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編集長の基本をアップデート── 追悼。仲條正義先生、本当にありがとうございました。【後編】

私が『花椿』誌で長らくお世話になったアートディレクター、仲條正義さんのインタビュー後半をアップ準備していた10月26日。先生の訃報が届きました。呆然とする中、同時に「早く仲條さんの言葉をみなさんにも届けたい」と強く思いました。先生!「モードの精神」私、忘れません!  ※前編はこちらから
グラフィックデザインは死んだ?  

仲條  今じゃグラフィックデザインも変わったよね。広告がテレビになったり、映像になっちゃったじゃない。  

渡辺 もう印刷のグラフィックというものじゃない、ということですか?  

仲條 そう。あと、バーンって駅に貼られるような⼤型のもの。だからもう(グラフィックは)死んでるよね。  

渡辺 そういう⼤きなものになると、デザインの考え⽅が違っちゃうんですか。  

仲條 デザインの考えというか、いわゆるデザインというよりビジネスというか。だから映像に付随した流れで出来上がった記号みたいなもんだ。  

渡辺 記号ね。何となく分かる気がします。それはもうデザイン作品というより、何かの刺激だったり、分かりやすい徴(しるし)だったりするという。  

仲條 伝えるもの、だからシンボルみたいなね。信号みたいなもんだ。  

渡辺 信号・・・刺激ですね。でも、そうしたらグラフィックデザインの未来はどうなるんでしょう。  

仲條 ところが、⽇本だけが残ってるかなって感じだよね。  

渡辺  グラフィックデザインの才能や⽂化みたいな?  

仲條 うん。でもエディトリアルの問題もあるけどね。  

渡辺 雑誌も昔に⽐べて勢いや影響⼒はなくなっていますし。デジタルの時代ですからね。  

仲條 (雑誌がないとグラフィックの)アイデア(を表現する場も)なくなっちゃうし。でも、両⽅(紙とデジタル)体験できてよかったじゃない。  

渡辺 前向きに考えればそうですね。例えば仲條さんが最近、⾯⽩いと思ったクリエーターや作品はありますか?  

仲條 今、バンクシーかな。  

渡辺 バンクシー、⾯⽩いですか。  

仲條 うん。やっぱりイギリスだね。  

1988年の『花椿』より。バラをテーマにした特集。写真は、イギリス人写真家のシンディ・パリマーノ。 Photos:  Cindy Palmano

渡辺 仲條さんが『花椿』のときに組んだカメラマンにはイギリスの⼈が多かったですが、そもそもカメラマンを選ぶ基準って何だったのでしょうか。この⼈はいいね、と思う基準って。  

仲條 それは、⾔うこと聞くやつだね(笑)。俺の⾔うこと聞くやつ。いちいち反抗するやつは組んだって⾯⽩くないから(笑)。  

渡辺 でも初めて選ぶ外国⼈のカメラマンの場合、作品だけ⾒て、この⼈とやろうかって決めたりしてたじゃないですか。そのときは何がポイントだったのかなと思って。  

仲條 何だろうね。まず雑誌はよく買ってたよね。写真が好きなんだよね。  

渡辺 好きな写真とそうじゃないものって、やっぱり分かれるでしょう?  

仲條 ちょっとメインコースから外れたような⼈がいいと思ってたんだろうね。例えば、ある時期はみんなアーヴィング・ペンがいいとか⾔ってたけど、あんまり好きじゃなかった。  

渡辺 それってご⾃分の作⾵とは違うから?  

仲條 (俺は)育ちが悪いからだよ。  

渡辺 なんですか、それ。  

仲條 育ちが悪い。⼤⼯の息⼦だもん。親⽗のことが⼤好きだったな。仕事場にもよく⾒にいって。(⽗親の)つくるもののセンスも良かったと思うよ。  

渡辺 アーヴィング・ペンが素晴らしい写真家であることは確固たる事実ですが、構図にしても何にしても“完璧”に思えます。⽂句のつけようがないというか。  

仲條 ああいうのはね。どうもね、外れもんなんだ、俺はね。そういう質(たち)なんだ。  

 ズレや違和感が生むもの。

2017年、HBギャラリーで開催された個展「2017、仲條」のイラストレーション。

渡辺 仲條さんのデザインって、なんでこうなるのかなみたいな、ズレとか違和感とか必ずあるじゃないですか。天使がおじさんみたいな顔してたり(笑)。それはもう、さっき⾔ったような仲條さんの信念なんですかね。  

仲條 信念じゃなくて体質だね。この、変にズレてる、わざとズラすとか。性格、悪いんだよ。これ、書いといて。  

渡辺 しっかり書いときます(笑)。じゃあ、体質と信念は違うものなのですか?  

