リリー・コール / Lily Cole
1988年5月19日生まれのリリー・コール(Lily Cole)は、英国ロンドン出身のモデル、女優。父クリス・コールと母ペイシェス・オーエンの間に生まれる。179cm。 14歳でスカウトされ、ケイト・モスを輩出したストームモデルズと契約を獲得。2003年イタリア版「VOGUE」に主要な新人モデルとして紹介され、注目を浴びるようになる。2004年ランウェイデビュー、さらに未来のスターモデルを発掘することで知られる大御所フォトグラファー、スティーブン・マイゼルとの撮影で一躍その名がファッション業界に知れ渡る。シャネル、エルメス、ロンシャン、マーク・ジェイコブス、キャシャレルなど多くのブランドのキャンペーンに登場。 丸い顔につんと上を向いた鼻、燃えるような赤毛のルックスは当時のドーリーフェイスのブームにのり、時代を代表するモデルの1人に。現実離れしたドーリィな雰囲気でフォトグラファー ティム・ウォーカー(Tim Walker )の幻想的な作品にも多く登場している。 2004年、2007年と二度にわたりイギリス・ファッション・アワードのモデル・オブ・ザ・イヤーを受賞。2009年、フランス版「VOGUE」で2000年代のトップモデル30のうちの1人であると発表された。 2009年10月、1834年創業で世界で最も古い化粧品ブランドのひとつ「リンメルロンドン」のキャンペーンモデルに起用される。 マークス&スペンサーのモデルと務める中では最年少のモデルである。 2010年度のピレリカレンダーに、デイジー・ロウらと出演。米フォトグラファーのテリー・リチャードソン(Terry Richardson)撮影。 21歳で資産20億とも言われる。 また、英国が誇る名門大学、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジを主席で卒業したほどの才女でもある。モデル業の傍ら3年間にわたり美術史を専攻し、優秀な生徒に贈られる賞「doublefirst honours」を授与された。 環境保全活動や慈善活動への取り組みも深く、実業家としての顔も持つ。 2010年、タイ北東部に位置し、1万5000人の難民が生活しているというバン・マイ・ナイ・ソイ難民キャンプを訪問。 また、難民救済を目的としたチャリティ団体「ChristianAid’s」のクリスマスキャンペーンの広告塔も務める。 ソーシャルネットワーク上で自分の技術や知識、サービスをシェアし相互に助け合うことを目的とした「Impossible.com」をローンチ。これはリリーがケンブリッジ大学在学中に書いた「Impossible Utopias」をもとに、Wikipedia (ウィキペディア) の創設者である Jimmy Wales (ジミー・ウェールズ) のバックアップを受け完成したもの。 また、ブランドコンサルタント会社「Eco-Age 」を率いるリヴィア・ファース(Livia Firth)を尊敬しているというリリー。 ファッション業界が環境問題について、より意識を高めることを推進している「Eco-Age Ltd」。 リリーは、自分たちがモデルとして登場し、推賞する商品がどのようにして作られ、どうやって原材料供給を確保しているかを考察し、より原材料のサプライチェーンをはっきりと公開している企業との仕事を優先すべきだという考えに至ったという。 女優業では2007年公開のコメディ映画「St.Trinian’s(原題)」で、映画俳優としてデビュー。 いくつかの作品の出演後、2009年に公開されたテリー・ギリアム監督作品『Dr.パルナサスの鏡』で初の主要キャラクターを演じ、ジョニー・デップやジュード・ロウ、ヒース・レジャーなどそうそうたる面々との共演を果たした。2012年、少女から老婆に変身させられてしまう役で映画『スノーホワイト』に出演。2008年、元ロキシー・ミュージック(Roxy Music)のリーダー ブライアン・フェリーや、ヒース・レジャーの遺作として話題の映画『Dr.パルナサスの鏡』で共演したコリン・ファレルとの交際も報じられた。 2011年、2年半交際した俳優のエンリケ・ムルシアーノと破局。 2013年には、twitterの共同創業者兼CEOであるジャック・ドーシーとの交際が浮上。 リリー・コールは、2015年3月には、ボーイフレンドである、ポルトガル・リスボンを拠点にする起業家、クワミ・フェレイラとの間に第1子を妊娠したことを発表した。 2017年9月11日に女児(ワイルド・コール・フェレイラ)を出産。