映画監督にとって初めての長編作品は、さまざまな方向から“試される”もの。つまり試金石である。これは心から描きたかった題材だったのか、監督としてのポリシー、あるいはセンスは溢れているか……。さまざまな角度から分析され、その後の監督人生の方向性が決まる場合もある。
空音央監督は、これまで短編映画『The Chicken』、そしてコンサートドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto|Opus』を撮っているが、長編劇映画としては、この『HAPPYEND』がデビュー作となる。同作は9月の第81回ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門でワールドプレミアされ、一躍その才能を世界に知らしめることになった。近い未来の日本を舞台に、高校卒業を控えた仲間たちの日々を活写した『HAPPYEND』は、おそらく空監督が心から描きたかった作品に違いない。
自身の色褪せない気持ちを基にした“不良映画”
「どんな物語も、キャラクターも、そしてセリフも、その映画を作る人の身体から発生するものだと思います。この作品も、自分のなかから湧き出たもの、そして経験からインスピレーションを受けて生まれました」。アメリカで生まれ、米ニューヨークと東京を拠点に活動する空監督は、映画と作り手の関係をそのように語る。
「『HAPPYEND』の核となるテーマは友情です。撮りたかったのは若者の映画。もっと端的に言えば“不良映画”。シンプルにそのジャンルが好きでした。映画を作れる立場になったとき、大人になりかかる時代の物語に挑みたくなる人は多いと思います。英語では“Coming of Age”の世界。僕の場合も、大学時代に実際に起きたことに突き動かされました。政治的な理由で友人を切り捨てたり、逆に切り捨てられたこと。家族よりも友情が大切だと思ったこと。そんな気持ちが色褪せないうちに、ひとつのかたちにしたいと思ったのです」
大好きな青春映画に、ニコラス・レイの『理由なき反抗』、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』、ホウ・シャオシェンの『風櫃の少年』、そしてツァイ・ミンリャンの『青春神話』を挙げる空監督。これらの作品から、『HAPPYEND』のムードを予想するのもいいかもしれない。
レンズに映るのは本物の友情とその崩壊
高校卒業を間近に控えた、ユウタとコウ、アタちゃん、ミン、トムの5人の仲間。しかし学校がAIによる監視システムを導入したことによって、コウは社会に対する違和感を覚えるようになる。そんなコウの言動に対し、ユウタは残り少ない高校での時間を無邪気に楽しもうとする。親友同士の心が少しずつ離れていく切ない物語で、空監督はどのキャラクターに自分を色濃く投影したのか。
「5人のメインキャラクターは、それぞれ僕や、友人の要素をシャッフルさせて作り上げた部分があります。一人が政治性に目覚め、もう片方が無関心のままでいることで、関係性が崩壊する。基本は友情物語ですが、政治的な背景を忍ばせることで、強いメッセージを発する作品になったかもしれませんが、メッセージを伝えるために映画を作ったわけではありません。」
5人の仲間を演じるキャストのうち4人は、本作がスクリーンデビューとなる。瑞々しい存在感がスクリーンを満たすが、演技未経験のキャストの起用は、監督にとって“賭け”だったに違いない。
「この映画が成功するかどうか、まさにキャストにかかっていました。メインの5人のうち4人が演技初体験ですが、意識的に未経験者を選んだのではなく、オーディションで一目惚れした人たちの多くが結果的に未経験者だった。そんな5人を演出するうえで、同じく演技未経験者を演出したこともある濱口竜介監督にも相談し、それらのアドバイスや、個人的に興味があった“マイズナー・メソッド”を取り入れることにしました。想像上の設定のなかで、いかに自分らしく生きられるか、というアプローチです。自分とは違う人生だけれど、相手のセリフや行動に、自分として反応するのがマイズナー・メソッド。撮影の1カ月前からワークショップを行い、そこにフォーカスしていくうちに、5人が“超親友”になってくれました。僕の知らないところで一緒にご飯を食べに行ったりしていて(笑)。撮影3日前に同じホテルで合宿した結果、最初のシーンから僕の気遣いはまったく必要ないほど、カメラの前には友情の絵が映っていました。本当にラッキーです。直感を大事にキャスティングしたことが成功につながりました」
失われた寂しさを漂わせる懐かしい音
キャストたちのあまりに自然体な演技に加え、『HAPPYEND』は空監督のセンスをあちこちで感じられる作品になっている。なかでも音楽の使い方や、音へのこだわりが印象に残る人は多いのではないか。
「映画にとっての音の重要性は認識していました。本来は音楽に頼らずに表現する映画の方が優れているのかもしれません。でも僕は映画音楽、特にはっきりしたメロディの音楽が好きで、映像にスムーズに入ってくるというより、“ゴリッ”という感じで音楽が投げかけられるスタイルに惹かれます。本作の音楽は、僕自身、あるいは大人になったユウタとコウが、シーンで起きている出来事を思い出しているかのような感情の曲を挿入することにしました。つまり、ちょっと懐かしさが漂うような曲調。楽しい思い出なのに、失われた寂しさが伴うような……。あとは音で言えば、無音のシーンですね。あえて無音にすることで、前後から断絶されたような感覚を出すことができました。地震のシーンで観客のトリガーにならないように、という意図もあります」
