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「辛いことはたくさんあったけれど、最終的にはうまくいく」──55歳のパメラ・アンダーソンが語る、Netflixの新作ドキュメンタリーとヴェールに隠された「真実」

俳優、モデル、アクティビストとして活動するパメラ・アンダーソン。自伝の発売とNetflixのドキュメンタリー『パメラ・アンダーソン、ラブ・ストーリー』の配信を控えたタイミングで、55歳になった彼女に『VOGUE』がインタビューを敢行。セックステープが流出した時の思いから、親しかった故ヴィヴィアン・ウエストウッドとのエピソードまで、赤裸々に語ってくれた。
「辛いことはたくさんあったけれど、最終的にはうまくいく」──55歳のパメラ・アンダーソンが語る、Netflixの新作ドキュメンタリーとヴェールに隠された「真実」
Photo: Courtesy of Netflix

パメラ・アンダーソンの人生は波瀾万丈で、おとぎ話のような夢の世界からはほど遠い。しかし、とてつもなくロマンチストである彼女は、おとぎ話を信じている。生粋のストーリーテラーでもあるアンダーソンは、自分の人生の紆余曲折を振り返る時、まるでグリム童話に登場する藁から黄金を紡ぐ少女のように、どんな話であっても面白おかしく語ってくれるのだ(「私はフィンランド人なので、ストーリーテラーの血が流れているんです」と彼女は言う)。

1月31日、55歳の俳優、モデル、アクティビストであるアンダーソンの自伝『Love, Pamela(原題)』が刊行され、Netflixドキュメンタリー『パメラ・アンダーソン、ラブストーリー』も公開された。それぞれ、アンダーソンがカナダの田舎町に住む少女だったころから、90年代のハリウッドでセックスシンボルにのぼり詰め、『プレイボーイ』誌のピンナップとなり、ドラマシリーズ『ベイウォッチ』でカリフォルニアン・ドリームを体現し、何度も名声を失いかけた過程を描いている。もちろん、元夫のトミー・リーと家族で暮らしていた家から盗まれた、有名なセックステープについても言及されている。

辛い幼少時代から、セックステープの流出まで

1990年代のアンダーソン。

Photo: Courtesy of Netflix

「すべて見せるか、なにも見せないかでした」アンダーソンは、彼女が育ったカナダのブリティッシュコロンビア州レディスミスにある自宅から、電話で『VOGUE』の取材に答えてくれた。「私は公に知られているし、私の人生のプライベートな部分の多くが、さらされています。だから、私にできる最善のことは、さらにその上を行って、はじめから自分の物語を自分の口で伝えることです。話を押し付けようとか、人のものの見方を変えようとかするつもりはありません。私に対する人々の考えを変えようとしているのでもない。ただ、ひとりの人間の物語を語っているだけです」 

ドキュメンタリーでは、スモーキーなアイシャドウとフロストピンクのリップが特徴的な、セクシーメイクを落とし、プラチナブロンドのロングヘアに、アイスブルーの目が映える素顔で、一連のインタビューに率直に答えている。その他にも、数十年にわたる未公開のビデオ映像や、彼女が読み上げる日記が見どころだ。「私はただ自分のアーカイブを開いて、全部の日記が入っている金庫の鍵を彼らに渡し、『どうぞ』と言っただけですよ」と彼女は言う。

アンダーソンは、少女時代のトラウマを含む辛い子ども時代や激動の恋愛について、母親になったこと(前夫トミー・リーとの間にブランドン・トーマスとディラン・ジャガーという2人の息子をもうけた)、想像もできないようなプライバシー侵害から逃れて、人生とキャリアを立て直したことなど、これまでヴェールに隠されてきた真実を語っている。また、セックステープが流出したあと、主に男性ジャーナリストから、「ボーイフレンドたち」と「おっぱい」にばかり質問が集中したインタビューを受けたことなど、自身が直面した性差別ミソジニー(女性蔑視)についても赤裸々に語っている。

