キャリー・マリガンがキャリアの初期にブレイクのきっかけをつかんだ映画『SHAME ‒シェイム‒』(2011)には、とにかく驚かされる一シーンがある。それは、彼女が演じる悩み深き女性キャラクターが、切々と「ニューヨーク、ニューヨーク」のスローバージョンを歌う場面だ。この映画の監督、スティーヴ・マックイーンはこの場面で、カメラを彼女の顔ぎりぎりまで引き寄せたクローズアップを採用した。そのため、「ニュースを広げよう……」という歌い出しから、誰もが知る名曲を歌う彼女の目が、意気揚々とした歌詞とは裏腹に、完全に生気を失っていることがありありとわかる。このシーンの中で、とりたてて大きな事件が起きるわけではない。だが同時に、キャリーが歌う間に、ありとあらゆることが起きている。なぜなら、私たちがこのシーンで目にするのは、自らの内にある情熱をどうにかして保とうと苦闘する人間の姿だからだ。これぞ演技というものだ。
新作『マエストロ:その音楽と愛と』(2023)でも、キャリーはこのときと同様に、魔法のような名演技を見せる。しかも今回は、音楽に耳を傾けるだけで心模様を表現するという離れ技だ。ここでキャリーが演じるのは、伝説的な指揮者にして作曲家であるレナード・バーンスタインの妻、フェリシア・モンテアレグレ──注目の的となる主人公ではなく、そうなることもあり得ない存在だ。フェリシアはたぐいまれな天才と結婚し、その人生は夫の野望、そして欲望によって支配されている。映画の終盤、そんな生活にうんざりしたフェリシアは、バーンスタイン(この映画の共同脚本と監督も務めるブラッドリー・クーパーが演じた)のもとを去る。だが結局は、味気ない別居期間を経て、夫のもとへ戻ってくるのだった。戻ってきたとき、夫のレナードはグスタフ・マーラーの交響曲「復活」を指揮している。うっとりと演奏に聴き入る聴衆の片隅で、彼女は夫が音の大聖堂を築くさまを見つめる。このとき、キャリーの目に映るのは、生涯を通じた愛とあきらめ、そして目の前でタクトを振るこの男が、自分の世界そのものであることを認めるに至る、心の動きの一部始終だった。
この作品に限らず、キャリー・マリガンの出演作ではほぼすべてに、彼女の顔のクローズアップショットを軸にストーリーが展開する瞬間がある。このように演者としてのキャリーは、常に何も隠すことなく、内面をさらけだしてきた。それだけに、この記事の取材で初めて対面で会うことが決まったのち、「リアルな」キャリー・マリガンについて何も知らないことに気づいたときには、私も虚を突かれる思いがした。これほど有名な俳優ではほかに類を見ないほどに、彼女は表向きの「顔」を見せない。ソーシャルメディアには登場せず、ブランドの広告塔も務めない。マーゴット・ロビーのようにプロデューサーとして一大帝国を築くことも、オリヴィア・ワイルドのように映画の監督を務めることもない。まるで稲光のように、スクリーン上に姿を見せたかと思うと、たちまち消えてしまう、それがキャリー・マリガンなのだ。
演じる役柄ごとに作成する独自のプレイリスト
「さあ着いた。ヴォーグの取材への準備は万端!」
ロンドンのコーヒーショップに入ってきたとたん、キャリーは高らかにこう告げた。だがその顔は困り果てている。着ているブラウスを横切るようについた、おむつが原因と思われる黄色いシミを指さすと、「ご想像の通りです」と私に伝える。そして、腕に抱いている赤ん坊に優しく語りかける。「まずはおむつを替えましょう。それが終わったら、ママは別のシャツに着替えます……」。この子は夫でミュージシャンのマーカス・マムフォードとの間に生まれたばかりの、彼女にとって3人目となる子どもだ。彼女は表情豊かな目を見開き、ユーモアたっぷりに、インタビュー直前に服が汚れてしまった間の悪さを嘆き、「すみません」と言いたげに私のほうに視線を向けたかと思うと、トイレへとダッシュしていった。
