ヴィヴィアン・ウエストウッド、葬儀、参列者
FASHION / TREND & STORY

たくさんの愛に包まれて。ヴィヴィアン・ウエストウッドの追悼式にケイト・モス、ヴィクトリア・ベッカムらが出席

昨年12月にこの世を去ったパンクの女王、ヴィヴィアン・ウエストウッドの追悼式が2月16日(現地時間)、ロンドンのサザーク大聖堂で開かれた。デザイナーと親交のあったヘレナ・ボナム=カーターケイト・モスマーク・ジェイコブスヴィクトリア・ベッカムなど多くのゲストが出席し、哀悼の意を捧げた。

ウエストウッドの夫であるアンドレアス・クロンターラーは、彼女との思い出を2つ語ってくれた。ひとつは1988年、ウィーンでファッションを学んでいた彼が、講師だった彼女と付き合い始めて間もない頃のエピソード。歴史的名画を見に行ったデートでの彼女の装いを振り返り、「彼女はセンセーションそのものでした」と回想する。「チョコレートブラウンのベルベットキャットスーツに身を包んでいて、腰にはスカーフを巻いていた。それから足もとにはロッキンホース。ピンクのヒョウ柄のフェイクファー。それからカールしたオレンジの髪」。その日、彼女にベラスケスとルーベンスの作品を見せたと話す彼のネクタイには、ルーベンスの絵が描かれていた。「この絵を見つめる彼女を目の前にした瞬間、私はこの人が運命の相手だと、ずっと一緒にいるのだと思いました」と、そのとき抱いた想いを述べた。

2つめのエピソードは、ウエストウッドの晩年。彼女はタオイズムに没頭し、お気に入りの漢詩の本を何度も読み返していたそうだ。ボロボロになってしまった本を修復する約束だったが、いくら探してもページの一部が欠けていることに気づいたという。そしてそれらのページは、彼女が亡くなってからようやく見つかった。クロンターラーは最後にこう締めくくった。「ヴィヴィアンは今日、私たちをこの場に集めてくれました。彼女が何よりも望んだことは、私たち一人ひとりが世界をより良い場所にするために、全力を尽くすことでした」

デザイナーが残した「やることリスト」

1999年、息子ジョセフ・コーレとセレナ・リースのウエディングレセプションにて。幼いコーラの姿も。

Photo: Tom Wargacki/Getty Images