「女性として生きていることがすごく苦しかった」──そう著書に綴るのは、映像クリエイターとして活躍する“かなたいむ。”こと木本奏太。出生時の性別と性自認が異なるトランスジェンダーで、25歳のときにタイで性別適合手術を受けた。現在はトランス男性としての経験をオープンに語りながら、日々起こることや考えていることをYouTubeやSNSで発信している。戸籍上の性別変更に、「生殖能力をなくす手術」を事実上の要件とする性同一性障害特例法の規定について、「人権侵害だ」として声をあげた奏太は、どのような思いで手術を受け、今は男性としての人生を歩む中でどのようなことを日々感じているのか、胸の内を聞いた。
法律の壁に絶望した18歳
「将来は映像業界で働きたい」と思ったきっかけは、映画が好きという気持ちからだった。社会的に“女性”として生きることに苦痛を感じ続けていた中で、映画を見る2時間だけは、別の世界で違う自分になれる感覚に救われた。ありのままになんて生きられない。誰にも本当のことを話せず、自分を“女性”と偽って生活するのも、周りに嘘をつき続けて生きていくのにも、もうこれ以上耐えられない……。歳を重ねるごとに、その気持ちはどんどん膨らんでいった。
どうしたら社会的に“男性”として生きられるのか──。そのための道を模索していた当時18歳の奏太の前に、法律の壁が立ちはだかった。日本では生殖機能を失くす手術をしないと性別移行はできない。その事実を知った奏太は絶望した。まず専門の医療機関で、医師2名から「性同一性障害」の診断を受け、高額なお金を払って性別適合手術を受けなければ、戸籍上の性別は変更できない。病気もケガもしていない体に全身麻酔をして体にメスを入れる。そして、一度手術をしたら後戻りすることもできない……。人生を変える大きすぎる決断とあまりにも長い道のりに、希望を失うほどのショックを受けた。
「何年かかるんだろうって絶望でしかなかったです。そんなの自分には無理だと思ったけど、社会的に女性として生き続けるのは苦しいし、そんな自分を1人で抱え込んで生きていく自信もない。自分の人生それで楽しいのかな、生きている意味はあるのかなって。でもほかに方法がない……。あのときの衝撃は本当になんとも言えない感覚でした」
それでも手術を受けて戸籍上の性別を変更し、社会的に男性として生きることを決意した奏太は、2年間アルバイトで必死にお金を貯めた。将来の夢も大学卒業後の進路も、すべてを後回しにして手術を受けるという目標のために奔走した。そして、ついに25歳のときにタイで性別適合手術を受け、2016年に戸籍を女性から男性に変更した。
YouTubeに届く応援の声が救いに
当時はまだ「LGBT」という言葉すら認知度が低く、「トランスジェンダー」の存在も知らない人が多い状況だった。自分の経験を話すことで、もっと多くの人にトランスジェンダーについて知ってもらえたり、似たような悩みを抱えている人が「1人じゃない」と思えたり、誰かのきっかけになれるのではないか──。そう考えた奏太は、YouTubeで発信を始めた。
しかし、トランスジェンダーについて理解している人が少ない中では、どうしても女性と男性の二元論から抜け出せないジレンマがあった。「法律上の性別を変えたところで本物の男ではない」「気持ち悪い」などといった傷つく言葉を投げかけられることもあった。しかし、そのような誹謗中傷が相次ぐ中でも、応援コメントが圧倒的に多いことに奏太は救われ続けてきたという。
「ポジティブな反応が9割です。それでもやっぱり1割でも傷つくようなコメントを見ると、そっちに引っ張られちゃうこともありますが、やっぱり応援の声の方が圧倒的に多いというのは今も変わっていません」
奏太の動画をきっかけに「カミングアウトすることができた」と報告してくれる人もいれば、「自分たちに何ができるかわからないからこそ発信してくれてうれしい」と、トランスジェンダーに対して理解を深めてくれる人もいる。あるトランスジェンダー男性(割り当てられた性別が女性で、ジェンダーアイデンティティが男性)の中学生からは、「学校でカミングアウトをした後、男女別に指定されている制服を変えたいと提案して、好きな制服で学校に通えるようになった」といううれしい知らせが届いたこともあった。
