──まずはトムさんとの馴れ初めと、それからの付き合いについて聞かせてください。
2016年から18年にかけて、イギリスの大学院に通っていたんです。その時にパートナーとTinderで出会いました。卒業時に、イギリスで働くことも考えたんですが、自分がやりたい仕事に就くための就労ビザをスポンサーしてくれる企業が見つからなくて、日本で働こうと帰国を決めました。当時はまだ結婚するほどの覚悟はできてなかったので、遠距離恋愛をしながら様子を見ようということになりました。ただ、遠距離恋愛はハードルが高いので、結婚も視野に入れながら、まず3年間やってみようというゴールを設定することにしたんです。それで、ちょうどこの春に3年が経ち、やっぱり結婚しようということになりました。
──日本では、同性愛者の結婚は認められておらず、パートナーシップ制度で補完しているような状態ですよね。
法的な効力がないんです。パートナーシップ制度の内容にもよりますが、住民票がその地域にないと担保されない。つまりトムがイギリスに住んでいる限りは、パートナーシップ制度も使えないんです。
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──もし日本で結婚できるという選択肢があったら、日本に住む可能性もありましたか?
はい、検討したかったです。最終的にパートナーと結婚することができるし、一緒に住むことができるのは嬉しいんですが、日本で結婚してパートナーと一緒に住むっていう選択肢がないことは、やっぱり悔しいし悲しい。イギリスに行くことは自分の決断ではあるけれども、日本での結婚を検討できなかったことによって、主体性が失われてしまったと感じています。
自分のライフステージや、その時の状況、あるいはパートナーとの関係によっても、どこに住みたいのかは変わると思うんです。今はイギリスで暮らしたい、のちのちは日本に住みたい、というように。仕事で日本を拠点にしなければならなければ、僕たちには遠距離恋愛の選択肢しかありませんし、遠距離恋愛を続けるのが難しくなれば別れるしかないかもしれない。いろんな困難に繋がってくるんです。だからこそ、選択肢があることが大事だと思います。
──Kanさんはイギリスに移住するにあたって、日本でのお仕事を辞めることになったわけですよね?
そうですね、次の仕事が決まっていない中で辞めることにはハードルがありました。化粧品会社で働いていたのですが、その仕事がものすごく好きなので、自分でイギリスに行くと決めたとはいえ、残念だなという気持ちが強い。でもそれは、日本にある自分の好きなもの全てに対して感じています。家族や友達と離れることしか選べなかったわけですから……。パートナーも日本への移住に対してポジティブだったので、日本に婚姻の平等さえあればこのまま暮らせたかもしれないと思うと、やはり悔しいです。
──今、同性婚の合法化以前に、LGBTQ+に対する差別を禁じる法案すら通らない現状があって、パートナーシップ制度はある意味、抜け道というか、行政で権利を拡大していくみたいになっています。しかし、その対象に外国人は入ってないという状況もあります。そこに何を感じますか?
パートナーシップ制度自体はいいことだと思っていて、確かに法的効力はないとはいえ、同性カップルをはじめ異性カップルじゃない人たちのいろんな愛の形が可視化されることに大きな意義があると思っています。また、地方自治体が多様な愛のかたちを祝福するというのは、当事者にとっては気持ちの後押しにもなる。ただ、パートナーシップ制度が拡大解釈されて、一部の間で、まるで同性婚が実現されたような誤解が生じていることには懸念があります。日本で結婚できないのでイギリスに行きます、というと、「渋谷に行けば結婚できるよ」という、ある種のマイクロアグレッションを受けることが何度もあって。そういった事実とは異なる認識が広がってしまうと、むしろ婚姻の平等が遠のくのではないかと不安です。今、日本で婚姻の平等が実現していないことを悲しむ人が多いという印象を受けています。自分が求めていた議論が少なからず巻き起こっている。これが投票や実際の運動に結びついていってほしいと思っています。
──結びつくといいなと思いますが、ハードルはどういうところに感じますか?
こうしたハードシップに対峙したことのない人は、法的に認められることの重要性について無頓着すぎるところがあると思うんです。それがいかに自分の人生に影響してくるのかを考えられない。
自分が経験できないことって想像するしかなくて、それは僕も同じです。知る、ということしかできない。ただ、僕はマイノリティであると同時に、さまざまな特権も持っていると自覚しているので、自分が経験できないことを知った時に優しさを持って対応するとか、少しでもその人の苦しみが減るように迅速に対応できる人間でありたいし、人にもそうであって欲しいと思っています。今回の差別禁止法も婚姻の平等も、あるいは選択的夫婦別姓の導入についても、辛いから変えてほしい、この状況を何とかしたい、と声を上げている当事者の人たちがいて、それを実際に変えることができる影響力や決定権を持つ人たちが、そうした声を聞いているのに動かないのはおかしい。もちろん、その人たちにもそれぞれの考えや正義があるのかもしれませんが、僕はどうしても、そこが理解できない。やはり、悲しいし悔しいです。
──たとえばどういうときに特権を感じますか?