「永遠の主婦」として過ごす現在

『パメラ・アンダーソン、ラブストーリー』より。

Photo: Courtesy of Netflix

人生で最も大変だった時期を振り返りながらも、アンダーソンは、現在のより穏やかな生活を紹介している。子どもの頃に育ったレディスミスがあるバンクーバー島で両親と暮らす彼女は「永遠の主婦」だと自称し、料理やお菓子作りを楽しみ、ビーチで愛犬たちと過ごしている。またジャックムス(JACQUEMUS)やヘブン バイ マーク ジェイコブス (HEAVEN BY MARC JACOBS)の広告キャンペーンに参加し、『シカゴ』のロキシー・ハート役でブロードウェイデビューを果たすなど、昨年からはキャリアの新しい一幕を楽しんでもいる(『シカゴ』の初日、パメラは「50代から新しいことをはじめてもいいんです」と力説していた)。 Huluのドラマ『パム&トミー』は、彼女の同意なしに作られ、今回のドキュメンタリー映画の制作中に公開されたものだった。だが、そのあとで、こうして自分の物語を取り戻し、真実を明かしたことは、アンダーソンにとって新たな一章のはじまりと言える。

自伝とドキュメンタリーの公開を控えたタイミングで行われた今回の『VOGUE』のインタビューでは、その全貌を語ってもらった。

「最高の経験をする機会に恵まれたと思っています」

『パメラ・アンダーソン、ラブストーリー』より。

Photo: Courtesy of Netflix

──今回出版された回顧録もドキュメンタリーも、タイトルに「Love」が入っていますね。なぜ、愛を共通のテーマとして、真実を語ろうと思ったのですか?

そうですね。 この本は、世界へのラブレターみたいなものだと思っていて、私は何にでも「Love, Pamela」と書くことから、最高のタイトルになると思いました。Netflixがドキュメンタリーにどんなタイトルを付けるのかは、まったく知りませんでした。その部分にはほとんど関与していないので。でも、私はロマンチストなのでしょうね。いつも愛やロマンス、思いやりのある生き方、「官能的な革命」について話しています。だから、私がすることは全部、愛を中心に回っているのだと思います。

──あなたの同意なしに、脚色されて作られたドラマが公開されましたが、盗まれたセックステープが流出された間、どのような生活を送っていたのか、ようやくご本人の口から聞くことができました。真実を語れるようになるのは、どんな感じですか?

私はずっと、タブロイド誌の記事、テレビ番組、複数回の結婚、人々の意見のなかで、踊らされてきました。今回、ようやくはじめて「実際はこうだった」と言える機会が訪れたように思います。「他の人ならどうするかはわからないけれど、私はこうやって笑顔で乗り切ってきたんです」というように。

辛いことはたくさんありましたが、最終的にはうまくいくんですよ。だから、私ってかわいそうでしょ?という、お涙頂戴的な話ではないものとして、伝わるといいなと思います。私は被害者ではありません。素晴らしい人生を歩んできたし、愛やロマンス、そして世界を見るということに関しては、最高の経験をする機会に恵まれたと思っています。とても幸運ですよ。今の年齢になってから、このような視点で自分の人生を書いたことは、私にとってすごく癒しになりましたし、救われたような気がします。

Photo: Courtesy of Netflix

──世のなかから同情が得られなくても、何度でも立ち直るあなたの姿には、奮い立たせられるものがあります。テープが流出したときは母親になったばかりで、残酷とも言える宣誓証言を何度も裁判で行ったときは再び妊娠中でしたが、どのように乗り越えてきたのでしょう?

そうですね、まあ、世間から承認や慰めを得るべきではないということです。そうしたものは、自分自身から得るものですから。私にはいつも、自分のなかに溜め込んで、目の前で起きていることに対処するのとは違う、生き抜くためのメカニズムがありました。でも、妊娠して、ターニングポイントが来たと思いました──もうどこにも逃げられないと悟ったんです。子どもがいますから、どこにも行けません。おなかの赤ちゃんは、私が感じていることをそのまま感じている。この子のためにも、希望を見出さなければならないと思いました。それほど難しいことではありませんでした。そうして私たちは生き延びられたのです。 羽目を外していられる期間は限られていますからね。

負けてしまうような気がしていました。訴訟に負けるという意味ではないですよ……勝ち負けの問題ではないですから。健康、正気、そして満足できる生活を維持するという意味においてです。結果的に、あのときの決断は正しかった。私は今、素晴らしい人生を送っています。満ち足りていますし、これまでの長い年月で一番幸せです。そんなふうに、自分にとって良いと思える決断をしなければなりません。そのときは良いとは思えないかもしれないけれど、いずれ、何らかの形で正しかったと思えるようになりますから。

「スタイリストも付き人も、誰もいなかった」

Photo: Courtesy of Netflix

──インタビューでは、あなたの体のことを執拗に聞かれたり、話のオチにされたりすることについても言及され、体について女性になにかを尋ねるときは、線引きが必要だと話されていますね。もう少し詳しく教えてください。