トイレやお風呂に関するずれた議論と誤解
トランスジェンダーに対するヘイトスピーチでよく話題になるのは、トイレやお風呂の問題だ。たとえば「男性のような外見で、心は女性という人が女性トイレに入ってくる」という設定とともに、嫌悪感や犯罪が起こるのではという懸念がたびたび話題になる。
「問題がすり替えられてしまっているように思います。犯罪が起きたのであれば、どんなジェンダーでもセクシュアリティでも許されることではありません。しかし、今回話題に上がっているのは、あたかもトランスジェンダー、特にトランス女性を犯罪者と扱っているものばかりでした。
トランスジェンダー当事者にとって、『トイレやお風呂』は自分のジェンダーがジャッジされる場所であることが多いです。なので多くの当事者は積極的に行くことを望んではいません。僕も現在、社会的にも男性として生きていますが、いまでも積極的には行きづらいと感じます。友人と男性トイレやお風呂を使うとき、やっぱり躊躇してしまうんですよ」
逆に、もしトランス男性が「女性らしい格好」をして男性用のトイレやお風呂に入ったら……などはSNSでも話題にあがらない。これは男女差に加えて、性犯罪の多さにも起因すると奏太は指摘する。
「性暴力の被害者は統計上では女性が多いとされています。また男性社会が女性を性的搾取しているという構造も関係しているでしょう。そのうえで、そこが話題にならないのもおかしいし、トランス女性ばかりが攻撃の的になることには憤りを感じています。だからこそ、トランス男性として言えることを事実をベースに伝えていくしかないのかなと思ってます」
男になり感じた“男性特権”
外見や法的な性別が変わって周りから男性として扱われるようになると、奏太は日常のさまざまな場面でいわゆる「男性特権」を感じるようになったという。
「自分は男性特権があるという事実には自覚的にならないといけないと思っています。僕も以前はトランスジェンダーだから関係ないと思ってたんですけど、男性として見られることで実際に社会からは男性としての扱いを受けています。そう自覚したことによって、下駄を履かされていると感じるようになったことがたくさんあります」
たとえば親戚の家にいくと、女性だったときはお手伝いをするのが当たり前だった。でも、男性になってからは「座ってていいよ」と言われる。食事の後に食器を自分で洗っていると「男の子なのにえらい」と褒められる。不動産屋で家を借りに行くと、男性である自分にだけ名刺を渡されてモヤモヤする……。これが男性特権なんだと気づいてから、日々の暮らしの中で起こるその瞬間をより濃く意識するようになった。
自分が男性という立場に置かれていることを自覚すると、「マンスプレイニング」(主に男性が、相手を無知だと決めつけて見下すように解説したり知識をひけらかしたりすること)にも気が向くようになった。パートナーからも指摘を受けた。自分では意図せずとも、相手からはマンスプレイニングだと感じられる可能性は常にある。そのことに気づいてからは、日本社会に色濃く残る男性像と女性像を、男性側の視点でアップデートし続ける日々だった。
「手術要件」に違憲判決、大きな一歩に
18歳の奏太を絶望の淵に追いやった日本の法律に、2023年10月25日、ついに変化のときが訪れた。トランスジェンダー当事者が戸籍上の性別を変更するためには、生殖機能をなくす必要があると定めた性同一性障害特例法の「手術要件」が、個人の尊重を定めた憲法13条に反しているとして裁判官15人が全員一致で「違憲」と判断されたのだ。これによって、性別変更でこの手術要件がなくなるための第一歩目を踏み出したところである。
その判決が出た日、奏太は32歳の誕生日を奇しくもタイで迎えていた。戸籍を変えるために手術を受け、社会的に男としての新しい人生をスタートした地で違憲判決の知らせを聞いた。
