30年ぶりに俳優としてカムバック
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、エブエブ)の演技で数々の賞を制し、アカデミー賞助演男優賞の受賞も最有力視されている51歳のキー・ホイ・クァン。今季の賞レース中、興奮と喜びを爆発させた彼の受賞スピーチを、会場がスタンディングオベーションで祝福する姿を目にした人は多いだろう。常に謙虚な姿勢でありながらも、彼の気持ちが昂るのは当然のこと。なぜなら、キー・ホイ・クァンは30年前に、自分の意志とは裏腹に役者業から足を洗うことを余儀なくされていたからだ。
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家族で難民に。アメリカへ政治亡命後にスターダムへ
キー・ホイ・クァンは1971年に戦時下のベトナムで中国系家族の元、9人兄妹の7人目としてサイゴン(現ホーチミン)で誕生した。一家は戦後、難民として国を脱出。家族離散を経験した後、1979年にアメリカに政治亡命を果たした。そんな彼がショービジネスに足を踏み入れたのは、12歳のとき。もともと弟が受けるはずだったオーディションに合格し、スティーブン・スピルバーグ監督の大ヒットシリーズ『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(1984)のショーティ(ショート・ラウンド)役に大抜擢。翌年にはやはりスピルバーグが製作総指揮を務めた『グーニーズ』のデータ役で大ブレイクし、80年代を代表する子役となった。クァンはLAタイムズの取材に当時のことを、「この先の道は簡単だと思っていました」と語っている。ところが、人生は彼の思うようにはいかなかった。
インディ・ジョーンズの子役として時代の寵児に
年齢を重ねるにつれ、ハリウッドでアジア人にはチャンスがないという厳しい現実を突きつけられるようになる。俳優の仕事が大好きだったというクァンだが、90年代を過ぎるとちょい役すらなくなり、ついに1993年に役者としての夢を断念。撮影スタッフとして映画業界に関わりつつ、南カリフォルニア大学の映画芸術学部で映画制作を学び、卒業後は主としてアジア映画のアクションシーンの振付や演出、ウォン・カーウァイ監督の『2046』の助監督を務めたりしていた。
その彼を演技の道に引き戻したのが、2018年の『クレイジー・リッチ!』の大ヒットだった。アジア人俳優が出演するアジアを題材にした映画が世界中で受け入れられているのを目の当たりにし、ハリウッドにも変化の波が訪れているのを感じたのだ。
キャリアの低迷を経て、掴んだチャンスで再ブレイク!
再度演技に挑戦すべくエージェント契約を済ませたタイミングで、たまたま『エブエブ』のキャスティングで頭を悩ませていたダニエル・クワン監督が、ツイッター上でクァンの『インディ・ジョーンズ』時代の画像を目にし、クァンにチャンスが巡ってきたという。夢を諦めずに挑戦を決めた勇気、マスターしていた武術、周囲の人にポジティブな気持ちをもたらすエネルギーなど、クァンのすべてが実を結び、彼は約30年ぶりに大スクリーンに戻って来たのだ。それだけに、本人はもちろん、彼や彼の作品を知る者も、このカムバックにエモーショナルにならないはずがない。
『グーニーズ』が繋いだ縁と友情
ちなみに、キー・ホイ・クァンの『エブエブ』の出演交渉を行ったのは、『グーニーズ』(1985)にチャンク役で出演し、後にエンターテイメント専門の弁護士へとキャリア転向をはかった友人のジェフ・コーエンというおまけエピソードも、復活の物語にさらなるドラマを与えるではないか。
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Text: Rieko Shibazaki Editor: Yaka Matsumoto