それから数分後、インタビューを始める前に、私たちはコヴェント・ガーデンのあたりを一回りすることにした。ここは、キャリーが舞台俳優時代に毎日のように通っていたエリアだ。歩いていると、ハロゲンランプで照らされた土産物の売店が目に入り、私たちはそこに足を踏み入れた。キャリーは落ち着き払った様子で、ロンドン地下鉄のロゴが入ったTシャツを買い求める。そして、周囲にいた観光客からの好奇の視線をかわしながら、壁に向かい、さきほどのシミがついたブラウスから着替えてみせた。米国映画俳優組合‒米国テレビ・ラジオ芸術家連盟(SAGAFTRA)のストライキが迫る中、この記事の執筆に向けて行った取材の最中に、私はキャリーが着替えをするのを3回にわたり目にすることになるが、これはその1回目だった。この服装を「ママ・モード」と呼んでおこう。「これで任務完了」と、着替えを済ませた彼女は言い、こう私に問いかけてきた。「さあ、何が知りたい?」
この取材の初日に私が知ったのが、キャリー・マリガンがこれまで演じてきた役柄のすべてに、「テーマソング」があることだった。彼女は演じる役柄ごとに、プレイリストを作成するという。「その世界、役柄に私を連れていってくれる歌」を集めたものだと、彼女は語る。これは舞台に出演していた時代、デヴィッド・ヘアーの戯曲『スカイライト』で主役の一人、キーラを演じる準備をしていたときなどに始めた習慣だという。
遅いランチをとりながら彼女がこの話をしてくれた、レスター・スクエア駅前にあるオイスターバー、J・シーキーも、10年ほど前の『スカイライト』の上演中に足繁く通った店だ。また、アカデミー主演女優賞にノミネートされた『プロミシング・ヤング・ウーマン』(20)の撮影時には、エメラルド・フェネル監督がプレイリストを自ら作成し、提供した。そして今回の『マエストロ』では、キャリー自身が選曲を担当している。眠っている我が子をくるみクーハンに寝かせると、キャリーはスマホを取り出し、自身をフェリシア・モンテアレグレの世界にいざなった楽曲のリストをスクロールして見せてくれた。そこにももちろん、フェリシアの夫であるバーンスタインが書いた曲もいくつか入っていたが、ジョニー・フリンとローラ・マーリングが切ない歌声を響かせるフォークソング「ザ・ウォーター」など、最近のポピュラーソングのデュエットも数多く収められていた。このように、「二人の声がからみ合う歌」というのが、レナードとフェリシア夫妻の物語に対するキャリーの解釈だ。「『マエストロ』を伝記映画のように語る人も多いでしょう。でも、それは違います。これは結婚生活についての映画です」と彼女は指摘する。「それも、とても複雑な結婚生活についての」
映画の中で繊細に描かれる深く複雑な結婚生活
キャリー自身の人生にも、バーンスタイン夫妻と重なる部分がある。彼女と同様に、フェリシア・モンテアレグレも俳優で、成功を収めた音楽家と結婚し、3人の子どもをもうけている。だが、キャリーはこの比較をやんわりと否定する。実生活の夫であるマーカスとのロンドン郊外での暮らしについて、彼女は「すごく普通です」と表現する。「子どもを学校に送り迎えして、日曜の昼にはみんなで食卓を囲んで」。夫妻それぞれがアーティストとしてのキャリアを追求している以上、「スケジュール調整が難しくなる」ことを認めたものの、彼女はすぐに、自身が話しやすいトピックに話題を移した。
「フェリシアの場合はそうはいきませんでした。すべてはレニーを中心に回っていましたから」と、キャリーは言う。「彼女を演じるにあたっては『もしこうなっていたら?』という仮定の部分がとても多かったです。俳優の道をあきらめていなかったらどうなっていただろう? とは思います。フェリシアのインタビュー・テープを聞いたのですが、俳優を続けていたらどこまで出世できたのか、彼女自身もはっきりわかってはいないような印象を受けました。『どのみち大成しなかった』と思っていたのかもしれません。だとしても、本当に俳優の道を選んだらどうだったか、それを確かめるチャンスは彼女には与えられませんでした」
『マエストロ』を見ていると、バーンスタイン夫妻の結婚生活を、現代の視点から見た、ステレオタイプな図式に当てはめたくなる人もいるだろう。フェリシア・モンテアレグレは20世紀半ばを生き、夫が世界征服へと乗り出す間、その放埒な性の冒険には目をつぶり、抑圧されながらも彼が戻ってくる家を守ることを期待されていた、という見方だ。だがその一方で、レナード・バーンスタインは自らの性的指向を隠すことを余儀なくされた同性愛者で、男性との情事は真のアイデンティティを解放するひとときだった、という見方もできる。このようなさまざまな解釈の余地を残しつつ、どれか一つに的を絞らせない、ブラッドリー・クーパーとキャリー・マリガンの演技は敬服ものだ。そう、こうしたはた目から見た解釈はすべて、一定の範囲までは正しい。だがそのどれもが、この二人に関する根本的な真実には達していない──それは、二人がお互いを愛していたということだ。