「余計に感慨深かったですね。自分はすでに手術を受けて戸籍を変更してるから、手術する前には戻れない。そこに対して『複雑ではないのか?』とよく聞かれるんですけど、違憲判決自体は大きな一歩なので、本当に良かったと思ってます。たしかに手術を受けないままに戸籍を変更できたならそうしたかったですけど、そのうえでこれから自分ができることも考えたい。法律が引っ張っていってくれないと制度も社会も変わらないと思うので。歩みはすごく遅いけど、変わってきてることはすごくいいことだと受け止めてます」
しかし、その判決の中で、「変更する性別の性器に似た外観を備えている」と定めた「外観要件」については、審理が不足しているとして高裁に差し戻された。それだと、事実上手術が必要ということになる当事者も相当数残る。
「この要件があることで、当事者のなかでも『手術を受けて戸籍を変える覚悟がないなら、本当の男性(女性)じゃない』みたいな分断が生まれてしまっているんです。人それぞれ経済的・身体的な事情は違います。事情があって手術を受けられない人、受けたくない人もいる。だからこそ第三者が『お前は男でも女でもない』と決めつける要因になるような要件はなくなってほしいと思っています」
判決が出る約1カ月前、奏太は他のトランスジェンダー当事者らとともに、「手術要件は人権侵害」と記者会見で訴えた。その中で奏太は、「要件を満たすために手術するのと、自分の意思でするのでは大きく違う。体の在り方は自己決定すべきだ」と強調した。
「他人に性別を決められるべきじゃないし、国が介入するべきでもない。僕自身もそう思えるようになるまでにすごく時間がかかりました。割り当てられた性別が女性だから、女性として生きていかなきゃいけないとか、自分が思う“男性像”に近づけていないとか、自分で自分を縛ってしまっていた。日本社会に根強くある“男性像”や“女性像”に僕ものまれてしまっていて、そのことになかなか気づけなかったんです」
LGBTQ+を取り巻く環境に大きな変化
2019年当時は合憲と判断された手術要件に、今回違憲判決が出たのは大きな一歩だった。婚姻の平等に関する議論も含めて、LGBTQ+を取り巻く環境はここ5、6年でもかなり大きく変わってきているという。
「それは僕よりさらに上の世代やいろいろな当事者の方が、自分の権利を主張して、発信し続けてくださったおかげだと思います。同性婚についてはすでに国民の7割以上の人が賛成していて、世論も変わってきている。特に若い世代では、周りにLGBTQ+当事者の人がいたり、ネットで海外の情報も見れたりなど、いろんなジェンダーやセクシュアリティに触れられる機会も多いんだと思います」
トランス当事者の間で使われる「埋没」という言葉がある。社会に溶け込むために、トランスジェンダーとして生きるのではなくトランスジェンダーであることを隠して、透明になるように生きていく。そういう選択をする人が多かったことで、トランスジェンダーの問題が可視化されにくいという問題にもつながっていた。
「今はもうトランスの存在が可視化されて、いなかったことには絶対できない。トランスの特例法も良い方向に進んでいることに期待しながら、自分にできることを伝えていきたいと思ってます。でも、当事者であることを背負いすぎるとしんどいときもあるので、無理はしない。少しずつでもこの輪を広げていけるように、僕も居場所づくりや動画発信を続けていきたいと思っています」
大事なのは「主語を大きくしないこと」
日本でLGBTQの割合は約9.7%。およそ10人に1人が当事者であり、身近な存在であることは疑いようのない事実だ。だからこそ、奏太の動画ではLGBTQ+やトランスジェンダーについて発信するのではなく、「こんなことに困ってるよ」「こんなことがあったよ」と日々の出来事について話すスタイルを貫いている。他の人と変わらない、みんなと同じような日常を過ごす中で、自身のアイデンティティを織り交ぜて話す方が、より等身大の自分を知ってもらえると思うからだ。
