9月27日、近藤悟史のデビューとなったイッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)の2020年春夏コレクションは、パリ・19区にある多目的センター、サン・キャトルで発表された。電動スケートボードに乗ったモデルたちが会場内を滑走すると、パラシュートの素材で作られたコートが空気抵抗で大きくうねりる。そしてランプシェードのような形をした物体が頭上から降下してきたかと思うと、モデルたちの体を通ってドレスへと変身。軽やかに踊るモデルたちの体を包むシルクジャージーの服が上下に揺れる姿に、ゲストたちは目を奪われた。
「デザインするということは、発見するということ」
イッセイミヤケの創業者、三宅一生は、かつて自身のデザイン哲学をそう語ったが、近藤による初のショーが終幕すると会場には惜しみない拍手が響きわたり、そこに居合わせた誰もが、彼のデビューを祝福した。
過去半世紀にわたり、三宅は身体と衣服の間の空間に存在を与えるような服をデザインしてきた。その結果として、三宅が「誰でも着られる服をつくるということは、私たちと同じ時代に生きる人々、つまりすべての人々のための服をつくること」と述べたように、あらゆる体型に合う、時代を超越したデザインが生まれたのだ。
近藤は、プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)とオム プリッセ イッセイ ミヤケ(HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE )のデザイナーとして、13年間にわたってイッセイミヤケの一員として経験を積んできた。前任となる宮前義之(間もなく発表予定の同ブランドの新プロジェクトに取り組み中)からブランドを引き継いだ35歳の近藤は、コレクションの背後にある理念や、伝統と革新を融合するという創業者の哲学について話を聞いた。
──ファッションに興味をもち、デザイナーを志したきっかけを教えてください。
京都で生まれ、ごく普通の家庭で育ったのですが、幼い頃から絵を描いてばかりいました。 母は資格を持った裁縫の先生で、いつも自分の服を手づくりしていて、その環境が私に大きな影響を与えたのは間違いありません。
2007年の入社前、大阪の上田安子服飾専門学校で勉強していた頃から、イッセイミヤケのA-POC製法(服の形が編みこまれたチューブ状のニット生地を生産するプロセスで、裁断による端切れが出ない)により服づくりに大きな感銘を受けていました。
デザインをするきっかけとなったのは、 服を着るという行為に興味があったからです。毎朝、目が覚めてシャワーを浴び、クローゼットの前に立って「さて、今日は何を着よう?」と考える。毎日服を着るということ、そして一日中幸せな気持ちでいられるような服を選ぶといった行動の中に、喜びを見い出せること。それが私のインスピレーションの源です。その喜びを尊重するようなコレクションを制作したいと思っています。
──コレクションをランウェイ形式ではなく、パフォーマンス主体のショーに仕立てて発表していたのが印象的でした。
従来のランウェイ形式ももちろん良いのですが、コレクションのテーマをより反映できるような、つまり「人が集い、服を着て、心から楽しむ」というイメージを表現できる方法を模索しました。このアイデアを実現するべく、ショーのディレクター兼振付師のダニエル・エズラローと話し合いを重ね、今回のようなアプローチに行き着いたのです。それを起点に、私はデザインのスケッチに取り組みました。すべては、このショーの演出から生まれたのです。
──ショーにはさまざまなチャプターが設定され、「進化」が感じられました。このアイデアの背景にあった思考プロセスは?