仲條 両⽅が重なってたからね、俺の場合は。  

渡辺 でも、体質と違う信念ってあまりない気がする。  

仲條 スポーツ選⼿だって、みんな、そうだと思うよ。テニスだって、こう来りゃ、こっちで、逆に回して、とか。野球でもさ。あれ、意地悪じゃなきゃできないよ。  

渡辺 素直な⼈は勝てない・・・。でも仲條さんは何かに勝とうと思っていたのですか。  

仲條 思わないね。競って・・・。  

渡辺 若い頃も?  

仲條 うん。あんまり競争してとか。絶対、これ取ってやろうとか。コンペとか、いつも下⼿だから取れたことないんだけど。争うのが⾯倒くさいね。  

渡辺 なんで⾯倒くさいのですか。  

仲條 平和主義だから。  

渡辺 ひねくれ者の平和主義?  

仲條 意気地なしなんだよ。⼦どものときから、ね。  

渡辺 審査員にはわからないのじゃないかとか・・・。

仲條 そんなことありませんよ(笑)。そういう⽣意気なことは⾔わないよ。素直に俺が好き勝⼿なことさせてもらってんのを、こうやって許してくれたってことはありがたいよね。だって、よく今までこんなことで⽣きられたと思わない? ⼤体、あんまり商売にならないような仕事が残ってますけどね。  

1994年、松屋銀座で開催された「1994現代ポスター競作展 21 VS. 21」より。(日本デザインコミッティー)

渡辺 仲條さん、⾃分が裸でモデルになった作品あったじゃないですか。あれは、なんで⾃分を被写体にしようと思ったのですか。  

仲條 あれはね、実は松屋銀座で展覧会があって、旧⼈と新⼈をペアにするみたいなテーマで。最初は絵でやろうと思って描いてたんだけど、もう間に合わないし。そのときニュージーランドロケに⾏ってて、カメラマンの富永⺠⽣さんに、「ミンセイ、ちょっと付き合ってくれよ」って、半⽇で撮影したの。  

渡辺 じゃあ時間もないから、写真で表現するには⾃分でやるしかないって。  

仲條 そう。だって素材がないし。やっぱり5、6 点は作んなきゃならないから、⼀⽣懸命、考えて。でも、あるのでやるしかないじゃん。  

渡辺 ガムテープとか。これは⾃分で貼ったのですか?これは、頭、剃って?  

仲條 そう。「ライフ」というテーマでね。  

渡辺 ⽣⾝の⾁体だからライフですもんね(笑)。でももう突き抜けちゃった感じがします。 皆さんびっくりしたんじゃないですか、これ。  

仲條 びっくりしたみたい。松屋の裏⼝からそーっと持ってって。「なんだ、仲條」なんて⾔われた。あと⻲倉さん(⻲倉雄策/アートディレクター)が「ばかだね」って。⻲倉さん、いつも「おまえは変なやつだな。路傍の⽯だ」っつってね。  

渡辺 路傍の⽯・・・。  

仲條 昔はね。何しろはぐれてた。  

 ⼤事なのは「モードの精神」 。

2002年の『花椿』より。コム デ ギャルソン特集。 Photos: Tamotsu Fujii

渡辺 仲條さん、さっき、ファッションはやっぱり⼀番すごいっておっしゃいましたけど。 今のファッションデザインを⾒て、何か思うことありますか。  

仲條 あんまり⼼が動かない。やっぱり(昔の)シャネルとかだね。やっぱり”モード” がある。  

渡辺 先程も話にでましたが(前編)、「モード」とは、伝統や精神という意味合いですね。

仲條 モードの精神ね。  

渡辺 ファッションの歴史は“伝統”にいかに反発するかの繰り返しですが、つまりそれは “伝統”を知らなければできないことです。ココ・シャネルは伝統に反発することで新たな伝統を確⽴した最も明らかな例ですね。  

仲條 みんな今は、T シャツだもんな。“モード”の時代じゃないんじゃない?  

