毎年春に送られるメットガラの招待状には、その一番下に、とても重要な事柄が小さく書かれている──ドレスコードだ。たとえば、2019年のテーマ「キャンプ:ファッションについてのノート」におけるドレスコードは「Studied Triviality(考え抜かれたばかばかしさ)」で、2021年「イン・アメリカ:ファッションの辞書」では「American Independence(アメリカの独立)」だった。そして、来たる2022年5月2日(現地時間)のメットガラ「イン・アメリカ:ファッションのアンソロジー」では、「Gilded Glamour(金色に飾られた魅力)」と「White Tie(正礼服)」がドレスコードとなる。
19世紀後半、華やかなニューヨークの文化。
そうとなったら、今すぐにイーディス・ウォートンによる小説『無垢の時代(Age of Innocence)』と『歓楽の家(The House of Mirth)』)を復習せねばならないだろう。メットガラ2022が求めるのは、アメリカの資本主義が急成長をみせた19世紀後半の「ギルディッド・エイジ(金ぴか時代)」におけるニューヨークの壮大さを、そして同時に生まれた政治腐敗や経済格差などの産業化・都市化の矛盾すらも、体現することなのだから。
1870年から1890年まで続いたこの「ギルディッド・エイジ」(1873年にマーク・トウェインがこの言葉を作ったとされている)は、前例のない繁栄、文化の変化、そして産業化の時代であり、高層ビルも富も一夜にして成ったかのような時代だった。新興のヴァンダービルト家が乗り込んでくるまでは、アスター夫人を筆頭とした400名の上流グループが当時のニューヨーク社交界を支配していた。トーマス・エジソン が発明し、1882年に特許を取得した電球は、まずはじめにニューヨーク・タイムズ社のビルを照らし、街全体を照らすに至った。
1876年にアレクサンダー・グラハム・ベルが電話を発明すると、電話回線オペレーターの需要が生まれた。結果として、それは女性が働き手として大量に社会進出するきっかけとなる。賃金は高騰し、ヨーロッパを大きく凌いだ(ただし、ジェイコブ・リースが『向こう半分の人々の暮らし』で描いたように、すべての人が恩恵を受けたわけではない)。何百万人もの移民がエリス島からニューヨークへと流れ込み、「疲れし者、貧しき者を我に与えよ。自由の空気を吸わんと熱望する人たちよ」というエマ・ラザラスによる詩の一節が台座に刻まれた、当時建立されたばかりの自由の女神が彼らを導いた。
建築家のマッキム・ミード・アンド・ホワイトは、ニューヨーク五番街にボザール様式の建物を次々と建て、美しい街並みを作りあげた。そして1892年、「世界中の教養ある市民の視点」を伝えることを使命として『VOGUE』が創刊。当初の株主には、コーネリアス・ヴァンダービルト2世、ピーター・クーパー・ヒューイット、ジョン・E・パーソンズなどが名を連ねたが、それぞれの末裔は、今でもニューヨークにおける重要人物である 。
主流はジュエルトーンの「過剰」な装い。
この時代の上流階級のファッションは「過剰」のひと言に尽きる。電気式や蒸気式の織機が登場し、より早く、より安く、布地が生産されるようになった。その結果、女性用ドレスは、サテン、シルク、ベルベット、フリンジなどさまざまなテキスタイルを組み合わせ、レース、リボン、フリル、ラッフルなどの華やかな装飾で飾られることが多くなった(要するに「多ければ多いほどよい」という暗黙の了解があったのだ)。
高級感があり深みのあるジュエルトーンの色彩が好まれ、薄い色はニューヨークの街を歩くのに実用的でないとされ、自宅でのみ着用された。帽子は外出時の必需品で、羽根飾りも人気だった(事実、野生鳥獣の保護を目的とするオーデュボン協会が1895年に設立されたのも、野鳥を帽子製造業から守るためだった)。 コルセットは一般的で、1870年代から1880年代後半にかけては、女性たちは臀部を大きく見せるためにバッスルも愛用していた。