「二人のつながりには、とても深いものがありました」とキャリーは語る。「お互いの心に光を灯す存在だったのです。それは、会話を聞けばわかります。二人が笑い話を言い合っているようすを録音したテープがあるのですが、まるでダンスを踊っているようでした」
フェリシアが夫の情事を(ある時点まで、ではあるが)容認していた点で、二人の間柄はいわゆる「普通」の夫婦とは違っていたかもしれない。だからといって、その絆はもろいものだったと言っていいものだろうか? どんなカップルにもそれぞれの愛のあり方がある。キャリーに言わせると、バーンスタイン夫妻に関しては、愛とは理屈を超えたお互いへの共鳴だった。
「彼女にとっては、裏切りとはセックスではありませんでした。彼のために自分が占めてきた場所、“自分こそ彼を理解し、必要とされる人である”という立場にほかの人が割って入ったときに、裏切られたと感じたんです」
「映画への準備で、これほど自分を追い込んだのは初めてです」と、キャリーの話は続く。この準備には、フェリシアの口調やしぐさをそっくりまねるといった、技術的な部分もあった。だが彼女によれば、最も大事だったのは、フェリシアとレナードの間にある特別な絆を再現することだったという。この難題を成し遂げるために、二人を演じるブラッドリーと彼女はお互いの魂の領域にまで踏み込む必要に迫られた。そこでキャリーは、ブラッドリーとともに5日間にわたる「夢を用いたワークショップ」に臨んだという。普段は俳優として、自らの直感を優先する彼女としては、極めて異例のことだ。
「ブラッドリーはたぶん、こういうことをずっと前からやってきたんだと思います。自分の無意識と演じる役柄とをつなぐ手段として、夢を使うという。でも私にとっては初めての経験でした」と言い、首を振る。「でも、自分のすべてを懸ける必要があったんです」
一方のブラッドリーは「彼女の能力は知っていましたから」と断言する(このインタビューも、俳優組合のストライキ開始前に行われた)。「僕はただ、一緒に準備をしてください、と頼んだだけです。『お互いにむきだしの魂を晒すことになるけれど、この道を突き詰めるつもりはある?』と言いました。すると彼女は『オーケー、やりましょう。その賭けに乗ります』と応じたんです」
キャリー自身が実際にそう言ったわけではなさそうだが、ブラッドリーの役作りのメソッドにあえて我が身を差し出すことが、身も心もフェリシアになりきるきっかけとなったのは想像に難くない。タクトを振る指揮者である自分の夫に、自身の心の奥深くに秘めたものをさらけ出さないで、この役を演じられるわけもない、ということだ。
「ちょっと! このジーンズを見て!」とキャリーが私に呼びかける。これが通算で2回目の着替えだった。こちらのルックは「ベーシック・ビッチ」とでも呼んでおこう。これはエメラルド・フェネルによるキャリーの愛称にちなんだもので、「楽しく、気取らず、やる気いっぱいの女性」といった意味だ。具体的に言うと、「特大のカフェラテをすすり、ふかふかのスリッパを履いて、2000年代のD級ラブロマンスについて百科事典並みの知識を披露する」友達のイメージだと、フェネルは解説してくれた。「彼女は万能選手なんですよ」
2回目の取材のタイミングで、私も彼女のこうした一面を垣間見る機会があった。彼女の母親が、子どもを預かると申し出てくれたこともあり、今回はポートベロー・マーケットでの古着ハンティングを計画していたが、大雨が降っている外のようすを見て、ウエスト・ロンドンのとあるブティックに行き先を変更した。ここはキャリーがシンプルに「一番のお気に入りのショップ」と呼ぶ店だ。「悪くないですね!」と彼女は声をあげ、慣れた身のこなしで鏡に向かってくるりと4分の3回転し、試着していたレイチェル コーミー(Rachel Comey)のデニムトラウザーのバックスタイルを確かめる。「あっ、すっかり普通の人に見える!」