このように自身の撮りたい題材に映画的センスを駆使しながらも、初の長編劇映画は未知の領域で、いくつもの困難があったことは察せられる。どのように乗り越えていったかを、空監督は次のように振り返る。
「映画の現場は、ひとつひとつ問題を解決するプロセスだと実感しました。その解決のために、クリエイティビティや、発想の転換が試されるわけです。製作費の制限によって、逆に映画的表現が可能になったこともありました。当初、コウがデモに参加するシーンを撮る予定でしたが、時間やエキストラの関係でカットが決まりました。その結果、直接“描かない”ことで見えてくるものがあると発想が変わりました。つまりユウタの視点から、コウが見えない世界に行ってしまった感覚を表現でき、これこそが映画的解決だと納得しました」
「日常生活が他者への暴力の構図の上に成り立っている」
『HAPPYEND』は近未来を舞台にしているので、2024年とは少しだけ違う風景があらゆる場面で登場する。空監督は本作を7年前から構想していたということで、その当時からずっと感じていた未来への不安が込められているようだ。
「『このまま社会が進んでしまったら、どうなるのか』という危機感は、たしかに本作へのインスピレーションでした。以前から国家の構造に疑問を抱いており、いろいろな国の独裁的な部分を調べるうちに、権力を持つ側の危うさが浮かび上がってきました。それにもかかわらず監視システムがどんどん強固になってきていて、日本でもマイナンバーカードや顔認証などを多くの人が受け入れるようになりましたよね」
「また日本では、“日本人のアイデンティティ”の問題も根深いです。人種、国籍、出生、さらに日本語を話すかどうかなど、いくつもの要素が混同されて“日本人”であることが定義されている気がします。見た目が外国人では、日本に長く住んでも日本人として認めてもらえないこともある。じゃあどのくらい住めば日本人なのか。本来は不必要な“差異”でカテゴライズされ、政策などでも差別されることは、とても暴力的ではないでしょうか」
2024年の世界情勢、さらに日本での大地震の脅威など、暗澹となる現実を盛り込むことで何かを感じてもらいたい。それが空監督の意思でもある。
「1923年の関東大震災における朝鮮人虐殺を調べるうちに、数十年後に南海トラフのような大地震が起きた場合また同じことが起きるのでは、という危機感が募りました。(埼玉県民として何十年も暮らしてきた)クルド人を差別する自警団が川口市で結成されたことからも、そのような傾向が感じられます。そうならないように、関東大震災から101年目に作った本作で何かを考えてもらえれば……。また、目に見える暴力だけでなく、日本の軍拡やパレスチナで起こっている虐殺、スマートフォンの材料となる鉱物がコンゴでのジェノサイドとつながっていたりと、われわれの日常生活が他者への暴力の構図の上に成り立っていたりもします。そこに自分も加担しているわけで、だからこそ少しずつでも方向性を変えるため何かをしたいと常に思っています」
「ユーモアやコメディは本来は権力を批判するもの」
一本の映画が観た人の人生を変えるかもしれない。そんなことも考えてしまうが、映画の力がどこまであるのか、空監督は冷静に語る。
「映画に対する期待みたいなものは実はなくて、それに関して悲観的です。映画を観たことで、実際に行動に移す人は限りなく少ないでしょう。僕はたまたま映画で表現していますが、その表現によって世界の何かを変えたいと狙っているわけではありません。そこまで映画に担わせたくもないですし。結果的に何かが変われば、それはそれでよかったなと思うだけです」
では空監督自身は『HAPPYEND』を撮ったことで、何が変わったのか。それは近い距離にいた人との関係だったという。
「本作で描いている“政治的な理由からくる友情の崩壊”のようなことが、制作の過程で実際に起こっていて。一緒に映画を作った友人が、なかなかパレスチナでの虐殺について抗議の声を上げないことに憤りを感じていました。でも学んだのはコミュニケーションを取らなきゃいけないっていうこと。距離が近い友人であればあるほど、どこか裏切られた気持ちにもなっていたのですが、この映画をきっかけにちゃんと話し合おうって思ったんですよね」。
一方で、“政治的な話”をしない関係性については、こう言い切る。「でも僕はそんな話もできない人間関係って、保つほどのものなのかって思ってしまいます」
自身のことを「基本的に悲観的でネガティブな性格」と表現する空音央監督。「個人的にはめちゃくちゃ絶望していて、でもだからこそ闘わなきゃいけないというか。絶望して諦めれば楽なんですけど不利を被るのは若い人たちなので、生きていくためにある程度希望を持ちたいです」と語る。
同時に、「絶望的なことが起きたら、その状態を笑うことも大切。ガザの人たちも、笑いで強さを示していたりして、人生は、そういうものだと実感します」と、ポジティブさを失わない自覚も告白する。映画に関しても「ユーモアやコメディは本来は権力を批判するもの。そういう作品が少なくなっているので、取り戻していきたい」とのこと。
『HAPPYEND』の後、どんな監督人生が待っているのか。次はまったく違うテイストで新たな傑作を放ちそうな予感もする。
『HAPPYEND』
10月4日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
Photos: © 2024 Music Research Club LLC Text: Hiroaki Saito Editor: Nanami Kobayashi