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『リアル・ペイン~心の旅〜』のキーラン・カルキンが歩む、子を持つ親としての俳優道

『リアル・ペイン~心の旅〜』(1月31日全国公開)での好演で、アカデミー賞2025の助演男優賞にノミネートされているキーラン・カルキン。大ヒットを記録したドラマ「メディア王 〜華麗なる一族〜」が彼に与えた影響から、子煩悩であるがゆえに新作への出演を辞退しようとしていたこと、妻ジャズ・シャルトンとの出会いに至るまで、飾らない言葉でUS版『VOGUE』に語ってくれた。
キーラン・カルキン

ニューヨークの人気ステーキハウス「4チャールズ・プライム・リブ」に私よりも先に到着したキーラン・カルキンから、予約なしでは入れないとの連絡が来た。ウェスト・ヴィレッジの並木道で落ち合うと、カルキンは「残念」と一言。「僕たち、拒否られたよ」

しかし、彼はがっかりとした素振りを見せない。俳優は断られることにも慣れなければならないが、カルキンのように軽快に切り替えられる者は珍しいだろう。「正直なところさ」と彼は切り出す。「拒絶されるのも、なんだか面白くない?」。私たちは手配した車に乗り込み、ほかの選択肢を考える。彼が「メディア王 〜華麗なる一族〜」(2018)のワンシーンを撮影したこともあるミッドタウンの有名な「ザ・グリル」か、イースト・ヴィレッジの「バワリー・ミート・カンパニー」か。それとも、世界最大のチャーチワーデン型タバコパイプのコレクションがある「キーンズ」か……。

候補を挙げていると、何人もの人々を「ザ・グリル」へと案内してきたという運転手が、そこにはドレスコードがあることを教えてくれた。カルキンは黒のTシャツにスニーカーといった出立ちで、手首にはバンダナを巻いている。私はというと、デニムジャケットビルケンシュトック。カルキンは両手を擦り合わせ、またしても断られることに期待を膨らませる。

私たちは高級レストランの良し悪しを議論しながら、口コミサイトのイェルプを参照し、内装を比較していった。「何かを決めるのは得意じゃなくって」とこぼす彼のスマホ画面には、タブがどんどん増えていく。その15分後、私たちは結局「キーンズ」に入った。

ちょっとした屈辱が好きというところは、カルキンが「メディア王 〜華麗なる一族〜」で演じた下品で生意気なローマン・ロイに影響されたのかもしれない。ローマンはカルキンが全身全霊をかけて務めた役であり、彼のパフォーマンスが熱烈な称賛を受けたことも記憶に新しい。

2023年に放送された最終回を最後にスクリーンから離れていたカルキンだが、今年は俳優であり映画監督でもあるジェシー・アイゼンバーグの2作目となる長編映画『リアル・ペイン~心の旅〜』(1月31日全国公開)での好演でアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされている。サンダンス映画祭で高い評価を受けた本作が描くのは、ユダヤ系アメリカ人のデヴィッド(アイゼンバーグ)とベンジー(カルキン)のいとこ同士が亡くなった祖母のことを知ろうとポーランドを巡る物語で、ふたりはマジャダネク強制収容所(アイゼンバーグが特別に撮影許可を得た)や古くなった墓地といった祖母に縁ある地を訪れていく。痛切にして痛快、そして破茶滅茶なこの作品は、新しいジャンルが必要とさえ思わせる一本だ。

「メディア王 〜華麗なる一族〜」の撮影中にアイゼンバーグから脚本を受け取ったカルキンは即座に出演を決意したが、仕事が一段落したら休みを取り、妻のジャズ・シャルトンと当時3歳と1歳だったふたりの子どもたちと過ごすつもりだったという。ところが、撮影が長引いたがために予定より早くポーランドへ飛ばなければならないことに気づいた。これは彼にとって大問題だった。「キーンズ」のウッドパネルのブースにようやく落ち着くと、「子育てが大好きなんだよね」とカルキン。子どもたちのことを純粋に心から愛している彼は、これまで趣味に費やしていた時間をすべて家事育児に注ぐほどの子煩悩なのだ。シャルトンがカルキンに出会ったとき、彼はインドアクライミングにハマっていたというが、今はその代わりに子どもたちと公園の遊具をよじ登っているらしい。

そんな彼のスマホケースにふと目をやると、娘の水泳教室のシールが貼ってあった。それから、シャルトンが大好きだというキアヌ・リーブスのステッカーも。「キアヌのことを嫌いな人なんていないでしょ? 真面目な話」と言い迫るあたり、彼自身もかなりのファンであることがうかがえる。