実はこのお気に入りのショップを訪ねたときに、彼女は出産から1カ月半しか経っていなかったのだ。そしてさらに1カ月後にはウェールズに向かい、自身が出演を熱望した風変わりな作品の撮影に臨む。それがカルト的な人気を誇るイギリスのコメディ・デュオ、トム・バスデンとティム・キーによる映画『One For The Money(原題)』だ。このときにショップで聞いた話だと、試着したジーンズも、この低予算作品で着る衣装の有力候補になりそうだ、とのことだった。「誰も死なないし誰も泣きませんよ」と、彼女はこの作品について語る。もとからバスデン&キー・コンビの大ファンだったことから、話が来たときには飛びついたという。「今まで、ちゃんとしたコメディをやったことがなかったので、私はコミカルなタイプとは思われていないでしょうけど」
だがフェネルはこの自己評価に異を唱える。「キャリーは私が知っている中でも、一、二を争うほど面白い人です」と彼女は言い、さらには自身が監督を務めた『プロミシング・ヤング・ウーマン』で、主演を務めたキャリーが、ひりつくような悲喜劇というこの映画のトーンを正確に表現できないのでは、と疑ったことは一度もなかったと断言する。「準備段階から、私の頭に常にあったのは彼女でした。この映画は、現実離れした、寓話的な世界を舞台にしています。だからこそ、その中央に立つ主役には、完全にリアルな人物が必要だったんです」
自分がどう演じるか、想像がつかない作品ほど魅力的
その『プロミシング・ヤング・ウーマン』で、キャリー、そしてフェネルは、複数の映画賞を受賞し、大いに評価された。だが制作を始めた当初、このような成功を収める保証はまったくなかった。
初めてメガホンをとる監督の作品にも積極的に出演しているのは、ハリウッドのドル箱俳優には非常に珍しい、キャリーの特徴だ。『プロミシング・ヤング・ウーマン』の脚本がキャリーのデスクに置かれたときのフェネルもそうだった。リスクがある作品に、魅力を感じると言い、「まったく戦略というものがない」と認める。「脚本がすべてなんです。そして『自分ならどう演じる?』というイメージが、最初からはっきりとは浮かばない役柄がいい。私が思うに……」と言うと、彼女は自身の制作会社を立ち上げるつもりがない点にも触れ、「作品の企画に関わらないのもそれが理由です。それだと、何から何まで知りすぎてしまいます。素晴らしい作品が、突然目の前に現れる、そういうほうがずっと好みです。ちょうど彗星のように」
彼女の言う「彗星」は、実にさまざまな形や大きさで現れてきた。『マエストロ』は企画実現までに数年の年月を要した。とはいえ、監督も務めたブラッドリー・クーパーの中では、早い時期からフェリシア役はキャリーで決まっていた。きっかけは19年、フィラデルフィア管弦楽団によるバーンスタイン作のオペレッタ『キャンディード』の演奏会だった。このとき、ブラッドリーは一緒に演奏会のナレーションを担当してもらえないかと、キャリーに声をかけたのだ。彼女はちょうど、#MeTooをテーマにした映画に立て続けに出演したところだった。それは、毒入りキャンディといった趣の『プロミシング・ヤング・ウーマン』と、『SHE SAID /シー・セッド その名を暴け』(22)の2作品だ。後者で彼女は、#MeToo運動の始まりを告げる性暴力告発報道を行った、記者の一人を演じている。相通じるテーマを持つ2作品が重なったのは偶然だったが、これがキャリーにとっては悩みの種だった。スポークスパーソンとして行動することが求められることは明らかだったからだ。「私には自分なりの意見がありますし、どういう考えがあるかはみなさんもわかると思います。でも『すべての女性を代表して』話す立場に置かれるのは、どうしても嫌なんです」
確かに、そんな立場に立てる女性など誰もいないだろうし、キャリーが抱いているフェミニズムの信念とは相いれないものに映る。「出演作を通じて、できる限り幅広い女性の視点に立ちたい」という方針によって、彼女の信念は十分に表現されているはずだ。実際、アメリカでは『マエストロ』と同じ日に公開されるフェネル監督の最新作『Saltburn(原題)』にも、キャリーはカメオ出演しているが、ここで彼女が演じる爆笑もののキャラクター「プア・ディア」パメラと、フェリシア・モンテアレグレ・バーンスタインの間にはほぼ何の共通点もない。
