズ「THE WIRE/ ザ・ワイヤー」(2002~)や「刑事ジョン・ルーサー」(10~)で注目を浴びる。映画界にも進出し、話題作に立て続けに出演。近年は映画監督としても活動。映画版『キャッツ』への出演も話題に。
Text: K. Austin Collins