子を持つ俳優であることの葛藤

2025年1月31日(金)公開の『リアル・ペイン~心の旅〜』は、亡くなった祖母の遺言でポーランドのツアー旅行に参加するいとこ同士の愛と絆の物語。監督・脚本も務めたアイゼンバーグがデヴィッドを、カルキンがベンジーを演じる。

カルキンには目指す父親像があるというが、それは自身の父親とはかけ離れたものだ。マンハッタンの安アパートで一緒に育った6人の兄弟たちのほとんどは、何かしら俳優の仕事を経験している。その一人が兄のマコーレーで(ニックネームは“マック”)、カルキンの最初の仕事は『ホーム・アローン』(1990)のマコーレー演じるケビン・マカリスターのいとこ役だった。以来、彼はある程度の名声を保ってきたが、それは「メディア王 〜華麗なる一族〜」のローマンが追い求めた遺産と同じように、親子間での複雑なトラブルを引き起こすものとなった。父親のキットとは何十年も前から疎遠で、ずっと口を利いていない。ディナーの席で、カルキンが私に「ちゃんとした親に育てられた人に見える」と、あたかもこれ以上の褒め言葉はないかのように言い放ったのが印象的だった。

撮影のためにワルシャワへ発つ日が近が近づくにつれ、カルキンは本当に行くべきか迷い始めていた。子どもたちは父親がいないと寂しくなる年頃なのに、1カ月も離れると思うとパニックに陥ったという。そこで彼が相談の電話をかけた相手は、本作のプロデューサーであるエマ・ストーンだった。ふたりは2010年から2011年にかけて交際していたことがあり、今でも親しい関係を維持している。このときアイゼンバーグはポーランドですでにロケハンを進めており、カルキンは数週間後に現場入りする予定だった。ストーンは彼に理解を示すと、なんとかするからとなだめたそうで、カルキンはてっきり役から外されるのだと思った。だが、それは見当違いだった。ストーンはこんな言葉を投げかけたそうだ。「あなたがやらなかったら、この映画は終わり。でも、それはあなたの責任じゃない。そんな重荷を感じる必要は“まったく”ないから」

カルキンは「親切にも僕を助けてくれたんだ」と感服する。カルキンがポーランドへ向かうとき、ストーンは彼女と彼女の夫と同じ便に乗るよう取り計らった。アイゼンバーグ曰く、人質交換のようだったそうだ。

『リアル・ペイン~心の旅〜』がサンダンス映画祭でプレミア上映されるまで、カルキンが本気で辞退しようとしていたとは知らなかったアイゼンバーグは、「激怒しましたよ」と回想する。「でも、彼を知れば知るほど、忖度がはびこるこの業界でまったく珍しい生き方をしている人なのだとわかりました」。たいていの俳優は認めてもらうために仕事をするが、カルキンは働きたくないのに働いているようなものだ。

カルキンもアイゼンバーグも、撮影の出だしは荒っぽかったと認める。カルキンは「すごくゆるい」プロセスをリードするジェシー・アームストロングのやり方に慣れていたが、一方のアイゼンバーグは、キャストたちが現場入りする前に映画全体の詳細を固めていた。ふたりの間に不穏な空気が流れ始めたのは、クランクインから数時間も経たないうちのこと。アイゼンバーグに立ち位置を指示されたカルキンは、それがずれていると感じたという。「ジェシーは『変じゃない』と言い張ったけど、僕は僕で『自分の役なんだから、僕の感覚を大切にしたい』と言い返したんだ」。そんな状態が1週間ほど続いたが、ついにアイゼンバーグはカルキンのやりたいようにすることにした。「彼は素晴らしかった」とアイゼンバーグは言う。「でも、彼がどう考え、どう動くのか、いまだに理解できない。彼は自分のセリフを知らなかったのに、クランクイン直前に台本を見せると、それをあっという間に暗記してしまったんですよ」。アイゼンバーグは、カルキンの存在が映画をよりよいものにしたと断言するが、それがなぜなのかはいまだに説明できない。「考えるのもやめました」とアイゼンバーグ。「キーランとの仕事はとにかく刺激的だったんですが、いつも困惑させられてましたね」

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撮影開始から最初の2週間はシャルトンと子どもたちも一緒だったが、残りの3週間をひとりで過ごすことになったカルキンは、「ずっとパニック状態だった。すごく怖かった」と吐露する。作品そのものがダークであったのもそうだが、彼が経験したのは、言葉では表現しがたいほどの寂しさだった。「しんどくてたまらなかったよ。ジェシーにも『どうした?』と心配されていたし」と、彼は首を横に振りながら話す。もちろん、撮影中に家族を恋しく思う俳優はたくさんいるが、彼の場合、心まで不安定になってしまうのだ。それでも彼は、子どもたちを空港まで送ったその翌朝には気持ちを切り替え、マジャダネク強制収容所でのシーンに挑んだ。

