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クリストファー・ノーラン監督の代表作7選──『メメント』から『ダークナイト』、『TENET テネット』まで

昨夏に全米公開されて大ヒットを記録し、第96回アカデミー賞で最多13部門ノミネートされたクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』が、3月29日から日本でも公開される。俳優たちから最高の演技を引き出し、CGに頼らない実写を重視し、複雑なストーリーを大胆な映像で語り続けるノーラン作品の魅力に迫る。
クリストファー・ノーラン監督『テネット』TENET  director Christopher Nolan on set 2020.
Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

『メメント』(2000)

Photo: © Newmarket Releasing/Courtesy Everett Collection

クリストファー・ノーラン監督は『フォロウィング』(1998)で長編デビューし、2作目にしてその才能を世界に知らしめた出世作が『メメント』だ。ガイ・ピアース演じる主人公のレナードは、強盗犯に妻を殺され、自分は頭部の負傷で10分間しか記憶を保てない前向性健忘症を患うも、復讐のために犯人を追い続けている。彼はポラロイド写真に情報を書き込み、さらに自らの肉体をメモ代わりにタトゥーを入れて備忘録とするが、数分の内に自分がしていたことも、今いる場所も忘れてしまう。彼のモノローグに耳を傾けると、観客も彼と一緒に忘却の闇に迷い込む。

インディーズの小規模公開作ながら口コミで人気が広まり、第74回アカデミー賞脚本賞と編集賞にノミネートされた。弟ジョナサン・ノーランの未発表短編小説を脚色し、物語の結末から始まりへと向かうアイデアはノーランが思いつき、両者が同時進行で執筆し、それぞれの作品を送り合って作業した。

レナード役にはブラッド・ピットチャーリー・シーンなどが候補になった後、ガイ・ピアースに決まった。レナードの顧客で彼と同じ症状に苦しむサミーを演じたスティーヴン・トボロウスキーは、実際に記憶障害になった経験があり、その話に感銘を受けたノーランに起用されたという。

『プレステージ』(2006)

Photo: ©Touchstone Pictures/Courtesy Everett Collection

クリストファー・プリーストの小説『奇術師』をノーラン兄弟が脚色。19世紀末のロンドンで競い合うマジシャン2人の凄まじい心理戦を描く。ヒュー・ジャックマンが貴族出身のマジシャン、アンジャーを演じ、クリスチャン・ベールが修行時代をともにしていたライバルのボーデンを演じる。

アンジャーの愛妻の死をきっかけに確執が生まれた2人の熾烈な争いの顛末は、「確認(プレッジ)」「展開(ターン)」「偉業(プレステージ)」というマジックを成立させる3つの要素を意識して描かれる。一方に勝ったと思うと出し抜かれる応酬は過熱し、文字通り命懸けの戦いに取り憑かれる2人に扮したジャックマンとベールは、鬼気迫る熱演だ。

Photo: © Touchstone Pictures/Courtesy Everett Collection

実在の発明家、ニコラ・テスラを演じるのはデヴィッド・ボウイ。並外れたカリスマ性を求めたノーランにとってテスラ役はボウイ一択だったが、最初のオファーで断られ、ノーランはニューヨークに飛んで直談判し、ボウイの出演承諾を得た。

ダークナイト・トリロジー

『バットマン ビギンズ』(2005)

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

ノーランがクリスチャン・ベールを主演に迎えて、『バットマン』シリーズをリブートさせたのが『バットマン ビギンズ』(2005)から始まるダークナイト・トリロジーだ。第1作はタイトル通り、バットマン誕生を新たな視点で描く。ゴッサム・シティの富豪の家庭に生まれるも、幼くして両親を殺されたブルース・ウェインが成長し、ダークナイトとしての使命を見つけ、ゴッサム・シティの悪と戦うようになったのか、キャラクターの心理も掘り下げて描き、全編にダークなトーンが貫かれている。この時、主役のオーディションを受けにきて、最終的にジョナサン・クレイン/スケアクロウ役にキャスティングされたのが、『オッペンハイマー』で主演を務めたキリアン・マーフィーだ。