当時は「バッスルの上でお茶会ができるほどに大きくしなければならない」とまで言われていたほど。しかし、1890年代までにはバッスルの流行も衰退し、マトンスリーブ、ベル型スカート、ポンパドールヘアに取って代わられた。この新しいスタイルは、チャールズ・ダナ・ギブソンによるイラストによってさらに普及し、砂時計型のギブソン・ガールのペン画は、出版物や広告で絶大な人気を博した。
動きやすい「シャツブラウス」も普及。
しかし、「ギルディッド・エイジ」のファッションが全てフォーマルだったというわけではない。裕福な人々の間でサイクリングやテニスなどのレジャーが流行すると、スポーツウェアはワードローブに欠かせない存在となった。1897年にジョン・シンガー・サージェントが描いた社交界の華、イーディス・ミンターンの肖像画に代表されるように、多くの女性はロングスカートとフェミニンなブラウスを組み合わせ、動きやすい「シャツブラウス」アンサンブルをファッションに取り入れた。
とはいえ、パーティーや舞踏会、夜会では、アメリカがかつて経験したことのないほどに贅沢なスタイルが繰り広げられることになる。上流階級の人々がよく通ったオペラには厳しいドレスコードがあり、女性はデコルテを露出したチュールドレス、毛皮のついた豪華なマント、肘まである手袋を着用し、男性はトップハットをかぶることが必須とされた。また1880年代はアメリカにタキシードが上陸した時代でもある(都市伝説の域を出ないが、ジェームズ・ポッターという男性がタキシード・パークで開催されたカントリークラブの舞踏会にイギリス発祥のこのデザインを着て現れたのが、「タキシード」という名前の由来という説もある)。
奇抜な仮装パーティーに集う社交界の人々。
才能あふれる女主人たちが開いていた奇抜な仮装パーティーは、熱狂的で幻想的なファッションに彩られていた。1883年3月、アルヴァ・K・ヴァンダービルトが娘のコンスエロのために開いたパーティーは、この時代の最も豪華な祝宴として語り継がれている。「ヴァンダービルト舞踏会は、この街でここ数年の間に開催されたどの社交行事よりも、ニューヨーク社交界を引っかき回した」と当時の『ニューヨーク・タイムズ』紙も大々的に報じ、「四旬節が始まる一週間ほど前に開催が発表されて以来、他のことはほとんど話題に上らなくなった」とも綴っている。
招待客は衣装の細部に(そして金額の大きさにも)驚異的なこだわりを見せた──アリス・クレイプール・ヴァンダービルトは「電気照明」に扮し、ダイヤモンドで縁取られたサテンの白いガウンに、ダイヤモンドのヘッドピースをつけ、アクセサリーとして電球を持って登場。一方、エイダ・スミスは、ドレスのトレーンや扇も含め、すべてが孔雀の羽で覆われた衣装を身に着けていた。また、黒とクリーム色のサテンに金色の星が刺繍された服を着て、ダイヤモンドのネックレスと髪飾りをつけたゲストもいた(この時代に五番街の高級宝飾店、ティファニーが人気を得はじめたのもうなずける)。
メットガラ2022のドレスコードを各ゲストがどう解釈するかは、5月の第一月曜日にならなければわからない。しかし、まだ衣装で悩んでいる方々のために、最後にイーディス・ウォートンの『無垢の時代』から、どこまでも優美なオレンスカ伯爵夫人について書かれた節を引用しておこう。
「まるで蝋燭の光で編まれたドレスを着ているかのように、彼女の何もかもがきらきらと輝いていた。そして彼女の堂々とした佇まいは、部屋いっぱいの競争相手に挑む美女のようであった」
Text: Elise Taylor Translation: Fraze Craze
From: VOGUE.COM