「お気に入りのショップ」への訪問を終えると、キャリーが髪を切る予約を入れているとのことで、私たちはロンドンの中心部に向かった。予定の時刻まではまだ時間があったので、雨宿りを兼ねてナショナル・ポートレート・ギャラリーに立ち寄ることにした。この美術館のコレクションは最近になって一新され、数世紀にわたり英国の文化形成に貢献した、多様な人々の姿をより忠実に反映したものとなった。結果として、女性や有色人種の人々が、「偉大な白人男性」のみで構成されてきた既存の美術史に加わる展示になっている。いわば、より視野の広いレンズにつけかえたような形だ。ギャラリーに並ぶ絵画をしげしげと眺めているうちに、話題は再びフェリシアに移った。
「レナード・バーンスタインについての物語を語るのであれば、本当にたくさんのやり方があるはずです」とキャリーは語る。「たとえば、フェリシアが1、2シーンしか登場しないバージョンもあります。今回のバージョンで私がとてもいいなと思うのは、二人がともにつくり上げたものがテーマになっているところです。彼は心から彼女を必要としていました。すべてを一人で成し遂げたわけではありません」
ブラッドリーの記憶に残るキャリー・マリガンの魂
ブラッドリー・クーパーはなぜ、『マエストロ』で自身の相手役としてキャリー・マリガンをキャスティングしたいと思ったのだろうか──この言わずもがなの疑問が私の頭に浮かんだときには、俳優組合のストライキがすでに始まっていて、彼に直接答えを聞くことはできなかった。そこで、本作で音楽顧問を務め、劇中の演奏シーンで実際にタクトを振っていた指揮者のヤニック・ネゼ = セガンに話を聞くことにした。「ある意味では、キャリーは演じる前からすでにフェリシアだったから」というのが、ヤニックの答えだった。見た目が似ていることに加えて、「彼女には品があり、フェリシアにも品がありました」と、ヤニックは二人の共通点を指摘した。彼は19年のフィラデルフィアでの『キャンディード』上演の際にも指揮を務めており、このときにバーンスタイン家の子どもたちが、このキャスティングを評価する様子も目にしていた。「楽屋で子どもたちがブラッドリーのところに行き、『うん、すごくいいですね。彼女が大好きになりました』と話していたのを覚えています。とても感動的な瞬間でした。家族は彼女を100%受け入れていましたから」
起用された理由については、もう一つの仮説も考えられる。キャリー・マリガン自身が、音楽と縁が深く、関心を持っていたから、というものだ。プライベートでのパートナーは音楽家で、その多様な出演作を見ても、すべてを貫く赤い糸のように、音楽が一つのモチーフとなっている。『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013)ではフォークシンガーを演じたほか、『SHAME ──シェイム──』や『遥か群衆を離れて』(日本劇場未公開)といった映画には歌唱シーンがあった。そして次回作の『One For The Money(原題)』はまたしても音楽がテーマで、また歌を披露することになるようだ。
この件については、キャリー本人にも考えがある。ブラッドリーは自分の舞台での演技を何度も見ていたので、『マエストロ』の劇中にいくつかある、舞台のようにノーカットで演じるシーンを演じられると確信したのではないか、というのだ。私としてはこの説を正解としたいところだ。さらにこれに付け加えて、あるエピソードを紹介しよう。5年ほど前、ブラッドリーはデニス・ケリー作の一人芝居『ガールズ&ボーイズ』での、キャリーの演技を見ている。このとき、この劇場の巨大な幕が、演じていた彼女の頭上に落ちてくるというアクシデントがあった。それでも彼女は幕の下から自力で這い出てきて、そのまま演技を続けた。上演が終わり、彼女が観客席に向かって最後の礼をした直後、ブラッドリーは楽屋に駆け込み、呆然とし、意識が朦朧としているようすのキャリーを目の当たりにした。すぐに病院に連れていくべきだと、彼は強く主張した。結局、彼女は病院に運ばれ、幸い、大事には至らなかった。この一件がブラッドリーに強烈な印象を残したことは想像に難くない。この話から得られる教訓は、キャリー・マリガンは一度始めたことは絶対にやめない、ということだ。ブラッドリーにとって、『マエストロ』は完成まで難航が予想される映画であり、しかも監督デビュー作『アリー/スター誕生』の成功を受けて、周囲の期待が高まっている作品だった。そんな映画の制作に臨むにあたって、彼女ほどそばにいて心強い俳優がほかにいるだろうか。