妹の死を乗り越えて

カルキンが自分の選んだキャリアに対していくらアンビバレントな感情を抱いているとしても、彼は仕事から離れることがあまり得意ではない。『ホーム・アローン』(1990)の後は『花嫁のパパ』(1991)、それから『シーズ・オール・ザット』(1999)や『サイダーハウス・ルール』(1999)にも出演している。カルト的名作『17歳の処方箋』(2002)が公開されたのは彼が20歳のときで、俳優のアリソン・ピルと出会ったのもこの頃だった。ピルも彼と同様、ブロードウェイシーンにどっぷりと浸かっていて、イースト・ヴィレッジにも住んでいたため、ふたりはよくバーの「Bar None」で夜を締めくくったりもした。

ピルは、カルキンが昔から「仕事への真剣な姿勢」と「媚びへつらうことへの嫌悪感」との折り合いをつけるのに苦労していたと振り返る。そんな彼を見ているのは「もどかしかった」とピル。「せっかくチャンスがあるのに、それを無駄にしていたから」。カルキンはオーディションをスキップすることもあれば、メールに返信しないこともあった。彼女曰く、エージェントはいまだ彼と連絡が取れないときがある。

何年かして、ふたりはマイケル・セラとブリー・ラーソンらとともに『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010)のキャストに選ばれた。カルキンは当時26歳で、俳優業を兄弟の影響なしに突き詰めたいと考え始めていた頃だ。そんな矢先、彼のもとに妹のダコタがロサンゼルスでの交通事故で亡くなったという知らせが舞い込んだ。突然の訃報に、彼は家を出ることさえできなくなった。映画に出たい。悲しみに沈みたい。途方に暮れているうちに、彼はすべての締め切りを逃してしまった。

ピルのもとに「もう撮影は始まった?」とメッセージが届いたのは、それから約1カ月後。彼女がちょうど、エドガー・ライト監督とキャストたちと撮影前の夕食会にいたときだった。彼女がカルキンから連絡があったとその場で伝えると、監督は外に出て彼と10分ほど会話をしたという。カルキンはすぐ飛行機に乗り、その翌朝の撮影に姿を見せた。

それが最善の決断だったのか、カルキンにはまだわからない。この映画は彼の好きな作品のひとつであり、役は彼のために用意されたものだったことに違いはないが、仕事を通じて喪失を乗り越えるのは不本意だった。『リアル・ペイン~心の旅〜』でベンジーはただ悲しむのではなく、悲しみに身を任せるという選択肢を取るが、この方が健康的だったのだろうか? こう問うと、「悲嘆に暮れていて、よし、これでいいんだ、なんて思っている人を見たことがない」とカルキンは答える。彼は悲しみの底から這い上がったものの、それは「(悲しみを)どう処理したらいいのかわからなかったから」。彼はその方法を「まだ模索しているところ」だと言う。

パリで開かれたディオールの2025-26年秋冬コレクションショーにて。妻のジャズ・シャルトンと。Photo: Marc Piasecki/Getty Images

妻のシャルトンとの出会いは2011年。バーに入って彼女を目にした瞬間、一緒にいた友人に「あの人の近くに行かなきゃ」と言ったそうだ。シャルトンは別の男性とテーブルについていたが、その男性は数分後に席を立った。カルキンはその隙に空いた席に座り、「あの人は君のボーイフレンドなの?」と尋ねた。シャルトンが違うと答えると、彼はすかさず自己紹介をしたそうだ。「あんなに前のめりになったことはないよ」とカルキンは思い出す。「あの日まで、女性に声をかけたことすら一度もなかったから」。それから2年後、ふたりはJ.クルー(J.CREW)のウエディングドレスをトランクに詰め込んでロードトリップへと出かけ、駆け落ちした。この10年間、カルキンがよりリラックスしているように見えるとしたら、それはシャルトンのおかげだとピルは言う。彼女が彼に、安心できる場所を与えたのだ。

セラとカルキンが再会したのは2014年、ケネス・ロナーガンのミュージカル『This Is Our Youth』への出演を通じてだった。公演の合間、ふたりはひたすらギャンブルに興じたりもした。舞台での仕事はカルキンの特別な“何か”を引き出すようで、セラは彼の隣で芝居をすることを「スリリング」としながらも、少し心配になるとも付け加える。それでも観客の前に立つカルキンは真のアーティストであり、「生き生きとしていて、自然で、かつ独創的。そして何より自由」だと称賛した。