渡辺 仲條さんはコム デ ギャルソンは、どう思います?  

仲條 コム デ ギャルソンも⼀時期、着たんだけれど着づらかったかな(笑)。こんな貧弱な体だからね(笑)。  

渡辺 デザイナーとしての川久保玲さんはどうですか?  

仲條 ⽴派な⼈だと思うよ。あの⼈も“モード”あるしな。モードの精神、知ってるわね。  

渡辺 芯は本当にそこにあると思います。『花椿』でもよくコム デ ギャルソン特集やっていましたよね。ところで、エディターに必要な要素って何だと思いますか?  

仲條 オールマイティーじゃないとだめだろうね。何でも分かる。⽂章が分かる、写真も分かる。 

渡辺 やっぱり編集って総合的に⾒るものだからですね。  

仲條 そうだね。まとめる役だからね。ディレクターもカメラマンもモデルも編集が選ぶじゃない、昔は特にね。昔は、偉かったもんね。カメラマンが撮っている最中でも「違うでしょう」なんてやってた。  

1994年の『花椿』より。ギリシャで撮影したモノクローム・ストーリー。 Photos: Tamio Tominaga

渡辺 仲條さん、よく『花椿』のいろいろな企画のアイデアを考えるときに、「昨日テレビでこんな映画観てさ」とか、「最近こんな本読んでさ」、という話から始まることがたくさんありましたね。  

仲條 それで⾏ったよな、ギリシャへもな。  

渡辺 そう。あれは仲條さんがお家で深夜に絵を描きながらたまたま観ていたモノクロームの映画から始まったんですよね。特別有名な作品じゃなかったけれど。そこから、モノクロ写真のなかに⼀部分だけ⾚が⼊っているとすごくいいよねって。今回の作品集でも、服部さんがその写真を選んでくださって、うれしかったです。  

仲條 ギリシャの⽥舎町だ。そのまま再現したいと思って。  

渡辺 それでもう、いきなりギリシャに⾏こうみたいな話になったんですよ。東銀座とその後の元⿇布の仲條デザイン事務所で、毎⽉レイアウト⼊れをやっていましたが、終わってから深夜にビールを飲みながら新しい企画のお話をするのがとても楽しかったんです。私が、編集という仕事の喜びを知ったのは、あの時間のなかで、仲條さんの「頭の中」に追いつこうとするあてどない対話(笑)がひとつの⼤きな経験になった気がします。どんな⼩さなことでも、気になったことからアイデアを広げていく思考の⽅法を学んだ気がしました。荒唐無稽な⾶躍も含めて(笑)。最後に、ひとつ質問したいことがあったのですが、時間もなくなってしまったので今度うかがうのを楽しみにとっておきます。仲條さんは「デザインは愛かもしれない」と、この本に収録されたテキストで書いていらっしゃいます。 その「愛」の意味が知りたいです(笑)。

(追記/2021年10月28日)
最後の「愛」についての質問は、結局、永遠に質問のまま宙に浮いてしまいました。これからずっと、そのことを考えながら生きていくつもりです。仲條さん、一緒にお仕事できて、なにはなくとも心底楽しかった。ありがとうございます。心よりご冥福をお祈りいたします。「愛」についてはまだ謎が残りますが、私はほんとうに幸せ者だと思います。それだけは、わかります。「間違っても信念」ですよね。(渡辺三津子)

Profile
仲條正義(なかじょう まさよし)
グラフィックデザイナー、女子美術大学客員教授。1933年東京生まれ。1956年、東京藝術大学美術学部図案科を卒業後、資生堂宣伝部に入社。1961年に仲條デザイン事務所を設立。1967年から2011年まで、資生堂企業文化誌『花椿』のアートディレクションを手がける。紫綬褒章、東京ADC会員最高賞、毎日デザイン賞、東京TDC 会員金賞など受賞多数。

Interview& Text : Mitsuko Watanabe Photos: Daigo Nagao