『ダークナイト』(2008)

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

公開当時、全米で歴代2位の興行収入を記録したのが2作目の『ダークナイト』(2008)だ。ジョナサンとの共同脚本で、ヴィランとしてジョーカーとトゥーフェイスが登場し、バットマンと三つ巴の戦いが繰り広げられる。素性も動機も不明のまま、白塗りの顔に笑みを浮かべて凶悪な犯罪を重ねるジョーカーの狂気を熱演したヒース・レジャーは2008年1月、同年夏の映画公開を前に28歳の若さで亡くなった。ジョーカーがゴッサムの病院を爆破するシーンでは、解体予定だったシカゴのキャンディ工場を実際に爆破して撮影した。第81回アカデミー賞8部門にノミネートされ、音響編集賞とヒース・レジャーが助演男優賞を受賞。授賞式では、彼に代わって両親と姉がオスカー像を受け取った。

『ダークナイト ライジング』(2012)

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

シリーズ完結編となる『ダークナイト ライジング』(2012)もノーラン兄弟の共同脚本。前作のラストでゴッサム・シティの秩序のためにバットマンが苦渋の決断を下したが、その8年後の世界が舞台だ。平穏だった街がベイン率いる謎のテロリスト集団によって脅威に晒され、潜伏していたブルースはゴッサムを守るために再びバットマンとして立ち上がる。トム・ハーディがヴィランのベイン、アン・ハサウェイがセリーナ・カイル/キャトウーマンに扮し、マリオン・コティヤールやジョセフ・ゴードン=レヴィットもキーパーソンを演じている。CGに極力頼らないポリシーは変わらず、冒頭の飛行機からの脱出劇やアメリカンフットボールのスタジアム爆破シーンも、もちろん実写だ。

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

『インセプション』(2010)

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

睡眠中の人の夢に侵入し、潜在意識の中のアイデアを盗む産業スパイを主人公に据え、ノーランが単独でオリジナル脚本を執筆したSFアクション。「エクストラクト」という方法を駆使する主人公のコブをレオナルド・ディカプリオが演じる。ノーランはホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集『伝奇集』に着想を得て、20年ほど構想を温めていた。

ノーランは以前からディカプリオとの仕事を望んで何度か会っていたが、ディカプリオが本作のコンセプトに惹かれ、ついにタッグが実現した。彼は特に夢の中の泥棒という設定に興味を持ち、数カ月かけて話し合い、脚本を再構築していった。国際指名手配犯になったコブがチームを率いて「インセプション」という最高難度のミッションに臨み、世界各地が舞台となる本作には日本も登場。2009年6月に東京でクランクインした。コブに「インセプション」を依頼する実業家、サイトーを渡辺謙が演じる。

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

不条理な夢のシーンでは、驚くべき映像が次々と現れる。パリの街が折りたたまれていくのはさすがにCGだが、ホテルの廊下で無重力状態になるシーンではセットを360度回転させて、俳優が天井や壁を縦横無尽に動き回る。雨の街に突如列車が現れて暴走するシーンも、改造列車を実際に走らせるなど、可能な限り実写の表現にこだわった。第83回アカデミー賞で作品賞、脚本賞など8部門ノミネートされ、撮影賞や視覚効果賞、音響編集賞、録音賞の4部門で受賞した。

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

『インターステラー』(2014)

Photo: © Paramount/Courtesy Everett Collection

異常気象による飢饉で人類が絶滅の危機に瀕した近未来、別の銀河に新天地を探すミッションを担う元テストパイロットが主人公のSF。ノーラン兄弟によるオリジナル脚本で、時空を超える緻密な構成のSFに親子の愛の物語を絡ませた。当初はスティーヴン・スピルバーグの監督作として企画され、ジョナサン・ノーランが脚本執筆に雇われたが、スピルバーグが企画から離れた際にジョナサンが兄を監督として推薦。弟の脚本に、兄が以前から取り組んでいたSFの脚本を組み合わせて完成させた。