イッセイミヤケというブランドには、既存のラインアップに新しい服を加えていくことで進歩するという考えがあります。なので、まず基本となる均一に落ち着いた色からショーはスタートし、そこに原色を重ね、より多様で鮮やかな色合いに変化させました。どの色を使うかという決定において、今、世界で起こっている特定の事象に対する態度を表明するという意味は込めていません。そうではなく、とてもオーガニックに進めていきました。コレクションは、咲きかけのつぼみと捉えたいという思いがあります。
──コレクションは、「ドロー・アンド・コネクト」、「オーバーラップ・アンド・ダイ」、「スウィング・アンド・エクステンド」、「ムーブ・アンド・バウンス」といったキーワードごとに構成されていましたね。
私が手がけるイッセイミヤケでの初のウィメンズウェアということもあり、基本と原点に立ち返るという理念と、抽象的な意味で「裸になる」ということを念頭に取り組みました。最初に登場した「ドロー・アンド・コネクト」は、本質的には無地のキャンバスであり、肌の色の多様性を表現しています。生地には伸縮性のあるジャージーを選びましたが、それによって、身体の輪郭を美しく表現するよう覆うことが可能になりました。
そして、プリント柄の作品に移るわけですが、社内チームがデザインした、抱擁する2人の人物、つまり温もりを象徴する原始的なジェスチャーが描かれています。他のプリント柄も、私たちの内なるエネルギーと温もりを伝えるという理念に基づいた、人間の内臓を抽象化した図柄で構成されています。
また、「オーバーラップ・アンド・ダイ」のピースには、刺し子と呼ばれる刺繍技法を使用しました。刺し子の起源は江戸時代(1615〜1868年)にまで遡ります。元々は、古着を補強するためのランニングステッチでしたが、私はそれを、「Issey Miyake」とごく小さな文字が縫い綴るアイデアを思いつきました。一方、ドレスとコートの模様には、板締めと呼ばれる染め抜き技術が使用されています。まず、手作業で布にプリーツをつけ、隙間なく折りたたみます。その後、それを2枚の板の間に挟み、染料に浸けることで、折り目の部分にだけ染料が触れ、色は各プリーツの中心に向かって徐々に白くなっているのです。
「スウィング・アンド・エクステンド」の作品では、ふわふわとした軽快な感覚を表すことを目指しました。コートはパラシュートのように空気をはらむようにできており、ショーではモデルが電動スケートボードに乗ることで表現しました。これらの衣類の縁の部分は、A-POCシステムを使用しています。このプロセスでもっとも時間を要するのは、デザイン毎に異なるコンピュータープログラムを作成しなければならないことですが、それによって、布の無駄を最小限に抑えることができます。なので、衣服を制作する上で、おそらくもっとも効率的で持続可能な方法だと思います。
「ムーブ・アンド・バウンス」シリーズは、衣服の動きに喜びというメッセージを込めました。プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケのラインで使用されているテクニックを利用し、ドレスに弾むような動きをもたせたのです。まっすぐな機械折りのプリーツを、布地を横切るかたちで水平に当てがい、その後手作業で布地を同心円状のプリーツに仕上げました。これら2種類のプリーツが組み合わさると、布地にバネの効果が生じます。繰り返しになりますが、ブランドは伝統と革新のアイデアから成り立っているのです。
──イッセイミヤケのデザイン哲学とあなた自身のデザイン哲学は、どのように結びついていますか?
私はコレクション全体をディレクションする立場ですが、プリントからニットに至るまで、各分野の専門家とチームを組んで進めています。三宅は今も、すべてのプロセスに深く関与しており、各制作段階で定期的にコレクションを見ています。もちろん、私も三宅に批評されることはありますが、彼はいつも、「自分を見失わずに、表現したいものを表現しなさい。勇気と自信がある人なら、堂々とそれを着てくれる。私たちの服は、いつも人々に自信と誇りを感じさせるものであるべきだ」と言って、我々を励ましてくれます。
今回のコレクションで私が最初に着手した作品は、カップルが抱擁している柄が青くプリントされたオーバーコートです。それを広げると、1枚の正方形の布になります。三宅はいつも、1枚の正方形の布からデザインに取り掛かり、裁断と縫製を繰り返し、すっきりとしたミニマルな服を生み出していました。このコンセプトは決して変わることはありません。私たちはいつも伝統技術を取り入れることを心がけていますが、同時に、「常に前進せよ」という三宅の姿勢と結びつけるべく努力しています。これからも、より良いものを、そしてより高度なものを創り出すという目標に向かって、チームとともに切磋琢磨したいと思っています。
Text: Liam Freeman