Skip to main content

ダニエル・デイ=ルイス / Daniel Day-Lewis

1957年4月29日、イギリス・ロンドン生まれの俳優。父親は英国王室の桂冠詩人であり作家のセシル・デイ=ルイス、母親は女優のジル・バルコン。母方の祖父は映画プロデューサー、姉はドキュメンタリー監督という芸能一家の出身。 ブリストルのオールド・ヴィック演劇学校で演技を学び、1971年に『日曜日は別れの時』で映画デビュー。初期はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどの舞台をメインに活動していたが、1982年の『ガンジー』で映画に復帰。1986年、『眺めのいい部屋』と『マイ・ビューティフル・ランドレット』の2作品で、NY批評家協会賞の助演男優賞を同時受賞し、映画俳優のキャリアが開花。1989年、生まれつきの脳性小児麻痺で左足しか動かすことができない画家を力演した『マイ・レフトフット』でアカデミー賞主演男優賞を初受賞。以降、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)と『リンカーン』(12)でも同賞を受賞し、史上初となる3度の主演男優賞受賞を成し遂げた。 出演作ごとに、長期間にわたる徹底的な役作りをすることで知られる。『父の祈りを』(93)では約14キロ減量し、撮影場所の刑務所で寝泊まりをした。『ラスト・オブ・モヒカン』(92)では半年間の野営生活でハンティングなどのサバイバル術を習得し、ファッションデザイナーを演じた『ファントム・スレッド』(17)では衣装監督のもと1年間の洋裁の修行に励むなど、多数のストイックなエピソードが残されている。 1997年の『ボクサー』出演後に俳優業を一時休業し、イタリア・フィレンツェで靴職人の修行をしていた時期がある。その後、マーティン・スコセッシ監督の説得により、2001年『ギャング・オブ・ニューヨーク』で俳優業に復帰した。2017年、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に続く2度目のタッグとなったポール・トーマス・アンダーソン監督作『ファントム・スレッド』を最後に、俳優業からの引退を表明している。 私生活では、1989年から女優のイザベル・アジャーニと約6年間交際。1995年に息子が誕生するも、破局。1996年、劇作家アーサー・ミラーの娘で映画監督のレベッカ・ミラーと結婚。二人の息子が誕生している。