主人公のジョセフ・クーパー役に「観客が物語を追体験できる、どこにでもいる人物」を体現できる俳優を求めていたノーランは、マシュー・マコノヒーの主演作『MUD-マッド-』(2012)の初期カットを見て、起用を決めた。ジェシカ・チャステインが大人に成長した主人公の娘、マーフを好演している。ケイシー・アフレック扮するマーフの兄、トムの少年時代を演じたのはブレイク前のティモシー・シャラメだ。

Photo: © Paramount/Courtesy Everett Collection

本作から撮影監督が『メメント』からずっと組んできたウォーリー・フィスターから、ホイテ・ヴァン・ホイテマに代わり、撮影にはIMAXカメラを多用している。地球でのクーパーはトウモロコシ農場を営んでいるが、カナダのカルガリー近郊の土地500エーカー(約2.0235平方キロメートル)で実際にトウモロコシを栽培し、広大な畑を作った。凄まじい砂嵐が街を襲うシーンでは、巨大な扇風機でセルロース系の合成ちりを飛ばした。アン・ハサウェイやマット・デイモンらが宇宙船クルーとして登場する惑星のシーンは、主にアイスランドで撮影している。第87回アカデミー賞で5部門ノミネートされ、視覚効果賞に輝いた。

『ダンケルク』(2017)

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

第二次世界大戦初期、フランスのダンケルク海岸でドイツ軍に包囲された連合軍の大規模撤退「ダイナモ作戦」を映画化。救援を待つ兵士たちにフォーカスする陸の1週間、民間戦が救援に向かう海の1日、ドイツ軍戦闘機を迎撃するイギリス軍を描く空の1時間という時間軸の異なる3つの物語を並行して描く。ノーランは1990年代半ばから本作の構想を練り、当初は脚本なしで制作するつもりだったが、プロデューサーで妻のエマ・トーマスの説得で76ページの脚本を執筆。通常のノーラン作品の約半分の量だった。セリフやバックストーリーはそぎ落とし、映像で語ることを重視した。

兵士たちの多くが非常に若く経験が浅かった史実に合わせて、無名の若手を中心にバリー・コーガンハリー・スタイルズらもキャスティングされた。撮影は実際の撤退作戦と同じ場所で行われ、本作でもCGに頼らず実物の軍艦や戦闘機を使用。1500人のエキストラと厚紙を切り抜いた人形、軍用車の小道具を使って大軍を再現した。第90回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、編集賞、録音賞、音響編集賞を受賞した。

『TENET テネット』(2020)

Photo: © Warner Bros/Courtesy Everett Collection

時間の逆行という概念を軸に、第三次世界大戦を阻止するための謎の組織“テネット”にスカウトされたCIA特殊工作員の戦いを描くSFアクション。ノーランが20年近く温めてきた構想の具現化にふさわしい映像技術が整い、満を持して製作された。「TENET」はSATOR式と呼ばれるラテン語を含む回文に含まれる言葉で、「保持」などを意味する。映画には回文を構成する5つの単語全てが、登場人物の名前や場所などに散りばめられている。

名前がない主人公を演じるのは、ジョン・デヴィッド・ワシントン。彼に協力するニールをロバート・パティンソンが演じ、ロシアの武器商人セイターをケネス・ブラナー、彼の妻キャットをエリザベス・デビッキが演じる。

Photo: ©Warner Bros/Courtesy Everett Collection

ノーランの実写重視は本作でも徹底している。『メメント』を想起させる時間逆行のアクションシーンではジョン・デヴィッドが逆行する動きを習得して演じ、本物のボーイング747を購入して大型旅客機の爆破シーンで使用した。ノーランによれば、ミニチュアを使ったセット撮影よりも効率的だと判断したそうだ。エストニアのタリンの高速道路を封鎖して行われたカーチェイス撮影には、3週間を費やした。

撮影は2019年に行われ、当初は2020年7月に公開予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で2度延期された後、大都市の映画館の閉鎖が続いていたアメリカに先行する形で、パンデミック以降初のハリウッド大作としてヨーロッパやアジアで公開された。第93回アカデミー賞で2部門ノミネートされ、視覚効果賞を獲得している。

Text: Yuki Tominaga