「メディア王 〜華麗なる一族〜」のオーデションで、カルキンが最初に招かれたのはロイ三兄妹のいとこのグレッグ役だった。しかし、パイロット版の脚本を読んでローマンのキャラクターに惹かれたカルキンは、すぐさまオーディションテープを提出。監督のジェシー・アームストロングも瞬時に適任だと確信したそうで、カルキンを目にした後、自分が思い描いていたローマンがどんな人物だったか思い出せないほどだったという。

カルキンはその評価に感謝こそしているものの、「ローマンはただの役」と、はっきりと線を引いている。また、彼は批評も読まなければネットも見ないため、昨年の夏にテイラー・スウィフトの楽曲「When Emma Falls in Love」がストーンと彼の関係を描いたものだという噂が広まっていたと、私が伝えることになった。もちろん彼はその噂を耳にしていなかったが、スウィフティーズに嫌われていないと知ってほっとしている様子だった。

「メディア王 〜華麗なる一族〜」の終わりは、彼の心に大きな影響を与えたと言って過言ではない。ローマンの姉シヴを演じたサラ・スヌークと最後のシーンを撮り終えたとき、彼は「彼女をただ抱きしめて壊れた」と回想する。昨年4月はロンドンに飛び、スヌークによる一人芝居『The Picture of Dorian Gray(ドリアン・グレイの肖像)』を鑑賞したそうで、「最高だった」と絶賛する。そのほかには、ブライアン・コックス主演のミュージカル『Long Day's Journey Into Night(夜への長い旅路)』にも足を運んだそうだ。その後は、ニューヨークで『An Enemy of the People(民衆の敵)』のジェレミー・ストロングによるパフォーマンスを堪能した。私が公演のたびにバケツに入った氷をかぶるストロングがかわいそうだと言うと、カルキンは笑う。「彼は楽しんでいると思うよ。それがやりがいだと感じる人もいるから」

何よりも大切な家族との時間

『リアル・ペイン~心の旅〜』の撮影後、カルキンとシャルトンは子どもたちが生まれてから初めての休暇を取った。「メディア王 〜華麗なる一族〜」が第75回エミー賞を受賞したとき、彼はスピーチでシャルトンに3人目をおねだりしたが、公の場だったことが裏目に出たそうで、「もうすぐで彼女の同意が得られそうだったのにやらかしてしまった」と後悔をにじませる。教訓を学んだ今、二度と同じ過ちは犯さないだろう。

カルキンは仕事がないときに不安になることはほとんどない。それに、夕食の時間には家にいるのが好きだ。「私よりたくさん料理しますね」とシャルトンも話す。「たとえ子どもたちが手をつけないとわかっていても、わざわざ作ってくれるんですよ」。最近はローストチキンをこだわって作ったが、フライドポテトには敵わなかったそうだ。

カルキンにはこの半年で50本ほどの映画やテレビの出演依頼があったというが、彼はそのすべてを蹴っている。それでもブロードウェイにはより興味をそそられる機会があるそうで、今春はボブ・オデンカークやビル・バーらと『Glengarry Glen Ross(摩天楼を夢みて)』の舞台に立つ予定だ。オリジナルを観たことはなかったにもかかわらず、企画が発表された後に脚本を読んで「すぐ気に入った」彼は、アイコニックなキャラクターであるリチャード・ローマに新たな風を吹き込むチャンスを心待ちにしている。また、子どもたちと日曜日を過ごせるようプロデューサーがスケジュールを調整してくれることも、仕事を受けた理由のひとつだ。

「キーンズ」での夕食が終わりに近づいた頃、今後やってみたいジャンルや一緒に仕事をしたい監督はいるかと聞くと、彼は笑った。「メディア王 〜華麗なる一族〜」でトム・ワムズガンズを演じたマシュー・マクファディンとは、将来の役について雄弁に語る俳優を茶化しながら「カウボーイになりたい」「口ひげを生やした役もやってみたい」と冗談を言い合っていたそうだ。

要するに、彼はいい作品でいい役を全うしたいだけなのだろう。「メディア王 〜華麗なる一族〜」以来、選り好みしすぎないようにしてきたとはいえど、結局のところ自分の基準を下げることはできないのだ。苦難に身を投じるのであれば、それに見合うものでなければならない。だから彼は、本当にいいと思うものだけを受ける。それに、バックアッププランも用意しているようだ。

「宝くじをやろうと思うんだよね」と彼は言う。もうすでに当てたも同然のような気もするのだが……。

Photos: Norman Jean Roy Grooming: Amy Komorowski Producer: Boom Productions Text: Mattie Kahn Editor: Max Ortega Adaptation: Motoko Fujita
From VOGUE.COM

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