インタビューを受けるときはいつも、なにか聞かれたら、必ず答えなければいけないと思っていました。よくわかっていなかったんです。当時はパブリシストもいませんでしたし、助言してくれる人もいませんでしたから。話しているときは、そのインタビュー記事が世界中で読まれることになるなんて、思いもしませんよ。ただ、誰かとテーブルを挟んで話している、あるいは電話で話しているだけだと思っているんですから。そうしたことは、場に応じて学んでいきました。人には自分だけに留めておきたいことがあるはずです。残念ですが、私の場合は、収拾がつかない状態になってしまいました。

 1995年、ジェイ・レノが司会する『ザ・トゥナイト・ショー』に出演したアンダーソン。

Photo: Getty Images

──あなたはいつも、自分にフィルターをかけずに、ありのままの自分を表現してきました。今、ようやく文化があなたに追いついてきたというように思いますか?

先駆者というわけではないですが、ハロウィンのコスチュームや、撮影のムードボードに私の写真が使われているのを見て、おかしくなることはありますね。びっくりです。当時は、笑いの種にされていましたが、私はただ楽しんでいただけなんですよ。スタイリストもいないし、付き人は誰もいませんでした。

つい数週間前、パリで、ジャックムス(JACQUEMUS)のデザイナーであるサイモン・ポート・ジャックムスと話したとき、「MTVビデオミュージックアワードにあなたが行ったときのスタイリストを教えて」と言われました。私は、「スタイリスト? あんな格好で外に出させるスタイリストなんていないですよ。私はただ、大きくてふわふわしたピンクの帽子をかぶって、キラキラしたパンツをはいて、コルセットを着けただけ。5分もかからなかった。トミーがメイクをしてくれて、出かけました。本当に楽しかった」と答えました。そうしたらサイモンは、「それを聞いて泣きそうです。あなたがあれを全部自分でやったなんて信じられない。僕はすごく感動したんですから」と言っていました。つい、「本気で言ってるの?」って聞いちゃいましたよ (笑)。

1999年のMTVミュージックアワードにIVY SUPERSONICが手がけたピンクの帽子をかぶって出席したアンダーソン。トミー・リーと。

Photo: Frank Micelotta/ImageDirect/Getty Images

──「あなたが出演したジャックムスのショーと広告キャンペーンは、どちらもインターネット上で話題になりましたね。その経緯と、サイモンとの仕事について教えて下さい。

本当にすごく楽しかったです。サイモンはとても優しい人ですね。私は以前、彼がつくった大きくて美しい麦わら帽子に夢中だったので、ジャックムスの広告キャンペーンに声がかかったとき、「それって、あの帽子のブランド?」と尋ねたら、そうだと言われて、びっくりでした。彼がつくる服があんなにゴージャスだとは思わなかったし、すべてがホワイトやクリーム色で、夢のようなものばかり。素晴らしかったです。それに、私が昔かぶっていたクレイジーな帽子へのオマージュにしたかったなんて、面白いと思いました。

ヴィヴィアン・ウエストウッドとの思い出

ジャックムスの2023年春夏コレクションに来場したアンダーソン。

Photo:Edward Berthelot/Getty Images

──ジャックムスの広告キャンペーンが発表されると、次のシーズンの『ホワイト・ロータス / 諸事情だらけのリゾートホテル』に出演して欲しいという声が上がりました。ドラマはご覧になりましたか?

人気があるのは知っていますが、観ていません。私はずっと 『ワイルド・オーキッド』って名前だと思っていたのですが、それはまた別の話ですね(笑)。出演依頼の話は単なる噂だと思うのですが、他の人にも同じことを聞かれました。ヨーロッパの友人が、「出るの?」って。楽しそうですが、これからどうなるかは、わかりません。ドキュメンタリーと自伝が出たら、ゆっくりと一息ついて、少し静かにしていたいのですが、どうなることでしょう。というのも、何人かがテレビや映画の案件を持ってきてくれていて、いろいろなものが錯綜しているんですよ。だから、次になにをするかは、まだわかりません。家でセーターを編んでいるだけかもしれません(笑)。

ヘブン バイ マーク ジェイコブス 2022-23年秋コレクションのキャンペーンに登場したアンダーソン。

Photo: Courtesy of Heaven by Marc Jacobs

──ドキュメンタリーのなかで、あなたがアーカイブの服をしまっている倉庫を見ている場面は、とても興味深かったです。前回お話したとき、自分でスタイリングしたスタイルが一番自分らしく思えると言っていましたよね。今、特にあなたの90年代のルックに注目が集まっていますが、最近のスタイルを教えて下さい。  

