イッセイ ミヤケ / ISSEY MIYAKE
■概要 ISSEY MIYAKEは三宅一生が作り出した自身のブランドである。メンズもレディスも手掛けている。1992年には「ロードゥ イッセイ」という香水も発売している。また、セイコーインスツルとコラボレーションをしており、ISSEY MIYAKE WATCHを展開している。かつては、他にも手掛けておりイッセイスポーツやイッセイコレクション、ISSEY MIYAKE WHITE LABEL、ISSEY MIYAKE PERMANENTEといったブランドも展開していた。イッセイ・ミヤケグループの傘下には株式会社エイネットがある。株式会社エイネットでは、ZUCCaやTSUMORI CHISATOなどが展開されている。 ■歴史 1938年、広島県の広島市にて生まれたのが、ブランド創立者でファッションデザイナーである三宅一生。この三宅一生はISSEY MIYAKEのファッションデザイナー及びファッションブランド。また、三宅一生は7歳の時に広島市への原子爆弾投下の際に被爆されてしまっている。その時から考えていた「破壊されてしまうものではなく、創造的で、美しさや喜びをもたらすもの」のすえに、衣服デザインの志向が高まった。 三宅一生は、高校を卒業後、上京して多摩美術大学でグラフィックデザインを専攻、その在学中に装苑賞を2回、佳作に位置づけられる賞を受賞している。また、他にもアートディレクターの村越襄からのオファーを受けた。そちらが東洋レーヨンの1963年のカレンダー用の衣装政策になる。これが、自身の初となる仕事であった。1965年に卒業。その後、パリのシャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌでファッションを学ぶ。ギ ラロッシュやジバンシィのメゾンで経験を積む。そのジバンシィでは、完成した服を絵にする仕事であるデザイナーとなった。その時代は、パリモードがオートクチュールなものからプレタポルテに移行している時代であった。そこで三宅一生は、生地をできるだけ捨てずに使うことを自分の課題としたのである。体に合わせ、たくさんの生地をつないで作るよりも、インドの衣装であるサリーのような一枚の布を身にまとう形が普遍的だと考えていたのだ。パリでは4年ほど修行をして、既製服の経験を積むために、アメリカ合衆国のニューヨークに移った。 1970年に東京に戻り、「三宅一生デザイン事務所」を設立。1971年にブランド「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)」としてニューヨークにてコレクションを発表。 1973年よりパリにてプレタポルテを発表する。これまでの服作りの概念を覆す、1枚布から服を仕立てるという革新的な発想と技術は、世界でも大きな話題を呼んだ。その際に、三宅一生は西洋でも東洋でもない衣服である世界服を創造したのである。こちらは後の1993年に発売されるコンパクトに収納が出来ることや、着る人の体型を選ばない、またしわなどを気にせずにフィットする衣服「プリーツ・プリーズ」の延長線上にあるのだ。また紙やプラスチック、ロープなど布以外の素材を用いた服作りにも挑戦。 東洋と西洋を融合させたデザイン性も人気となり、1974年に「ISSEY MIYAKE」のショップ1号店を青山にオープンし、1975年にはパリに海外1号店をオープンした。 1978年にメンズラインである「ISSEY MIYAKE MEN」をスタート。1979年にブランドのフラッグシップ ショップをパリのサンジェルマン通りにオープンした。 80年代はより身体のフォルムと動きを追求したデザインを発表していく。三宅一生の手掛けるデザインはその時代の日本のデザインとは異なった。当時、日本では生地を服の形にして服を製造していたのだ。三宅一生の意図とは違ったのだ。そのため、自分のやりたいデザインを日本の布を日本で織ってもらい、染屋で染めてもらったものをパリへ持っていきパリでデザインをした。そのため、三宅一生の服はパリではとても人気のあるものであったが日本では売っていないこともあったのだ。 1983年に「ボディワークス展」を開催した。1986年から13年間にわたって、写真家のアーヴィング・ペンがブランドの広告ビジュアルを撮りおろす。美しいビジュアルの数々を収めた7冊の写真集が、これまでに出版にいたっている。 1993年、形状記憶のポリエステルジャージー素材を開発、派生ライン「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」がスタート。どんな動きをしても崩れないプリーツと、美しいデザインの服はブランドの代名詞となる。 1998年、藤原大とともにデジタル・テクノロジーを用いた「A-POC=A Piece Of Cloth(エイポック)」の開発をスタート。一本の糸、一枚の布が服になるまでの革新的なプロセスを確立した。 2000年を前に、三宅一生はデザインの第一線を退き、滝沢直己がウィメンズおよびメンズウエアのデザインを引き継ぐ。