デザインの分野で活躍し成功を収めている女性は、いまでは珍しくはない。しかし20世紀のデザイン史を振り返ってみると、そこに名を残している女性は数えるほどだ。ドイツのデザイン博物館「ヴィトラ デザイン ミュージアム」の2万点にのぼる家具や照明のコレクションでも、男性のデザイナーの手掛けたものばかりが目に留まる。
しかし、2022年3月6日までヴィトラ デザイン ミュージアムで開催されている展覧会「Here We Are! Frauen im Design 1900 – heute(Here We Are! 1900年から今日までのデザイン界の女性たち)」は、時系列で約80名の女性の作品を紹介しながら、これまであまり顧みられることがなかったデザインにおける女性の功績、そしてジェンダー平等までの道のりを紹介している。
展覧会は、1900年から現在まで120年のデザイン史を振り返る4つのパートに分かれている。第一部は20世紀初頭、モダンデザインという観念が生まれたころの欧米の状況を紹介するセクションだ。
20世紀初頭、世界各地で女性たちが政治参加の権利を求めて戦っていたころ、ヨーロッパでは産業革命などを背景に、よりよい生活環境を作るためにさまざまなものを設計、造形する新たな近代デザインの考え方が生まれていた。
また、ドイツで造形学校のバウハウスが開校した1919年は、発足したばかりのワイマール共和国で女性が参政権と学問の自由を得た年でもある。バウハウスはこれまでの学校とは異なり男女平等の授業を打ち出していたこともあって、第一期生は女性の方が多かった。
展覧会の第一部では、「ソーシャルデザイン」に貢献したとして、女性で2番目にノーベル平和賞を受賞したジェーン・アダムスやルイーズ・ブリガムといった、一般的にデザイナーとして知られているわけではない人物たちが取り上げられていることは興味深い。
ジェーン・アダムスは、19世紀末にシカゴで慈善施設ハルハウスを設立し、移民や貧しい人たち、そして女性の自助活動を支援した人物だ。1915年の第一次世界大戦の勃発に際しては平和運動「女性平和党(Woman's Peace Party、WWP)」を結成し、女性の権利、特に参政権の獲得にも尽力し、さまざまな社会改革運動に取り組んだ。社会問題を引き起こす外的状況に対して、解決のための仕組みを作る──この取り組みには現在でいうところの「ソーシャルデザイン」の萌芽が見られるというわけだ。
後者のブリガムの名前はあまり知られていないが、現在のサステナブルデザインの先駆者的な存在として、近年その業績が見直されているデザイナーだ。1909年に彼女が出版した、空き箱をリサイクルした家具デザインをまとめた本『Box Furniture: How to Make a Hundred Useful Articles for the Home』には、貧しい家庭でも安価に使いやすい家具を手に入れられるようにと、作り方のマニュアルが併記されていた。第一次世界大戦後もIKEAなどに先んじて簡単な工具で自宅で作れる組み立て式の家具キットを販売するなど、のちの「Do It Yourself」の動きを先導している。
1920年代から50年代は、社会に進出する女性の増加とともに、女性デザイナーが国際的な成功を収めることができるようになってきた時代だ。
この時代を紹介する第二部には、アイリーン・グレイやメキシコで活躍したクララ・ポルセットといった女性たちが名を連ねている。また1933年には、当時は男性ばかりの職人たちの上に立って、カルティエのクリエイティブ・ディレクターとしてパリのラグジュアリー業界を牽引する存在となったジャンヌ・トゥーサンも登場した。
また、この展覧会では、この時代に活躍したレイ・イームズやアイノ・アアルトとなど、これまでパートナー(前者はチャールズ・イームズ、後者はアルヴァ・アアルト)の影に隠れてしまうことが多かった女性デザイナーの共同作業における貢献に改めて光を当てた。
特に、ここ数年再評価の動きが高まっているのはシャルロット・ペリアンだ。24歳で ル・コルビュジエのアシスタントとしてキャリアを始めた彼女だが、コルビュジェとの共同作業において、これまで知られていたよりも、より多く重要な働きをしていたということが明らかになっている。
「ちょっと、女性への敵対心が感じられた」
ペリアンはあるインタビューでル・コルビュジエについてこう語っているが、同時に、「彼は多くの自由を新たな地平を開いてくれた」と加えている。
自らデザインした大ぶりの真鍮のボールネックレスを首に、シェーズ・ロングに高く足をあげて寝転がってポーズを取るペリアンのポートレートには、既成概念にとらわれない強い意志が感じられる。シェーズ・ロングはこれまでル・コルビュジエのデザインと言われてきたが、最近ではペリアンが大きく関わっていたこともわかっており、彼女の名前が併記されるようになってきた。
また、カンチレバーチェアといえばルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが有名だが、デザインをさらに発展させ、重ねられるようにしたのはスイスのデザイナー、フローラ・シュタイガー=クロフォードの功績によるところが大きい。今回は、そんなフローラの作品も紹介されている。
1960〜80年代は激動の時代だ。フェミニズムに限らず、学生運動や公民権運動など、世界各地でマイノリティの平等を求めてさまざまな運動が起こるなか、女性たちも日常の中に潜む差別について声を上げはじめた。
この時代を象徴するデザインとして展覧会で紹介されているのは、カラフルでポップな芥子の花で知られるマリメッコの「ウニッコ」である。ヨーロッパで初めて1906年に女性に参政権が与えられた国、フィンランドで創業したマリメッコは、これまでのタイトな服から女性を解放し、のびのびと動ける洋服作りを目指した。そのブランドが描く、愛と平和のフラワーパワーのシンボルは、大胆で力強く、いわゆる「花柄」とは一線を画すものだったのだ。
70年代から80年代にかけては、次々と大胆なオブジェや建築を生み出した建築家で照明デザイナー、ガエ・アウレンティや、同じく建築家で工業デザイナーでもあるチニ・ボエリなど、イタリアのデザイナーの活躍が目立った時代でもある。
1990年代から2000年代にかけて、マタリ・クラッセ、パトリシア・ウルキオラ、ヘラ・ヨンゲリウスなど、次々と女性デザイナーが世界中で成功を収めていく。しかしまだ、彼女たちの作品を表現するときに、「女性らしい」という冠が付けられることは少なくない。
展覧会の最後では、ユリア・ローマンやクリスティーン・マインデルツマといった若手デザイナーたちが紹介されている。ローマンはレザーの代用素材としての海藻の可能性を研究しているデザイナーだ。一方のマインデルツマは、一頭の羊から1つのセーターを作ったり、今はあまり使われなくなった亜麻の繊維を家具に生かしたりなど、プロダクトの背景にある既存の生産プロセスに疑問を持つことからサステナブルなデザインを生み出している。性別だけでなく、さまざまなジャンルの枠をも飛び越えながら、デザインを新たに再定義することに貢献していく未来のデザイナーたちだ。
環境問題やさまざまな差別、慣習や生活の在り方などを問い直す時期が来ているいま、デザインの分野でもまた、確立された規範を見直す時期がきている。私たちがこれまで「デザインの歴史」だと思っていたものは、実は「デザインの男性史」であったかもしれない。
既存のデザインや社会の在り方に、思ってもみなかったジェンダーバイアスがかかっていることもある。これからのデザインとは、どうあるべきなのか、誰のために作られていくものなのか。これまでに知られていたデザインの歴史に一石を投じる今回の展覧会は、フェミニズムだけでなく、これからのデザインがどうあるべきなのかということを考えるための材料にもなりそうだ。
Text: Hideko Kawachi Editor: Asuka Kawanabe