今は、ジーンズとTシャツばかりですね。ここではとてもシンプルに暮らしていて、できるときはずっと裸足で、小さな子どもみたいに走り回っています。でも、自分の服に目を通したり、何年もかけて集めた楽しいアイテムを見たりするのは大好きで、旅行にもたくさん持っていきます。私は、自分のスタイルを決めて、いろいろと組み合わせるのが好きで、別にそれが理にかなっているかどうかは気にしません。あまり流行を追いかけるタイプではないし、携帯電話にはソーシャルメディアも一切入っていません。なにもフォローしていないんです。

E・E・カミングスの名言にこんなものがあります。「あなたを他のみんなと同じにしようと、日夜プレッシャーをかけてくる世界のなかで、自分自身でいることは、人間の戦いのなかでも最も厳しい戦いに挑んでいるのと同じだ」。私は『VOGUE』をリスペクトしています。つねに時代のトレンドをつくりだしてきた歴史に対しては、特に。でもこれまでトレンドを取り入れたことはありません。ヴィヴィアン・ウエストウッドの夫アンドレアス・クロンターラーも、「パメラは服を着せるのが難しくて、服が跳ね返ってくるみたい」と言っていました。でも彼はヴィヴィアンのことも服を着せるのが難しい女性だと言っていました。ヴィヴィアンには独特のスタイルがありましたから。

アンダーソンとヴィヴィアン・ウェストウッド。2009年 ヴィヴィアン・ウエストウッド レッド・レーベル(VIVIENNE WESTWOOD RED LABEL)のショーのバックステージにて。

Photo: Getty Images

──(ヴィヴィアンは)最近お亡くなりになりましたが、本当に残念でなりません。ヴィヴィアンの人生とレガシーを振り返りつつ、お2人の特別な友情関係について伺いたいと思います。ファッションや気候変動問題などの分野において、なぜ彼女はあれほど重要な人物だと思われますか?

ヴィヴィアンは、私を見ていると自分を見ているみたいだと言っていました。私たちはとても気が合ったのです。2人とも、自分の持っているものや才能を、世界のために役立てたいと考えていました。また同じように、人と地球を愛していましたしね。そして、言うまでもなく、彼女はとても勇敢だった。ありのままをずばりと言うヴィヴィアンが好きでした。彼女のショーに行くと、ルックブックには気候変動について書かれているだけでなく、詩やおとぎ話も載っているんですよ。彼女はおとぎ話の大切さがわかっていて、私の祖父の教えと同じでした。ヴィヴィアンに会ったとき、彼女のマニフェストについて私が話しはじめたら、私に腕をまわしてこう言ったんですよ。「あなたにはもう説明する必要はないわね。もうわかっているのだから」って。

私はいつも、ヴィヴィアン・ウエストウッドが私を好きなら、他の人が私を好きかどうかは関係ない、と冗談を言ったものでした。彼女は本当に素晴らしくて、ユニークな人です。誰もが発言を恐れ、なにもかもがポリティカル・コレクトネス的に正しくなければならない、麻痺しているような世界で、彼女はひたすら人々に向かって発言し続けていました。ヴィヴィアンに敬意を示すためにも、私たちは戦いを続けていかなければなりません。

──昨年は新たな「始まりの年」だったとおっしゃっていますよね。『シカゴ』への出演から、自伝、ドキュメンタリーの発表までさまざまなことがありますが、私生活でも仕事のうえでも、他に重要視していることはありますか?ドキュメンタリーのなかで話されている、自分自身との「恋愛」についても教えて下さい。

今、私は崖っぷちに立っている感じです。自伝とドキュメンタリーが世に出ようとしています。次になにが起こるかわかりませんが、私には100%自分を差し出すしかありません。それが誰かを駆り立てたり、助けになったりすればいいし、そうなれば価値があることだと思います。今、私は望んでいたとおりの場所にいます。自由で、開放的で、なにかがすぐそこまで来ているような気がするけれど、それが何なのかはわからない。謎ばかりです。でも、私はそうした謎に包まれ、次になにが起こるかわからないまま生きるのが好きなんです。そして、今がそのときだと思っています。

ジャックムスのJOYEUX NOËL HOLIDAY キャンペーンに登場したアンダーソン。

Photo: Courtesy of Jacquemus

Text: Lauren Valenti Translation: Miwako Ozawa Adaptation: Mamiko Nakano
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