1993年にメンズ、1999年にウィメンズを担当している。 2000年より、皆川魔鬼子のディレクションにより新プロジェクト「HaaT」が始動。インドの伝統的な技法や日本で展開する上質なテキスタイルを用いた服作りを特徴とする。 2001年には、21世紀のTシャツをメイン・コンセプトに「Cauliflower」がスタート(現在のme ISSEY MIYAKE)。 2007年の春夏コレクションで滝沢直己は退任した。その後、2007年から2011年まではクリエイティブ・ディレクターに藤原大が就任。 2012年春夏コレクション以降、ウィメンズコレクションは宮前義之がデザインを手がける。メンズラインは、2014年春夏コレクションより高橋悠介がデザインを担当。2010年にはアクセサリーコレクションの「BAO BAO ISSEY MIYAKE」を発表。2012年、研究開発チームのReality Lab.と行っている服作りのプロジェクト「132.5 ISSEY MIYAKE」が、イギリスの「デザイン・オブ・ザ・イヤー2012」の審査会にてのファッション部門最優秀デザイン賞を受賞。「ISSEY MIYAKE」は、若手の作家・アーティストなどを中心とした人材育成にも力を入れていて、2004年に財団法人三宅一生デザイン文化財団を設立した。また三宅一生は、東京ミッドタウン内のデザイン専門施設「21_21 DESIGN SIGHT」のディレクターも務める。2016年3月からおよそ半年間にわたって「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」が東京の国立美術館で開催された。45年間におよぶ壮大な仕事を通して、三宅のものづくりに対する考え方やデザインアプローチが紹介され、好評を博した。 ■商品ラインナップ イッセイ ミヤケはメンズ、ウィメンズともに様々な商品を展開している。衣服には、創立者である三宅一生が考え一貫している「一枚の布」でのデザインを大切にしたものが多い。長年にわたり、デザイン、製造だけではなく研究や実験、開発をも行い、常に完璧で新しいものを世に出すために作り続け、挑戦をし続けている。また、1989年に発表したプリーツが発展していて、技術開発によって軽量で、着やすく、扱いやすい製品へと進化をさせ続けた。そのため、世界中の女性から愛される商品となったのである。しかし、このプリーツは、女性にだけ人気のあるものではない。メンズの男性が着る際にしわにならず、乾燥性に優れた素材を使用している。他にも、規則性のある一定の幅で肌に密着しないような工夫が施されている。そのような様々な工夫があり、人気のある商品となっているのだ。 イッセイ ミヤケは服だけではなく、金子眼鏡と共に眼鏡の販売も行っている。日常的にものを重心としていたベーシックスタイルなデザインを掲げている。 有名人やセレブにも人気のあるイッセイ ミヤケ。黒いタートルネックがトレードマークであったスティーブ・ジョブスの服は三宅一生のデザインの物だ。他にも、日本人ではビートたけしなおも愛用している。他にも、「ロードゥ イッセイ フローラル」などの香水は日本の芸能人でも愛用しているものが多い。どの香水もさわやかな香りが多く、嫌味のない香りで人気がある。バッグのBAOBAOも持つものが多い。 ■デザイナー 創立から1993年まではメインでブランド創立者である三宅一生が手掛けていた。1993年からはメンズを滝沢直己が引き継いでいる。同じく、滝沢直己は1999年にはウィメンズの方のデザインも引き継いだ。滝沢直己は2007年に退任をしていて、その後には2007年から藤原大がクリエイティブディレクターに就任している。2011年には退任し、2012年からは宮前義之がウィメンズを担当している。ちなみに、メンズは2014年から高橋悠介が担当している。 ■日本での活動 イッセイ ミヤケの作品は、初め日本人にはあまり人気のないもので日本では売っていることがあまりなかった。それどころかどこにも売っていない時期もあったぐらいだ。しかし、パリではとても人気が高く、日本の式や染め物を使用してそれをパリでデザインし、発表をしていた。2010年には広島市名誉市民、皇居にて文化勲章を受章している。 ★イッセイ ミヤケ 注目コレクション: ★イッセイ ミヤケ 注目記事: ・イッセイ ミヤケ「ロードゥ イッセイ」に新香調が仲間入り。 ・スペシャルシリーズ IKKO TANAKA ISSEY MIYAKEが誕生! ・プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケのハッピーカラーで奏でる... ★イッセイミヤケ コレクション一覧TOPページ: ★イッセイ ミヤケ 関連キーワード: ギ ラロッシュ / タキザワ・ナオキ ★イッセイ ミヤケに関連するサイト: ・VOGUE (UK) ・VOGUE GIRL ・GQ JAPAN ・Facebook ・Wikipedia ・Twitter ・イッセイ ミヤケ公式サイト