「発信する上で一番気をつけているのは『主語を大きくしないこと』。僕はトランスジェンダーだけど、『トランスジェンダー=僕』なわけではないので、それは必ず伝えないといけない。ロールモデルみたいに思ってもらえるのはうれしいことですけど、どうしてもトランスジェンダーの当事者の数は少ない。そうなると『イコール』だと思われてしまう危険性もある。だからこそ、『僕の場合は』とか『僕はこうだった』とか、あくまでも僕個人のケースとして話すようにしています」
同じトランスジェンダーでも、一人ひとり全然違う。同じジェンダーやセクシュアリティの中でも、困り事も抱えている悩みもそれぞれまったく異なる。どうしてもLBGTQ+で一括りにされてしまいがちだが、その中にも多様性が存在することは尊重されるべきポイントのひとつだ。
「もうひとつは、いろんな人が見てくれているという想定を持つこと。『見てくれている誰かを排除してしまっていないか』を常に考えるようにしています。たとえば家族という言葉ひとつとっても親と血が繋がっていない人もいれば、兄弟姉妹がいない人、いろんな家族のかたちがありますよね。友達やパートナーという言葉ひとつでも色々なグラデーションがある中で、誰かが疎外感を感じてしまうような言葉はなるべく使わないように気をつけています。とか言いながらまだまだ自分も勉強しながらなので、間違えたり排除したりしてしまってたかもと気づいた時には、『ごめんなさい』とその都度正直に話すように心がけています」
LGBTQ+というと、当事者とそれ以外の人で分けて話されてしまうことも少なくない。しかし、どんな人にもジェンダーとセクシュアリティーがあって、その中にも色々なグラデーションがある。自分自身の成長や周りからの影響を受けて、それらは揺らぎ、変わっていくものでもある。そういうことも含めてもっと多くの人に知られるようになり、世の中の受け止め方が変わっていってほしい。そのための一助となるべく、奏太は自身の経験や考えをオープンに語り続けている。
知らなければ良かったと思うことはひとつもない
18歳当時の奏太がそうであったように、事実を知ることによって希望を失ってしまうこともある。それでも、何かについて「知る」ことは一番大切なことだと奏太は言い切る。知ることで、自分の中で想定が増えたり、新しい選択肢を持てたり、相手をより思いやれるようになったり……。それは奏太がこれまでの人生で、何度も実感してきたことだった。
「知らなければ良かったと思っていることはひとつもないかもしれません。『こんな気持ちになるなら知らない方が生きやすかった』と考えたことはあっても、年月を経て振り返ると、あのときに知ることができて良かったと思えています。そもそも知らなかったことも自分のせいじゃないことが多い。LGBTQ+に関しては、教育にもなかったし、社会で教えてくれる人もいない。男女二元論の世界で生きてきた中で、知らないことで誰かを傷つけてしまっても、あなたのせいじゃないって思うんです。
知らないっていうことに自覚的になることもすごく大事だと思います。相手のすべてを知っているわけじゃないし、相手も自分のことを全て知ってるわけじゃない。家族もそうですけど、仲良くなるとどうしても距離が近くなって、『なんでわかってくれないんだろう』と感じてしまう。でも、たとえ24時間一緒にいたとしても違う人間なのでしょうがない。それを前提として、相手との境界線を持つことは、家族に対してもパートナーに対してもすごく大事だと思っています」
まだまだ生きづらいと感じている人が世の中にたくさんいる。「性別適合手術を受けようと思ったけど、今回の判決を受けて悩んでいる」「カミングアウトされたときにどうやってリアクションしたらいいのかわからない」──奏太の動画を見て、悩みを打ち明けてくれたり、意見を求めてくる人もたくさんいる。見てくれる人にとって身近な存在として、日々の徒然や思いを発信し続けることによって、誰かのきっかけになれたらというのが奏太の変わらない願いだ。
「理想は、誰もが何かを諦めることがない社会。アイデンティティや自由が制限されることなく、みんながいろんな選択肢を持てる社会になったらいいなと思ってます」
Photos: Kaori Nishida Text: Natuko Mizushima Editor: Mina Oba