フェネルも、監督としての体験から、キャリーのこうした部分について証言する。『プロミシング・ヤング・ウーマン』の、キャリー演じる主人公が枕を顔に押し付けられるシーンで手違いが生じ、危うく本当に窒息しかけるというアクシデントが発生した。「それでも、息を整えると、すぐにまたやり直しの撮影に挑んだんです」とフェネルは振り返る。さらに彼女によると、キャリーの「絶対にやめない」という姿勢は、命の危険にさらされたこの場面以外でもはっきりと表れていたという。「撮影現場から離れることは一度もありませんでした。スタンドインも自分で務めていたんです。毎日、みんなと一緒に食事もしていました。不可能にも思えたスケジュールを可能にしたのは彼女です。なぜなら遅刻は一度もなく、一行たりともセリフを忘れず、時間を無駄にすることも、不機嫌になることもなかったからです。真面目な話、本当に大変なときは、こういうことがことの成否を分けるんです」
キャリーが出演作に注ぎ込むエネルギーと高い集中力を見ていると、彼女が自身のブランド構築に取り組んだり、ギャラの高い作品に飛びついたりしない理由が見えてくる。人が使える時間や精神的なリソースは限られている。彼女はと言えば、3人の子どもの母親であり、華やかなエンターテインメントの世界から遠く離れたところで、実り多い人生を生きている。
「彼女は演じることが好き、ただそれだけなんです」とフェネルは彼女を代弁する。「興味が持てないプロジェクトに参加するくらいなら、いっそ仕事をしない選択をするはずです」。セレブとしての名声や華やかなプレミア、プレスツアーなど、ハリウッドにつきものの演技以外の要素は、いわば添えものであり、メインはあくまで演技というのが、彼女の考えなのだろう。
「『ドクター・フー』って見ています?」とキャリーが私に尋ねてきたのは、ヴォーグの撮影現場で彼女のために用意されたトレーラーでのことだった。髪型をボブに変えたばかりの彼女は、ヘア&メイクの最中で、さまざまなクリームが顔に塗られている間、目を閉じている。撮影には彼女の母親も付き添っていて、床に置かれた柔らかそうなプレイマットの上でごろごろしている赤ちゃんを見守っている。「『ドクター・フー』に、ターディスという装置が出てくるんです。見た目は電話ボックスですけど、中に入ると、時間と空間を超えた旅ができる。時々、自分の人生もあのターディスみたいだな、と思うんです……。ほとんどの日は、私はただの私で、田舎で暮らしているときは自分が有名だなんていう実感はありません。友達も大半はこの業界以外の人ですし。すてきな、とても規則正しい生活を送っているんです。でも時たま、あの『魔法の電話ボックス』に入ると、ヒュー! という音とともに、反対側の世界に到着する。そちらでの私はデザイナーズブランドのドレスに身を包み、あちこちでフラッシュがたかれています」
私自身も、彼女の言う変身を目撃した。かかってきた電話に出るためにキャリーのトレーラーをあとにした私が数分後に現場に戻ると、ちょうど彼女はトレーラーから出るところだった。そこにいたのは、シフォンのピンクのルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)のドレスをまとい、威風堂々としたオーラを放つキャリーの姿だった。ドレスのボディスには、シフォンの花びらが咲き誇っている。これが、私が見た3回目の衣装チェンジだ。この姿には「映画スター、キャリー・マリガン」と名付けよう。ウインクをすると、さっそうとした足取りでキャリーは照明が明るく照らす場へと向かった──そこでは、多くの人がカメラの前で位置につく彼女を待っている。
Photos: Jack Davison Text: Maya Singer Styling: Tonne Goodman Hair: Mari Ohashi Makeup: Niamh Quinn Set Design: Rachel Thomas Translation: Tomoko Nagasawa