今回の結婚でも、自分は確かに日本で結婚をすることできないけど、イギリスで結婚することはできる。それができるのは、僕がイギリスの大学院に行くことが出来たからだし、ネイティブスピーカーでないにしても、ある程度英語を話すことができたから。さらには留学できる経済的な余裕や機会もあったわけです。でも、もし僕とパートナーのどちらも同性婚が認められていない国にいたとしたら、遠距離恋愛を続けるしかなかったかもしれませんし、就労ビザで相手の国に行くのか、どこか別の国を見つけるのかという他の選択を迫られたはず。東京に住んでいること自体、情報や人にアクセスしやすいという意味で特権と言えると思っています。
──そういう特権を自覚するようになったきっかけは?
イギリスの大学院でジェンダーとセクシュアリティを学んだこと、そしてそれ以前にも、日本の大学時代に自分で LGBTQのサークルを立ち上げたりしました。当時はオープンに自分のセクシュアリティを話す人が少なかったので、教授たちに求められて授業で自分の経験を話したりする機会があったんですが、自分が当事者だからと言って、そのコミュニティのことや構造に詳しいわけではない。だから、もっとインプットしないといけないと思って大学院で勉強することにしたんです。
ジェンダーやセクシュアリティを深く勉強するまでは、インターセクショナリティの考えや枠組みを知らなかったので、自分は性的マイノリティである、という理解で止まっていました。つまり、LGBTQコミュニティを立体的に見ることができていなかったんです。でも、学問として学ぶうちに自分には特権があることに気づきました。確かに僕は性的マイノリティだけれど、性別が男性であることなど、ほかの特権を持っている。それに起因する自分の何気ない一言が相手を傷つけてしまうことがあり、加害に繋がってしまうことがあると知ることができたのは、自分の中では大きな一歩だったと思います。これから自分がどう考え、学び続けて得た知識をどう行動に反映していくかは模索中ですが、これからも日々、取り組んでいくことなんだろうなと思っています。
──インターセクショナリティの重要性は、アカデミアやLGBT+のコミュニティで近年強く言われるようになってきました。その一方で、どうしても現実社会に翻訳されないまま置き去りにされてしまうこともありますね。
そうですね。というのも、自分が日々生活する中で関わる人たちは、ある程度、自分と生育環境や経済状況、情報へのアクセスやリテラシーが近い人たちが多いと思うんです。一方で、僕よりもずっとマイノリティ性が重なった人たちの場合、たとえ声を上げても、なかなかその声が届かないという構造があります。自分がどう動けばいいかはまだ模索中ですが、それを知ったからには、自分が得たアクセスやリソースを何かしらの形で還元したい。寄り添ったり、何か行動したいというように。ただし気をつけなければいけないと思っているのは、自分が知りたいと思って行動すること自体はいいことだけれど、知りたいという欲求から、その当事者に質問すること自体が攻撃になってしまうということもある、ということ。それは自分の戒めとして、心に留めておきたいと思っています。
──そういう経験が実際にあったんでしょうか?
自分がいつもセクシュアリティについて同じ質問をされることが多い中で、検索すれば出てくるのに……と思うこともあるんです。「渋谷に行けば結婚できる」という話も、検索したら結婚できないって分かるはず。知りたいという欲求があって、話したいという気持ちがあるのは分かるんですが、その行動が果たして正しいかとか最善かというと、必ずしもそうじゃないということです。
今回の差別禁止法の一件にも繋がってきますが、「理解する・しない」ということを選べる立場にあること自体が特権だと思うんです。当事者は「理解する・しない」じゃなくて「経験せざるを得ない」わけじゃないですか。理解しなくても生きていけるという立場にある人が、「経験せざるを得ない」人たちが直面している状況や情報を知ることができるのかを考えないといけないんじゃないかな、と思っています。聞いちゃいけないわけではないですが、寄り添い方の問題かな、と。
──アクティビストとしての意識が芽生えたきっかけは何だったんでしょう?
2013年から1年間カナダに留学したんですが、そこで初めて自分のセクシュアリティを受け入れることができたんです。それまで僕は、自分が幸せじゃないのは自分が悪い、と自分に負荷をかけていたんですが、カナダに行って初めて、幸せそうに生きている性的マイノリティの人たちを見て、自分を肯定的に捉えることができた。その時に、これは自分の責任ではなくて社会が変わらないといけない、それは社会の責任なんだと思ったんです。自分が声を上げることで社会を変化させられる可能性を感じたことで、アクティビストとしての自覚が生まれたのかもしれません。
──さまざまな壁に阻まれることの多いマイノリティの当事者自身が頑張って声を上げざるをえない現状がありますよね。それについてはどう感じていますか?
アクティビストとして声を上げたり行動する以前に、まずは自分の幸せを確保したいとは思います。自分が幸せじゃないのに、自分を犠牲にしてまでコミュニティに手を差し伸べることはできないし、苦しいときに伸ばす手が、果たして他の人を幸せにできるか僕には自信がありません。もちろん、本当に苦しくて声を上げざるをえない人たちもいる中で僕がそうやって言えるのは、さまざまな特権があるからだということも自覚しています。でも、自分の幸せを軽視せずに、その余裕の中で出来ることをしていきたいなと思っています。
──セルフラブですね。
そうですね、そういう人達が増えてきたらいいですよね。ほかに割くことのできる余裕やリソースのある人たちが、本当に困っている人、苦しくて声を上げることすらできない人たちに寄り添うことが大切なのかなと思います。
Photos: Yuri Manabe Text: Yumiko Sakuma Editor: Maya Nago